empty and full#01〜小松祐嗣さんの初100マイル 身延to池上本門寺

Long Journey 〜empty and full
#01〜小松祐嗣さんの初100マイル「山梨県・身延→東京・池上本門寺」

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その人にとって特別な意味をもつ「Long Journey」について、寄稿やインタビューでご紹介する新シリーズ『empty and full』。それぞれの内に眠る原動力や、走った先に辿りついた場所を描きながら、人間がもつ根源的な力に迫ります。

第一回目は、トレイルランレース『身延山 七面山 修行走』の主催者である僧侶・小松祐嗣さんの寄稿です。山梨県身延の歴史あるお寺「武井坊」の36世住職を務める小松さんは、2017年10月31日、日蓮聖人の足跡を辿る100マイルの旅に出ました。

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【 寄稿 】

「肉体的苦痛は、精神的苦痛を凌駕できるか?」小松祐嗣

なぜ人は走るのか? なぜ人は100マイルに魅了されるのか? そんなことは僕には到底わからない。人のことを研究しようとも思わない。

ただ、日常的に山やロードを走るようになって、漠然といつかは100マイルなんてことは思っていた。そんな時チャンスは突然やってきた。いや待て……、チャンスなんかじゃない。走るしかなかった。

走らなければ苦しくて仕方がなかったんだ。

 

人生のどん底から、這い上がるために

去年の夏、僕は間違いなく42年の人生の中で最悪の日々を過ごしていた。夜はまともに眠れない。心臓がボコボコと空気を含んでしまったような感覚に襲われる。まぁ、病院に行けば普通に鬱と診断されただろうね(汗)。 

そんな時にかねてからの持論を試してみたくなった。精神的な疲労度と肉体的な疲労度をevenイーブンにする!!ってやつ!!

普段自分もよく言ってしまう「疲れた……」って言葉。でもよく考えてみると、僕の場合は精神的に疲労した時のほうが多い気がする。「疲れた」を理由にグダグダとして、酒飲んで、無駄な時間を過ごして。翌朝気分も体もスッキリするわけもなく、悪循環ループの完成だ!!

グダグダの精神に活を入れて、一時間もガッツリ走れば通常に戻るという経験ありません? 僕だけ?

ならばいまの「どん底の精神状態」に比例して、体をボロ雑巾にしてやれ! ということで思い立ったのが、『久遠寺to池上本門寺』。

日蓮聖人(にちれんしょうにん)は、晩年の9年間を身延山で過ごされた。大聖人の法華経(ほけきょう)を弘めんがためのご生涯は困難を極めたことは言うまでもない。当時の身延は高さ一丈もの積雪があったというからとんでもない。冬には、住まいの中にまで雪が積もり、着るものは麻の衣一枚。食べ物はなく、アカギレからは血が吹き出す。芹を摘む際に濡れた袂は、春といえども凍りつく。 

そんな中でさえも、昼はお弟子様たちと法華経について論談し、夜は月明かりのもと経文を唱える。願うは、この世の安寧。

しかし、いよいよ大聖人は病を患い、日立の国へと湯治の旅に出る。その旅路の途中、現在の東京都大田区、池上本門寺で入滅された。

「たとえいづくにて死候とも、九箇年の間心安く法華経を読誦し奉候山なれば、墓をば身延山に立させ給へ。未来際までも心は身延山に可住候。」とは、日蓮聖人の御遺言。

そんな身延山に生まれ、僧侶の端くれとして生きる僕。「大聖人が歩まれた道を辿ってみたい。僧侶としてそんな思いに駆られるのは当然!」……なわけがない。

なんとなくグーグルマップで調べてみたら、最短で145キロ。ちょっとイジったら160キロ(100マイル)。「まるで大聖人が自分に示してくれた道筋のよう!」……なわけがない。

とういことで、2017年10月31日、午前5時30分の久遠寺の大鐘を合図にスタート。一路、東京へと向かい、翌朝の池上本門寺の朝のお経にお参りするという「24時間100マイル走」を決行することにした。

ルートは大雑把に、下部から本栖湖線を上り、富士吉田、都留、上野原、秋山村?の峠を抜けて相模原、横浜、川崎、丸子橋を渡って東京都大田区へ。 

いま思えばこのルートを24時間で走ろうっていうのが無謀だった。当時、トレイルレースの経験は最長で80キロ。ましてやロードなんて50キロぐらいしか走ったことがない。だけど、100マイル走るのに100マイルの練習する人っていないよね?

その時の自分には無謀なぐらいのチャレンジのほうが、ちょうどよかったのだと思う。必死にもがき続ける。足がぶっ壊れても止まらない。スタートから突っ込む。(実際に足はぶっ壊れました!!)

それができなければ、自分の人生が止まってしまうと本気で思っていた。それまでの自分を、何一つ肯定できるものが無くなってしまうと思っていたんだ。 

まだ薄暗い中、大鐘とともに自宅を出発。身延山の三門では、この計画を知ったお坊さんの後輩が見送ってくれた。

 

あぁ、思い出が辛すぎる本栖湖

スタート後2時間ぐらいしてさっそく最初の山場、本栖湖への上りだ。普段は車でしか通らない上り。

排気量の小さい車なんぞはヒーヒー言っちゃう激上り。ここでいきなり膝が痛くなってきた!これでは先が思いやられると、不安に思いながらも前に進む。

途中、車で朝霧高原へゴルフに向かうという知り合いに見つかる。

「何してんの~。乗ってく~?」

僕が池上まで行く事を知る三人にニヤニヤされながら声をかけられたが、もちろんご遠慮する(笑)。

膝の痛みを必死にこらえ、余裕のつくり笑いでバイバイした。

ようやく本栖湖に出たところで、身延町を脱出。最近、身延周辺のロードを走るようになって気づいたことだが、身延町は無駄にでかい。いくら走っても、なかなか身延町を脱出できないのは精神的キツい。やっとここで旅が始まった気分だ。

本栖湖までの上りをこなせば、富士吉田は多少のアップダウンはあるがかなり走りやすい。膝の痛みはまだあったが順調にペースを刻む。しかし実はここからが、病んだ精神と、池上本門寺まで走るという意思のせめぎあいだった。

本栖湖、富士吉田には思い出が多すぎた。名付けて「思い出ぽろぽろゾーン」。

目に入る景色、すべてに個人的なエピソードがありすぎだ。走るピッチと呼吸に意識を集中するが、目に入るものをきっかけに思い出が蘇り、これからやろうと思っていたこと、自分の思い描いていた未来までもが広がってしまう。 

これは妄想だ、執着だ、肥大した自我だと自分に言い聞かせる。しかし実際に何度も足が止まった。涙があふれそうになった。そのたびに脳みその暴走を振り切るように、一歩一歩足を前に出す。胸を張り、前を見据えて、ランニングのフォームと呼吸に意識を集中させる。見知った景色を過ぎるまではこの繰り返しだった。

話は変わるけど、僕がお坊さんなのに走ってばっかりいるのには、実は理由がある。 

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七面山敬慎院に勤務していたこ頃。よく自宅から七面山まで走って通勤していた。

 

Runには瞑想的要素が多くあるのではないかと思っている。とくに山を走ることは、そのまま瞑想になるのではないかと。この手記の終わりに、余力があればそこにも触れたいと思う。 

富士急大月線の下吉田駅あたりまで来ると、不思議と膝の痛みはなくなっていた。ここから都留までは下り基調。実際に走ってみてわかったことだが、実はこれがキツい。とにかく景色が変わらず、ほぼほぼ直線。単調すぎる。ゆるーく下りということも相まって、足の骨がバラバラになるのではないかというぐらい痛みが増してきた。寒い。寂しい。太ももの筋肉も痛い。ネガティブ全開だー!! 

ちょうどこのとき、山梨のトレイルランニングショップのカリスマ店長・小山田さんからメッセージが届く。一言「ガッツ!!」。このメッセージに勇気づけられたことは言うまでもない。なにせいまでもはっきり覚えているくらいだから。事前に小山田さんにはそれとなく走る理由を話していたから、あえて短い一言だったのだと思う。しかも図ったように、完璧なタイミングで。さすが自身孤高の100マイラー(笑)。

ちなみに改めてその時のメッセージを掘り返してみたら、僕の返信も一言「死ぬ」だった……(笑)。

さあ、先を見つめよう。ここでやめるわけには行かない。この程度の痛み、この程度の寂しさ、そんなのは織り込み済みだ。常に心にある悲しみ、怒り、絶望は僕の頭の中を支配しようとする。真っ暗な闇が心と頭を支配しようとするとき、僕はほんの小さな光を探す。手探りで電気のスイッチを探すようなものだ。 

「進め、足を動かせ、もがき続けろ!」

現実の身体的な苦痛に身をゆだねると、不思議と心の闇は消えていく。

いまを生きるってこんな感じなのだと思う。刻一刻と時間は過ぎる。今進めた一歩がすでに過去になり、一歩先はまだ見ぬ未来。動いていたって、休んでいたって同じ人生だ。不安と後悔で身動きが取れなくなりそうでも、歩いていれば何とかなる。

そうだ。自分の足で立つしかない。自分の力で進むしかない。

じっとしていても真っ暗闇からは抜け出せない。一歩先には明かりをつけるスイッチがある。

  

僕が求めていたのは、これかもしれない! 

ようやく都留からのだらだら下りを抜け、このルートの第2最高地点へ向かう上り口、約65キロ地点のコンビニに16時頃着いた。予定よりは1時間以上遅れているが、軽く腹ごしらえをし、食料を調達する。なにせグーグルマップの下調べでは、ここから相模原の市街地まで40キロ近く店がない。 

72キロの第2最高地点である新雛鶴隧道まではずっと登りで、そこから相模原市街地まではずーっと峠道。点々と民家があり、あとはゴルフ場と、キャンプ場。典型的な田舎だ。

でも、僕はなぜかワクワクしていた。さっきまでの単調な一本道から、ここからは山へ向かって伸びていく坂へ入る。夜の時間は、車も通らないだろう。

いよいよ第二の難関を目の前に、上りは歩きも混ぜながら絶対止まらないようにしようとか、下りは足の痛みが我慢できるのかなぁとか、眠気に襲われたらエマージェンシーシートにくるまって寝ればいいかとか考える。街の明かりが見えるまでの道のりを想像してニヤニヤした。

ゆるーい上りをリズムよく登る。道が細いが、帰宅時間のためか意外と交通量が多い。徐々に坂は角度を増していき、カーブが多くなるころにはすっかり車通りはなくなっていた。本栖湖線ほどでないが、坂はなかなかなのものだった。まだまだ先は長いので無理はできないが、止まらないように歩きを混ぜながら先を急ぐ。

ようやく72キロ地点の新雛鶴隧道に着いた。まあ、案の定、周りには何もないので、息を整える程度の休憩をとり、上野原秋山の峠へ入っていく。

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グーグルマップで目標にした、ゴルフ場や神社を目指し、田舎の峠道を黙々と。この峠は、予想以上にアップダウンが細かく入り乱れ、かなりキツかった。24時間というムチャな設定が、ここにきて明らかに足に影響してきていた。とにかく下りの時の足が、骨が砕けそうに痛い!砕ける訳はないけど、ものすごい痛みだ。何やら右足首前側にも痛みが出てきていた。 

さらに参ったのが寒さだった。着るものは十分に準備できていたと思う。着たり脱いだりと、こまめに対応もしていた。チョコやナッツでエネルギー補給もできていたと思う。ただ、疲労のせいなのだろうか、体温が上がりにくくなっていたようだ。自動販売機を見つけてはエネルギー補給をと思い、コーラなんかを飲むのだが、一口飲んだそばから、歯がガチガチと音を立てて体が震えだしてしまう。とても足を止めて休む気になれなかった。今考えると、低体温症になりかけていたのだろうか? 

あまりにも何も無さ過ぎる田舎の峠。コンビニの誘惑もないので、戦うものは足の痛みだけだ。

痛みがひどくて、自分を襲う心の闇は顔を見せなくなってきていた。いずれ車で明るい時間に通ってみたいなぁ~なんてことを思いながら、くねくねとカーブが続く登ったり下ったりの道を、黙々と進む。

全行程の半分を過ぎると、いままでは頭の中で「やっと○○キロ」と積み上げてきた足し算式キロ数が、不思議と「あと○○キロと」引き算式に代わっていた。目的地に徐々に近づく感覚が、楽しさを増幅させていた。 

めったに車は通らない。民家もぽつりぽつりとしかない道、すれ違う車には不審者にしか見えなかっただろう。運転手に不安を与えていないか心配にさえなった。

そんな時、一台の車が近づいてくる。僕のヘッドランプが運転手の視線に入らないように軽く頭を下げ、目線だけを車に送る。その車は僕の横で減速した。

「小松さーん!!」

「……??? ……!!!」

なんと声の主は『修行走』のコースプロデュースをお願いしているトレイルランナーの石川弘樹さんだった。石川弘樹さんが伴走して、奥さまの枝里子さんがサポートをしてくれるというのだ。

思わぬ展開だ。女子なら確実に恋に落ちる展開だ。むしろこの時、自分が女子でないことを後悔さえした。来世は女子に生まれてこようと心に誓う。いま、目の前にいる枝里子さんは、来世は恋敵になるわけだ。……フフフ。 

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早速、温かいコーンスープをいただいた。口から胸、お腹と温かいものが流れる感覚が心地よい。それ以上に仲間がそばにいてくれることが心地よかった。ノンサポートで走ろうと始めたチャレンジだったが、そこに仲間が一緒にいてくれる。安心感。

ここ数カ月、人に苦しみを悟られないように、ただじっと耐える生活。愚痴を言ったって、文句を言ったって負の空間が広がるだけだ。いつもなら笑い話にしてしまうところだが、今回はそんなメンタルは残っていなかった。笑い話にでもしようものなら、たぶん僕は笑いながら泣いていただろう。完全にイカレタ奴だ……(笑)

安心感。

僕はずっとこれを求めていたのかもしれない。こんなに救われた感覚を抱いたことはなかったかもしれない。心の苦痛を、身体的な苦痛で覆うこともできるだろう。精神的な疲労も、身体的な疲労に変換することもできるだろう。だが、それが安心感を超えることは無いだろう。

スープを飲んでも、体に熱は戻ってこなかったが、明らかに足に力がみなぎってきた。調子に乗り過ぎなくらいペースが上がる。実は完全に調子に乗ってしまった。後に足の骨の痛み、右足の前足首の痛みに加えて、もう一つの苦痛に苦しむことになる。 

24時間以内での完走は完全に諦めたが、25~26時間台でのゴールが見えるぐらいまでは盛り返した!……かに見えたが、そうは問屋が卸さない。

だんだんアップダウンが小さくなり、相模原市街までもう少し。上りはグイグイ攻めるものの、下りは足が痛すぎる。息が切れるほどは飛ばしていないが、なぜか声がリズムよく漏れる。痛みで声が漏れてしまうのだ。それぐらい足と足首が痛い。

ここへきて、何やら肛門周辺(汗)にも異変が起きた。ピリピリと痛みが出てきた。

まさか…、夏にはなることがあったけど……。まさか奴か???

そう。ケツ擦れだ。

股擦れじゃないのです。肛門周辺がヒリヒリと痛むのです。色々な人に聞いたけどまれなケースらしい。

やっとの思いで街へ出る。早速コンビニに入り、トイレでワセリンを塗るも時すでに遅し。残念ながら問題の箇所のヒリヒリは増すばかりだ。残りあと40キロまで来て、ついにペースはガタ落ち。初めての100マイル。闇雲に走った序盤の飛ばしすぎが響いていることは間違いない。やめる気はさらさらないが、この足の痛みとケツの痛みで動き続けなければいけないのかと気が遠くなった。

 

二人目の救世主、現る

そんな時だった。相模原の町を走っていると、またすれ違う車がスピードダウン。

「あっ!いたいた!!」

なんと、また応援の仲間が登場した。さわやか金髪のトレイルランナー、滝下さんだった。近くのコンビニで小休止し、そこからは滝下さんも伴走してくれた。

夜中の相模原に、プロトレイルランナーの石川さん、さわやか金髪の滝下さん、「アハ~ッツ アハ~ッツ」と一歩ごとに変な声が漏れる厚着でガニ股の中年……。

住宅街で、巡回中のパトカーと何度もすれ違った。パトカーは僕たちの横でスピードダウンする。これまでの展開から行けば、車から颯爽と応援の仲間が登場……のはずだが、もちろんそんなことは起こらない。

僕は前方一点をしっかりと見つめ、決してパトカーの車内には目を向けないようにした。誰も口には出さなかったが、お巡りさんから目をつけられていたのは間違いない。職務質問されなかったのは、間違いなくこの旅の奇跡のひとつだ! 

40キロほど伴走してくれた石川さんと、コンビニでお別れをした。

「ラスト5キロのウィニングランを決めてください!!」

スゴイ言葉だと思った。東海自然歩道のFKTチャレンジの時に、ラスト160キロをノンストップで走った男。160キロのレースを完全にマネジメントしているんだなぁと、このとき感じた。

 

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そこから夜明けまで、滝下さんは辛抱強く伴走してくれた。もはや1キロ10分以上かかっている。自分自身、全然進んでいる気がしない。残り40キロを切ってからは、これが永遠と続くのではないかと思うほどのつらい道のりだった。

夜もすっかり明けて、ラスト18キロ地点で滝下さんとお別れした。

「最後までしっかり苦しんで!!」

僕にはありがたい言葉だ。ここからは自分ひとり、足の痛み、ケツの痛みとの戦いだ。前に足を進めることのみに集中しよう。ここまで連れてきてもらった二人には感謝しかない。 

陽が昇りきると、また体に熱が戻ってきた。ウィンドウパンツを脱ぎ短パンに戻る。体には少し汗がにじむ。もはや、ほぼ歩きという状態だ。それにしても、足とケツが痛すぎる。通勤通学の人混みを、人通りの多い商店街を、ケツを押さえたガニ股のランナーが歩いている。誰も気にも留めてないようだったが、こっちだって人目なんぞ気にしていられない。

いよいよ青看板には「大田区」の文字が見えてきた。もう少しだ。残り10キロを切り、5キロを切り。

ゴールに近づけば近づくほど、不思議とタクシーに乗りたい誘惑に襲われた。ゴールは目の前だけど、なんだか無性にタクシーに乗りたくなったのが不思議だ。

これこそが僕の欠点なのだろうと思う。

詰めが甘いんだ。最後の最後に甘えが出る。

気力を振り絞って、タクシーの誘惑を振り払いヨチヨチと歩く。もう、500メートルと歩き続けられない。ラスト4キロは1時間半ぐらいかかった。永遠にも続きそうなラスト4キロを、匍匐前進より遅い足取りで、ようやく池上本門寺に到着した。

感動はなかった。

ボロボロすぎた(笑)。

レースと違って、ゴールに健闘を称えあう仲間がいるわけではない。そこにあるのは、いつも通りの池上本門寺の風景。周りには参拝客しかいない。一人として僕を見ていないし、僕のしたことを知らない。僕もその場にいる人のことを、知るよしもない。

誰も僕のことを知っている人がいないというのは、不思議と落ち着いた心持ちだった。結局、僕の心の闇は、人にいまの苦しみを悟られるのが怖かったということなのだろうか? 他人に心配されたり、笑われたりするのが怖かったのだろうか? 大切なものを失うのが怖かったのだろうか? 

160キロの心の戦いから、一瞬にして日常に戻る瞬間。何とも言えない心地良さだった。

あの心の静けさは何だったのだろうと、いまでも思うことがある。

 

走ること、生まれかわること、抜け出すこと

静かに本堂裏駐車場の隅に座り、靴と靴下を脱ぐ。足を見て、一瞬、コンマ何秒、思考が停止した。

「足の小指が増えている……」

小指の横には、それと同じ大きさの血豆ができていた。ちょうど指が6本あるような配列だった。右足の足首前側、というよりは脛に近い部分が赤くなって腫れていた。両足は豆だらけだ。

さわやかな秋の青空。心地良い澄んだ風と陽光に照らされ、静かに日常という空気を胸に吸い込む。

僕の旅は28時間30分で終わった。

この旅を僕は『輪廻100(りんねひゃく)』と名付けた。

名前なんてどうでもよかったが、たまたま友だちが付けたこの名前がしっくりきたからだ。

輪廻とは仏教思想の根幹をなす思想で、簡単にいえば生まれ変わりのこと。ただ人が人に生まれ変わるばかりではない。
 

地獄という苦しみの世界

餓鬼という貪りの世界

畜生という分別のない世界

修羅という争いの世界

人間という四苦八苦の世界

天という浮き沈みの激しい世界

 

魂は生まれ変わっては、この六道という世界を行ったり来たりするらしい。この世界を抜け出すことを目的とするのが仏教の教えだ。 

ではどうやって抜け出すのか?

心を自分で正していくより他はない。

僕は、この輪廻は日常的なものであると考えている。死んだあとのことは残念ながら見ることはできないけど、日常に置き換えればわかりやすい。昨日は怒っていたけど、今日は恨んでいる、明日は優しさを持とうとか。さっきは妬んでいたけど、いまは嬉しくなっている、夕方には人に喜びを伝えようとか。 

自分の心のありようを見つめ、正しい心のポジションを見つける。何にも偏らない、自分の意識にさえも支配されない本当の自分。それが、自分の心の中にある仏の存在だ。

ただ、誰しもに備わっているはずの心の中の仏は、普段は見つけるのも、感じるのも難しいぐらいに小さく弱々しい。なぜなら、それ以上に六道の心が大きく育ってしまっているからだ。

残念なことに六道の心は全ての人に備わっていて、消し去ることは出来ない。
ならば、コントロールしてみようというのが仏道修行であり、その修行法の一つが瞑想。

喜びも悲しみも怒りも絶望も全て飲み込むしかない。

ただそれに支配されない自分を育てていこうと思う。

 2018年10月
小松祐嗣

 

Special Thanks :Shimpei Koseki