『山物語を紡ぐ人びと』vol.7〜 服部正秋さん(国際自然環境アウトドア専門学校)

服部さんトップ
国際自然環境アウトドア専門学校にある
高さ15mに及ぶクライミングウォールの前で。

コーチングのプロフェッショナルとして

新潟県妙高市にある『国際自然環境アウトドア専門学校』は、アウトドアスポーツと自然環境の専門技能が実践的に学べる、国内でも珍しい学校だ。服部正秋さんはここで、アウトドアスポーツ学科の専任講師を勤めている。

そしてもう一つ、ノルディックウォーキング(※1)のインストラクターという顔も持つ。クロスカントリースキーの選手だった経験を生かし、2005年、ノルディックウォーキングの発祥地フィンランドで指導資格を取得した。現在は日本ノルディックフィットネス協会(以下、JNFA)のマスターインストラクターとして、全国で普及活動を行っている。柔らかな物腰と穏やかな口調から、教えることが “天職” とも思える服部さん。服部さんが考えるアウトドアスポーツの未来とは……。

プレッシャーに弱かった中学時代

服部正秋さんは、長野県飯山市のご出身。『山物語を紡ぐ人びとvol.6』にご登場いただいた山田琢也さんは飯山南高校、同志社大学の先輩にあたる。斉藤亮さんは、高校の一学年下。いまもNPO法人インイドアウトスキークラブで活動をともにする大切な仲間たちだ。

長年、クロスカントリースキーの選手として活躍してきた服部さんだが、実は子どもの頃は体が弱かったという。お母さまが元クロスカントリースキーの選手ということもあり、小学校4年生から半ば強制的にスキークラブに入れられた。

中学生になると、県内で上位に入るまでに成績が上がっていくが、ここで初めての挫折を味わう。「全国中学校スキー大会というのがあり、一年次から出場できるのではと期待されていたのですが、結局、3年間一度も出場できなかったのです。プレッシャーに弱かったんですね。この時のことはいまだに斉藤亮や琢也さんに笑われるんですよ。宿舎のトイレで泣いていたよなぁって(笑)」。

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しかし、クロスカントリースキーの名門、飯山南高校に進学してからは、精神力も強化。2年生の時には、“スケーティング”と“クラシカル”の両種目でインターハイ出場を果たし、団体戦で優勝した。3年次には全日本チームにも選出され、大学でもクロスカントリースキー競技を続けることを決める。

テクニックについて、言葉で伝える難しさ

進学した京都・同志社大学のスキー部は少数先鋭。山田琢也さんとよく一緒に練習したという。春から秋までは、比叡山や愛宕山、東山三十六峰などをひたすら走った。「ポールを持って走ることもあれば、トレッキングをすることもありました。夏には、桂川の自転車道路でローラースキーをしましたね。猛烈な暑さですが、京都には自然がたくさんあってトレーニング環境はよかったです」。

3年になると運動生理学への関心が高まっていく。大学の竹田正樹教授(全日本クロスカントリースキーチームのフィジカルコーチ)のもとで、科学的なトレーニングを積極的に取り入れたという。当時まだ珍しかった低酸素ルームに泊まったり、最大酸素摂取量の測定や筋力測定を行ったりと、足繁く研究室に通った。この年、山田琢也さんと共にインカレのスプリントリレーに出場し、優勝を果たす。

4年になると、スキー部の主将を任せられた。同志社のスキー部には、全国からスカウトしてきた学生だけでなく、大阪や京都など近郊からの選手も所属していた。「雪がない地域から入学した学生は、正直、競技力はまだまだなんです。それでも純粋にスキーが好きで情熱を持ち、本気でやりたいと思っている。気持ちが熱い仲間や後輩たちばかりでした」。

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専門学校の冬の授業では、クロスカントリースキーの実習もある。
飯山市の長峰スポーツ公園にて。

彼らはテクニックについて、度々、服部さんに質問してきた。「なぜこうするのですかと、何でも聞いてくるんですよ。僕は小さい頃から当たり前にやってきたので、テクニックについて気にしたことがなかった。彼らに説明することで、滑り方について考えるようになりました。この時、言葉で人に伝えることの難しさを知った気がします」。

特に印象に残っているのが、4年の秋に起こったアクシデントだ。桂川でローラースキーのトレーニングをしている最中にバイクと接触して転倒、手首を骨折してしまう。「全治、数ヶ月と言われました。間近に控えた海外遠征は、卒業後の競技人生もかかっていたのです。充実した練習ができていただけにショックで、病院でもずっと泣いたり、監督に謝ったりしていました。大学リーグ1部に残れるかどうかの瀬戸際で、責任もありましたから」。

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クロスカントリースキーの道具について、教室で教える服部さん。
学生たちも真剣な表情。

失意の底にあった服部さんを救ってくれたのは、後輩たちの言葉だった。「チームのことは僕らがなんとかしますから、思い切って遠征に行ってきてくださいと言ってくれた。その思いが本当に嬉しくて。いまでも忘れられません」。

コーチングを学びにフィンランドへ

大学卒業後は、監督が経営する京都の和装飾品の会社に就職する。仕事をしながら競技が続けられる環境で、練習のために朝10時に出社したり、午後3時に退社したりといった自由が許された。しかし、他の社員がフルタイムで働く中、申し訳ないという気持ちが拭いきれなかった。「自分の立ち位置に違和感を感じ始めました。ちょうど企業スポーツが衰退していた時期。とてもよくしてもらっていましたが、企業に頼りながら競技を続けることに違和感や不安を感じていました」。

入社して2年ほど経った頃、関西日本フィンランド協会が留学生を募集していることを知る。服部さんは選考に合格し、フィンランド行きのチケットを手に入れた。現地では競技を続けながら、サンタクルーズスポーツ専門学校に通い、プロフェッショナルコーチングを学ぶ。「授業は英語と聞いていたのに、行ってみたらフィンランド語で(笑)。常に辞書を二冊横に置いて、まずフィンランド語から英語に訳し、それを日本語に訳しながら勉強していました。本当に大変でしたね」。

さまざまな労働形態があり、働きながらスキー競技を行う選手も多いフィンランド。一方、日本では実業団が主流だ。留学は、スキーとの関わり方についても深く考えさせられる時間となった。「自分で環境を確立することの大切さをフィンランドで教えてもらった気がします。引退話をすると、すごく不思議がられたのです。スキーが好きじゃないのかと。フィンランドでは、仕事を続けながらでも競技は続けられる、好きならずっと滑り続ければいいという考え方なんですよ」。

そんな中、新たに出会ったのがノルディックウォーキングだ。

誰もが取り組めるノルディックウォーキング

フィンランドでは、街中でノルディックウォーキングをする人をたくさん見かける。スポーツ店はもちろんのこと、スーパーマーケットでも手頃な価格のポールが売られているという。

大学の先輩であり、先にフィンランドに渡っていた高橋直博さん(現在、国際ノルディックウォーキング連盟公認インターナショナルコーチ)に誘われ、国際ノルディックウォーキング連盟(以下、INWA)の養成講座を受け、指導者の資格を取得する。留学2年目のことだ。その年にはクロスカントリースキーでも、国際スキー連盟の大会『FISコンチネンタルカップ』で優勝することができた。

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地元の斑尾高原にて。木漏れ日が美しい森は、
ノルディックウォーキングにぴったりだ。

ヨーロッパでは、アウトドアアクティビティとして定着

2年間の留学を終えた服部さんは長野に戻り、実家近くの児童養護施設で指導員として働き始める。「さまざまな事情によって家庭で家族と生活できない子どもたちに、私ができることは何かと考えて、自分が指導していた地元のスキークラブやランニングクラブに連れていくことにしたのです」。

冬はみなで、クロスカントリースキー大会にも出場した。「学校や施設以外の空気を吸い、たくさんの方々と関わる機会を増やして、社会に触れさせたい。そして何かをやり遂げることで、自己達成感や自己肯定感が高まってくれればと思いました」。

その一方で、ノルディックウォーキングの普及活動にも力を入れ始める。2007年には所属していたINWAの日本公認団体、日本ノルディックフィットネス協会(以下、JNFA)が誕生。インサイドアウトスキークラブでも毎週、サークル活動をスタートする。

本来、クロスカントリースキーの夏場のトレーニングだったノルディックウォーキング。フィンランドではすでに、しっかりとした教育プログラムが確立されている。

「20世紀後半から、フィンランドでは高齢化が深刻化してきて、その中で予防医学として推進されたのが、ノルディックウォーキングなのです。フィンランドでは、5人に1人がノルディックウォーキングを行ったことがあるというデータもあります」。

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JNFA(INWA)のノルディックウォーキングのカリキュラムは、
非常に体系的。段階を踏んで上達することができる。

ノルディックウォーキングの最大の特徴は、ウォーキングよりも運動強度が約20%高いにも関わらず、関節への負担が少ないことにある。「ランニングの場合、運動強度が上がると関節への負担も増えます。そうならないのは、水泳とノルディックウォーキングくらいでしょう」。

北欧をはじめ、中央ヨーロッパでも愛好者は多い。週末になると家族や仲間で野山にノルディックウォーキングで出かけ、お昼を食べたりコーヒーを飲んだりするという。マウンテンバイクやクライミング、トレイルランニングと同じように、アウトドアスポーツのひとつとして捉えられている。

「年齢を問わずに始められることもあり、日本では医療的側面から高齢者の方のスポーツというイメージが強くなりつつあります。もちろんそれも大切なのですが、もっとアウトドアアクティビティとして、多様な楽しみ方があることも知ってもらいたいのです」。

幅広い競技のトレーニングに

全身運動として怪我の防止やリハビリ中の筋力強化、基礎体力の向上に役立つノルディックウォーキング。クロスカントリースキーの選手はもちろんのこと、野球やサッカー、レスリングのトップ選手などもオフトレーニングに取り入れている。ヨーロッパのトレイルランナーの中には、レースでノルディックポールを活用している人も多い。

「いまアウトドア業界では、サイクルスポーツ、ヨガ、クライミング、トレイルランニングなど、日常的に行えるアクティビティに人気が集まっています。そこにノルディックウォーキングも加わっていくのではと思っているのです。ポールのテクニックをマスターすれば、スノーシューやクロスカントリースキーにも応用できますし、フィットネスとして一年中、楽しめます。山でも街中でもできるのが利点です」。

服部さんのおすすめは、自然の中のトレイルを歩くノルディックトレイル、また観光地や史跡などをつなげる長距離ノルディックウォーキングだ。途中でその土地ならではの観光スポットや美味しい店に立ち寄れば、さらに楽しさも増すという。

学生とともに『信越五岳』『斑尾フォレスト』に携わる

7年間勤めた児童養護施設を退職し、3年前からは国際自然環境アウトドア専門学校で講師を勤めている。担当しているアウトドアスポーツ学科にはインストラクターコース、マウンテンバイクコース、クライミングコースの3つがあり、服部さんは学生と一緒にさまざまなアクティビティに接している。

学内にはそのほか、自然ガイド・環境保全学科や山岳プロ学科、こども自然保育学科、野外教育学科など専門性の高い学科が揃っているため、全国から学生が集まってくる。

授業では、地元で開催されるイベントにも参加。学生たちは『信越五岳トレイルランニングレース』や『斑尾フォレスト50km』などのコース整備や運営を経験する。春から少しずつ準備を進め、当日ももちろん裏方を務める。さらに『斑尾フォレスト50km』では、20名以上の学生がレースにもチャレンジする。

「自分たちでつくり、仲間が走ることで、よりいろいろなものが見えてくると思うのです。学生たちにとって、将来の糧になると確信しています」。

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9月に入るとレースの準備も追い込み。学生とともに、
選手に配布する資料の袋詰めやコースの草刈りも行う。

アウトドアスポーツでは、「モラルは常に自分自身に委ねられている」と服部さんは考えている。「自然の中に入る実践授業では、ルートも自分たちで決めます。保全という考え方があってこそのアウトドアスポーツですから、学生たちには自然と共存しながら楽しむ意識を身につけてほしいと思っています」。

僕らが、自然に対してできることは何か

幅広い分野の講師陣が揃っているため、授業では他の学科とのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。「春には野外教育学科と山岳プロ学科と一緒に “山菜採りトレイルラン” に出かけました。トレイルランニングで山に入り、山菜を摘んでいくという授業です。採った山菜はザックに入れ、帰ってからみなで山分けしました」。

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トップトレイルランナーでもある服部さん。2013年の『斑尾フォレスト50km』は準優勝、骨盤骨折から2ヶ月で出場した2014年も4位に。写真右はトレイルランナーの山室忠さん。

服部さんは、「トレイルランナーやハイカーだからこそできる保全もあるのではないか」と話す。

同校の自然環境保全学科で講師を務める長野康之先生は、雷鳥研究の第一人者。日本では妙高市の火打山や焼山が、雷鳥の最北端生息地なのだという。国内の雷鳥は年々、減少してきている。妙高の雷鳥も本来、その個体数だけでは繁殖が厳しいはずなのに、なぜか絶滅を免れている。非常にミステリアスな事例で、世界的にも注目されているらしい。

「どうやって繁殖しているのか。それを長野先生が解き明かそうとしています。そこに、アウトドアスポーツに関わる僕らが何かできないかと企んでいるところです」。

近年、トレイルランニングの志向は長距離化しており、同時にウルトラライトハイクを楽しむ人も増えてきている。山に入る際、何らかの形で調査に協力することも可能なのではないかと、服部さんは期待する。「トレイルランナーは体力もありますし、興味を持ってもらえたら嬉しいなと思います」。

自然の中で遊ばせてもらいながら、同時に保全にも協力できる。そんなアウトドアスタイルが、これから生まれるかもしれない。

自分の限界点を押し上げるということ

学校ではさまざまな実習がある。長期間、山の中で過ごす実習も多い。疲労が溜まってくると、ちょっとしたことで意見の食い違いが起きることもある。

「でもそういった小さな波乱を、一人ひとりが乗り越えていくことが成長に繋がると思います。僕らは極力、関与せずに見守ります。火も自分でおこすし水も川で汲みますから、実習が終わると日常のありがたさが身にしみます。まあ、3日で忘れてしまうのですけれど(笑)。斑尾のトレイルランニングレースでも同じです。50kmという道のりにチャレンジすることで、学生たちは肉体的にも精神的にも追い込まれます。苦しい時、しんどい時こそ、私たちの真価が問われると思っています」。

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学生について熱く語る服部さん。その温かな眼差しは
学生たちにとって兄のようでもあり父のようでもある。

これらの経験を通して、余裕がなくなった時の自分の姿を学生たちは発見する。それはこれからの人生で、必ず役に立つだろう。

「人間の許容範囲、限界点というのはどんどん更新できるものじゃないですか。そのことは自分自身、競技と向き合う中で気づいたことなのです。あんなにきついと思ったことでも、前の経験が土台となって次には乗り越えられる。経験によって、どれだけ限界点を押し上げられるか、許容範囲を広げられるか。それが、その人の厚みみたいなものになっていくのかもしれません。学生たちから、日々、自分自身も学ばせてもらっています」。

国際自然環境アウトドア専門学校
http://www.i-nac.ac.jp/index.html

NPO法人 日本ノルディックフィットネス協会
http://jnfa.jp

NPO法人 インサイドアウトスキークラブ Instagram
https://www.instagram.com/insideoutskiclub/?hl=ja

※注釈
1)ノルディックウォーキング
1930年代初め、フィンランドのクロスカントリースキーチームが夏場のトレーニングとして、ポールを持ったハイキングやランニングを行ったことが始まり。1990年代に研究が進み、1997年に「ノルディックウォーキング」の言葉で定義づけされ、専用ポールが誕生した。2000年代に入り、日本でも普及活動が活発になる。ポールを使用することで、エネルギー消費量が通常のウォーキングよりも約20%アップする。グローブとポールが一体化しているため、歩きながらポールを手からリリースすることができ、血流の促進に繋がる。

Photo:Takuhiro Ogawa / Text:Yumiko Chiba