『山物語を紡ぐ人びと』vol.40 〜クライマー 鈴木雄大 / 未知のものに手を伸ばすということ


2023年秋、パキスタンにある未踏峰「ガンバルゾム5峰(6,400m)」の登頂で注目を集めたクライマー鈴木雄大、西田由宇、成田啓。今年はじめ、挑戦の様子を3人へのインタビューとして「ガンバルゾム5峰初登頂:未知のものを明らかにする喜び」(パタゴニアクリーネストライン)で記した。5つあるピークのうち、1973年に1峰のみイタリア隊が南西から登頂しているが、ほかはどれも完全な未踏峰。彼らは唯一トライできそうな北西リッジを選び、踏破した。現地で彼らが撮影したスリリングな映像はYouTube『ガンバルゾム〜未知の高峰を目指して〜』(全4本のシリーズ)で見ることができる。

そのインタビューのなかで、リーダーの鈴木雄大は「情報の少ない冒険的なクライミング」や「旅そのもの」が好きだと語った。ネットを通してどこにいても情報のアウトラインが手に入り、手つかずの何かを見つけるのが困難な時代にあって、暮らしの主軸に山を据えて未踏峰を目指し続ける彼らの “選択” に興味を抱いた。

2024年8月から10月には、再び同じメンバーでパキスタンに赴き、未踏峰「トゥイ2西壁」の登頂を果たしている。この山を目指したのは、ガンバルゾム5峰の山頂に立ったとき、美しい夕日に包まれるその山容を見たからだ。ひとつの挑戦を成功させたからこそ見つけることができた、次なる冒険。

今回の鈴木雄大へのインタビューは「トゥイ2西壁」の遠征前に行った。記事と併せて、鈴木が記したレポート『トゥイ2西壁 未知の初登攀』も掲載したのでぜひご覧いただければと思う。(少し専門的な用語もあるので注釈も入れている)

日頃トレイルランナーやハイカーの視点から山を捉えることが多い自分にとって、クライマーとしてやりたいことをやり続ける原動力や、彼らをとりまく環境が気になっている。「常に平常心」のように見える振れ幅の少ないメンタルについても。

パキスタン・ガンバルゾム山群全景(写真:鈴木雄大)

青春18切符で東京から北海道までスキー旅へ

ーー山に出合う前はサッカーにのめりこんでいたとか。

鈴木:中学高校時代はサッカー部でした。僕自身はプロ選手を目指していたわけではまったくないんですけど、真剣に活動している部だったので、週5日〜6日はサッカーをしていました。その頃、父親がときどきですが、スキーをしていて、サッカー部を引退した後は一緒に滑りに行ったりしていましたね。サッカーで燃え尽きていた時期だったので、何か新しいことを始めたいという気持ちが芽生えていた気がします。

もうひとつ漠然と考えていたのは、大学に進学したら機会を見つけて海外に行きたいということ。そういう意味では、山岳部は相性がよかったんです。あと旅も好きでした。

ーー旅好きになったきっかけは何かあったのですか。

鈴木:早稲田大学に進学して山岳部に所属したあと、1年の冬に東京から札幌まで、青春18切符を使ってスキーを背負って旅をしたんですね。飛行機ではなく、あえて電車で北海道に行くことにロマンを感じて出発しました。途中下車し、田沢湖など東北地方で寄り道しながらスキーをして、最終的にはニセコに長く滞在しました。その旅がすごく楽しくて。お金もなかったので宿は使わず、ニセコの街では道路脇の吹き溜まりに雪洞を掘って、シュラフで寝ていました。

ーー当時はまだ登山がいちばんというわけではなかったと。

鈴木:1〜2年のときはそれほど山にのめりこんでいませんでした。部活で登山を繰り返していくうちに、だんだん気持ちがエスカレートしていった感じです。2年から3年の始めにかけて経験した2つの海外遠征で、一気に火が着きました。

初めての大規模遠征はヒマラヤのノーマルルート

鈴木:最初の海外遠征はクライミングツアーで、2週間ほどドロミテに滞在しました。ドロミテはクライミングのメッカで600mくらい切れ落ちた壁があるんです。日本にそれだけ長く切れ落ちた山は少なくて、あったとしても木が生えていたりして高度感が少ないんですね。クライミングを始めてまだ1〜2年でしたけれど、「海外の岩でも意外と通用するな」という感触を得ました。

ーー2つめの遠征というのは?

鈴木:2年の終わりから3年の始めに、初めての大きな遠征としてネパールに行きました。ヒマラヤのアイランドピーク(6,189m)という雪山にノーマルルートで登り、仲間全員が登頂できました。そのとき「日本で3,000mの山に登れたら、その延長線上で6,100m以上の山にも登れるんだ」と知ったんです。どちらの遠征も、日本でやってきたことが世界で通用するとわかった嬉しい経験でした。その一方で、どこか物足りない感じもあって。

山岳部に入部する前、なんとなくヒマラヤに対する憧れはありました。それが、自分にとって最初のチャレンジングな遠征で登れてしまった。さらに、思っていたより未知の要素が少ないことも明らかになってしまったというか。

ノーマルルートの場合、登山道のように整備され、ロープも張ってある場所を辿るパートが多いんです。最後、山頂に向かって壁を登っていくときにもロープがあったので、下る頃には「こういうところではない未踏ルートに行きたい」と考え始めていました。

2014年ヒマラヤ合宿にて。上/ガレ場を通過する (写真:神田雅也)下/テント内の様子(写真:鈴木雄大)

ーー学生時代はどんなトレーニングをしていたのですか。

鈴木:校舎の周りをランニングしたり、山で1週間から10日のキャンプをしたりしていました。山岳部出身者はだいたい同じくらいだと思うんですけど、年に100日以上山に入っていました。夏は剱岳から親不知まで縦走したり、南アルプスを全山縦走したり。剱に1週間居座って、岩を何ルートも登るといった合宿もしていました。

社会人になって山を始めた人だと、2〜3泊のテント泊で長いなと感じることもあるらしいんです。雨で濡れたギアやウェアにストレスを感じたり。でも山岳部出身だとそうしたストレスを感じなくなる利点があります。10泊のキャンプでは100Lのザックを背負って、部が代々所有してきた骨董品みたいな重い調理器具を背負って登ったりしていました。

雪山経験としては、まず1年の終わりに1週間ほど富士山に登ります。3,000m以上でテントを張って強風に耐えるトレーニングをしたり、ロープワークやアイゼンワークを確認したりします。振り返ると、当時は1年で4年分くらいのトレーニングをしていたように思います。こうした経験は西田(東海大山岳部)や成田(北海道大山岳部)とも重なっています。各大学でトレーニングに特色があって、北大ならイグルーを2時間で建てる練習があったりします。

左から西田由宇、奥は現地の警察官、鈴木雄大、成田啓。ガンバルゾムのベースキャンプで


ーー先輩からみっちり鍛えられるわけですね。

鈴木:ロープワークの基礎技術は先輩から学びつつ、登り方そのものは自分で掴むしかないので、小川山(奥秩父)などに通っていました。一気にステップアップせず、ひとつ登れたら翌週はまたちょっとだけ難しいところを登る。その繰り返しを10年以上続けていたら、どこにでも行けるという感触が得られるようになった感じです。

ーーなるほど。段階的にスキルアップしていくプロセスがだいぶイメージできました。未踏峰に初めて挑んだのはいつですか。

鈴木:2017年、冒険的な挑戦をしたいと思って、ヒマラヤの未踏峰ラジョダダ(6,426m)への遠征を計画しました。ネパール政府が解禁している、標高と座標だけが記された100座くらいの未踏峰リストがあるので、それを地図に落としてGoogle Earthなどで調べ、 “形が格好いい山” を選びました。首都のカトマンズからのアプローチも1週間くらいかかり、これは「秘境感」がありそうだなと。

この遠征は早大山岳部100周年記念事業の一環で企画されたもので、後輩とOBの3人で登りました。情報もない完全な未踏峰を登頂できたことで「自分たちでも未踏ルートに行けるんだ」という手応えを掴みました。

「経験値×強いメンタル」はフィジカルを凌駕する

ーー分野は異なりますが、スポーツクライミングのトップ選手にトレーニングについて伺ったとき、筋肉の細かい部位をピンポイントで鍛えているという話がでてきました。アルパインクライマーの場合、どんな要素を意識的に鍛えているのでしょうか。

鈴木:多岐にわたりますね。基本的な岩登りのための筋力と、あとはトレイルランニングのような持久力。ただアスリート的にフィジカル面を鍛えるというよりも、経験値とか精神的なものを鍛える意識の方が強いと思います。どれだけいろんな山に登って、経験を積むかということです。たとえばフィジカル的にすごく優位な人でも、険しい山に行くと不安から本来の力を出せなくなったりするんです。でもメンタルが強いと、オリンピックレベルのフィジカルはなくても、6,000mより上の世界では力を発揮できたりする。そういう面が大事だと思っています。

ガンバルゾム5峰にて。ミックスピッチをリードする成田啓(写真:鈴木雄大)

ーー日常的にランニングをしているのですか。

鈴木:山でのトレーニングがメインですけど、日頃からランニングはしています。ガンバルゾムの挑戦前にパキスタンについて教えてもらいたいと思い、メンバーの西田が、東海大山岳部の直接の後輩であったこともあり、登山家の平出和也さんに連絡をとったんです。ご自宅を訪ねたのですが、お会いしたら開口一番に「ちょっと走りながら話そうか」と言われて、10キロくらい一緒にランニングしました。それから、パキスタンの情報をいろいろ教えてもらいました。特に平出さんが長年信頼してチームを組んでいたパキスタンの代理店を紹介してくれたり、僕らが狙っていたガンバルゾムの登山適期について一緒に考えてくれたりしたことは、パキスタン経験が少なかった僕にとって、とても安心材料となりました。

ーー雄大さんはじめクライマーはよく「見れば見るほど格好いい山」という表現をしますよね。素朴な疑問で恐縮なのですが、どんな山に対してそう感じるのでしょうか。

鈴木:アートのように感覚的なことなので人によってズレはあると思うんですけど、僕個人としては容易に歩いて登れない尖った山、クライミングでしか辿り着けないピークにそそられます。その中にアイスクライミングのセクションがあったり、素手で登るような岩の箇所があったりすると、いろんなジャンルのスキルが試される。アイスだけ上手くても登れないし、岩だけ上手くても登頂できない。加えて、高所登山特有のメンタルやスタミナがないと登れないので、そういう山が魅力的に思えます。

ーー複合的な要素のなかで、ご自身の強みはなんだと思いますか。

鈴木:そうですね、経験値とメンタル的な部分、何があっても登るという気持ちみたいなところかな。技術的な面でいえば、一つのパートで比べたら僕より上手い人はたくさんいると思うんですけど、何でもできる人はあまり見かけない気がします。僕は山岳スキーもするので、それも含めると。同世代でクライミングと山岳スキーの両方をする人はほぼいなくて、どちらかだけなんです。スキーの技術面では、大学卒業後に一般企業に就職して札幌配属になったのが大きかったですね。雪道の運転が得意だとアピールして札幌配属を希望したんですけど(笑)。近くにばんえいスキー場があって夜10時まで営業していたので、勤務後によく滑りました。スキーをまったくやらないアルパインクライマーは信じないんですけど、スキーで鍛える上質な足腰って、結構アルパインに活きてくるんですよ!さまざまな雪質を見る目も格段に養われますし。

留学先オレゴンで触れた自由な生き方

ーーガンバルゾムのインタビューで印象的だったのは、3人にとって山が人生の真ん中にあるということでした。日本の経済状況でいえば、守りに入りたくなるような時代だとも思うのですが、どのタイミングでそういう生き方に舵を切ったのでしょうか。

鈴木:大学3年と4年の間の11ヶ月間、提携校であるオレゴン大学に留学していました。そのとき接した友人たちが、アメリカというお国柄なのかみんな自由で。アメリカ人の友人3人とルームシェアをしていたんですけど、みんなやりたいことをやっていました。

入居を誘ってくれた友人はクライマーで、彼は日本が好きでスキーもやるので、いまも富良野に滑りに来たりして交流があります。あとの二人はランダムなルームメイトで、一人はスノーボーダーで僕のクライミングの話を熱心に聞いてくれました。もう一人は引きこもりで、ずっとベッドの上で暮らしていて、毎日ピザの宅配を頼んでいるような人でした。

現地ではかなりクライミングにはまっていたので、週末はスミスロックに通っていました。校舎内にもクライミングジムがあって、そこに行けば誰かしら知り合いと一緒に登れて。冬は日本とまったく違い、整備がされていなくて岩が剥き出しのワイルドなスキー場や氷河のある山に通っていましたね。

米国留学中、旧友で映像編集を担当している鈴木岳見(手前)とヨセミテのエルキャピタン・ノーズへ(写真:鈴木岳美)


ーーそうした生活のなかで、いろんな価値観の人に出会えたと。

鈴木:そうですね。アメリカは雇用形態も多様なので、転職を繰り返したりするのが普通です。彼らの暮らしぶりを見て、僕も自由に生きられたらいいなと思いました。

今年の春に会社員を辞めたんです。海外遠征は高所順応などを含めると長い日数が必要だし、会社に勤務しながらの両立は僕にとっては難しかった。山を本気でやろうと思ったら、天候に合わせるためにも自由でないと危ないんです。逆に言えば、山に理解がある職場なら、フルタイムで働いていたい気持ちもあります。生活が安定し、それは安全なクライミングと、上質な遠征の長期的な継続に直結しますから。

ーー現在のお仕事は?

鈴木:いまTHE NORTH FACEのアスリートとして、フィールドテストや製品開発、プロモーションなどに携わらせていただいています。あと、以前から母校の山岳部でヘッドコーチをやらせてもらっています。コーチは何人かいるんですけど、限界をプッシュするような山を現役でやっている人はおらず、現代の生きた技術や登り方を教えられるのは、自分くらいなのが現状です。なので、責任感を持って山では指導をしていますし、これから世界の未踏の山を目標に据えたクライマーになってもらいたく、「考え方」の部分をうまく伝えられるよう努力しているつもりです。例えば、学生にすべて手取り足取り教えていたのでは発想力もなくなるので、自発性を大事にしたり、学業との両立のコツをアドバイスしたりと、内容は多岐にわたります。

また、ほかにも不定期ですが仕事はあって、山岳撮影の仕事や執筆など、山に関するさまざまな案件をご依頼いただいています。YouTubeもその一環として、岩場やスキー場近くの道の駅からでもテレワークができるので、わずかな収益とはいえ助かっています。

ガンバルゾム5峰、岩と雪のリッジを登る(写真:鈴木雄大)

利尻岳の遭難がひとつの転機になった

ーー同期で山を続けている人はいらっしゃいますか。

鈴木:いま僕は早大山岳部でコーチをしているんですけど、同期が監督を務めています。彼は山を続けたそうだったんですけど、4〜5年前、社会人になって二人で利尻岳に登っているとき一緒に遭難してしまって。相方はヘリで搬送されましたが、体温が25℃くらいまで下がってしまい生死を彷徨いました。

ーー遭難の原因は?

鈴木:相方は学生時代、山岳部の主将も務めていて体力もあったんですけど、社会人になってからは忙しくてブランクがありました。それをちゃんと把握せず、二人でちょっと自分たちの身の丈に合わない山を選んでしまったのだと思います。天候がベストではなく降雪もあり、気温がマイナス18℃まで下がっていたので低体温症になってしまいました。

ーー救助されるまではどんな状況だったのですか。

鈴木:偶然あった雪洞に二人で避難したんですけど、相方が低体温症で靴を落として動けない状態だったので急いでヘリを呼びました。雪洞で1日やり過ごした後、北海道警察の人が上がってきたという情報が届きました。雪洞は隠れた場所にあったので、僕が出ていって救助隊に手を振って合図し、合流して再び雪洞に上がりました。

ところが、僕も遭難者として麓に下ろさなければならない対象だったらしく、「大丈夫だから、君はおりなさい。もう一人は僕らがなんとかするから安心して」と言われ、その言葉を信じて下りました。しかし、その後に天候が悪化して救助ができなくなり、相方はもう一晩、一人でビバークしなければならなくなりました。

僕が一緒にいたときには、雪を溶かしてお湯をつくり、ボトルに入れて胸元を温めたりできたんですけど、一人だとそれができない。意識はほとんどなかったんですが、チョコや飴を口に入れると食べてくれたので少しはカロリーもとれました。結局、翌日の夕方4時頃のわずかな晴れ間に山岳会の仲間が登って、ヘリコプターから降ろしたロープを彼に繋いでくれました。それで命は助かりましたが、凍傷で指を失ってしまいました。

ーーかなり厳しい状況だったんですね。

鈴木:二次災害の危険があったので救助隊は一旦下りなければならかったんです。あのとき、僕が雪洞に残っていればとかなり後悔しました。ただ、彼のご家族から感謝の言葉をいただいたことが救いになりました。「サポートがなかったら、生きて帰れなかった」と。

アルパインクライミングは労力に対して割が合わない

ーーやはり社会人になると、山を辞める仲間は多かったですか。

鈴木:休みが少なすぎて、現実的に雪山は難しいんです。東京から北アルプスまで行くために前夜に出発しなければならないし、移動時間もかかりますから。コンディションもシビアなので、前日に雪が降らない日などを狙わないといけません。だから、土日を使って楽しめるロッククライミングにシフトしていく人が多いのは当然のような気がします。

もちろん、社会人になっても、強烈なモチベーションでさまざまな障壁を乗り越え、定期的に海外遠征に出かけている人もいますが、毎年1回行くのを継続するだけでも相当な苦労が必要だと思います。

アルパインクライミングって、準備や移動時間がすごく長くて、かける労力に対しての割が悪いんです。ガンバルゾムの遠征は50日間くらいでしたけど、登っているのは5日間だけですから。日本にいる間にも、3人一緒に30日間くらいトレーニングをしました。今年の「トゥイ2西壁」は同じメンバーですでに勝手がわかっているので、そこまでたくさん一緒のトレーニングはしていませんけど。久しぶりにロープを組むときにはちゃんと一緒にトレーニングをしないと危ないということは、利尻岳の経験から学びました。

ーーそういう意味でも、利尻岳は大きな出来事だったわけですね。

鈴木:僕にとってひとつの転機だったと思います。それ以来、無理はしないようにと考えるようになりましたから。ただ山をやっていると先輩から「死なない程度の経験をするといいよ」とよく言われるんです。「成功ばかりしていたら、わからないことがあるから」と。実際、利尻岳での遭難を経験してからはより入念な準備をして遠征に臨むようになりましたし、トレーニングも山の中での判断も変わったと思います。実は利尻岳では、パートナーが低体温症に陥る前々日に、雪崩で2人とも100m流されるという予兆のようなものもあったのです。あそこで登山を中止していればと……。西田も過去に剱岳で数百メートル滑落し、骨折した経験があるんですよ。なかなかできない、ギリギリの経験です。

パキスタン・ガンバルゾムにて、雪と氷の尾根を下る(写真:鈴木雄大)

日本のアウトドア文化への期待値

ーー海外遠征は費用面も大変だと思うのですが。

鈴木:いま日本経済が衰退していることもあって、費用のかかるネパールなどには非常に行きにくくなっています。各国の登山文化によって必要な費用はだいぶ異なっていて、ネパールなどは登山客からしっかりお金を取ろうというスタンス。普通の6,000mピークでも一人あたり100〜150万円はかかるので、一般の会社員だったら何とかして行けますけど、フルタイムで働いていないクライマーだとなかなか厳しい。それもあって、僕はペルーやパキスタンなど比較的安く行ける場所を選んでいます。たとえば年一回だけの遠征なら費用の工面も可能だと思うんですけど、海外のトップクライマーのように年3回程度の遠征となるとかなり難しいですね。

ーー西田さんもガンバルゾムを終えた後「金額的に継続して行けそうだとわかったことが収穫だった」とおっしゃっていましたね。

鈴木:そうです、行ってみないと具体的には遠征費用がどうなるかわからないので。僕はクライミング界のなかでは相当、働いてきた方だと思うんですよ(笑)。卒業後に就職して、数年間は会社員として働いていましたから。一度も就職せず、アルバイトなどで生活しながら、自由に登っている若いクライマーも多いです。まあ多いと言っても両手で数え切れる程度ではありますけど。

ーートレイルランニングでもプロの(会社勤務などをしていない)アスリートはわずかに増えつつありますが、まだまだ国内では発展途上のスポーツなので、それぞれが模索しながら頑張っています。

鈴木:もうちょっと豊かに山を続けられる環境があるといいですよね、アメリカのクライマーみたいに。クライマー同士なので基本的な暮らしぶりは似ていますけど、もう少し企業や業界全体のサポートは手厚いように思います。それは国力や文化の問題もあると思うんです。アメリカは最低時給が2,500〜3,000円程度と聞きました。その分、物価が高いとはいえ、クライマーのような質素な生活を送れる人は、稼いだお金をドルで貯めて、ネパールやパキスタン、南米で使えば、圧倒的に有利ですよね。

それにアメリカはアウトドアのカルチャーが成熟しています。まったく山や岩にいかないような人も、アウトドアの映画を観たりしていて、リスクをとりに行くことを応援するような国民性を感じました。この点、日本人は型におさまった枠組みの中での幸せを求める人が多く、挑戦する人々のカッコ良さみたいなものが、一般の人たちには理解してもらいにくい。例えば、僕たちも、何人もの聴衆を魅了してやろうと思って登山をすることはまったくないですが、結果として、アメリカではスーパークライマーやスキーヤーが次々と生まれていくという差は、このあたりの国民性、文化も少なからず影響していると感じてしまいます。

とはいえ、日本よりもさらに貧困な国に生まれていれば登山すら始められなかったので、その点は充分に恵まれていると思いますよ。与えられた環境でチャンスを生かそうと。

ーー最後にあらためて。なぜ未知のものに惹かれるのでしょうか。

鈴木:なんでしょうね。日常生活では体験できない喜び、そこにしかないものがあるからかな。だからまた行きたくなってしまうんです。クライマーは大きく分けて2種類いると思うんですよ。同じ場所に何度も通い、微妙に異なるルートを登り続ける人と、いろいろな地域に登りにいく人。

前者の場合、その場所に詳しくないとできないような難しいクライミングができる面白さがある。僕はどちらかというと後者のタイプで、世界のなかでいろんな異なる場所を見てみたい。今年の「トゥイ2西壁」は昨年と同じパキスタンでガンバルゾムとも近いんですけど、違う谷に入るのでまったく風景が異なります。きっと、知らないものを見てみたいという欲が強いんです、自分は。


→ 鈴木雄大によるレポート「トゥイ2西壁 未知の初登攀


【Profile】
鈴木雄大 Yudai Suzuki 
1994年東京都生まれ。早稲田大学山岳部に入り、本格的な登山を始める。長期山行からフリークライミング、アルパイン、山岳スキーなどオールラウンドに活動。岩壁や氷点下の世界など厳しい環境での撮影、ドローンを使った動画撮影も行う。早稲田大学山岳部ヘッドコーチ、THE NORTH FACE ATHLETE。サポート:(株)ゴールドウイン、(株)サテライトオフィス、(株)ロストアロー、ブラッククロウズスキー、尾西食品、MSR

取材・文=千葉弓子
写真=小川拓洋
写真協力=鈴木雄大、鈴木岳美、神田雅也、早稲田大学山岳部

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