地元の思いと未来を乗せて。「奥三河パワートレイル」は「奥三河Trail Running Race」へ <PR>


プロトレイルランナー・石川弘樹さんをコースプロデューサーに迎え、タフで挑戦しがいのあるレースとして長年親しまれてきた「奥三河パワートレイル」(70km)がこの秋、「奥三河Trail Running Race」として生まれ変わる。2015年の大会設立から数えて9回目となる今年は、”東海自然歩道開通50周年”を記念して35kmのコースで開催。第10回記念大会となる来年への足がかりとして、これまでのコースの後半を駆け抜けるかたちだ。次回からは70kmと35kmの2カテゴリーでの開催を視野に入れている。

愛知県北東部に位置する奥三河(新城市/設楽町/東栄町/豊根村)は山と森に囲まれた水が豊かな山間部。トレイルランニングレースがどのようにしてこの地域と関わり、未来をつくっていくのか。「トレイルランニングと地域の人びと」をテーマに、同地を取材した。


みんなトレイルランを知らなかった

第1回からレースディレクターを務めている久嶋啓太さんから連絡をいただいたのは梅雨時のこと。今年度から運営体制が大きく変わり、これまで以上に地元主導・地域密着型のレースにしていきたいという。

「この大会は地元の人たちの熱い想いで続いてきました。来年の10回記念大会を前に、いろいろと変わろうとしています。ぜひ遊びにいらしてください」

2016年に初めて同大会を取材したときの記憶はいまでも鮮明だ。地元の方たちがフランクで、地域全体で大会を盛り上げており、ランナーへの応援がとても温かかった。自宅から椅子を持ち出して沿道に並べ、選手が通るのを心待ちにするご高齢女性たちの笑顔が忘れられない。

「こんなにたくさんの人が走りに来てくれて、ほんとに嬉しい。トレイルランニングってよく知らなかったんだけど、NHKの番組でやっているやつでしょう? 田中陽希さんだったかな?(グレートトラバース「日本百名山ひと筆書き」シリーズが放映中だった」

「奥三河パワートレイル」での地元の皆さんの熱いおもてなし


エイドでふるまわれる焼きたての五平餅やイノシシ汁、レモンの蜂蜜漬けや手描きののぼり旗が選手を励ます。そしてゴール後には疲れた身体を癒やしてくれる湯谷温泉がある(当時はゴールが湯谷温泉だった)。コースでは日本の原風景ともいえる棚田や、徳川家康ゆかりの東照宮、鳳来山などを通過する。

この地で感じた柔らかな空気が心地よく、その後もプライベートで何度か奥三河を訪れた。トレイルランのレースはそれまで知らなかった日本の風景や文化、そこに暮らす人々を知るきっかけになる。

鳳来山東照宮と鳳来寺山。家康公ゆかりの起き上がり小法師「寅童子」

第1回目から関わってきた田口高校の先生と生徒たち

梅雨が空けて夏本番のある日。東京から新幹線に乗り浜松駅で下車し、車で1時間半ほど走ったところにある愛知県北設楽郡設楽町の田口地区へ向かった。ここは今年のスタート地点だ。

大会の象徴ともいえるエイドのひとつに「小松エイド」がある。このエイド運営や近隣の山間部誘導などに尽力してきた田口高校・元教諭の遠山和美さんと、かつて遠山先生の教え子で現在は同校で数学を教えている夏目先生にお話を伺った。聞けば、同校の生徒たちは、第1回からボランティアとして参加しているという。

ーーどういう経緯で大会に関わるようになったのでしょうか。

遠山:私はこの町の出身で、小さい頃はよく山で遊んでいました。でもその後、時代の流れで林業が衰退し、手入れされなくなった山は荒れていきました。あるとき、私の地域の仲間の会に石川弘樹さんと久嶋さんがいらしたんですね。石川さんは「ここでトレイルランニングレースをしたいんです」とおっしゃって、全国で手がけているレースのお話をしてくださいました。そのお話を聞いて、私たちは「なんて素晴らしいんだ」と感激したんです。この山に光を当ててくださるなんて、最高なことだと思いました。それで仲間と話して、すぐに「ぜひやりましょう!」とお答えしました。当時はまだ高校で講師をしていたので、学校でも大会の話をして、生徒たちも部活で応援することになりました。

大会ボランティアで生徒を引率する夏目裕司先生(左)と元教諭の遠山和美さん


夏目:始めの頃は遠山先生が必要なことを洗い出して「こうやったら上手く回るんじゃないか」とアドバイスしてくれました。その頃は校内にボランティア部があったので、部に所属する子どもたちと、体力のある陸上部の子たちがお手伝いに行きました。

ーーボランティア部があったんですね。

夏目:そうなんです。地域に貢献しようと、いろいろなイベントのお手伝いをしていました。いまは廃部になってしまったので有志を募っています。最初は山の中の誘導なども担当していたんですけど、ヤマビルが出るし、お手洗いもなくて女子生徒には過酷すぎるからと、麓の設楽大橋で応援したり、エイドステーションを担当したりしています。全校生徒は60名ほどなのですが、昨年はそのうち11名の生徒が参加してくれました。

遠山:私は大会で撮った写真をまとめてポスターや資料にしています。夏目先生は動画をまとめておられます。

夏目:映像を通して、参加しなかった生徒たちにもその時の様子を見てもらえるようにしています。

焼きたての五平餅をふるまう小松エイド

人が真剣に取り組む姿を子どもたちに見せたい

ーー大会をサポートされる原動力はどんなところにあるのでしょうか?

遠山:裏山を走るのだって大変なのに、茶臼山から湯谷温泉まで走るなんて、ランナーの皆さんはなんて過酷なことをするのだろうと思うんですよ。そういう姿をぜひとも子どもたちに見せなければいけないと思ったんです。

夏目:田口高校は山奥の小さな学校なので、トップアスリートに触れる経験なんてほとんどありません。それに何かを真剣にやっている人を見る機会も少ないですから。

ーー選手の皆さんは楽しみながらも真剣に走っていますね。

夏目:そうですよね。コロナ禍もあって、子どもたちにとっては学業以外の経験をする機会が随分と減ってしまいました。部活の大会で同学年の生徒たちと研鑽する機会もなくなって、学校内だけの暮らしになっていました。それでは子どもたちは成長できないので、とにかく体験する機会を増やしたいと思っているんです。

 子どもにとっては、地元にこれだけたくさんの人が訪れるのを見たり、誰かの役に立ったりすることはすごく大きな経験になります。

校舎の廊下には数々の賞状が掲げられていた。名札は夏目先生の同窓会の記念の品で林業科が制作したもの


ーー生徒さんの反応はいかがですか?

夏目:はにかんでいる子どもが多いので、大会が始まる朝の時点ではどうなるかと思うんですけれど、ランナーの皆さんから「ありがとう」という言葉をもらうと、だんだん元気になってくるんですよ。最後にエイドステーションの片付けをしていたら、おじいちゃんやおばあちゃんから「ありがとうね」と言われたりして。そういう経験はなかなか味わえないことです。

 いま子どもがどんどん減っていて、廃校になる高校も少なくありません。在校しているときは地元に高校があることの意義はわからないんだけれど、地域に高校がなくなると火が消えたようになるんです。高校があるということは町の雰囲気に大きく影響を与えています。だからこそ、地元に貢献する高校生の姿を広く知ってもらいたいという想いがあります。

久嶋:僕自身も10代の頃にアドベンチャーレースのボランティアを経験し、「こんな世界があるんだ」と思ったことが、いまの仕事に繋がっています。そういう意味では、田口高校の生徒さんが「高校生の頃にトレイルランレースに関わったな」と思い出して、将来興味を持ってくれたり、携わってくれたりしたらすごく嬉しいなと思うんです。そういう循環を生み出すことが、本当の意味での地域貢献じゃないかと僕は思っています。

遠山さんのお仲間「小長クラブ」の皆さんで手づくりしたのぼり旗。かつて地域の行事で引き出物とされていたシーツを自宅から持ち寄って活用したという

森林資源を活かす参加賞づくり

ーー今年は田口高校の林業科も協力したアロマ・スプレーが参加賞になると伺っています。

夏目:林業科の先生や生徒たちは長年いろいろな取り組みに挑戦してきました。蒸留の技術もそのひとつで、この地域の特産品として製品化できたら子どもたちの大きな励みになると思います。


久嶋:奥三河は森林が多いのですが、その多くが人工林で手入れが追いついていません。大会の新たなビジョンとして、森林をコースとして使用するだけでなく、森林資源の多角的な活用も掲げています。今回はスギとヒノキとクロモジをかけ合わせて、オリジナルの香りを調香したアロマ・スプレーを参加賞としました。

僕も奥三河の出身で、地域の未来を考える大会にしていきたいという想いがあるので、大会を通して森林資源を活かしたものづくりができればと考えています。こうした機会をつくることで、将来「新しい仕事を奥三河から生み出そう」と志す子どもが出てきてくれたらと思っています。

奥三河出身のレースディレクター久嶋啓太さん


ーーこれからこの大会をどのようにしていきたいですか?

夏目:地元の人たちがニコニコ集える大会であって欲しいですね。教員としては高校生でこの大会を盛り上げていきたい。成長の機会として、子どもたちの心に響かせたいです。

遠山:やはり続けていってほしいと思っています。人口が減り、この地域ではお祭りも縮小しました。この大会があることで、地域のみんなが顔を合わせて元気になれるんですよ。人ってね、一人でいると寂しくなっちゃうじゃない? 私たちのように年をとっても、人と繋がることがものすごく大事だと思うんです。だから私も仲間たちと「ランナーの皆さんから元気をもらっているんだから、私たちも頑張ろう」と話しています。私たちもランナーの皆さんに元気を手渡せたらと思っています。


大会関係者や選手を優しく包み込む湯谷温泉の宿

田口高校を後にし、車で40分ほど離れた湯谷温泉へ向かう。以前は湯谷温泉がゴール地点で、会場のすぐ隣には旅館「湯の風HAZU」があった。「湯の風HAZU」には大会本部が設置され、関係者やスポンサー企業、選手の多くが宿泊していたほか、競技説明会も館内で実施されていた。

ここ「湯の風HAZU」をはじめとする4つの旅館を営むのが加藤弘依さんとご家族だ。お話を伺った場所はそのひとつ「はづ合掌」。いまではなかなか見ることができない立派な梁が印象的な建物は、富山県の八尾から150年以上経つ古民家を移築したものだという。音楽ファンや自転車ファンの間では有名なエピソードのひとつなのだが、サイクリストだった忌野清志郎さんも奥三河を愛し、ご家族と度々、加藤家の旅館に宿泊していた。


ーー旅館の歴史から伺ってもよろしいでしょうか。

加藤:私は3代目にあたります。祖父は幡豆郡幡豆町(現在の西尾市)で造船業をしていて、この地で生まれ育った祖母と出会って旅館を始め、故郷の「はづ」という名前を宿につけました。最初にできたのは「はづ別館」で、現在、ここ奥三河では「はづ合掌」「湯の風HAZU」「はづ木」を営んでいます。ほかに蒲郡に「和のリゾートはづ」があります。

穏やかな笑顔で来訪者を迎える加藤弘依さん


ーー加藤さんが大会に関わるようになったのはどのような経緯だったのでしょうか。

加藤:私の幼なじみが新城市役所に勤めていて「トレイルランレースをやりたい」と弘樹さんを紹介してくれました。茶臼山からスタートして湯谷温泉がゴールでしたので、コースづくりのために大会開催の2年前くらいから、弘樹さんが度々この地に入ってコースづくりを行っていました。毎回一週間ほど泊まり込んで、暗くなるまで山に入っていましたね。

ーー夜まで作業していらっしゃるんですね。

加藤:いつも「今日は日付が変わらないうちに帰ってくるのかしら?」とみんなと心配しながら見守っていました。作業を終えて四谷の千枚田(コース上にある棚田)に出てきたところを、よく車でお迎えに行きました。それまでトレイルランニングはどういうものか知らなかったのですが、いろいろ伺って理解しました。

 私自身は大会の中身についていまもそれほど詳しくなくて、遠くから見守っている感じです。大会が始まる数ヶ月前に弘樹さんがいらして、コース整備や打ち合わせをして……というプロセスがもう12年くらい続いています。

ーー以前は「湯の風HAZU」に大会本部があり、選手のブリーフィングも館内で行われていました。温泉旅館で説明会を行うのは珍しいなととても印象に残っています。

加藤:そうなんです。関係者の方や選手の皆さんがたくさん宿泊してくださいました。

上)「湯の風HAZU」の館内で行われていた競技説明会  下)眼下に川が流れる清々しい露天風呂

石川さんの地域を想う姿に心打たれた

ーー石川さんは東海自然歩道FKTチャレンジ(2017年)の途中や、怪我をされていたときのリハビリでも湯谷温泉にいらしていましたね。

加藤:大会以外でもよくお越しいただいています。私と弘樹さんは同い年ということもあり、意気投合する部分があるんです。そういう意味でいえば、私は弘樹さんが一人で努力しているところ、あまり表には出さないような姿も拝見してきたのかなと思います。弘樹さんは人に頼らず何でも自分でやろうとする方じゃないですか。

久嶋:そうなんです。弘樹さんは僕らにも気を遣って、黙って一人で残って作業をしたりするんですよ。

コースプロデューサーの石川弘樹さん


加藤:そうですよね。去年もコース上にある田口線(廃線となった豊橋鉄道の鉄道路線)のトンネルにライトを取り付ける作業で、そんなことがありました。開催2日前に旅館にライトが届いたんですね。それで電池を入れるところから取り付けまで全部一人でやろうとしていたので、思わず作業を手伝ったんです。「ちょっと手伝って」と人に頼めないタイプというか、責任感の塊のような方だなと思います。

 その実直さが弘樹さんの魅力なのではないでしょうか。大会を始めた頃からずっと、地域が大会によって潤ったり、地域の人が喜んだりすることを真剣に考えてくださいました。この地域の人間として、私はそれに心を打たれましたし、いろんな地区の人たちが弘樹さんを助け、応援しようと活動するのはそのためだと思います。ほんと、お人柄ですよね。

ーー今回、加藤さんが大会の新しいロゴを手がけられたと伺っています。

加藤:自己流なんですけれど、書籍の表紙や題字などのご依頼をいただくことがあって、書のお仕事もしているんです。大会がリニューアルするということでお声がけいただき、書かせていただきました。

これから大会とともに時を重ねていく新しいロゴ。弘依さんの筆により数多のパターンがしたためられた


ーーこのロゴたちがこれから大会の顔となるわけですね。

久嶋:弘依さんの「書」はどれも個性的で可愛らしいんです。これから新たな大会ロゴとして、ともに歩みを進めていきます。

第1回から大会を支える唯一の地元企業「関谷醸造」

1864年(元治元年)に設楽町で創業した関谷醸造。同社の顔とも言える銘柄「蓬莱泉(ほうらいせん)」には熱烈なファンも多い。そんな関谷醸造は、大会の創設時から協賛を行い、オリジナルラベルの日本酒を選手受付時に提供している。7代目社長・関谷健さんにお話を伺った。

ーー大会について、どのような印象をお持ちですか?

関谷:正直、僕自身はトレイルランニングのことは詳しくないんです。ただこのあたりを走って鳳来山まで行くというから、大変なレースだなと思って、地元企業として支援させていただいています。時間のあるときには、自社ブースを出しているゴールの様子を見に行ったりもします。

 出走した方がレース後にも来てくださったり、逆にレースを通してこの地を知ってくださる方が生まれたりと、奥三河に遊びに来てくださる方が増えればいいなと思って応援しています。

関谷醸造7代目の関谷健社長


ーー関谷醸造さんの成り立ちについて教えてください。

関谷:初代は南信州出身の関谷武左衛門という人で、庄屋だった関谷家の婿養子に入り酒造業を始めました。ここ田口は塩を運ぶ伊那街道沿いで、かつては宿場街だったんです。そこで提供するお酒をつくろうというのが、初代の狙いだったと聞いています。

ーー長い歴史のなかで、エポックメイキングな出来事としてはどのようなことがあったのでしょうか。

関谷:4代目のときに昭和の大恐慌が起こり、会社が傾きかけたことがありましたね。あとは私の父である6代目のときにこの蔵を建て替えたり、豊田市に吟醸工房という蔵を建てたり、農業を始めたりしました。農業というのは、お酒をつくる原料米の米づくりです。酒造好適米といって、品種でいうと「夢山水」「夢吟香」です。ほかに、もともと食べる品種だけれど酒造りにも使っている「チヨニシキ」を名倉地区でつくっています。

 自分の代でいうと2013年、名古屋に直営の飲食店をつくりました。築150年ほどの米蔵を改造した建物で、日本酒とお酒のアテが楽しめるような店です。

ーー酒米を地元でつくるようになったことには、地域貢献の目的もあったのでしょうか。

関谷:いま農業は後継者がいませんよね。どうしても田んぼが空いてくるし、荒れてしまう。その受け皿を誰がやるのかという問題だと思うんです。設楽町の場合は、うちが農家さんと話をして、空いた農地をすべて引き受けて米づくりを行っています。現在40ヘクタールくらいあって、奥三河の中山間地ではいちばん面積があると思います。社内には米作り専門の分野もあります。

ーーいま何種類くらいのお酒をつくられているのですか?

関谷:ざっと30種類くらいかな。それに火入れバージョンや生酒バージョン、炭酸ガスの入ったバージョンなどのバリエーションがあるので、年間で販売している酒類はもっと多くなると思います。

 とにかく、いいお酒をつくり続けたいという想いがあります。そのために新しい醸造技術があれば試してみますし、新商品を開発してみたり、従来商品をブラッシュアップしたりしています。

ーー社長がお考えになる「いいお酒」とはどんなお酒なのでしょう。

関谷:飲んだときに直感で「うまい!」と思うお酒です。好みにもよるんだけれど、飲んだときに7割くらいの人が「うまいな」と思うお酒といえばいいかな。僕はうまいという感覚に理由なんてないと思っているんですよ。日本酒は頭で考える部分もあるんだけれど、最終的には飲んだとき「は〜、おいしい」と思うか思わないかが行き着くところかなと。それでいいと思っています。

 もちろん僕らは酒造りのプロだから、つくる行程ではいろいろ考えながらつくっています。甘みをどう出そうか、もうちょっと旨みを出した方がいいかとか。時代によってお客さまの趣味嗜好も変化していきますし、味には流行廃りもあるので、ちょっとずつそうしたエッセンスは加えますが、最終的には「うまい」と言ってもらえるものをつくること、そこに尽きると思っています。

ーーお酒のトレンドはどのように移り変わってきたのでしょうか。

関谷:例えば戦後の食べ物がない時代には甘いものが好まれていたので、お酒も甘くなりました。その反動で辛口ブームが来て、辛くするためにはどうしてもアルコール添加物が増えてくるので、今度はその反動として純米ブームが出てきました。その後どんどん酒造技術が進んで、いわゆる吟醸酒のようなものが出てきた。最近は多様化して、昔ながらのつくり方に回帰しているところもあります。いまは自然派がブームでちょっと酸味のある味のしっかりしたものが流行っているので、うちのお酒も少しだけ酸味のある方向に振っています。時代のトレンドに合わせて少しずつ自社のお酒をアジャストしているんですよ。

ーー非常に興味深いです。日本酒の味わいはデリケートなんですね。

その地方の地酒と料理を味わうことは旅の醍醐味

ーー社長ご自身は日頃どのようにお酒を楽しまれているのですか?

関谷:日本酒を1合くらい飲んだり、夏場はビールを飲んだりします。地方に出張したときには、その土地のお酒を飲みます。地酒というのは地域ごとにあって、地域の食と結びついているところがいいんです。

 僕は国内旅行でいちばんの楽しみは、その地方のお酒を飲みながら、その地方の料理を食べることだと思うんですよ。だからうちのお酒も取り扱っているお店は、ほとんど愛知県内です。88%が愛知県内、東京と大阪でそれぞれ1%ちょっと、輸出が5%、東京大阪愛知以外の全国地域で5%です。

 半分以上は地元のお米を使い、半分以上が地元で消費される。それが地酒じゃないかなと思います。

酒樽が並ぶ貯蔵庫で


ーー他県の方は、奥三河のレースに出場しないとなかなか関谷醸造さんのお酒は味わえないわけですね。

関谷:そうですね。トレイルランナーの皆さんには、レースを走り終えた後の一杯として、ぜひその地方のお酒を楽しんでほしいと思います。

ーー最後に、秋にこの地を訪れるランナーに社長おすすめの一品を教えてください。

関谷:秋だと「ひやおろし」をおすすめしたいですね。春に絞ってひと夏貯蔵して、秋に詰めた商品で、9月から店頭に並びます。11月になると新酒が出てきます。

本社前にある直営店の棚の一部。珍しい銘柄も手に入れることができる


ーーどんな食材と合わせるのがおすすめでしょうか。

関谷:秋は味覚の時季でいろいろ合うものがあるんだけれど、キノコ類とか栗やぎんなんなどかな。冬になるとジビエに合わせるのもいいと思いますよ。

ーーありがとうございます。これだけたくさんお酒の種類があると、選ぶのに迷ってしまう方も多いと思いますので、ぜひランナーの皆さんには参考にしていただきたいですね。

次世代の子どもたちが奥三河を変わらず愛せるように

今回、久嶋さんの案内で長年に渡って大会を支えてきた地元の方々にお会いすることができた。ここに記した以外にも実にたくさんの方々が1年に1度のお祭りとして、トレイルランレースの舞台づくりに情熱を傾けている。

広報担当の徳山雅美さん


地域の文化について解説してくださったのは、大会広報担当の徳山雅美さん。奥三河の自然や文化を次世代に残すため森林資源の活用も模索していて、今回の参加賞づくりにも尽力している。

夕方、大会コースでもある四谷の千枚田を訪れた。この棚田は鞍掛山(標高883m)に水源を持ち、石垣によりつくられている。山の中腹から湧き出る水は大雨でも濁ることがないという。高低差200mに22戸ほどの農家が420米の田を耕しており、「日本の棚田百選」にも選ばれている場所だ。

以前、取材したときは4月で水田は農閑期だったこともあり、棚田の下の道から上にあるエイドまで歩いて登った。今回は稲が青々と育っている。黄金に輝く秋はどんな景色が広がるのだろう。

四谷・千枚田からの眺め。棚田の先には山々が連なって見えた


トレイルランニングがレースを通して地域にもたらすものとはなにか。

これまではどちらかといえば、観光的側面での経済効果や町の活性化といった切り口で語られることが多かったように思う。これからはそこに、人と自然の関わり方を模索し、再構築するような活動が加わっていくのかもしれないと、奥三河を歩きながら感じた。

トレイルランレースが牽引する地域の未来、人と自然のあらたな循環の誕生を待ちたい。

取材・文=千葉弓子
写真=武部努龍
大会写真=奥三河Trail Running Race実行委員会
協力=田口高校、株式会社はづ、関谷醸造株式会社、株式会社DIRECTIONS
提供=愛知県
問い合わせ先=奥三河トレイルランニングレース実行委員会事務局(info@okumikawa-trail.com