松本大選手がアジアの王者に!『第1回 スカイランニングアジア選手権』

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Photo by Sho Fujimaki

 

松本大選手から届いた大会レポート

2月7日(土)、香港にてスカイランニングのアジア選手権『MSIG Sai KUNG50』が開催されました。スカイランニングの国内第一人者として本大会に臨んだ松本大選手が、世界の強豪を退け、見事、栄えある第一回大会の優勝を飾りました。

松本さんは2012年に教職を辞め、プロのスカイランナーになることを決意。一昨年からはJSA(スカイランニングアソシエーション)を立ち上げ、スカイランニングの普及に力を尽くしています。

今回、大会までの強い決意やいまの率直な想いを、自ら綴ってくださいました。ご紹介します。

 

〈  アジア、そして世界へ。松本大  2015年2月12日  〉

自分にとって、この大会が意味するものとは

アスリートの人生は日々、”意味づけ” の連続だ。アスリートである私は、自分という人間の役割は何かということも考えながら日々を生きている。人生を山にたとえるなら、私が目指している頂は「日本の山間地に住む子供たちが、故郷の未来に希望をもてるようにすること」。私のアイデンティティを形成してくれた山間僻地の故郷へ恩返しをしたい。そのような気持ちから至った結論だ。

では、頂に向かう登山道はどこを通っていけばいいのか。当時、20代前半だった私が選んだのが「スカイランニング(※1)」という道だった。2006年にこの道を登ると決意してから現在まで、一歩一歩、ゆっくりだが確実に登り続けている。2012年に教職を辞めてプロの道に進んだこと。2013年にJSA(ジャパン・スカイランニング・アソシエーション)を立ち上げて、スカイランニングの仲間ができたこと。2014年に日本チームを組織して世界選手権へ挑んだり、富士登山競走やキナバル国際クライマソンで優勝したりしたこと。私の思い出のひとつひとつが頂へ向けて歩んだ足跡だ。

そして、2015年の一歩目。そう意味づけて挑んだのが、史上初めて開催された『スカイランニング・アジア選手権(※2)』だった。せっかく踏み出すのであれば、スカイランナーらしくグンと大きな歩幅でありたい。2014年11月に史上初の「アジア選手権」が開催されると発表された直後から、私が求めたものは“勝利”という大きな一歩だ。

 

戦いは、3か月前から始まっていた

アジア選手権へ出場すると決めた瞬間から、私の行動の意味づけがスタートした。まずは「2015年2月7日」という開催日を頭の中にインプットする。次に「香港」という場所や「28km」「±1800m」というコースデータを調べてインプットする。それから自分の経験をもとに逆算してはじき出された行動を選んで実行していく。これがアスリートとしての日々の行動の意味づけであり、別の言葉で表現するなら「勝利の方程式」でもある。実のところ、私にとってのアジア選手権はスタート地点に立つ3か月前から始まっていたのだ。

2014年11月。スタートまで3か月。
まずは2014シーズンが終わってボロボロとなった心と体を休ませることを第一に考えた。大好きな生クリームなどカロリーの高いものを食べ、好きなお酒も飲みたいだけ飲んで体重を増やし、アスリートとしてのパフォーマンスを意図的にガタ落ちにした。走るという行為を日常生活から捨てて、のんびり歩いたり、里山を探検したり、マウンテンバイクで遊んだり、岩をよじ登ったりした。時には山から離れて、スポンサー獲得のために東京の街を巡ってみた。

2014年12月。スタートまで2か月。
体は休まったが、予定よりも心が休まっていなかった。だからこの1か月は心を休ませるためにも心がすり減っていくハードなトレーニングは控えることを決めた。相変わらず走るという行為には全くこだわらなかった。体幹を鍛えたり、筋トレをしたり、天気が良い日には雪山登山をしたりした。食べ物も好きなものを好きなだけ食べていった。体重は夏よりも4kgくらい多くなった。これも全て計算通りなのだ。

 

日本刀のように自らを研ぎ澄ます

2015年1月1日。スタートまで1か月と少し。
この日から、実戦的なトレーニングを開始した。しかし、私が住む長野県上田市は例年だと好天の続く土地なのだが、今年は強い寒気が流れ込んで雪がよく降る気候となった。だから毎日が冷たい雪や風との戦いの日々だった。香港の土壌は固く、気候は蒸し暑い。なので、なるべく雪に埋まらない場所を探しながら、まずは28kmの水平距離を走る練習をして、次に累積標高差±1800mを上り下りする練習をした。年明けはあまりにも雪が積もって練習どころではなくなってしまったので、思い立って香港に行って現地下見もしてみた。

 

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Photo by Sho Fujimaki

 

気温差に鈍感になるための練習に、日帰り温泉施設のサウナや水風呂のインターバルトレーニングを取り入れたりもした。食事スタイルも変わった。朝晩は8枚切りの食パン2枚と熱々のミルクココアとミカンやリンゴなどの果物。昼はお気に入りの中華レストランや定食屋で食べたいものを食べたいだけ食べた。体脂肪は落ちてきたが、その分、寒さと乾燥と疲労が毎日襲ってきた。まさに風邪をひく一歩手前ギリギリのところを攻めていった。しかし、このようなストイックそのものの生活が心地よくなり、無意識のうちに何もかも意味づけできるようになっている自分がいた。

2015年2月。スタートまであと1週間をきった。
これ以上、練習しても強くなるわけがないので、最後の仕上げ。一番の練習は体と心を休めること。練習内容は、ソファーでゴロゴロしながらお気に入りのドラマをDVDで鑑賞すること。朝は水風呂・夜は熱湯に浸かったりして、体の全細胞をリラックスさせることに集中した。刀鍛冶が単なる鉄塊を鋭い日本刀に仕上げていくように、自分の心と体のキレをミクロ単位で研ぎ澄ませていった。

 

香港の夜

2015年2月6日午後9時。スタートまであと10時間。
スタート2日前に現地入りしたが、予想以上に香港の気候が寒くて筋肉は固くなり、摂取した水分がたまって体が重かった。なので、シャワーを長時間浴びて体を温めた後、十分に着込んで、さらに布団を3枚かけて床に就いた。布団の中はサウナ状態となって、猛烈に汗をかき始め、冷え固まっていた筋肉は緩んでいった。荒療治だったのですぐには眠れなかったが、眠れない夜はレース前夜にはいつものことなので焦りは全くなかった。私の前頭葉は最高のパフォーマンスを発揮する自分をイメージし続けた。繰り返しイメージしているうちに、心地よいメロディーが流れてきて温かいものに包まれていって、いつの間にか眠りに落ちていた。

2015年2月7日午前6時59分。スタートまであと1分。
スタートラインに並ぶ私の近くには、世界ランキング3位のマルコ・デ・ガスペリ(伊)、世界選手権3位のトム・オーウェンス(英)。そして、日本チームの仲間たち。これからアジア王者をかけての激しい戦いが始まるのだが、私にナーバスな気持ちはひとかけらもなかった。なぜならば、レースのスタートは3か月という長期戦のゴールでもあるからだ。現状に満足することは絶対にないが、手枷足枷がある生活の中でできる限りのことはやることができたという達成感。だから、どんな結果であっても悔いは残らない。澄み切った青空のような清々しい気分でスタートすることができる。よっしゃ!!やってやるぜ!!

 

そして、次の一歩へ

2015年2月7日午前7時。『アジア選手権(大会名:サイクン50)』スタート。

急峻な山、息をのむ絶景、美しい砂浜、猛烈な藪……やはりスカイランニングは最高に楽しいスポーツだ。変化に富んだ28kmのスカイレース。濃密な2時間49分を経た結果は優勝だった。

序盤は3~5位、中盤で2位に上がり、1分ほど先行していた選手がミスコースした間に首位になり、終盤はタイム差を広げて逃げ切った。スタートしてからゴールテープを切るまでの行為。私はこの全てを自分の言葉で説明することができる。なぜこのペースで登っていたのか、なぜこの順位をキープしたのか、なぜこのタイミングでエネルギーを補給したのか。「勝利の方程式」にもとづいた逆算はレース中も続いていた。ゴールテープを切った瞬間。3か月続いた意味づけの連続から、ようやく解放された。

 

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Photo by Sho Fujimaki

 

ISF(国際スカイランニング連盟)公認の国際レースで優勝できたことは世界の頂点を目指すためのよいステップとなった。今まで雲の上の存在だった、マルコ・デ・ガスペリ、トム・オーウェンスの2人よりも先にゴールできたことは、アジア王者というタイトルと同じくらい嬉しいことだ。なぜならば、彼らに勝ったことで海外へも「DAI」という名前が認知されたからだ。

ただし、「世界のトップに並んだ」ということを意味するわけではない。これでようやく「世界のトップ選手と同じスタートラインに立つ権利を得られた」のだ。20年以上をかけて欧州で培われてきたスカイランニングとは、そういうスポーツなのだ。

今年は本場の欧州の世界戦に再び挑んでいく。

次の一歩は、5月開催の『ヨーロッパ選手権(大会名:ゼガマ)』。実質的に2015年で世界最高峰レベルのレースだ。ゼガマは2年前に途中で痙攣した結果50位という悔しい思いをした大会。その雪辱を晴らすためにも、欧州の舞台で一流選手といわれるようなパフォーマンスを発揮したい。

これからは結果が今まで以上に求められる。だからこそ、自分をさらに鋭く研ぎ澄ませなくてはならない。次の一歩を大きな歩幅にするための行動の意味づけは、すでに始まっている。

Special thanks to Dai Matsumoto & Sho Fujimaki

 

注釈
1)スカイランニングはスピード登山が進化したスポーツ。陸上競技のような水平方向に走る能力というよりも、垂直方向に登り降りする能力が試される。主戦場は標高2000m以上の高地で、壮大な景色を求める愛好者は年々増加している。『スカイランニング世界選手権』や『スカイランナー・ワールド・シリーズ(SWS)』をはじめとする国際競技会は、山岳ランニング界のメジャーリーグとして存在感を強めつつある。

2)『スカイランニング・アジア選手権』は国際ルールを満たした既存の大会に冠を付ける形で初めて開催され、中距離のスカイレース(28km)と長距離のウルトラスカイマラソン(50km)の2種目が実施された。2015ワールドシリーズ戦となることもあり、アジアだけでなく、欧米豪の強豪選手も参戦。その中で、JST(ジャパン・スカイランニング・チーム)に所属する日本人選手たちは目覚ましい活躍をみせた。欧米人を除いた成績では、メダル数でアジア1位(金2、銀2、銅3)の座を獲得している。