期間:2024/8/19〜10/7
メンバー:鈴木雄大、西田由宇、成田啓
写真:鈴木雄大
ガンバルゾム5峰から見えた頂を目指す
昨年、「ガンバルゾム5峰」の山頂に立ったときの美しい山々に沈む夕日の光景を僕は忘れられなかった。その内の一つのピークが「Thui2(トゥイ2)」であり、最も険しく、唆られる山であった。 僕らは早速、ガンバルゾムと同じチームで1年後、この山域に戻ってくることに決めた。
トゥイ2西壁へのアプローチとなるリシト氷河については、フランスチームが数年前に春の時期に訪れたことしか情報がなかった。僕らはガンバルゾム5峰とまったく同じ時期、9月いっぱいをこの山で過ごすこととした。 リサーチを進めていくと、『ヒマラヤ名峰辞典』(平凡社)に、「ヒンズー・ラージ山脈が東西から南北に折れ曲がる分点に位置する山脈第三の高峰トゥイ2峰。その姿は台形のジャンダルムを従え、三角錐の尖峰はヒンズー・ラージでは最も立派な孤峰といわれる」との魅力的な内容の記載が。初登は、イギリス隊による1967年の初トライから11年後、1978年8月4日。それから現在まで46年の間、この山に関する登攀記録は見当たらない。そして、Googleアースでリサーチする限り、トゥイ2の西壁はミックスクライミング(注1)に適した氷や岩の形状が山頂まで続き、パキスタン北西辺境で誰も訪れた事がなく、冒険的で長大なクライミングが期待できそうだった。
パキスタンの都市・チトラルからアフガニスタンとの国境を目指して、ジープで2日かけて北上して行くと、ショーストという小さな村に到着した。ここには学校もあり、多くの子どもたちと、そして僕らを珍しがる警察官が話しかけてきた。どうやらこの先、これまで以上にワイルドなダートをさらに30分ほどジープで進むようだ。僕らは村がどこまで続いているかすらよく分からなかったが、強引なパキスタン人ドライバーの見事な運転により、斜度35度の坂をジープで上がり、最終の村であるトリカンド(カンド1)に到着した。
村といってもここには実質、一家族しか住んでいないようで、僕らのガイドが住民と交渉して、ホームステイさせてもらえることとなった。その家の一人は大学生で、僕たちはお互いを珍しがって色々な話をした。彼らはとても親切に僕らをサポートしてくれた。 さっそく準備を進め、トリカンドから歩いて6〜7時間ほどでベースキャンプに適した最後の草地を見つけた。標高は4300m。ベースキャンプの候補地も全く予想がつかなかったので、草の平らなスペースと、今にも枯れそうではあったが小さな水の流れがあったことはラッキーだった。
雨が止むのを待って高所順化
僕らは高所順化のため、比較的容易に登頂できそうな6000mのリシトピークの近くまですぐに登りたかったが、4日間ほど雨が続いたので、ベースキャンプでゆっくりと休んでから出発した。その後の好天周期は10日間ほど続き、5日ほどかけて6000mの無名のポイントまでタッチ、リシトピークのすぐ北の5740mのコルで2泊することができた。
この順応登山の行きと帰りに、ターゲットであるトゥイ2の様子を観察し、登攀ルートを大まかに決めることができた。ルートは下部の雪壁と、大部分が垂直に近い氷や岩で構成され、特に核心部分は6200mを超える山頂直下となりそうで、1500m近くの冒険的なクライミングが予想された。早くトライを始めたかった。下部では、壁の弱点が繋がっているのかいないのか、よくわからない部分もあった。壁の弱点とは、一見垂直に見える壁の中にも、立体的な岩の形状だったり、氷が垂れ下がったりする箇所があり、そこを手掛かりとして何とか登れそうな部分のことを意味する。僕らは偵察では一切壁には触れず、デポもしないで、綺麗な一筆書き(*注2)で本気トライをしようと決めた。
高所順応を終え、疲労もある中ベースキャンプへ戻ると、「4日後くらいから長いストームが来る」と衛星デバイスに知らせがあった。レストも含めると、このストームをやり過ごして次の好天周期が唯一のチャンスとなりそうだ。
僕たちは”Basecamp mode”に入り、ボルダリング をしたり、映画を見たりして過ごす。結局そのストームは1週間以上続き、12日間、ベースキャンプでダラダラと過ごすことになった。ひどい時はキッチンテントの上に50センチの雪が積もり、最悪の事態も頭をよぎった。でも晴れ間が訪れると、強烈な日射が雪を溶かし、少しずつ草が見えるようになってきた。 上部の雪田の状態がベースキャンプからは読めず、雪崩を心配していたが、僕らは好天周期を掴んでアドバンスBCへと戻った。
アタック初日、5810mまで登る
いよいよアタック開始。4日と半日分の食糧と少しのギアを持って、最初の雪壁を駆け上がる。花崗岩の基部からプロテクションを取りつつ、同時登攀の長い2ピッチ(*注3)、ロープの長さでおおよそ8ピッチ分くらいだろうか。良いペースで実際の険しいクライミングが始まるベースへ辿り着いた。出だしから溶けかけの怪しい氷。幅30センチほどのベルグラ(*注4)と凹角を頼りに、僕は何とか登った。砦のように塞がれて見えた岩壁も、なんとか弱点が続いている。だが、その次の核となるピッチも、氷がシャワーのように溶けていて困難を極めた。幸いなことに氷のとなりにクラックがあり、ドライツーリング(アックスとアイゼンを使って岩を登ること)とジャミング(クラックを登る時に手足を岩に捻じ込んで登る技術)を使って何とか這い上がる。クラックに雪と氷が詰まるM7(5.10程度の困難さを感じるくらい)のピッチだ。成田啓も僕も日本でM11+(国内最難グレード、通常終始大きくハングしている)まで登っているが、確かにこれは悪かった。標高もすでに5600mを超えているだろうか。持っていた最大のキャメロットである#3よりもクラックは広がり、フリークライミングで抜けるしか方法がなかったが、よく頑張った。
そこからもすべてスタカットクライミング(一人ずつ登攀して他が確保する隔時登攀)のピッチが続き、西田の2ピッチも印象的だった。90度の積み木のようなロックピッチを2つ、最後の抜け口では溶けた薄氷のマントルをこなす。重い荷物のフォローは登るのに時間がかかりそうなので、この最後の5メートルだけは荷揚げを行った。その次のピッチで”蜘蛛の糸” と呼んでいた上部の大きなベルグラが見渡せるスノーバンド(岩壁を横断する棚)まで出る。日も沈みそうなので、大きなボルダーに守られた2メートルほどのスペースをスノーハンモックで拡張し、2時間近い整地作業のすえにビバーク1とした。5810mまで登り、フラットなビバークサイトも発見できたので、今日は良い調子だ。最初の8ピッチ程の同時登攀を含んで、15ピッチほど伸ばすことができた。
6250m地点での2度目のビバーク
2日目、まずはスノーバンドセクションをロープの長さで3ピッチほど同時登攀で駆け上がる。”蜘蛛の糸”を横目に左上し、氷とミックスの傾斜の強いルンゼに吸い込まれる。ここでスタカットクライミングに切り替えるが、まだ朝なので氷も硬く、素晴らしいクライミングで進みながら高度を稼ぐ。毎回ロープいっぱいの60m近くまで7ピッチほど。途中ハンギングビレイなども交える強い傾斜のクーロワール地形(山肌を上下に走る岩溝)を登って行く。一部氷も雪もない垂直の部分が出てきたが、幸いとても狭い凹角の形状となっていたので、素手になって身体をねじ込ませてチムニー登りで突破することができた。
最後はかなり脆い岩を斜めの小リッジのようなところまで這い上がる。その後、1時間半ほどかけてスノーハンモックで1人分のスペースを追加で拡張し、ビバーク2とした。6250mだった。ここまで合計25ピッチくらいか。
3日目、残すは300m
3日目、今日はあと300mだけだ。「荷物をすべて置いて、山頂を踏んで帰ってくるか」なんて話もあったが、傾斜がさらに強まりそうなのと、この先がどうなっているか分からないので、すべて背負って出発。これが結果的には良い判断であった。今日は成田からスタート。いつも通り2ピッチ交代でのクライミング。1ピッチ目、嫌らしい10mのダウンクライムしながらのトラバースをこなす。そして2ピッチ目、凹角に薄く張り付いたベルグラを登るまさにミックスクライミングというピッチ。氷からのプロテクションは非常に乏しいが、側壁から小さなカム(*注5)がとれる。僕はフォローだったが、M5+~6だろうか。上部の氷が途切れたところで、アックスを横にスポッといれるトルキングが印象的なムーブだった。
3ピッチ目、少し雪壁を登ると左右に進路が取れそうだったが、左に行くとそのままクーロワールの雪壁になり味気ないものになりそうだったので、敢えて右の垂壁を覗いてみる。すると一見登れそうもない大岩壁に見えたが、奇跡的に硬く上質なガバ(ガバっと掴める岩の突起)が繋がっている。岩質はこれ以上ないほどだ。西田がドライツーリングで超えて行く。もう6300mを超え、垂直の動きは一手一手息が切れ、頭が痛い。
4ピッチ目も三つ星の80度程度のミックスクライミング。2ピッチ手前から見上げた時は、絶望的とも思えるような垂直の一枚岩に、「ここを登れ」と言わんばかりの岩と岩の溝に、手掛かりとなるクラックや氷が発達していた。上手いことラインが繋がっていたのが本当に不思議だ。
5ピッチ目、ここでリードを僕に変わるが、壁の雰囲気が一転。少し遠くを見上げると大きなスラブで覆われている。さてどうしようか。とりあえずスラブの基部まで登ると、一筋だけ1センチ〜10センチのクラックが途切れ途切れではあるが繋がっているではないか。ここから大きくトラバース(注6)するのも一苦労が予想されたので、一か八か、クラックを直上する。太陽も当たってはいたものの、さすがに6400mだけあって素手では少し冷たかったが、グローブでは無理なので素手でジャミングをしながら登る。
半分ほど登るとフットホールドがなくなったのでアイゼンを脱ぐが、もはやフリークライミングでは不可能なため、エイド(注7)に切り替える。小さなカムとトライカムを決め、所々クラックが途切れているところは数手のムーブを使ってフリーでジワジワと登る。最終的にクラックが完全に途切れるが、1mとなりに頼りなさそうな薄い岩があった。これを利用し、頭上に手を最大限伸ばすと、ギリギリで届いた約1センチ程度の岩の隙間にカムを差し込み、恐る恐るそのカムに立ちこんだ。この小さなギアが外れれば、足元から大きく落ちることになる。そして数分後、何とか脆い岩と手掛かりとして使い物にならない雪を掻き分け、岩棚の上に這い上がることができた。この先の見通しも立たなかったため、ひとまず、目の前にあった脆いクラックから5つのギアをまとめて差し込み、成田と西田を迎え入れた。(通常支点として2〜3つのギアを差し込めば充分だが、ここは岩が脆く不安だったので5つセットした)
6ピッチ目、真上を見ると上質なしっかりと持てそうなガバの岩がある程度続いているが、その先がどうなっているかは分からない。上部が見えないということは傾斜が寝ていて何とかなるという事だろう。と、希望的観測のもと、ひとまずガバを頼りに5mほど直上すると、一面に氷の斜面が見渡せた。これで山頂まで繋がる! 岩から氷に乗り移ると、すぐにここがブルーアイスの拷問パートだと分かる。傾斜は60度程度だ。油断すると弾かれるような硬い氷に、アックスとアイゼンを打ち込む作業が永遠と続く。これが一番辛いのだ。
強風のなかでの山頂ビバーク
あと少しのはずだ。これまでのクライミングが想像以上にテクニカルで、この時点で夕方3時を過ぎていた。全力で硬い氷にアックスを叩き込むが、6400mを超え、スピードは出ない。それでも皆で交代しながら全力で最後の氷を登ること4ピッチ。西田が登っていると、急に反対側が切れ落ちる山頂に飛び出した。空はすでに濃いオレンジ色となり、6523mの高所と強風にクタクタになりながら、1時間半ほどかけて山頂ビバークの準備をする。成田と西田は整地し、僕は安定した小さなスペースをつくって氷を溶かし水作りをした。幸い、今までで1番平らなスペースを確保できたが、激しいクライミングと高所、強風、太陽が沈む寒さで惨めなビバークとなる。でもやり切った。同時登攀もロープスケールで数えると、全部で32〜34ピッチくらい登ったか。あとは明日、丸一日かけて下降するのみ。
4日目、朝起きると、対面には昨年初登したガンバルゾム5が神々しく聳える。この角度から見ると、昨年のラインが手にとるように分かり、想像以上に長いリッジを登ったんだなと感慨深い時間だった。
8時頃、相変わらず風も強く寒いので、急いで懸垂下降に取りかかる。でもこの絶え間ない強風にも感謝だ。おそらくあのドカ雪をこの西風がすべて吹き飛ばしてくれたのだろう。 リッジを少しクライムダウンしてリシトピーク側の斜面をオンサイトで降りるアイデアもあったが、リッジがやはり悪そうだったので、登りルートに沿って懸垂下降が安全だと判断した。氷があればなるべくVスレッドをロープ直通しで行い、捨て縄を節約しておりる(注7)。捨て縄も25mほどしか持参していなかった。
氷のセクションを終えた後は、ほぼピナクル(岩の上に突き出した小さい突起)を支点に降りていったが、花崗岩のためか、探せば使える岩がそこここにあって助かった。ただ捨て縄が少ないので、なるべく最小限に小さく、頑丈な構造の岩を探すことに気を遣った。唯一何もなかったところに短いピトンを2枚打ち、それ以外は全てピナクルで懸垂下降し、山頂から23回(?)ほどの懸垂下降で、最初の同時登攀セクションの上部まで降りることができた。25m全ての捨て縄と、スリングを4本残置した。
既に19時を過ぎて真っ暗だったが、雪は締まって上からの落下物もない時間だったので、そのまま登りの逆で3人同時クライムダウンを繰り返す。所々、ヒマラヤ特有のブラックアイス(注8)も出てきたが、スクリューやカムを決めながら、落ち着いて処理し、22時にリシト氷河に降り立った。長い下降だった。
アドバンスドBCまであと一息。1時間弱トボトボと氷河を降り、4日ぶりにハーネスを脱いだ。23時過ぎだった。なんとも言えない素晴らしい充実感に包まれ、翌朝10時まで久しぶりの濃い空気のなかゆっくりと眠った。この標高にして、高難度かつ上質なミックスクライミングから積み木のようにボロい壁やベルグラまで。素手でのロッククライミングと、そして登るに従って急勾配になっていくヘッドウォール。シビアなエイドクライミングに加え、最後はいつも通り、拷問のブルーアイスセクション。 スノーハンモックを利用しての2ビバークや、山頂での悲惨なビバークも印象的だった。アルパインクライミングとはいかにオールラウンドで、自由で、素晴らしい登り方なのかと再認識させられた登攀となった。 何より、このパキスタン辺境にある、美しくワイルドな未踏壁を山頂までダイレクトに、一筆書きというシンプルかつ美しく、満足いくスタイルで登れたことが嬉しい。
大岩壁に蜘蛛の糸のように張り巡らされた氷と、ベースキャンプに無数にいた大蜘蛛から、僕らはこのルートに”Spider’s Thread” と名付けた。
*注釈(1〜9)
1)ミックスクライミング
アイスアックスと呼ばれる道具を壁に垂れ下がる氷や、氷の途切れた部分に露出する岩の突起などにひっかけ、登っていくこと。通常は寒冷条件での登攀となるため、グローブは外せず、手掛かりとなる岩に乗っかる雪などを落としながら登ることとなり、純粋な素手のロッククライミングと比較すると、ジワジワと時間のかかる忍耐のクライミングとなることが多い。
2)綺麗な一筆書き
純粋に登頂だけが目的であれば、一筆書きでなく、1日や2日、時には数十日かけて、予め難しい地点にロープを張ってはベースキャンプに戻り、最終的にはその数十本にもなるロープを辿って山頂を踏むというスタイルが、昔はよく採用されていた。登攀も下降もロープを辿るので、より確実な方法ではあるが、最後はロープの登り降りとなるので、味気ないものとなる。一方、現代では、より身軽に、冒険的に、全ての難所を一撃でシンプルに登ることが冒険的で綺麗な登攀スタイルとされ、山本来の楽しさや厳しさ、冒険性を味わう最善のクライミング方法であるというのがアルパインクライマーの間ではもはや常識となっている。例え1日でも下部壁の偵察や試登を行えば、その部分は既知のセクションとなり、精神的・体力的な負担も減るので、下部から全て一発で登っていくのが、より良いスタイルだと個人的には感じている。
3)ピッチ
ロープ1本の長さで登れる限界地点で一度確保支点をとるが、この区切りをピッチと呼ぶ。1ピッチ目・2ピッチ目とカウントする。通常1ピッチは60m程度、1つのピッチに早くて15分、困難なセクションは1時間半や2時間以上かかることもある。
4)ベルグラ
水の滴りなどが辛うじて凍り、厚さ2センチ〜20センチ程の薄いアイスとなったもの。アイススクリューが入らないと生きた心地がしないが、上手く左右の岩の壁に登山道具を入れて安全確保できるとホッとする。
5)カム
岩が自然と綺麗に割れている割れ目(クラック)に差し込むことで支持力を得られる安全確保用の登山道具。小指以下のサイズからこぶし大の物までさまざまあり、安全登山に欠かせない。
6)トラバース
この場合、壁などをクライミングしながら水平方向に横切っていくこと、高度は稼げない割に、落ちると振り子時計のように大きく左右に振られるので、真っ直ぐ登っていくよりよほど怖い事が多い。特に、二番手と三番手に登る人は荷物が重い上に、トラバースセクションでは一番手と同じように大きく落ちるので、慎重に登らざるを得ず、できることならこのようなライン取りは避けたい。ロープが真っ直ぐ上に伸びていれば、後続は上から吊られているので、落ちてもせいぜい1m程度しか落ちることがない。
6)エイド
フリークライミングという、自分の手足またはアックスやアイゼンだけで前進する方法では埒が空かない場合に、ギアを壁に差し込んで、そこに立ち込んだり引っ張ったりして登る方法。通常、アルパインでエイドしなければ登れないほどの壁はプロテクションも極細だったり、確実性が低かったりして、その支点に全体重を乗せて立ち上がることになるので、時間もかかるし精神的にも大変。ギアに乗り込むので、ギアが外れればそのまま大きく落ちることになる。
7)Vスレッドをロープ直通しで行い、捨て縄を節約しておりる
Vスレッドとは、20センチ程度のアイススクリューを2回、文字通りVの字の形状に差し、そこにできた氷の穴にロープを直接かけて消防士のようにロープを伝って懸垂下降をする下降技術だ。正確には上下逆さまにしたVの形状だと想像してもらえると分かりやすい。一見、不安なようにも思われるが、グラグラした岩角の支点や、不安定なカムよりは数字的にも強度があるようだ。岩角に直接巻き付けて残地を前提で使用する捨て縄も25mほどしか持参していなかった。 これは一度に最低でも2m弱は使用するので、全て捨て縄で降りていたら足りなくなる計算だ。
8)ブラックアイス
氷の上に載っていた雪が雪崩などで磨き落とされ露出した、鋼のように硬い氷。氷の中に無数の黒い岩も点在していてアックスやアイゼンを刺しにくい。日本ではまず見かけず、あり得ないくらいに硬い。