心を置き去りにした場所、『ZEGAMA』へ
5月17日(日)スペイン・バスク地方のゼガマ(ZEGAMA)にて2015年スカイランニング欧州選手権(SKYの部/42.2km)が開催された。激しいレース展開の中、松本大選手が4時間12分、13位でフィニッシュした。
実は松本選手にとって、ゼガマは特別な想いのある場所だ。2013年にはじめて挑戦し、世界の高い壁を前にして脆くも打ち砕かれた。焦げつくような悔しさを胸にこの地を去ってから2年。心も身体も一から鍛え直し、今年、再びスタート地点に立つことを決めた。
2015年スカイランニング欧州選手権『ZEGAMA』の記録。
【 2015年スカイランニング欧州選手権レポート 】
ゼガマ・夢の劇場
松本 大
レースというのは大勢の観客の前でアスリートという役者である自分自身を表現することのできる劇場である。練習の日々は地味だ。ほとんどは大自然や自分自身との対話を続ける一人ぼっちの時間である。それはそれで幸せな時間なのだが、レースという劇場で観客を熱狂させる瞬間は全ての時間を凌駕している。そのときに感じる幸福と歓喜の濃密さはこの上ないものだ。我々がレースに出続けるのは一種の報いを求めているからに他ならない。
レースという劇場を選ぶこと。自分自身が納得できる演技をするためには何よりも重要なことである。ましてやプロという立場ではキャリアを積めば積むほど頭を悩ませるものとなるのだ。熱狂的な観客、目の肥えた評論家、レベルの高い役者、彼・彼女らがいない劇場ではどんなに素晴らしい演技を披露したところで誰も評価してくれない。私はプロのスカイランナーという役者である。スカイランニングと出会って10年目、31歳の私を表現するのに最も相応しい劇場はどこか。
私が選んだのは、熱狂的な観客が集う世界最大の劇場。2015欧州選手権『ゼガマ』であった。
この劇場でのストーリーは、2年前に遡る
〜 2013年 参戦記「泥まみれのZEGAMA」 より〜
……レースの途中では数百名から千名を超える大勢の観客の大声援が待っていました。歩く欧州の選手を軽快に走って抜かす日本人選手の姿は珍しいものだったのでしょう。私が通るとコースの両脇から「がんばれマツモト!」「がんばれジャポネーゼ!」と耳が痛くなるほどの大歓声となりました。疲れが吹っ飛ぶ夢のような時間。大歓声に背中を押され、順位を上げるごとに「この調子ならば上位に行ける!!」というワクワクした気持ちになりました。
しかし、ツルツルした急傾斜の草地が終わった直後に、その期待感が絶望感へと一気に変わりました。終始、滑らないように踏ん張っていたことによる疲労が筋肉に蓄積してきたのでしょう。急斜面から緩斜面へと変化した途端、両脚の全体が痙攣してしまったのです。動くことすらできず、近くの救護スタッフに助けを求め、2分ほど地面に寝転びながら痙攣を止めるためのストレッチをしてもらいました。私が寝ている脇を、先ほど抜かしていった選手たちが、ひとりまたひとりと過ぎ去っていきます。選手が過ぎ去るたびに増殖する焦りと絶望感・・・悪夢のようなひと時でした。それでも諦めたくはありません。「5分間休め」というスタッフの制止を振り切って、私は再び走り始めました。
それからは、絶望との戦いでした。一度、大きなダメージを受けた身体は、自分の身体では無くなっていました。私を励ましてくれるはずの大歓声も虚しく響いていました。選手に抜かれるたびに、このレースのための努力が水の泡に変わっていく、目指していた目標が虚しい空想に変わっていく、努力と結果で築き上げてきた誇りが奢りに変わっていく・・・。もはや、レースの内容もタイムも順位もどうでもよくなっていきました。むしろ、レースの後にどうしたら自分は立ち直れるのだろうかということばかりを考えてしまいました。
4時間40分19秒。50位。予定よりも20分以上遅いタイムでゴールしました。今はこの悔しさをどこにぶつければよいのかが分かりません。できることならば、再びこの欧州の地で、このZEGAMAの地で、この悔しさを晴らすことができればと思っています。スカイランナーとしての私にとって、レースは山を楽しむひとつの手段でしかありません。でも、アスリートとしての私にとって、自分が思い描いたストーリーをなぞって初めてレースが楽しいものになるのです。もうこんな悔しい思いはしたくないです。心から“もっともっと強くなりたい”と思っています。
リメンバー・ゼガマ
2014年1月。私は上田市内の別のアパートに転居した。引越し作業の際、海外レースの参加賞を集めていたビニール袋から泥まみれとなったゼッケンが出てきた。『ゼガマ』との再会であった。私はコルクボードにゼッケンを画鋲で貼り付けて玄関に飾った。悔しさを決して忘れないために。再び『ゼガマ』に戻るために。この日から「リメンバー・ゼガマ」が自分自身を奮い立たせる魔法の言葉になった。いざというときに神がかったような効果があった。心肺機能を最大限に追い込む苦しい練習のときに「リメンバー・ゼガマ!!」と唱える。それだけで苦しさが緩和された。
2014年はアジアのスカイランニングを完全に蹂躙(じゅうりん)できた年だった。フィリピン国際スカイレースで優勝、富士登山競走で優勝、キナバル山国際クライマソンで優勝。それぞれの国を代表する劇場で自分らしい演技を観客達に見せつけることができた。しかし、自分が本当に目指すべき劇場ではないことは、自分自身が一番わかっていた。常に頭の中にあったのが『ゼガマ』だった。
結局、2014年は『ゼガマ』に立つ事はなかった。未熟な自分がその舞台に立つ権利が無いように思ったからだ。『ゼガマ』に立つことを最終的に決心したのは、2015年2月に香港で開催されたスカイランニング・アジア選手権で優勝した瞬間だった。アジアを完全に制したからこそ再び立つ権利を得ることができた。夢の劇場『ゼガマ』に向けて身体と心を研ぎ澄ませていく、アスリートとしての意味づけの日々が始まった。
村が劇場へ変わる時
レース3日前。パリを経由してスペイン・バスク地方の玄関口であるビルバオ空港に降り立った。空はどんよりとした灰色、大地は春らしい美しい緑に覆われていた。思い出した。2年前と同じ色だ。空港からゲスト選手用のタクシーに乗り1時間半ほどで、人口2000人弱のゼガマ村に到着。距離200mにも満たない村のメインストリートには、日没2時間前には閉まってしまう日用品店と、小さな居酒屋やカフェが数軒あるだけ。教会前の広場は閑散としており、野良猫がトボトボと歩いている。人が少なく陰気くさい雰囲気は相変わらずだった。ここが夢の劇場『ゼガマ』になるとは、普段のゼガマ村からはとても想像できない。
レース2日前。ここから次第に劇場らしくなっていく。柵、ゲート、表彰台、テントなどが設置されはじめる。選手の姿も増えてきて、午前にはゲストランナーによる記者会見が行なわれ、午後には村から離れた場所でバーティカルKM(標高差1000m一気登り)のレースも開催された。学校が休みの子どもたちも村の中心の広場で遊んでいる。空は相変わらず灰色で冷たい雨が降っていた。私は風邪をひかないように注意しながら最初の5kmほどの山道で身体をほぐした。身体のキレは悪くない。2年前より間違いなく強くなっている自分がいる。
レース1日前。村は相変わらず灰色の空に覆われているが、午後から始まる受付のために村の中心部は賑わいをみせてきた。真正面の教会には大型画面が設置され、過去のレース映像が流され続けている。チーム・サロモン・インターナショナルのメンバーも揃った。私たちが泊まっているホテルはスタート地点の真横にある。私は2009年の優勝者でありルームメイトであるリッキーと2人で、ジョギングをして身体をほぐした。身長190センチはある巨人のリッキー。ジョギングがジョギングではない速さだ。明日はこんな化け物(ばけもの)たちと戦うのかと思うと身体の全神経が震えた。
スタート1時間前。朝食を摂り終えた私は、部屋のベッドの上で横になっていた。ホテルのすぐ横のスタート地点では賑やかな音楽が鳴り始め、早口のMCが何やら喋り始めた。窓から外の様子を眺める。沢山のエアゲートやバルーンで会場は華やかに彩られていた。この日も灰色の雲に覆われていたが、村の大地は熱くなっていた。私は何度か背伸びをして戦いのための作業に取り掛かった。雪山のような美しい白地、肩にはライバルを威嚇する赤いライン。黒いパンツには日本チームのシンボル・JSAロゴ。戦うためのユニフォームに着替えた私はホテルから出て『ゼガマ』の大地を踏みしめた。キリアン、マルコ、リカルド……有名選手が向こう側からジョギングしてきても気にしない。倒されるのはあいつらの方だ。自分がやるべきことは、自分自身の身体と山々との対話に集中すること。全ての細胞から「オールグリーン(準備OK)」と回答がきた。いよいよ劇場の幕が開かれる。
“ Keep calm(落ち着け)”
「Keep calm(落ち着け)」は、今までの「リメンバー・ゼガマ」に変わる新しい魔法の言葉だ。サロモン・インターナショナルのアドバイザーからレース攻略のためのポイントがメールで送られてきた。その言葉の中で最も印象に残ったのが「Keep calm」だったのだ。熱狂的な『ゼガマ』の劇場では自分自身を見失ってしまう危険がある。最高の演技をするためには、自分自身の身体と山々との対話に集中し続ける必要がある。
スタート1分前。私は600名のアスリートが並ぶスタート地点の最前列の右端に立っていた。正面の教会の下には数え切れない観客たち。我々には熱狂的な視線が注がれている。心が高揚するテーマソングが鳴り響き、早口のMCが会場を盛り上げている。やっと『ゼガマ』に帰ってくることができた。ここに立つまでの2年間を思い出した瞬間に涙が溢れてきた。今までの人生でこれほどまで自分自身の勇気を讃えたくなったことはなかった。本当は「俺は戻ってきた!」と大声で叫びたいほどだった。でも、「Keep calm、Keep calm・・・」。なんて様(ざま)だと自分が可笑しくなった。カウントダウンのあと、劇場の幕は切って落とされた。
『ゼガマ』劇場のストーリーは最初からクライマックスのような激しさがある。何十人というアスリートたちが主役の座を奪おうと押し合いへし合い前に出ようとするのだ。小さな村を1周する最初の500mほどのロード区間は、カーブが多いため緊張の連続である。村を抜けると一気に丘に登り始める。まだ40km以上の長い道のりが待っているにもかかわらず、ジェットエンジンを全開で噴射するアスリートも少なくない。でも、「Keep calm、Keep calm……」。先頭集団の10名ほどとの差はどんどん離されていった。あの集団に食らい続けないと『ゼガマ』の主役になることはできない。無理すれば30分間は食らいついていけるだろうが、オーバーヒートして潰れてしまうだろう。
スタート3分後。私は劇場の主役になることを潔く諦め、脇役の道を選んだ。しかし、ただの脇役なんかになりたくない。強烈な脇役になってやろうじゃないか。そのためにも、まずは「Keep calm、Keep calm……」。最初の登坂では10名以上のアスリートに抜かされたが気にしないようにした。本当のクライマックスは最後にあるのだから。
熱狂的な劇場
「ワーーーー!!!!ワーーーー!!!!」という歓声が真っ白な霧の向こう側から聞こえる。先頭集団が観客たちの目の前を通り過ぎたところだ。数分後、私も大歓声の中を突っ切る。それで、前を進む選手とのタイム差を知ることができる。『ゼガマ』では、大勢の観客がアスリートを待ち受けるポイントがスタートとゴールを含めて8箇所ある。特に標高1500m程のアイズコリ山頂とその山麓の2箇所では、千人を軽く超えた大観衆の声援に包まれる。
雨で湿った土壌は2年前よりは幾分かはマシなもののグチャグチャの状態であった。そのようなコースの両脇(それも急峻な登り坂)に大観衆がいるのであるから、冷静さを失って無理に足を使ってしまうアスリートも少なくない。恐ろしいのは耳がキーンとなるほどの大声援が途切れたあとに訪れる静けさである。それまで軽々としていた身体に一気に重力がのしかかってくるのだ。そこで感じる疲労感は集中力を喪失させてしまいかねない。
私は大観衆につつまれながらも「Keep calm、Keep calm……」という魔法の言葉を唱え続けていた。思いっきり笑顔になりたいし、観客のみんなとハイタッチもしたい。しかし、前を行くアスリートを打ち落とすことにエネルギーを使いたい。「Keep calm、Keep calm……」。思いっきり駆け出したくなる衝動を抑えながら、エネルギーを無駄にしないパワーハイクに徹することにした。一気に躍り出ることのできるチャンスは、劇場に静けさが訪れるタイミング。多くの観客たちが足を踏み入れることすら躊躇する急峻な岩場だ。
白い花崗岩でできたアイズコリ山。山頂を過ぎるとゴツゴツした岩肌を舐めるように稜線を進むテクニカルな区間となる。ここで減速した ”ランナー” を次々と食っていく。まさに “スピード登山家” としての技術が発揮できる区間だ。2009年王者のリッキーにも追いつきぶち抜かしてやる。言葉は悪いが「ざまあみろ、日本男児をなめるなよ」と心の中で調子こく。このテクニカルな区間の終わりが2年前に脚を攣った地点となる。一瞬、岩に引っかかった調子で足が攣りそうになり2年前の悪夢がよみがえる。「Keep calm、Keep calm……」と唱え続けるも、胸のドキドキが収まらなくなってきていた。最後に斜度40度はあるだろうツルツルの傾斜地を下る。この先は緩斜面。急激な斜面の変化に筋肉が耐えられるだろうか。魔法の言葉は「脚攣るな、脚攣るな……」という懇願に変わっていた。
時が動き出した
急斜面が終わった。とまっていた時が動き出した。「リメンバー・ゼガマ」という魔法の言葉の効力が解けた。2年前、余震のように襲ってくる痙攣や絶望感に耐えながら進んだ道。そこを風のように駆け抜けている自分がいる。縛り付けるものはなかった。なんて自由なんだろう。なんて楽しいんだろう。行け!! 突っ走れ!! 行けるとこまで行ってしまえ!!
緩斜面の牧草地帯を駆け抜ける。前も後ろも、周りにいるのは欧州各国を代表する選手たちばかりだ。誰もが必死の形相で駆け抜けている。油断したら最後。必ず後ろから誰かに打ち落とされる。キチキチの緊張感が半端でない。なかなか順位を上げることはできない。さすがスカイランニング欧州選手権。自分が立っている劇場のレベルの高さを全細胞で感じている。
ラスト10km。劇場のクライマックスは、林道の緩やかなダウンヒルである。全てのアスリートが残りの燃料をジェットエンジンに注ぎ込み、フルスロットルでぶっ飛ばす。一瞬で通り過ぎるので観客たちの声援すら耳に入らない。まさに音速を超えた戦い。呼吸をすることすら忘れるほどの緊張感。一瞬の油断で、さっきまで後ろにいなかった敵に打ち落とされてしまう。もはや2本足で走るという感覚は無い。森をつんざき、木々をなぎ倒しながら、低空をぶっ飛んでいる感覚。
ラスト1km。最後の最後でリッキーにぶち抜かされた。「ざまあみろ、英国紳士をなめるなよ」とリッキーの背中に言われた。走力的に優位なマウンテン・ランニング界の王者にはとても付いて行けない。調子に乗るなと頭をコツンと突かれたような、ほろ苦さを味わったまま劇場のフィナーレを迎える。ラスト300メートルほどの花道の両脇は観客に埋め尽くされていた。「バンバンバンバン!!!!」とコース敷居のパネルを両手で叩くのは『ゼガマ』流の拍手喝采だ。MCがフィナーレを迎えた役者を紹介してくれた。「ダイ~マツモ~ト~!!!!」「バンバンバンバン!!!!」「ジャポネ~!!!!」「バンバンバンバン!!!!」。ほろ苦い表情の私を最初に迎えてくれたのはリッキーだった。ルームメイトで12位、13位。タイムは4時間12分。平均時速10km。まずまずだ。二人とも自然とハグをして健闘を讃え合った。
「”ZEGAMA is ZEGAMA”ってキリアン(スカイランニングの世界王者)が言ってるんだぜ」。
『ゼガマ』が終わった夜、酔っ払った地元のオッサンたちが誇らしげに私たちに教えてくれた。世界に数ある山岳レース。その中でも、これほど熱狂的なレースは他に無い。まさに唯一無二の夢の劇場。それが『ゼガマ』なのだ。
翌朝、今までの灰色の曇り空が嘘だったかのように、空は晴れわたっていた。そして、昨日の熱狂が嘘だったかのように、ゼガマの村は閑散としていた。いつものゼガマ村に戻ったのだ。ただし、来たときに感じた陰気くささは無くなっていた。そして、自分自身も青空のような清清しい気持ちになっていた。2年間、アイズコリ山頂に引っかかっていた自分自身を取り戻すことができたような気分だった。
ゼガマを経つ時、この村に戻ってくることはあるのだろうか、と少し寂しい気持ちになった。お洒落なレストランも、夜まで営業しているスーパーも無い村なのに。2年前とは別の意味で、すぐに日本に帰りたくないような気持ちになっていた。
帰国して時間が経つと心は決まった。間違いなく再び『ゼガマ』に戻る日がくるだろう。
次は劇場の主役を狙う戦いだ。
photo by Sho FUJIMAKI