「いま、心を甘やかさない挑戦がしたい 」 飯野航(ウルトラランナー)

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Photo:Junya Kondo

8月、大阪府交野市で『大阪 夏の陣・くろんど輪舞曲180K』が開催された。一周約8.6kmの周回コースを巡るこのレースで、ウルトラランナーの飯野航さんは180km(累積標高10,500m)のカテゴリーに出場し、37時間21分で3位となる。

スタートからゴールまでの補給食をすべて背負い、「エイドに立ち寄らない」というスタイルでのチャレンジだった。それは一体どんな理由からなのだろうか……。 

国内外のエンデュランスレースで数々の優勝を重ねてきた飯野さんのトレーニングは、振り子の幅が振り切れている。本命レースに向けた月間走行距離は1000km、通勤ランでは遠回りしながら毎日40kmを走る。(現在はリモートワーク中)朝食のルーティンは馬肉丸かじり。日常の移動もほぼランか自転車で、2つ3つ県をまたぐ距離なら走って移動してしまう。

そんな飯野さんは2017年、摂氏50度を超える灼熱の大地・米国デスバレーで開催される“世界で最も過酷なレース”として名高い『バッドウィーター135』(216km/米国カリフォルニア州デスバレー)で、日本人男性として初優勝を飾った。当時、自動車会社のエンジニアとして働いていたことから、このレースのために前年にインド赴任を希望し、身体を酷暑に慣らせて臨んだというのだから、ただ事ではない。

自分が掲げた目標に向かって、常に最適化を追求してきた飯野さん。今回のチャレンジにも、きっと意味があるはずだと感じた。 

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2017年バッドウォーター。焦げるような暑さの中、216kmをひた走る

コロナに対する不安軽減と、もうひとつ

理由は2つあった。
ひとつ目はこの大会で「東京近郊からのただ一人の招待選手」であること。

「コロナ禍であることから関西圏の選手をメインに開催している大会に、自分を招いてくれたことが嬉しくて、できるだけ地元の皆さんの不安を軽減したいと思ったんです。それでコロナの感染リスクのひとつになるかもしれないエイドの立ち寄りを辞退しました」

大会主催者から特別なリクエストがあったわけではないが、事前に抗体検査(コロナウイルスに感染したことがあるかどうかを調べるテスト)を受け、陰性と判定されていた。もちろんこの検査も100%の精度ではないし、絶対安全という保証にはならないが、それでもできる限りのことはしておきたいと思ったのだ。

二つ目の理由は「今後の活動でそういった場面が多く出てくると考えた」から。
この言葉が気になった。

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インド赴任中はのどかな田舎暮らし。インド様式にならって食事前のお祈りを

身体だけでなく、心の回復を意識しているのか?

ーーー飲食物をすべて背負うという今回のスタイルは、飯野さんにとってどんな意味があったのでしょうか。 

飯野:レースを走っていると、いろいろな喜びの要素がありますよね。ゴールでの達成感はもちろんですけれど、声援やスタッフとの会話、エイドの飲食物、サポーターとの時間の共有……。そうした中で、体力の回復については多くの選手がシビアに捉えていますが、精神的な回復についてはわりと無頓着だなと感じていたんです。 

ーーー精神的な回復といいますと。

飯野:たとえば体力の回復や温存のために、自分に合った食べ物を選んだり、サプリを摂取したり、怪我の不安があればテーピングやサポーターを装着したりします。ザックの荷物を軽量化して身体の負担を軽減するなど、物理的に身体を楽にしていく方法は多数あって、多くの選手が意識的に取り入れています。

それに比べて、精神的な回復についての考察は少し後回しになっている気がするんです。フルマラソンや100km程度の距離なら勢いだけでゴールできてしまいますが、それ以上になると気持ちの維持が難しくなってくる。そんな場面でも、心をないがしろにしている人が多いように感じていました。 

ーーー精神面はエンデュランススポーツの核心のような気がします。

飯野:そう思います。そういう意味でも、ウルトラレースのサポートは選手の精神面にものすごく大きく影響していると思っています。

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Photo:Junya Kondo

ーーーウルトラレースでも個人のチャレンジでも、本来、サポートの有無や方法は多種多様ですよね。たとえばコロナ禍で挑戦する選手が増えているFKT(Fastest Known Time )のスタイルは、主に3つに分けられると言われています。必要なときに常にサポートするフルサポーテッド、自身でデポや小屋などを活用するセルフサポーテッド、一切の外部サポートやデポを行わないアンサポーテッドがあります。

飯野:実はFKTについてはあまりよく知らないんですが、近年のウルトラトレイルでは、サポートを入れる形が主流になっていますよね。誤解のないようにお話したいのですが、仲間とチームを組んでF1のピットインのようにレースをマネジーメントする世界は非常に魅力的だし、チームで同じ時間を共有できる素晴らしい経験だと僕も思っています。その一方で、サポートが入るということは、選手にとってメンタル面では少し過保護になっているのではないか、そんな想いを抱いているんです。

そういうスタイルに慣れてしまうと、自分でルートファインディングをしなければならなかったり、食べ物をなんとかしなければならなかったりしたとき、弱さが出てしまう気がする。突発的な事象が起こったとき、走るモチベーションが一気に下がってしまうのではないかと思うんです。サポートがあるということは、無意識に「精神的な喜び」を享受している状態です。自分もサポートクルーに支えられることがあるので、よくわかります。それに「あと何キロでエイドに辿り着ける」といった安心感も心をケアしますね。 

ーーーなるほど。そうした状況は想像できます。

飯野:だから今回はできるだけ自分のモチベーションアップに繋がる外的要素をそぎ落としてみようかと思いました。

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くろんど輪舞曲でのザックの中身。実際に摂取した数も

自分がどこまで落ちるのか。「心の底辺」を見ておきたい

ーーー飯野さんはサハラマラソンなど、テントと水以外の衣食住を背負って走るステージレースにも出場しておられます。そのほかのエンデュランスレースでもサポートをつけたりつけなかったり。適応力を磨くといいますか、「これでなければダメだ」という固定スタイルをあえてつくらないようにしているところはありますか。

飯野:そういう部分はあります。たとえば北極などに向かう冒険家は独りじゃないですか。どこかで死んでしまっても気づかれないかもしれない。そういう人を真の冒険家って呼ぶんだなぁと漠然と思っていて。もちろん、そうなりたいわけではないのですけれど、僕は学生時代にずっと柔道に取り組んでいて、昭和の我慢の世界で育ってきたんです。だから、どこまで我慢できるか試してみたい。底辺を知りたいんですよね。

ーーー底辺ですか。

飯野:心の底辺です。声援やサポート、その時に食べたい飲みたい物が出てくるという癒しのモチベーションをそぎ落として、どこまで自分の心が落ちていくか、という底辺。飲食物をそぎ落とすのは死に繋がりますから難しいですけれど、それも最低限に留めてみる。心のモチベーションを上げるさまざまな要素をそぎ落として、その状態がずっと続いても、心がへし折れることなく走り続けられるのかを見てみたいんです。

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Photo:Junya Kon


ーーーそういった思考はいつ頃から生まれたのでしょうか。

飯野:5年ほど前からです。台湾の山に独りで登りに行ったとき、4日間誰とも会わなかったんですね。3000m級の山々の中でも難易度の高い奇來連峰にチャレンジしたものの、過去に通った登山客も少ないため、木々や草が鬱蒼と茂って道がほぼ無く藪漕ぎ。突然足場が無くなって滑落したり鋭利な竹が刺さったり、脱水症状の中で水場が現れたと思ったら泥水で仕方なく飲んでしのいだり、手持ちの食料もギリギリだったりで……とにかく生きるのに必死でした。ようやくゴール直前に人と会った時には心底嬉しかったんです。そのときの経験がきっかけになっています。 

それに、これから自分なりのチャレンジをしたいなと考えているんですよ。その意味でも「自分の底辺」は自覚しておきたい気持ちがあります。底辺を知っていれば、あとは上がるだけですから(笑)。

次のチャレンジは東海自然歩道の踏破

ーーーいま想い描いているのは、どんな挑戦ですか?

飯野:まず東海自然歩道を踏破したいと考えています。くろんど輪舞曲での挑戦も、そのための経験という意味がありました。僕の知る限り、東京の高尾から大阪の箕面まで、一番初めに全踏破したのはバックパッカーのシェルパ斉藤さん。その後も登山家やトレイルランナーたちが達成しています。昨年の台風の影響で通行止めがあり、情報集めに苦労しています。

ーーー2016年にはトレイルランナーの石川弘樹さんが踏破され、話題となりました。今回、くろんど輪舞曲でエイドなしで走ってみていかがでしたか。 

飯野:日中の気温が35℃になるなか、5kgの荷物を180km背負って走るというのは、なかなか堪えました。ステージレースでも同様の重量を背負いますが、1日の走行距離は40〜60km程度と少ないんです。今回は37時間ずっと背負っていたのできつくて、3周目くらいで丹羽薫さんに追いつかれて、そこから10周くらい一緒に走りました。 

水も本来はコース上の川の水を飲む予定でいたのですが、主催者の方から水だけはエイドで補給して欲しいといわれて、そうしました。後半になると荷物が軽くなってきてペースが安定してきました。

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Photo:Junya Kondo  

ーーー「心の底辺」を知るには、まだ余裕があったのではないですか?

飯野:そうかもしれませんね。食べ物も余りましたし、もっとギリギリまで削れたのかもしれません。またエイドで黄色い声援もあったため元気になってしまいました(笑)。ただイベント中にエイドでの補給食の期待ができないという、喜びが少ない、いい経験ができたと思います。

レースの場合は選手同士の戦い。サポートを付けた方が断然有利なため、僕もできるだけ付いてもらい勝ちにいきます。一方、FKTの場合は自分との戦い。僕にとってタイムはそこまで重要ではないので、東海自然歩道も含め、サポートという名の喜びを極力減らして、一人で生き抜くチャレンジをしたいと考えています。

ーーーなるほど。それほどエイドやサポート、応援の力によって心はチャージされるということですね。

飯野:そう、心のチャージができるんですよ。それがいかに身体を回復させてくれるか。それができないとき自分はどこまで耐えられるのか知りたかった。でも今回は自分の甘さを痛感しました。麦茶1杯、コーラ2杯、リアルゴールド(自販機)を飲んでしまったので……。 

ーーーそうでしたか。

飯野:日頃からこうした鍛錬を重ねておかないと、本番でも甘えてしまうんですよね。エンデュランスレースでは序盤から心のままに飲食物を摂取してしまうと、後がもたなくなるんです。ちょっとずつちょっとずつご褒美を得ないと、最後まで保たないことが多い。常に首の皮一枚で心を繋ぎながら走るといいますか。なかなか難しいことなんですけれど、それをしないと強くはなれない。そういう意味では、今回いい経験ができました。大会に関わるすべての方々に感謝しています。 

※※※

これまでもずっと先の先にある挑戦に想いを馳せてきた飯野さん。「心の底辺」を見極める鍛錬はまだしばらく続きそうだ。次はどこまで行けるのか。

 

〈プロフィール〉
飯野 航 / Wataru Iino 
ウルトラランナー、アドベンチャーランナー

東京都出身。自動車設計技師としてドイツに駐在していた30歳のとき、ダイエットのためにランニングを始める。その後、国内外のウルトラレース、トレイルランレース、局地レースに出場し、輝かしい戦績を残す。現在はトレイルランやトライアスロンなどのスポーツイベントを目的とする旅行代理店フィールドオンアースに勤務。神田さかいやスポーツ・サポートアスリート。 

〈主な戦績〉
チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン優勝(112km/2014〜15年連覇)、いわて銀河100kmチャレンジマラソン優勝、マダガスカルレース250km 2位、大江戸小江戸230km優勝、ナミデザートレース優勝(250km)、ウルトラトレイルコー・チャン優勝(100km/タイ)、バッドウォーター135優勝(217km/米国)、エベレストマラソン7位(65km/ネパール)、ゴーンナッツ101優勝(101km/タスマニア) 

Special Thanks:Junya Kondo
interview&Text:Yumiko Chiba