vol.10〜 石田啓介さん(有限会社ムース 専務取締役)

『山物語を紡ぐ人びと』vol.10〜 石田啓介さん(有限会社ムース 専務取締役)

6220

 

父に教えられた山とのつき合い方

名古屋駅から市営地下鉄に乗っておよそ30分、植田駅を出て住宅街を抜けると、大きな通り沿いにアウトドアショップ『MOOSE(ムース)』の看板が見えてくる。1982年、石田啓介さんのお父さまである廣保さんが創業した店だ。

体育会系の学生時代を過ごしたという廣保さんは、大学卒業後にスポーツ店に入社。そこでの経験を活かして、自ら開いた店では登山用品のほか、スキーやフライフィッシングの道具も取り扱うことにした。当時の名古屋市内には、アルパインクライミングの愛好家が集う本格的な登山用品店はあったが、幅広いアクティビティの道具を揃えたアウトドアショップはまだなかったという。

「その頃は、ゆるい感じで山遊びを楽しむ人たちが少なかったようです。そういう意味では、父が開いたこの店は珍しい存在だったのかもしれません」。

開店時に構えた杁中(いりなか)の店舗が手狭になってきたことから、15年ほど前に現在の場所に移転する。

 

6252

ムースの角が飾られたショップ入口。


6179

広々とした店内には、トレッキングやトレイルランニング、
クライミング、キャンプ、テレマーク&ATスキーの商品が並ぶ。

 

アウトドアショップオーナーを父に持つ石田さんは、当然のように小さな頃から自然に慣れ親しんできた。「旅行といえばキャンプや山登りばかりでしたから、知らず知らずに山には馴染んでいましたね。父とはよく北アルプスや鈴鹿の山に行きました」。

学生時代はバスケットやサッカー、スキーやスノーボードにも取り組んだが、「どれもとりたてて熱心ではなかった」と振り返る。高校卒業後、ファッション関連の専門学校を経て、再びアウトドアの世界と向き合うようになっていく。

ムースが経営するTHE NORTH FACEの専門店(名古屋駅地下フロア『ファッションワン』)でしばらく働いた後、26歳からここ本店に勤務するようになった。

6014

春から秋は主にトレイルランニグやファストパッキング、
冬はバックカントリースキーを楽しむ。

それでもまだ「将来、店を継ごうという気持ちには至っていなかった」と語る。

店に入って4年が経った頃から、商品の仕入れを任されるように。すると少しずつ意識も変わり始めた。「店というのはものを売るだけではなく、人と人が繋がる場所でもあるのだなとわかり始めてきて、面白い仕事だなと思うようになったのです」。

 

地元の低山、猿投山の魅力に気づく

店では2008年頃から、トレイルランニング用品を扱っている。最初は愛好者も少なく、ローカットの専用シューズもトレッキングや普段履きにと購入するお客さまが多かった。

石田さん自身は、2010年からトレイルランニングを始めた。「正直、自分が始めるまでは、『みんな、何で走るのだろう?』と不思議だったのですが、いざ試してみたら少しずつ面白さに目覚めていきました」。

山を走る最大の魅力は、スピード感や爽快感。次いで、山へ行く目的が多様になることだという。「たとえばトレッキングだと、山の頂点に立つことが目標になりますよね。百名山のような名のある山を目指すハイカーの方も多いと思います。ところがトレイルランニングだと、全く知られていない低山でもいい。そこがトレイルランニングというアクティビティの親しみやすさなのかなと感じています」。

ttrail1

県東部にある新城エリアはOSJのレースでも有名。
よく仲間とツーリングに行く。景色が美しく、
このエリア特有の岩尾根も魅力的だ。

 

石田さんご自身も、それまでは気にもとめていなかった近場の低山への感心が、急速に高まっていった。「僕はよく猿投山(さなげやま)へ行くのですが、メインの登山道以外にも楽しいトレイルがたくさんあることに気づきました。この辺りの低山は夏になると湿度が高くて暑いので、登山愛好家はアルプスまで出かけて行くのが当たり前なんですね。低山はあくまで高山へ登るためのトレーニングや、道具を試すための場所で、以前は自分も同じような感覚でした。ところが実際に行ってみたら、日常的にハイキングを楽しんでいる方がたくさんいらっしゃる。長年、近くに暮らしながら、そういうことすら知らなかったわけです」。

トレイルランニグを始めたことで、お客さまとの関わり方にも変化が生まれてきた。店ではさまざまなイベントを開催しているが、それとは別に、お客さまの休日に合わせて朝一番で山まで一緒に走りに行き、お昼から店に出ることもある。「半日あれば十分に遊べてしまう。それもまたローカルの山の魅力ですね」。

名古屋近辺には、こうした気軽に遊べるエリアがいくつかあるという。たとえば豊田市の松平はボルダリングの人気スポット、渥美半島の伊良湖はサーフィンを楽しむ人たちで賑わう。

3

毎月1〜2回、猿投山でトレイルランイングのイベントを開催。
夏は、コース途中にある滝に入ってリフレッシュ。

 

レース出場も、あくまでマイペースで

大会に出るようになったのは、ここ2年ほどのことだ。お客さまから話を聞くうちに、どういう面白さなのだろうと興味がわき、神奈川県と山梨県の山を結ぶ『道志村トレイルレース』40kmの部に出場してみた。

「これがもう、とんでもなくきつくて(笑)。レースに慣れていないから、まず勝手がわからない。記録を狙うつもりは全くなかったので、後ろの方からスタートしたら大渋滞に巻き込まれて全然進まない。結局、関門時間に間に合わせなくてはと懸命に走って、足を痛めてしまいリタイアしました。レースというのは、もっと練習しなければダメなんだと痛感しました」。

これをきかっけに一気にレースにのめり込んでいったのかと思いきや、あくまでマイペースを保っているのが石田さんらしいところ。(もちろん、レースが開催される週末がお店の営業日であることも大きな理由のひとつなのだが)いまも年に2〜3本、気になった大会だけ出るというスタンスだ。

2014年は、『OSJおんたけウルトラトレイル100k』に挑戦した。いまの自分の実力を確認するために、出走したという。

「独特のムードがある大会でした。コースはほぼ林道で、途中に絶景があるわけでもなく、おすすめのレースかといえば微妙なのですが(笑)。自分自身の限界が見えるレースだと思います。途中でダメになっても、最後まで辿り着けても、いまの自分の力がはっきりわかるというか。ゴール直後はもう出たくないと思っていたのですが、後からじわじわ効いてきましたね。UTMFのポイントを獲得するために参加する方も多いと思いますけれど、それがなくても何か惹きつけるものがある大会だと思います」。

秋には、地図読みや経験値、走力など山の総合力が試されるレース『OMM』の第一回大会にも出場した。トレイルランニングにはさまざまな楽しみ方があることを、あらためて実感したという。

これからどのようにトレイルランニングとつき合っていきたいか伺ってみると、「UTMFやSTY、ハセツネといったメジャーレースも、一度は走ってみたいと思います。人気レースには、やはりそれだけの理由があるからです。でも本来は、ローカルレースが好き。だからいずれ仲間だけで、猿投山の人があまり行かないようなトレイルで、小さなレースが出来たらいいなと思っているんです。大人の駆けっこ大会のような(笑)」。

FP

年に何度かファストパッキングも。写真は南アルプスの白峰三山を
奈良田から広河原まで逆ルートで縦走したときのもの。
装備が軽くなることで行動スピードが上がり、
短い休みでも長い距離を移動することができる。

 

今年は愛知県内でも新しいレースが誕生する。「4月に第一回・奥三河パワートレイルが開催されます。名古屋周辺において、トレイルランニングはもはやアウトドアアクティビティのひとつとして確立されてきた気がします。愛好者の中には山歩きから入ってきた人もいれば、ロードマラソンから入ってきた人、クライミングをしていた人もいる。特に何もしていなくて、いきなり始めてみたという人もいます。おそらくトレイルランニングには、やってみようかなと思わせる何かがあるのでしょう」。

トレイルランニングを通して、これまでアウトドアショップに縁のなかったお客さまたちも足を運んでくれるようになったのが嬉しいと話す。

 

道具と人の幸福な出会いを求めて

これまでアスリートを招いたイベントは実施していなかったが、2014年12月にナチュラルフットシューズALTRA(アルトラ)のアンバサダー・西城克俊さんを講師に招いて、トレイルランニング講習会を開催した。大きな反響を呼んだという。「参加者のみなさんは本当に向上心が高い。勉強熱心な方ばかりです」。

2

猿投山で下り方をレクチャーする西城克俊さん。

 

自分より走力のあるお客さまが多い、と石田さんはいう。「トレイルランニング専門店の中には、オーナーやスタッフがアスリートのように走り込んでいるお店もあります。一方で、お客さまと一緒に楽しむというスタンスのお店もある。いろいろあっていいのかなと思うんです。そんな中、うちの店がお客さまに喜んでいただくためには、どうしたらいいか。やはり商品をどれだけ知っているか、よい提案ができるかだと考えています」。

ギアやウェア、シューズの特徴を知り、快適な山行をサポートする力。「プロとして当たり前ですが、お客さまよりも知識が深く、豊富でなければならない。単に機能を知っているだけではなくて、それを使うフィールドとギアがぴったりと結びつくことが大切です。季節や場所、条件によって何が役立つのか。たとえばザックなら、この山ならこれがいい、このレースに出るならこれくらいの大きさが必要だといったことですね。お客さまが目指すフィールドと求めている道具とをマッチングさせること、それがショップの役割じゃないかと思っています」。

トレイルランニングと一口にいっても、日常的に気軽に低山を走っている人もいれば、夏山をファストパッキングで走る人もいる。途中で沢登りを加える人もいるだろう。共通するのは“山を走ること”であって、スタイルは実に幅広い。さまざまなシーンに合わせたギアの提案をするためには、自分自身がフィールドで遊ぶことが重要だと考えている。

「もちろん、もっともっと先はあります。レースを突き詰めていけば、そこでしか見られない世界もあるでしょうし、自己への挑戦を求めるお客さまにもっと違った提案ができるようになるかもしれません。そう考えると、自分がやるべきことは無限にあるわけです」。

6117

この冬はテレマークスキーにも力を入れたいと話す。

 

自分がすすめた商品をお客さまがフィールドで活用し、「これ、すごくよかったよ」と喜んでくれるのが何より嬉しいと話す石田さん。その言葉はとても強く、凜と響いた。

道具は、アウトドアアクティビティにおける安全性や満足度を大きく左右する。ひとつのものとの出会いが、新しい夢や可能性を広げることもある。とりわけトレイルランニングの世界の道具たちは、日進月歩だ。

その人にとっての最良の答えを導き出すこと。ものと人との幸福な出会いのために、石田さんのナビゲートはこれからも続く。

 

Photo:Takuhiro Ogawa / Text:Yumiko Chiba