コラム「フェルランニングの世界に魅せられて」〜 久野繭記さんの英国滞在記(最終回)

コラム・久野繭記さんの英国滞在記(最終回)

フェルランニングの世界に魅せられて

41帰国直前に登ったSnowdonia National Park内にあるカデール・イドリス。またこの景色を見にいつか帰りたいと思う。

久野繭記さんの英国滞在記、最終回です。→第1回第2回はこちら。

久野さんは5年間、(株)コロンビアスポーツウェアジャパンにブランドPRとして勤務。仕事を通してトレイルランと出会いました。国内のレースでは年代別で表彰状に上がるほどの実力の持ち主です。2016年5月の退社後は1年2か月イギリスに滞在し、「トレイルラン(フェルランニング)」をテーマにイギリスのリアルなアウトドアシーンを体験してきました。今回は地域に根ざすフェルランニングクラブと、各地で開催されているローカルレースのお話。仲間との時間をゆるやかに楽しむランナーたちの様子が伝わってきます。

【コラム最終回〜フェルランニングクラブとローカルレース】 

アウトドアの町
ウェールズ南部のブレコン

イギリスといえば天気の悪さ。「gray day」という言葉が頻繁に使われるだけあり、春秋ともにどんより曇り空と雨が多く、さらに冬になると夕方4時には真っ暗です。その反動もあってか6~8月頃しかない、カラッと天気の良くなる夏を1日たりとも無駄にはしたくないという気持ちが強く、少しでも太陽が出ると椅子を庭にだして日光浴。夜9時過ぎくらいまで明るいので、仕事が終わってから川で泳いだりランニングをしたりサイクリングをしたり、夏は休日も積極的にアウトドアを楽しむ傾向にあります。1年の3/4は天気が悪いことと、古くからティータイムや室内から眺めて楽しむことができるイングリッシュガーデンがポピュラーであったことを考えると、天気はその国の文化と密接に関係しているのだなと妙に納得しました。

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0305上)グレーな空。こんな天気が普通。中)こんな天気が良い日は、本当に嬉しい。みんな暗くなるまで外で過ごします。下)釣りを楽しむ人も多い。

私が働いていたフェルランニングショップ「ライキーズ」があるブレコンという町は、ウェールズの南。ロンドンから最も近い国立公園「ブレコンビーコンズ」内にあり、公園内の最高峰「Pen y Fan(ペニヴァン)」(886m)にもほど近い町で、トレッキングやマウンテンバイク、ロードバイク、フィッシング、カヤッキングなどアウトドアを楽しむ人たちがイギリス国内だけでなくヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、そしてアジアと世界中から訪れ、キャンプ場やホテルもあるので彼らのベースとなる町でもあります。

特にサマーシーズンは子供連れのキャンパーや登山客で小さな町は大混雑。周辺のキャンプ場は事前予約しないとほとんど入れないといいます。

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07上)Breconに近いCrickhowellという小さな町。イギリスの田舎にはこんな町がたくさん。下)トレイルの入り口に立つ道標はなんとも可愛らしい。

仲間との時間を楽しむフェルランニングクラブ
走って、ドボンして、ビールを飲んで

そんなアウトドアが盛んなエリアだけあり、周辺にはたくさんのフェルランニングクラブが存在し、私は同僚を通じて南ウェールズエリアをメインに活動するフェルランニングクラブ「Mynyddwyr De Cymru」(こちらはウェールズ語。英語でMountaineers of South Walesの意味。)の練習に参加させてもらいました。彼らは夏の間、週に一度、19時に集合して2時間ほどフェルランニングを楽しみ、最後はパブで飲んで交流を深めるという活動を主としています。

私が文化の違いを感じたのは、ほとんどの人たちがロードランニングスタイルだということです。日本だと全身トレイルランニングブランドで揃えている人も少なくなく、10マイルほどの距離でも水や補給食などを持つ人が多いと思いますが、トレイルランニングシューズは着用しているものの、あとはノースリーブシャツとショーツだけ。

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12上)フェルランニングクラブ「Mynyddwyr De Cymru」の練習会。ノースリーブ、ショーツだけのロードランニングスタイルがほとんど。下)クラブの中でも陽気な明るいマーティン。チームシャツはウェールズのアイコンでもある赤いドラゴンをプリントしている。

そしてとても暑い日であっても、多くの人が水や補給食を持たないのです。「水は必要ないの?」と聞くと「走り慣れているコースだし、これくらいの距離なら水はいらないよ」と余裕の表情。ひとりの男性は「走った後のパブでのビールをおいしくするためだ!」と言っていましたが、慣れなのか、またはフィジカル的な違いなのか。その感覚の差には非常に驚きました。(ちなみに私は800ml飲み干すくらい必要なコースでした……)

また、滝が点在するコースを走った日は、滝が現れるたびにみんなでダイブして体をクールダウンしてはまた走り出したり、21時頃に沈む綺麗な夕日を丘の上から眺めたり、時にはランニング後にメンバーの自宅でBBQパーティーを開いたり。「私、今日行くから誰か乗せて欲しい人いる?」とFacebook上で声を掛け合い、トレーニングをすることだけでなく、その日に参加可能なメンバーと一緒にどう楽しむかといったことまで考えている雰囲気はとても素敵だと感じました。

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15上)滝の後ろをくぐるコース。暑い日だったので気持ちいい。下)終了後はパブで交流会。イギリスのビールは常温なので、日本のドラフトビールが恋しくなる。

当日エントリーもOK
「Fan y Big Horseshoe(ファニービッグホースシュー)」

イギリス国内でも毎週のようにフェルランニングレースが開催されています。もちろんメーカーが協賛するような大きなレースもありますが、ランニングクラブが主催する小さなローカルレースも盛んに開催されています。

それらのローカルレースの特徴は、参加者は多くても100人くらいであること。基本は50人前後で、距離も3~10マイルと短く、参加費も平均5ポンド(約800円)ほどです。事前エントリーも受け付けていますが、当日ふらっと受付時間までに行って、参加費を払えば直前でもエントリーすることが可能で、地元のフェルランニングクラブがレースを主催していることが多いようでした。

私は今年の7月8日、ブレコンからほど近いLlanfrynach(ランブラナハ)というとても小さな町で行われる「Fan y Big Horseshoe(ファニービッグホースシュー)」という10.3マイルのレースに参加しました。

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レースのスタート前。

事前エントリーを行っていませんでしたが、当日受付で名前や住所、緊急連絡先を提出し、参加費7ポンドを支払い、すぐにゼッケンを受け取ることができました。おそらく普段は羊の農場として使っているであろう会場には、受付テントとカフェスペース、キッズプレイスペースが設けられ、地元のお年寄りを中心としたボランティアで運営されています。ゆっくりバラバラと参加者やその家族・友人が集まり、おしゃべりしたり、犬と遊んだり。カフェでは紅茶が無料で振舞われ、日本のレース前のような緊張したピリッとした雰囲気は全くなく、それぞれが思い思いにスタートまでの時間をゆったりと過ごしていました。

レースコースは丘で、森林の中を走るような箇所はなく、影になるような場所はありません。強い日差しを浴びながら、ゆるやかな傾斜の丘を駆け上がっていきます。2マイルも上がれば、そこからはパッチワークのように区切られた綺麗なフィールドを見渡すことができ、イギリスらしい田園風景を眺めながら走っていきます。

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上)スタート直後。快晴。日を遮るものがないので暑いけれど、湿気がなく乾燥しているので気持ちいい。下)レース名にHorseとついているのはこの稜線が馬の背中のようだから、だそう。

途中、年齢が近そうな女性と同じペースでしばらく一緒に走る時間がありました。このような時間があると、どれくらい走っているのかな、なぜフェルランニングを始めたのかな、などとどうしても興味が湧いて聞きたくなります。私が話しかけると笑顔で答えてくれた彼女は、20代前半の頃から走り始め、出産と子育てが忙しくしばらく休んでいたものの息子が6歳になり一緒に再び走り始めたのだと話してくれました。気づくと彼女の前にはゼッケンを付けていない小さな男の子が、後ろを度々気にしながら元気に走っていました。

ほかにも、かなり体の引き締まった60代の男性と話す機会もありました。私が長く続く登りで苦しそうにしていると、チョコレートを差し出して「コレが君を上まで上げてくれるよ」と話しかけてくれました。彼はフェルランナー歴40年以上のベテランで、近所に住んでいて、ここは自分のフィールドでいつも走るコースなのだとか。でもたまにこうして若い人たちとレースで走れるのが嬉しいんだと話し、颯爽と軽やかに走り去って行きました。

走る理由は人それぞれ。でも国や人種関係なく、みんなトレイルを走ることから得ているものがあって、フェルランニングでもトレイルランニングでもどっちでもいいし、素敵でなんだかいいなぁ、としみじみ思いました。最初はレース中に話しかけられるとドキドキしていたのに、いつの間にかこうして自分から話しかけたり、彼らとの会話を楽しむことができるようになったりしていることを思うと、少しは私も成長しているのかもしれません。

ローカルレースは
コミュニティの形成に役立っている

このレースは名前に「horse」と入っているだけあって、馬の背のような稜線を駆け抜けるのですが、ところどころ大きな石があったり、前日まで降っていた雨の影響でぬかるんでいたり。かなり傾斜のあるところをトラバースする際は、片足分ほどの幅しかないような細いトレイルを走らなければならなかったりと、テクニカルな箇所も多々あります。そんなトレイルをうまく乗り切ろうと必死に走ってしまいがちなのですが、ふと横を見ると羊が気持ちよさそうに寝ていたり、もぐもぐ草を食べていたり、こちらに向かって「メェェェ!」と叫んできたりするので、あぁ焦らずゆっくり楽しんで走ればいいんだった、と気づかせてくれました。

そんな風に走っていると10マイルはあっという間に終わってしまいました。走り終わった後は、選手にサービスされる紅茶とケーキを食べながら、芝生に座って今日はどうだったなどとゆっくり話をして過ごします。お父さんが帰ってくるのをお弁当を食べながら待っている家族がいたり、子どもたちがキッズスペースで走り回っていたり、ボランティアのお年寄りたちと雑談するランナーがいたり。そんな光景をぼーっと眺めていると、ふとフェルランニングは一種のソーシャライズ活動であり、地域のコミュニティを形成する働きを担っているのではと思いました。

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19上)レース後、選手には無料でケーキと紅茶が振舞われるのが嬉しい。下)表彰台の目の前に子供達のためのボールプールが設置されているのもいい。

キリスト教の多いイギリスでは、日曜日は家族と近くにある教会へ行き、そこで地域の人々と顔を合わせて繋がる、ということが一般的だったと聞きます。教会という場所や宗教がコミュニティ形成をしっかりと担っていました。

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イギリスではクリスマスシーズンになると各都市や町にクリスマスマーケットが出現する。地元のクラフト雑貨屋、パン、お菓子などを売る、ストールと呼ばれる小さな屋台が立ち並ぶ。 

しかし、イギリスにいて私が直接出会った人々に限りますが、教会に行くという人に出会ったことがありません。「おじいちゃんおばあちゃん世代は教会へ行っている。自分も一応キリスト教徒ではあるけど、でも教会には行かないし、ほとんど無宗教のような感じだよ」と話していた友人もいます。

そんな現在では、教会や宗教というものに代わって、このようなローカルレースがひとつのコミュニティ形成の役割を担っているのかもしれません。家族を繋ぎ、ローカルの人々を繋ぎ、そして私のような外国人も繋げてくれる懐の深いコミュニティとなっているフェルランニングの力はすごいな、感じたのでした。

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上)ローカルレースではないが、帰国直前に出場した「Snowdonia Trail Half Marathon」。Likeysのボス、マーティンが招待してくれた。ブレコンビーコンズより標高が高く、岩場も多い。男らしい地帯。下)スタート前にエヴァンと。私はLikeysTシャツを着て走った。

3128上)トレイル上にいる羊。かなりの傾斜なので羊毛が重くて転がり落ちないのか心配になる。下)約4.5km続く登りは辛いが、ここでも多くの人が声を掛け合いながら登っていた。

長いようで短かかったイギリスでの1年2ヶ月の生活。おそらく私が触れることができた文化はほんのごく一部にしか過ぎません。それでもその文化、出会った人々からは、確実に影響を受け、自分の中で何かが変わった気がします。

そして彼らからたくさん受け取った分、これからは自分がそれを還元していく番。広島へ移住してから、少しお手伝いさせてもらっている「88ハウス広島」というゲストハウスがあります。そこのオーナーのお子さんたちと「近くの山を走ってみよう!」と先日一緒にトレイルランニングをしてきて、子供たちにその楽しさを伝えることの面白さを感じました。

できることは、まずは自分の周りから。大きなことはできませんが、これから日本のトレイルランニングにちょっとでも力になれるような活動ができたらいいなと考えています。改めて、この機会を与えてくれたグランノート千葉さんへの感謝をお伝えすると共に、拙い文章ではありましたが読んでくれた皆様、本当にありがとうございました。

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<参考>

・国立公園ブレコンビーコンズのオフィシャルサイト
http://www.breconbeacons.org/

・フェルランニングクラブ「Mynyddwyr De Cymru」
http://runmdc.org.uk/

・ローカルレース「Fan y Big Horseshoe」
https://www.breconfans.org.uk/fan-y-big-horseshoe-race

profile
久野 繭記   Mayuki Kuno

静岡県袋井市出身。アウトドアメーカーのPRとして約5年勤務し、トレイルランニングシューズブランドを担当。レース会場などへの出張をきっかけにトレイルランに魅了される。結婚・広島への移住を機に退職するも、ワーキングホリデービザを取得し、2016年6月に渡英。「イギリスのトレイルランニングカルチャーを感じること」をコンセプトに、約1年間滞在し、2017年8月に帰国。instagramアカウント/@mayukikuno