奧宮俊祐「トレイルランを辞めようとさえ思った。でも走り続けることにした」

OCCのレース前、身体慣らしに出かけたブレヴァン展望台にて(写真撮影:奧宮俊祐)


2026年8月27日、UTMBのカテゴリー「OCC(約60km)」において、男子年代別3位(45〜49歳)に入賞し、表彰台に上がった奧宮俊祐。レース終了後、自身のSNSでは「トレイルランを辞めようと思っていた」と驚くような言葉を綴っていた。OCCヘの出場さえ、実は辞めようとしていたと。

奧宮といえば、ロングレースを主戦場としていた2010年代、リタイヤや欠場とは縁遠い選手だった。2015年、自身10年目の挑戦となった日本山岳耐久レース(ハセツネ)で悲願の初優勝を飾ったほか、2018年には信越五岳トレイルランニングレースに新設された100マイルカテゴリーの初代優勝者に輝く。近年は25km〜50kmのレースでも若手選手と火花を散らしながら好成績を残し、今年6月にはKaga Spa Trail Endurance100 by UTMBの50Kで準優勝に輝いて、OCCの出場チケットを手に入れた。

競技者としてだけではなく、2015年に創設したFunTrails合同会社では大会オーガナイザーとしても活動を続けている。トレイルランは奧宮の生き方そのものであり、確固たるアイデンティティであるはずだ。

苦しみ抜いた1年半

FunTrailsとして6つの大会を主催し、ほかに3つの大会でプロデューサーを務める奧宮には、ここ1年半ほど思い悩んできたことがあるという。個人的な話のため詳細は控えるが、これまでの生き方を全否定されたような喪失感を味わい、心にダメージを負ったと吐露する。

「トレイルランに出合ってから20年近く、コツコツと地道に活動してきて、それなりに信頼を築いてきたと思っていたんです。それらが打ち砕かれるような経験でした」

大会の安全性をより高めたいという想い

奧宮はなぜそこまで追い詰められたのか。競技でも大会運営でも仲間との絆においても、彼のこれまでの言動を知る人は少なからず、「ものごとを決して投げ出さない人」というイメージを抱いているのではないだろうか。

奧宮の誠実さを伝えるエピソードはいくつもあるが、なかでも、あるひとつの出来事を思い出した。2017年、主催大会「FTR秩父&奥武蔵」で滑落事故が発生し、選手が亡くなった。悲しい事故を二度と繰り返さないために、奧宮は仲間とともに状況を調査し、70ページにわたる報告書を作成した。ご遺族をはじめとするあらゆる人々に対して真摯に向き合い、心を込めた対応を続けた。そうした事故後の様子を知った大会開催地の人たちは、翌年以降も温かく支援してくれ、「FTR秩父&奥武蔵」は継続することができた。10周年記念となった2024年には、新たに100マイルのカテゴリーも加わり、大会人気は揺るぎないものとなっている。

この事故を教訓に奧宮が決意したことのひとつに、救護体制の強化がある。「万が一、事故が発生したとき、どうすれば怪我や被害を最小限に抑えることができるか」を考え、トレイル上の疾病者に最初に出会うトレイルランナーが「山の救急車」になればよいのではと思い立つ。そして、野外救急講習「FAMR:First Aid Mountain Runner」をスタートする。これは、FunTrailsが主催するレースで活動する救護チームが現場で培った経験をもとに、トレイルランナーにとって必要な知識と技術を伝える講習会システムで、各地で開催している。いまではFunTrails主催大会以外でも、このシステムをもとに救護体制を整える大会もあるという。

このように奧宮はある種の使命感を抱きながら、トレイルランの世界に携わってきた。

業界内の価値観が変わってきたのかもしれない

自分のなかに葛藤や矛盾を抱えながら、UTMBの開催地であるフランス・シャモニーに向かった。

「ところがシャモニーに着いたら、やっぱりUTMBの雰囲気は素晴らしいんですよね。棄権しようかと迷っていたOCCも、走ってみたら景色が美しくて、本当に楽しかった。久しぶりに思うような走りができた。途中で年代別入賞を確信したときには、ついに夢だった表彰台に立てるという大きな喜びを感じました」

この1年半、奧宮を支えてくれたのは、FunTrailsのスタッフや長年に渡って活動を支えてくれる仲間たちの存在だった。いま自分は競技者であるだけではなく、経営者でもある。もはやトレイルランとの関わりは自分一人だけの問題ではない。奧宮はこんなことをつぶやいた。

「もしかしたら、自分が大会主催に関わり始めた頃とは、大会をつくる人たちの世界観や倫理観が変わってきたのかもしれませんね」

それはどういう意味なのだろう?

「私の悩みを俯瞰してみると、決して誰かが悪いわけではないんです。誰も悪くない。ただかつてのように、強い情熱をもって何年も費やして大会準備をしたり、地道に自分の足でコースを探したり、経験値を蓄積しながらレース運営を改善したりといったプロセスに対する信頼、評価みたいなものは薄れつつあるのかなと。もちろん、業界全体が潤うことはとても大事なことだし、日本国内で開催される大会はどの大会でも、海外の人から見たら、日本を象徴する大会になり得るわけだから、素晴らしいものであってほしい。一方で寂しさもあって、これまで私のなかで大事だと思ってきたものより、それ以外のものが評価される時代になってきたのかなと感じています」

心に広がった霧はまだ晴れていないという。それでも、競技者としてOCCで結果を残せたことは、いまの彼にとってとてつもなく大きな力になった。

「私には社員のみんながいるから。これからも業界を盛り上げるために頑張らなければと思っていますよ。選手としてもまだまだ挑戦していきたい」


2027年はUTMB本戦を目指すつもりだ。すべての経験を糧にしながら、奧宮はこれからも走り続けるのだろう。

レース前、ブレヴァン展望台にて(写真撮影:奧宮俊祐)