コラム「フェルランニングの世界に魅せられて」〜 久野繭記さんの英国滞在記(第二回)

コラム・久野繭記さんの英国滞在記(第二回)

フェルランニングの世界に魅せられて

写真192件目の滞在先「Penpont(ペンポント)」は、350年の歴史をもつ貴族屋敷。敷地内には「Dingle(渓谷という意味)」と呼ばれる小さな川とフットパスがある。

久野繭記さんの英国滞在記、第2回目です。→第1回目はこちら

久野さんは5年間、(株)コロンビアスポーツウェアジャパンにブランドPRとして勤務。仕事を通してトレイルランと出会いました。国内のレースでは年代別で表彰状に上がるほどの実力の持ち主です。2016年5月の退社後は1年2か月イギリスに滞在し、「トレイルラン(フェルランニング)」をテーマにイギリスのリアルなアウトドアシーンを体験してきました。今回は、農業体験を仲介するNGO「 WWOOF(ウーフ)」を通して経験した田舎暮らしやそこで出会った人々、町の小さなトレイルランショップでのアルバイトについてのお話です。

【コラム第二回 〜農業体験とアウトドアショップでの仕事】 

郊外の町でオーガニック野菜の栽培を学ぶ

語学学校に通うため、半年間のロンドン生活の後は、フェルランニングを学ぶことに加えて、帰国後にスタートする広島の生活で活かせることも学びたいと考えていました。それがオーガニック野菜の栽培です。

人手の足りないオーガニック農家とボランティアをつなぐNGO団体「WWOOF(ウーフ)」については、前職時代に上司から教えてもらいました。この団体は1971年にイギリスで誕生し、現在ではヨーロッパ各国やアフリカ、アメリカそしてもちろん日本にもあります。ボランティアで1日約7~8時間働く代わりに、ホストが住む部屋と食事を用意してくれるので、私にとっては、お金がかからず英語環境で野菜栽培が学べる、願ったり叶ったりのシステム。

まず、1月から3月末まで滞在した一件目のウーフは、Lincolnshire(リンカンシャー)というイングランド東部にある、野菜と花の種を栽培し販売するSeed Co-oporative(シードコーポレーティブ)という農家。ここは次のシーズンのための種まで育てて持続可能な農業を推奨するワークショップや、種を次世代へ保存する活動も行っているとても興味深いところでした。

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写真3上/種の収穫方法について学ぶワークショップ。下/イースターの時期には「パンケーキデイ」なるものが。作業を中断し、みんなで「パンケーキレース(パンケーキを返しながら走る伝統レース)」を楽しむ!真ん中がケイト、右がダフナ。

午前中は、何百種類という種を保存しているパッキングルームで種を袋詰めする作業。午後は温室や畑で苗を植えたり、剪定したり、Hawing(ホウイング)という土を耕す作業をしたり。小さなプランターの中である程度まで苗を育て、畑に移植して栽培し、次のシーズンの種まで収穫するという作業を体験することができ、最初の滞在先としてはパーフェクトな環境でした。

イギリスの食事は美味しくなっていた!

ウーフではホストと同じ屋根の下に暮らし、家族と三食を共にします。食べることが大好きな私にとって最も不安材料だったのが「まずいイギリス料理」という定説。ここシードコーポレーティブは、子育ての終わったデイヴィット&ケイト夫婦が2年前に始めた農家で、イギリス農業を学ぶために来ているイラン人のダフナという女性も住み込みで働いており、全員がベジタリアン。ダフナにいたっては動物性のものは一切摂取しないヴィーガンでした。料理がまずいと噂のイギリスなのに、それに加えてベジタリアン……。茹でた or 焼いただけの野菜がゴロゴロ出てくるのではないかと怯えていました。

しかし、この数十年でイギリスの食文化は大きく変わっているようでした。多くの移民を受け入れてきたことで食文化も多様になり、パスタやリゾットなどのイタリアンはもちろんキッシュやカレー、フムス(ゆでたひよこ豆に味付けをしてペースト状にしたもの)などバラエティに富んだご飯を出してくれました。植民地だったインドの影響も強いようで、香辛料をたくさんの野菜とともに使い、これまでのイギリス料理のイメージだった「お肉ドーン!じゃがいもドーン!」という茶色いお皿ではないことにとても驚きました。

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上/ヴィーガン肉を使ったカレー。下/デザートには洋ナシのコンポート。

ケイトは料理好きで、毎朝食べるグラノーラ、ティータイムに食べるクッキー、パンもすべて手作り。果物の収穫後にジャムやチャットニー(果物の漬物。ソースとして使われています)をつくり、瓶詰めにして大量にストックしていました。夕食では毎日、収獲したばかりの野菜を食べさせてくれたのです(これが本当に感動するほど美味しい!)。ダフナも故郷のイラン料理を沢山つくってくれて、毎日のご飯が楽しみでした。

貴族のお屋敷を維持する大変さ

4月から滞在した二件目のウーフ先は、ブレコンビーコンズ国立公園内のBrecon(ブレコン)という町にほど近い、ギャビン&ヴィーナ夫婦が営む350年の歴史を持つお屋敷「Penpont(ペンポント)」でした。

ヴィーナの祖先はなんと代々続いてきた貴族。その昔は30人もの使用人がいるお屋敷でしたが、時代が変わり、現在は数多くの部屋数を持つメインハウスでB&Bとして宿泊を受け入れたり、ガーデンウェディングを行ったり。また、川の流れている広大な庭をキャンプ場や釣り場として開放し、建築当初からある高い石壁に囲まれたWalled Garden(ウォールドガーデン)と呼ばれる畑では、野菜を育てて敷地内の小さなファームショップで販売したり、町のレストランに卸したりして、歴史ある家をなんとか後世に残そうと大変な努力をしていました。

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上/ペンポントのメインハウス。写真に写っているすべてが敷地。下/私が使わせてもらっていた部屋。まるでホテルのようで、一人で使うには広すぎるほど。

私は、ウォールドガーデンで働くガーデナー、ピートの元で野菜や花を育てることがメインの仕事。毎年6月にオープンするファームショップに向けて、トマトやジャガイモ、玉ねぎ、ピーマン、ズッキーニ、ビーンズ、ビートルーツ、ほうれん草、レタスなどの数十種類の野菜と、スイートピーやコーンフラワーなど結婚式を彩る花たちの手入れをしました。

広大なガーデンをたった2人で動かしていくのは重労働でしたが、愛情深いピートによって丁寧に育てられる野菜はとても色鮮やかで生命力にあふれていて、初めて野菜を「美しい」と思いましたし、ピートは仏教徒で、日本の文化や食、農業に興味を持っていたので、たくさん話をし、休みの日も一緒にヨガに行ったり私のレースを応援しに来てくれたり、良き友達の一人となりました。

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上/ガーデナーのピート。中/私が働いていたウォールドガーデン。下/オーナーのギャビンとは犬の散歩がてら、たくさんのことを話した。

イギリス人は噂どおり本当に紅茶をよく飲みます。朝起きてすぐ、昼食後、その他にティータイムが2回、そして寝る前と合計で1日5杯以上。ストレートで飲む人はほとんどおらず、ミルクと砂糖を入れて、暑い日でもホットティー。ポットは茶渋がついているほど紅茶が美味しくなると言われるらしく、一度よかれと思って洗ったら怒られたこともあるほど大切な文化ですが、イギリス人のchatty(おしゃべり)はこのティータイムで磨かれていました。

テーブルに座って「How are you?」から始まり、昨日何をして何を食べたかまで詳細にお互いのしたことや思ったことをシェアし、会話が止まりません。空気や間を読む日本人としては当初「こんなことまで喋らないといけないのかな」と戸惑いましたが、徐々に日々の些細なことでも心に留め、童心に返って「今日はこんなことがあったんだよ」と話すようになりました。ティータイムはただのおしゃべりの場ではなく、家族やまわりの人を想う気持ちを養い、人と人とを繋げる重要な要素になっているんだなと改めて気づかされたのでした。

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上/一番好きなお菓子「フラップジャック」(左)とウェールズを代表する「ウェルシュケーキ」(右)。下/メインダイニング。宿泊者はここで食事をとる。

<ペンポントの1日のスケジュール>

6:30  起床

7:45  朝食(ミューズリーとフルーツ)

8:30  作業開始

10:30  ティータイム(紅茶とビスケット)

11:00  作業再開

13:00  ランチタイム(サンドウィッチ)

14:00  作業再開

16:00  作業終了

17:00 ティータイム(紅茶とトースト)

18:00  ランニング

20:30 ディナータイム

23:00   就寝

フェルランニング専門のアウトドアショップで

二件目の農業体験が終わった後はアウトドアメーカーでインターンができないかと考えていましたが、短期では受け入れてくれるところが見つかりませんでした。すると、心配したギャビンがブレコンの町にある「Likeys(ライキーズ)」という小さなアウトドアショップに私を連れて行ってくれました。それがオーナーのマーティン&スー夫婦との出会いです。

ライキーズはファストパッキングやフェルランニング、アドベンチャーレースやデザートレース、アークティックレース(北極圏で行われるエクストリームウルトラマラソン)の装備に特化したショップで、小さいながらいくつかレースの協賛やアマチュアランナーをサポートするアンバサダー制度も設けていました。彼らは「よかったらうちで働かない?」と誘ってくれ、ギャビンとヴィーナは「ウーフ終了後も引き続きうちに住んで店へ通えばいいよ」と、無償で私を家に置いてくれると申し出てくれたのです。しかも、朝ごはんと夜ご飯までこれまで通り提供してくれるとも。

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上/ ショップのウィンドウづくりはいろいろな反応があって、とても面白かった。下/地元出身で土地勘のあるエヴァン(左)。お客さんからレースの相談を受ける。

帰国までラスト3か月、ここから私の新たなイギリス生活が始まりました。週5日バスで店に通い、接客やお店のディスプレイ、instagram(@likeys_shop)を担当しました。たくさんのブランドの細かな機能や特徴を覚えるのはもちろんのこと、それを英語で伝えることは本当に難しく、接客中に途中で代わってもらわなければならないこともあり、毎日悔しくて落ち込む日々でした。

しかし同僚で優しい兄のようなニックとアダムがサポートしてくれ、仕事が終わった後も一緒に走りに行って励ましてくれました。ひつじ牧場育ちで、大会で入賞するほど足の速いエヴァンは、レースに連れていってくれたり、オススメのランニングコースを教えてくれたり。オーナー夫妻は私を子どものように可愛がってくれ、フェルランニングが好きな人々に囲まれて過ごす毎日は、また違った楽しさと新たな発見がある日々でした。

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 人口約8000人の町、ブレコンのメインストリート。

町にはお店が立ち並ぶメイン通りはひとつしかなく、周辺で生まれ育った人たちはだいたいみんな顔見知りです。お店にはキャンプや登山の観光客も訪れますが、近所に住む人が紅茶を飲んで雑談だけして帰っていくこともありました。若い人から70歳近いご年配の方まで、多くのフェルランナーの常連さんがいて、スタッフみんなで、ギアの使い方やランコースのアドバイスなど、さまざまな相談に乗ります。

閉店後は週に一回、約1時間、町を囲む丘へスタッフみんなで走りに行きました。それほど高低差のない、ひつじや牛が放牧されたフィールドでしたが、新しい商品やテスト商品を試すことが主な目的でしたので、短い距離ながらもザックやポールを持って行きました。そして、製品の良い点や改善点を見つけては、日々の接客に役立つようにとみんなでシェアしました。

ネットショップも含め、近年ではフェルランニングに特化するお店が増えていて、競合店は星の数ほど。その中でいかに差別化を図るか、ネットで購入する人が増えているからこそ、もっとお客さんに寄り添う接客をしようと全員が高い意識で働いていて、私にも理解できるよう丁寧に情報のシェアをしてくれました。

イギリスでは17世紀頃から私設のチャリティ団体が存在していたほどボランティアの歴史が古く、ボランティアやチャリティの先進国であると言われています。突然現れた何のつながりもない日本人に、たくさんの人がここまで親切にしてくれるのは、そうした歴史・文化的背景と慈愛精神の高さがあるからなのかなと感じました。

帰国のためにお店を辞める最終日。ライキーズのみんなは送別会を設けてくれました。ウェールズ国旗にもある赤いドラゴンの大きなぬいぐるみと日本語で書いてくれた寄せ書きメッセージ。そして「今日からマユキが日本のライキーズアンバサダーだよ」とお店のロゴワッペンを用意してくれました。それは大切にトレランキャップに縫い付け、ライキーズ日本代表としてこれからも走り続けようと思っています。

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Likeysのみんなと。左からニック、マーティン、エヴァン、アダム。

◇参考

・WWOOF UK

http://www.wwoof.org.uk/

有料の会員登録が必要ですが、最短1日間からでも受け入れている農家もたくさんあります。

・ウーフ先1軒目の「Seed Co-operative」

http://www.seedcooperative.org.uk/

・ウーフ先2軒目そして最後居候をしていた「Penpont」

http://www.penpont.com/

・ブレコンにあるウルトラ、フェルランニングに特化したアウトドアショップ「Likeys」

https://www.likeys.com/

profile

久野 繭記   Mayuki Kuno

hitsuji (1 - 1)

静岡県袋井市出身。アウトドアメーカーのPRとして約5年勤務し、トレイルランニングシューズブランドを担当。レース会場などへの出張をきっかけにトレイルランに魅了される。結婚・広島への移住を機に退職するも、ワーキングホリデービザを取得し、2016年6月に渡英。「イギリスのトレイルランニングカルチャーを感じること」をコンセプトに、約1年間滞在し、2017年8月に帰国。instagramアカウント/@mayukikuno