vol.9〜 田中健介さん(有限会社サンウエスト)

『山物語を紡ぐ人びと』vol.9〜 田中健介さん(有限会社サンウエスト)

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初冬の午後。ストーブ用に割り出した栗の木の薪の前で。

 

季節を感じる場所で暮らすということ

アルパインクライミングを愛し、トレイルランニグやスキーも楽しむ田中健介さんは、人気シューズブランド『HOKA ONEONE』やランニングソックス専門ブランド『Feetures!』、ウルトラランニングにフォーカスしたウェアやバックパックの新ブランド『WAA』のマーケティングを手がけている。

ご自宅は都心から電車で1時間半ほど、山に囲まれた場所にある。3年前に建てたというログハウスは、開放感溢れる吹き抜けと薪ストーブが印象的だ。「2階の窓から差し込んできた光が、1階へ届くようなつくりにしたかったのです」。この日も穏やかな午後の陽ざしが、階下へと広がっていた。

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日本でログハウスを建てる場合、一般的には欧米の木材ユニットを使うことが多いが、田中さんは国産の木材で建てることを選んだ。カットも国内で行っているため精密で、組み立てた際に木と木の隙間も少ないという。

春から秋までは、庭で野菜を育てている。「ここへ引っ越してきてよかったなと思うのは、4歳になる長女が虫を怖がらなくなったこと。カマキリも触れるようになりました。年齢の割には足腰も丈夫なので、秋には一緒に裏山へドングリを拾いに行ったりしています」。

デスクワークは主に自宅で行っている。社内ミーティングや取引先とのやりとり、イベントなどで都心や他県へ出かけるというワークスタイルだ。休みの日には、里山から切り出された間伐材をもらい受けて、ストーブ用の薪を割る。「くべる木の種類によって燃え方が異なります。杉や檜は短時間にパッと燃えるので火付けに最適で、栗や楢の木はチリチリと静かに長く燃えるので夜に適しているんですよ」。

薪を割っていると、セキレイが音につられて飛んでくる。木の皮の隙間からカミキリムシの幼虫が出てくるのを知っているのだ。「僕がパーンと割ると、すかさず飛んできてパクッと虫を食べる。それが共同作業みたいで、すごく楽しい」。

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テラスに並んだ木のテーブルや椅子は田中さんが手づくりした。
暖かい日はここで食事も。

 

好きなアウトドアを仕事に

田中さんは青森県弘前市で生まれ育った。近くには岩木山や白神山地があり、春には家族で根曲がり竹や山菜を採りに野山を歩いたという。

小さな頃から雪に親しみ、小学校の授業ではクロスカントリーやアルペンスキーを習得した。「平日はスキー板を学校の廊下に立てかけておき、金曜日になるとスキーで滑りながら帰宅していました。週末は家族でスキー場へ出かけ、また月曜日になるとスキーを履いて登校する。そんな生活でしたから、スキー検定を受けている人のように美しくは滑れないけれど、どこでも滑ることができる自信はありますよ(笑)」。

新潟大学へ進学してからは、サッカー部に所属。その一方で、オフロードバイクのエンデューロも始め、さらにマウンテンバイクのツーリングも楽しむようになる。夏にはマウンテンバイクを走らせて、北海道一周の旅もした。「天気が悪くなると小学校や中学校の入口に寝泊まりして、雨露をしのぎました。水道もあるので、煮炊きもできますしね。この時の経験がアウトドアの始まりかもしれません」。植村直己や新田次郎の著書に影響を受け、次第にひとりで山も登るようになっていく。

その後に編入した大阪大学では国際法を学んだ。将来、国連か外務省に勤務したいと大学院へ進むが、「志を持った人こそ、民間へ行った方がいい」という校風だったため方向転換し、好きだったアウトドア業界を選んでモンベルへの入社を決める。

 

クライミングと沢登りに没頭した7年間

本格的な登山を行うようになったのは、社会人になってからだ。モンベル時代の7年間、経験豊富な先輩とともに、クライミングや沢登りに明け暮れた。

「金曜日の夜に60Lのザックを背負って山へ向かい、日曜日の夜行で帰ってくる。朝5時に大阪に着くので、そのまま会社へ向かって、入口でリュックを枕にして仮眠。会社が開いたら、社内のシャワールームで汗を流していました」。

まさに山岳小説に出てくるような“山男”の生活だ。休みが2日あれば北アルプスに出かけたり、和歌山や奈良の山で沢登りをしたり。日帰りでは滋賀県の比良山によく行ったという。

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本好きの田中さん。書棚には小説から詩、ノンフィクションまで
幅広いジャンルの本が並ぶ。

大阪と東京で3年ほど勤務した後、アメリカへ転勤、標高1500mを超えるコロラド・ボルターに住んだ。日本のアウトドア製品をアメリカ市場へ売り込む仕事に従事する。

「現地に慣れてからは、クライミングにもよく行きました。夏は夜9時頃まで明るいので、仕事を終えた後に車を走らせてクライミングルートへ行き、一本登る。それでもまだ明るいから、ビールを飲みに行ったりしてね」。

 

使う人の視点で、製品を伝えていく

帰国後はドイツの老舗シューズブランド、ビルケンシュトックへと転職。そして2012年から、アークテリクスの販売代理店(ディストリビューター)だったサンウエストに勤務する。

翌年の春からはフランスのシューズブランド、HOKA ONEONEの取り扱いが始まった。当初、“ちょっと変わった厚底のランニングシューズ”という位置づけだったHOKAブランドは、瞬く間にトレイルランナーたちに浸透していった。

「正直、僕も最初に見た時は『これ売れるの?』と思いました。ところが本国フランスのセールスミーティングに参加して、ヨーロッパのディストリビューターたちと走ってみたら、とても新しい感覚で、面白いシューズだなと実感したのです。この魅力をきちんと伝えることができれば、たくさんの人に喜んでもらえると思いましたね」。

フランスのセールス手法を取り入れ、日本でも試し履き会を頻繁に行ってきた。「特徴ある製品だから、大々的に売るものではないと思ったのです。シューズの特性を正確に説明できるショップでないと売れない。それで最初は、ランナーのスタッフがいるお店だけに絞りました。路面との相性や特性など、シューズのメリットもデメリットもお客さまにしっかり伝えることができると思ったからです」。

商品の機能を説明するだけの広告は、あまり意味がないと田中さんはいう。「デザインやスペックはカタログを見ればわかる。でも、それだけでは足りない。この山域を走った時はこうだった、このレースを走った時はこうだったというインプレッションもショップから伝えていってほしい。だからこそ僕らも積極的に山で履いて、印象をお店に伝えています」。

田中さんの想い描いていたとおり、HOKAはその特性を理解したトレイルランナーたちによって、自然な形で広まっていった。長距離志向の高い日本のトレイルランニングシーンにおいて、ひとつのエポックメイキングなシューズとなった。

 

世界初、トレイルランニングに特化した体験型イベント

2014年11月に神奈川県厚木市で開催されたイベント『TRAIL OPEN AIR DEMO』も、田中さんの発案によるものだ。シューズやザック、ウェアなど25社、約40ブランドが集結した世界初のトレイルランニングギア専門の体験型屋外イベント。

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ウェアやギア、補給食のブランドのほか、キーマカレーやナンドッグを
販売する飲食ブースも登場。アスリートによるミニ講習回も開催された。

ブースではサンプルを貸し出し、荻野運動公園内にある芝生広場や4kmのトレイルランコース、1kmほどの舗装ランニングコースなどを使って試せるようにした。

企画する際にヒントとなったのは、アメリカで年2回開催されているディーラー向けの展示会『OUTDOOR RETAILER』だという。欧米のブランドが集まり、全米の小売店を招いて新商品を発表する3日間の大規模な展示会で、体験型の野外イベントが実施されるほか、夕方からはハッピーアワーがスタートし、各ブランドがオリジナルカップやクリーンカンティーンにビールを注いで販売する。

「日本では、誰でも参加できる形で実現したいと思いました。東京近郊では、購入前にフィールドでシューズが試せる機会って少ないですよね。このイベントでは試して気に入ったら、その場で購入もできるようにしました。春には、第二回目も計画しています。ビールなどのアルコールが楽しめるように、電車でアプローチできる場所もいいかなと検討しているところです」。

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第一回『TRAIL OPEN AIR DEMO』をつくり上げた仲間たち。

 

字幕の翻訳も手がけた『TRAILS IN MOTION』

2日間に渡るイベントの初日夕刻には、欧米のトップトレイルランナーたちのショートムービーを集めた『TRAILS IN MOTION』を日本で初めて上映した。

全7編の作品のラインアップは、実に魅力的だ。

たとえば、『An Endurance Life』はUTMBやUTMFでの活躍で日本でも人気の高いセバスチャン・セニョーの1年間の挑戦を追ったドキュメンタリー。雪の中でのトレーニングや南の島でのレースなどが登場する。『Running The Edge/The Colorado Trail』は、アメリカ・コロラド州にある486マイル(約781km)のトレッキングルート“コロラド・トレイル”で、最速記録に挑むスコット・ハイミーを捉えた映像。ストイックな姿勢と自らを俯瞰する冷静な視点、彼の心に寄り添いながら8日間つききりでサポートする家族の姿が印象深い。

『In the High Country』は、上半身裸のランニングスタイルと長い髪で、アメリカのアイコンともいえるトレイルランナー、アントン・クルピチカの日常を描いた映像作品。来る日も来る日も同じルートを走りながら、時に自らの殻を破るためのチャレンジを織り交ぜていくクルピチカの山との触れ合い方は、なんとも自由で力みがない。

そのほか、キリアン・ジョルネやクリッシー・モールなど、日本でも馴染み深いトップアスリートの映像も収められている。

「開催のきっかけは、世界有数のアウトドアの映画祭『BANFF MOUNTAIN FILM FESTIVAL』のトレイルランニング版フェスを、日本でもつくりたいと思ったから。いろいろな映像を探した結果、これに辿り着きました。もともと南アフリカから始まったムービーフェスで、現在はアフリカ、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ各地でワールドツアーを行っています」。

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今回、字幕の翻訳は田中さん、“DogsorCaravan.com”の岩佐幸一さん、アルトラの販売代理店であるロータスの福地孝さんで手分けして行った。映像に流れるアスリートたちの言葉は実に率直で、観る者の心にまっすぐ飛び込んでくる。

2014年版は、先に挙げた『TRAIL OPEN AIR DEMO』のイベントと神田さかいやスポーツでの計2回の上映だったが、2015年版では全国ツアーを予定している。

 

日本のトレイルを世界へ発信したい

アメリカのトレイルランナー、ジョー・グラントやアントン・クルチピカとも親しい田中さんは、時に彼らの住むボルダーで一緒に山を走ったり、クライミングを楽しんだりする。

そんな中で気づいたのは、海外のアスリートやアウトドアマンたちは、日本の伝統的な山岳文化に深い関心を抱いているということ。そこで近い将来、日本のトレイルを世界へ紹介していく仕事もしていきたいと、田中さんは企んでいる。

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クライミングスタイルは、岩の隙間に手を入れて登る
クラッククライミング。写真は、コロラド州ボルダーの
フラットアイアンをフリーソロしているところ。

「日本には1000年以上前から、比叡山や大峯山で僧侶による命がけの荒行、千日回峰行が行われてきました。続けられなくなった時には、死を選ばなければならないほど厳しい行です。沢登りもそうですが、日本には独自の山の文化が古くから根づいています。この歴史ある山々、日本らしい山岳地帯を海外のトレイルランナーにも是非、知ってもらいたい。『日本のトレイルを走ってみたい!』と思わせたいのですよ」。

その想いは、少しずつ輪郭を整えつつある。

ほかにも実現したい夢がある。ひとつはトレイル率100%、平均標高3000mの国内100マイルレースだ。「規模の大きなものではなくて、ごく小さなレースを日本の山岳で行ってみたいなと思っています。参加人数を絞りながらも、年を追うごとにいろいろな人が出走できるような仕組みを考えています。そこに海外アスリートも招待できれば嬉しいですね」。

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さらに、九州から北海道までのトレイルをHOKA愛用のランナーたちで繋ぐランイベントも開催したいという。「全国各地でHOKAを履いてくれている仲間が増えてきました。僕らも参加しながら、みちのくの潮風トレイルから九州のトレイルまで、リレーのような形式で走破できたらと考えています」。

心の中で生まれた静かな“熱”が多くの人へと伝播していき、いつしかひとつの焔となる。2015年は、どんな姿で立ち上ってくるのだろう。

 

Photo: Takuhiro Ogawa / Text: Yumiko Chiba