上田瑠偉の現在地2025。世界一に輝いたあの日の自信を取り戻すために

写真:藤巻翔

さきごろ中国で最も人気の高いレースTsaigu Trail(105km)で3位に入賞した上田瑠偉。今年はUTMB・OCC(55km/フランス)、富士登山競走(21km)、マウンテン&トレイルランニング世界選手権(45km/スペイン)の3つをメインレースに掲げてきた。OCCはリタイア、世界選手権は46位と不本意な結果に終わったものの、富士登山競走ではプレッシャーのなか悲願の初優勝を果たした。しかし「ここ数年、本気になりきれていない自分がいる」と上田は言う。上田瑠偉の現在地とは……。

九死に一生を得たオーストリアでのMTB事故から

10月、久しぶりに上田瑠偉にロングインタビューを行った。上田がアジア人として初めてスカイランナーズワールドシリーズで年間チャンピオンを獲得してから、すでに6年が経った。国内で圧倒的な強さを誇り、20代の頃からトレイルランニング界の未来を担う覚悟を見せてきた上田だが、近年はどこかに迷いのようなものが感じられる。それは一体なぜなのか。

ここ数年の上田の戦績を少し振り返ってみたい。世界チャンピオンに輝いた翌年、フランス移住を計画している最中にコロナ禍に突入、軌道修正を強いられる。21年、スカイランニング世界選手権で金メダルを獲得。22年はモンブランマラソンで3位に入賞し、ゴールデントレイルシリーズで年間4位の成績を残す。同年夏には富士山全登山口ルートを走破する挑戦「ONE STROKE」(9時間55分41秒/歴代最速記録)も成功させたが、11月に開催されたマウンテン&トレイルランニング世界選手権(21年の代替大会/33km/タイ)は55位に終わった。

翌23年6月にオーストリアで開催されたマウンテン&トレイルランニング世界選手権では12位。大会後、モンブランマラソン出場のために残っていた同国内でMTBの大事故に見舞われる。

ーー大変な怪我をされました。一緒に走っていた近江竜之介選手によれば、大きな事故だったそうですね。

上田:あのときは生死を彷徨いました。打ち所が悪かったら後遺症が残っていたかもしれません。MTBのワールドカップを開催するコースで、ちょうど上級者向けのセクションを走行していたときのことでした。自分では事故が起きた瞬間の記憶がまったくないんです。欧州と日本では自転車のブレーキが左右逆なので、急ブレーキをかけた時に前輪を固定してしまい、転倒したのではないかと思います。顔面から落ちて右側で受け身をとったようで、右顔面の裂傷、肘の打撲骨折、首も打っていましたが脚は無傷でした。6月末に帰国して、8月頭から走り始めたものの、肩甲骨周りが凝り固まっていて走りのバランスが悪かったですね。

ーーいつ頃から復調したのでしょうか。

上田:復調というよりも、無理矢理レースに身体を合わせた感じです。まずは9月の蔵王スカイラン(日本選手権)に出場し、バーティカルで4位、スカイで優勝して、スカイのカテゴリーでスカイランニング世界選手の出場権利を獲得しました。あの身体でよく優勝できたと思います。

ーー同年12月にはUltra Trail Kosciuszko by UMTB(105.9km/オーストラリア)で優勝しています。久しぶりのウルトラディスタンスでしたので、もしやここから長距離に転向するのかとも思いました。

上田:転向しなかったですね。レース直後には自分でも100マイルに移行するのかなと思っていたのですが、「なんとしても100マイルレースで優勝したい」という熱量にまで至らなかったためです。

ーー現在、レースはどのように選んでいるのでしょうか。

上田:自転車事故で死にかけた後に「出場したことのないレースや行ったことのない場所を走りたい」という欲求が高まりました。もちろんアスリートとして実績を残したいという思いもありますが、以前のようにサーキットレース(年間を通してシリーズで戦うレース)に固執しなくてもいいかなと思い始めました。

ただ2024年はスカイランナーワールドシリーズ20周年記念ということもあり、挑戦しました(年間10位)。この年の8月には富士登山競走で大会記録を狙っていたのですが、上手く噛み合わずに6位に終わりました。その後、Tsaigu Trail(50km/中国)とHOKA Chiang Mai Thailand by UTMB(50km/タイ)で優勝することができたので、2024年は尻上がりで終わったという感じです。

いま「優勝を狙っている」といえない自分がいる

ーー2019年に世界チャンピオンになってから、ご自身のなかで変化した部分はありますか。

上田:その頃は「スカイランニングでもトレイルランニングの中長距離でも、100マイルでも世界一を獲りたい」という”全階級制覇”を目標に掲げていました。そのため、次の目標としてゴールデントレイルでの世界一を掲げていたわけですが、現実には、世界のレベルの高さにちょっと諦めてしまった自分がいたんです。これで本当に世界一が獲れるのかなと。

第78回富士登山競走/2025年  写真:藤巻翔

ーーそれはなぜですか?

上田:理由はいくつかありますが、たとえばレミ・ボネ(スイス)やエルハウジン・エラザウイ(モロッコ)のような強い選手が出てきたり、ケニア勢がどんどん増えてきたりしたことも要因のひとつです。ゴールデントレイルシリーズは20km程度の短いレースが多いので、ケニア人が強くて、そのなかで世界一を獲る自信がなくなってきました。

23年のマウンテン&トレイルランニング世界選手権も「うまくいけば3位でメダルを狙えるか」くらいの感覚でした。そのあたりからですかね。インタビューで抱負を聞かれても「優勝を狙っています」と言えなくなってきたのは。

ーー上田さん自身が変わったのですか、それとも世界が変わったのでしょうか。

上田:どちらもだと思います。世界のレベルも上がって、トップの層が厚くなったのを感じました。今年9月のマウンテン&トレイルランニング世界選手権でも感じたことですが、目標に対して集中しきれていない自分がいます。

たとえば今年は、富士登山競走(20km)、OCC(55km)、世界選手権(45km)をメインレースとして掲げていましたが、3つともタイプが異なりますよね。シーズン前半は富士登山競走にフォーカスして海外遠征を控えて国内で調整していました。ただ富士登山競走は登りだけで距離も短いので、それだけに特化した練習をしてしまうと、1ヶ月後のOCCや、アップダウンの激しい世界選手権には対応しきれません。「メダルを狙う」「世界一を獲る」と明言できるまでには身体が仕上がっていなかったんです。こういう短期的な目標の立て方自体が、よくないのではなないかといまは感じています。

第78回富士登山競走/2025年   写真:藤巻翔

ーー狙っているレースが複数あることで、集中力が散漫になるということですね。

上田:そうです。いまは魅力的な大会がたくさんあって目移りしている状況です。スカイランニングで世界一を獲ったときは2〜3年先を見据えて、そこだけに集中していました。シリーズ内で失敗レースがあっても大丈夫なようにレースを多めに組み込んでいましたけど、近年はそういうことはしていません。

今年に関していえば、OCCや世界選手権で結果を出すためには、富士登山競走は通過点と捉える必要があったわけですが、僕としては昨年の失敗が悔しかったので、富士登山競走に賭ける想いが強かったんです。

ーー富士登山競走の1週間前にお会いする機会がありましたが、表情にもどこか緊張感が漂っていて、今年のレースに賭ける想いが伝わってきました。

上田:結果として優勝はできましたけど、宮原徹さん(陸上自衛隊 滝ヶ原駐屯地所属)が持つ大会記録(2時間27分41秒/2011年)を塗り替えることはできませんでした。優勝後は大きな安堵感と悔しさとが入り交じって、言葉にならない感情が込み上げてきました。

第78回富士登山競走/2025年  写真:藤巻翔

プロとしての経済基盤

ーー2016年から20年まではコロンビアモントレイルにアスリート兼社員として所属しておられました。その後プロとして独立し、ご自身で経済基盤を整える環境に変わったわけですが、そのあたりはいかがでしょう。

上田:独立後しばらくして、上田家に金融危機が訪れたことがあるんです。僕のお金の管理が不十分で、海外遠征費を使いすぎてしまって。それからは夫婦で管理しています。主な収入は企業からのスポンサー料で、そのほか大会・イベントのゲスト、取材謝礼、あとは戦績によりますが入賞賞金などがあります。マネージメントについては、昨年12月から専門の会社にお願いしています。たとえば陸上の実業団選手なら、契約金として1000万から2000万、強い人はもっと得ているでしょう。そのほかに遠征費が会社から支給されますから、安定していますよね。一方、僕の場合は自分で遠征費を捻出しなければならないので、現役でいられる時間を考えるとなかなか厳しいものがあります。

ーーいま、競技に向かう上での悩みはありますか。

上田:悩みだらけです。とりあえず、これからの方向性に迷っています。近年のように1年ごとに目標を立てているようでは世界一は獲れないと思いますし、じゃあ、本当に自分が獲りたいタイトルは何かと考えると、明確な答えがなくて。

ーー先日、2年ぶりのウルトラディスタンスだったTsaigu Trail(105km/中国)で3位に入賞されました。手応えはありましたか。

上田: ITRAポイントの高い選手も出場していたなかでの3位だったので、いまの自分の状態からいえば上出来だったと思います。ただ、この結果を受けて100マイルに移行するかというと、まだ迷いがあります。2026年2月にはTarawere Ultra-Trail by UTMB(162km/ニュージーランド)にエントリーしていて、この大会で上位に入るとウエスタンステイツ(162km/アメリカ)の出場資格を獲得できます。それでも、ウエスタンステイツで何位になりたいのかというところまではイメージできていない。「100マイルを走るならウエスタンステイツがいいな」と思ったくらい、というのが正直なところなんです。

ーープロとして常に結果が求められる立場ですので、どの距離で勝負していくか慎重になるのも理解できます。

上田:一般のランナーなら自分自身で満足する走りができれば十分なところもあるわけですが、プロとして結果が求められる以上、どうしても同じスタンスというわけにはいきません。

あの勝利以上の喜びは得られない

ーーあえて質問させてください。世界チャンピオンになったあと、ハングリー精神がなくなったということはありますか?

上田:ありますね。なんだろうな、いい意味でも悪い意味でも自信過剰になるというか。いい意味というのは、上手くいっていないときでも「補給などを対策すればちゃんと走れる」「走り自体には問題ない」という自信が持てるところ。実際、うまくいかなかったレースの後に優勝することもありますから。その一方で、問題を先送りしている気もするんです。2019年以前に比べて失敗レースが増えているので。

ーー年齢による身体の変化などはありますか。

上田:そういうのもあるかもしれないですね。失敗する度に「本来はポテンシャルがあるんだから」みたいに考えてしまうんです。ケニア選手がよく口にするように「今回は俺の日じゃなかった」みたいに捉えて、やり過ごしがちというか。もちろん補給などで明らかなミスがあったときには反省しますが、慢心もあるように思います。

ーー慢心ですか。そうした部分を変えるのはなかなか難しいですね。

上田:そうですね、世界一を獲ったときの印象が強すぎて。

ーー私たち応援者から見ても、あの優勝は強く心に残るものでした。

上田:2019年はシーズンを通して記憶に残る経験をしました。開幕戦からずっとオリオル・カルドナ選手(スペイン)と点の取り合いで、接戦だったんです。あのシーズンが強烈過ぎて、なかなかあのときほど勝ちたいという想いが高まらない。もしOCCや世界選手権で優勝できたとしても、あのときほどの喜びは絶対に得られない気がしています。正直いって、いまは目標とするレースに全身全霊で取り組めていない。「ビッグレースで優勝するんだ」という気持ちの純度が低いというか。

ーー今年の結果を受けて、見えてきた課題はありますか。

上田:まずはコーチをつけること。ヨーロッパでは研究者をコーチに付ける人が増えています。たとえばUTMB2025男子優勝者のトム・エヴァンス(イギリス)と女子優勝者のルース・クロフト(ニュージーランド)はスコット・ジョンストンという同じコーチをつけています。スコット・ジョンストンは、キリアン・ジョルネ(世界最強と言われる山岳アスリート)やスティーブ・ハウス(世界的クライマ−)とともに『Training Manural for the UPHILL ATHLETE』という本を書いた人です。いま近江竜之介選手をみているコーチも、もとはツールドフランスに出場する自転車チームのコーチを務めていた人です。

同じように、自分も海外のコーチをつけたいと考えています。1〜2週間に1回程度オンラインでミーティングして、送られてきた練習内容を進めていく感じですかね。

世界選手権と向き合うための日本の課題

ーー今年9月のマウンテン&トレイルランニング世界選手権では日本選手が苦戦しました。選手の皆さんもかなり落ち込んだと聞いています。いろいろな課題があるかと思うのですが、率直にどう感じておられますか。

上田:遠征費が自己負担というのは、毎回選手にとって大きな負担です。今回は事前に選手派遣費用を集めるための応援プロジェクトが立ち上がりましたが、大会出場に際して必要なのは、実は渡航費用だけではありません。たとえば今回は現地在住の日本人の方がボランティアでサポートしてくださって、この方たちにレース会場と宿泊施設を送迎してもらった選手もいました。そういった善意でサポートしてくださる方たちにも、謝礼がお支払いできるような仕組みができたらと僕らは思っています。

ーー写真と映像の撮影チームも帯同していました。情報発信だけでなく、長期的視点からも、記録を残しておくことは重要だと思います。

上田:彼らは自ら希望して帯同してくれました。応援プロジェクトが目標額に達成したら彼らにもギャラが支払えますが、達成できなければ費用は自己負担です。もちろん、関係者の方々は精一杯力を尽くしてくださっていますし、選手はみんなとても感謝しています。一方で将来のことを考えると、抜本的に改善しなければならないところもあるように感じています。

2025年マウンテン&トレイルランニング世界選手権  写真:野田倖史郎

ーー具体的にどんな点が挙げられるのでしょうか。

上田:選手が着用するウェアもそのひとつです。今回、他国の選手はワールドアスレティックス(国際陸上競技連盟)主催の世界陸上と同じユニフォームを着ていました。でも僕らは違ったので、日本代表として少し残念に思いました。

ほかに選考基準の曖昧さもあります。今回、国内の選考レースで優勝したにも関わらず、世界選手権には出場できなかった選手がいました。より世界で勝てる選手を派遣するためにITRAポイントが選考要素に含まれたからだそうです。こうした選考基準も、事前に明文化されているといいのではと思います。

いずれにしても、僕らの成績がもっとよければ、意見も述べやすくなるはずなんです。それを理解しているからこそ、選手たちは今回の結果を重く受け止めています。

ーーマウンテン&トレイルランニング世界選手権自体も現在の体制になってまだ年月が浅いので、成熟しきれていないところがあるのかもしれませんね。

上田:それはあるかもしれません。たとえばルールでいうと、コースのショートカットは基本的には禁止ですが、若干曖昧な部分があります。欧州のスカイランニングではショートカットする選手が多く、むしろそうしたコース選択もナビゲーション能力として求められているためです。

2025年マウンテン&トレイルランニング世界選手権  写真:野田倖史郎

「Ruy」ブランドを通して若手に機会をつくりたい

ーーオリジナルのウェアブランド「Ruy」は今年で何年目になりますか。

上田:4年目になりました。以前は何もかも一人で切り盛りしていましたが、今年から手伝ってくれる人が増えたので、だいぶ楽になりました。この先、もう少しブランドの規模を大きくするなら開発費も必要になりますし、僕自身もブランドを通してやりたいことがあるんです。

ーーどんなことですか。

上田:もともと自分が世界で戦うためのギアとしてスタートしたブランドですが、もっと広く共感を得るようにしたいし、僕自身もブランドを通して選手を応援していきたいと考えています。たとえばRuyで若手の合宿費を賄って切磋琢磨する機会をつくったり、セレクションレースを開催したりなどです。

ーーセレクションレースとは?

上田:ブランドでサポートする選手を選抜するレースです。開催候補地も決めていて、山梨県の穂坂で30kmくらいのレースができればと考えています。周回コースがつくれる場所なので応援もしやすいですし、ライブ中継もできたらいいなと思っています。もちろん、ブランドとして選手にどんなサポートが提供できるかは事前に提示します。併せて、キッズレースやリレーマラソンも実施できたらいいですね。

ーーかなり具体的なイメージがあるわけですね。ではご自身の5年後、10年後についてのイメージはどうでしょうか。かつては「大会運営を主体にするのではないプロのかたちを目指したい」とおっしゃっていました。

上田:あと10年は現役選手でいたいと思っています。その先はもしかしたら、大会運営も手がけるかもしれませんが、僕はそれよりも選手育成に興味があります。かといって僕がコーチのノウハウを持っているわけではないので、たとえばチームをつくって、そこにメーカーに出資してもらうとか。若手選手を海外の大会にアサインしたり、少しでも競技に時間を割けるような仕組みをつくったりできればと漠然と考えています。

ーー10年後は42歳。トレイルランではまだ第一線で活躍している選手もたくさんいますね。

上田:47歳でUTMBに優勝したルドヴィック・ポムレ(フランス)みたいな選手もいますからね。今回、世界選手権にスペイン代表で出場したアントニオ・マルティネス選手がこんなことを言っていたそうなんです。「年齢を重ねることで距離を伸ばさなければいけないと思っていたけれど、今回の世界選手権の13位という成績を通して、無理に100マイルなど距離を伸ばさなくてもいいんだと再確認できた」と。彼はいろんな場所を走ったり、いろんなレースに出場したりしているんですけど、100マイルは準備にもリカバリーにも時間がかかり、漠然と自分のスタイルには合わないと感じていたらしくて。世界選手権での結果を受けて「年齢が上がってもショートで戦い続けていいんだ」と思えたらしいんです。

その言葉を聞いて、僕の考え方に近いなと感じました。僕自信もいろんな場所を走りたい、いろんなレースを走りたいという気持ちがあります。もともとウルトラから入っているので長い距離を走る達成感も知っていますし、いずれは100マイルならではの満足感を味わいたい気持ちはありますけれど、いまは優勝できる自信はない。自分は心からどの距離を走りたいと思っているのか、わからないんです。

ーー突き詰めると「なんのために走るのか」ということですね。

上田:世界一になりたいから走るのか、いろんな景色を見たいから走るのか、どれも正解ではあるんですけど、果たしてどれがいちばん欲求として強いのか。5年後、10年後には100マイルを走っているかもしれませんけど。

ーーただ5年後10年後から100マイルを始めるのと、いまから100マイルを追求していくのとでは見る世界は違うでしょうね。

上田:違うと思いますね。

ーー2014年ハセツネで大会記録(7時間01分13秒)を樹立して以降、”国内敵なし”という上田さんに憧れてトレイルランに入ってきた選手がたくさんいます。いま迷いがあるなかで、そうした後輩選手とレースでぶつからなければならないわけですが、メンタルはきつくないですか。

上田:きついですね。最近ちょっと近江竜之介選手を意識しすぎたとは感じています。彼は今年からサロモンのグローバルチームに所属して、スペインに拠点を置き、安定した結果も出してきているので。最近、彼に勝てていないんですよ。

ーー世界選手権後のSNSでは「もう一度、世界一になる」と書いていらっしゃいました。いまどの世界一が本当の世界一なのかわかりにくい状況ですが、来年の目標は?

上田:まず新たに、2026年はワールドトレイルメジャーズに出場しようと考えています。理由は、今年からショートカテゴリーも設置されたからです。シリーズ戦のうち2大会に出場すれば年間ランキングの対象になり、優勝すると100万円の賞金も獲得できます。メインレースというよりもサブ的な位置づけにはなりますが、対象レースであるAnta Guanjun Hong Kong100(33km/香港)とasumi(38.5km/日本)に出場しようと考えています。

大きなレースでいうとTransvulcania(76km/スペイン)やUTMB・OCC(55km/フランス)を予定していますが、これらにフォーカスしすぎず、2年後のマウンテン&トレイルランニング世界選手権での優勝を見据えて練習とレースを組み立てていきたいと思っています。あとは世界選手権の下見を兼ねて開催国である南アフリカのレースにも出ようと思っています。

2025年マウンテン&トレイルランニング世界選手権  写真:野田倖史郎

<2025年/上田瑠偉メインレース振り返り>

■7月/富士登山競走

精神的にもきついレースでした。周りからのプレッシャーもありましたし、レース中も思ったより身体が動かなくて。4合目くらいまで近江竜之介選手とずっと一緒で、そこもプレッシャーになりました。優勝はできましたが、大会記録を塗り替えることはできず、悔しさと安堵感が入り交じった感情でした。

■8月/OCC

OCCは40km付近でリタイアしました。途中でやめた理由は2つあります。1つはエイドを見つけられなかったこと。天候悪化でコース変更があり、55kmから60kmに変わったんです。シェンペラックからトリエンに行く山をひとつカットして、下のマルティニに下ろして登り返すコースになりました。序盤は先頭集団についていかずに5位くらいの第2グループにいたんですけど、シャンペラックを過ぎた下りで先頭集団に追いつきました。ところが、マルティニに入ったところでエイドが見つからなくて。選手は誰もエイドの場所を知らなかったのですが、どうやら町に入る直前の東屋みたいなところがエイドだったようです。通常UTMBでは、必ずエイドの中を通る導線になっていますが、ここだけ違ったので見落としました。他の選手は一つ前のエイドで補充していたものの、僕はここでジャストエンプティになる配分でドリンクを持っていたので、水分補充ができずにまずいと思いました。そこから20kmほど登りが続き、次のエイドのトリエンで補充したときには脚が攣りまくっていました。ほかに、初めてひどい股ずれをしてしまったのも要因のひとつです。

ただ後から冷静になって考えてみると、エイドに関しては手立てがありました。一緒に走っていて4位でフィニッシュした選手が途中で用を足したついでに、手洗いの水を補給していたようなんです。UTMBではコース上の水は牛の糞尿が混ざっている可能性もあるので、絶対に摂らないものだと思い込んでいて、彼がリスクを冒して水分を補充していたことに気づかなかった。冷静さ、判断力が欠けていたということです。こうしたエイド運営の問題もあったので、OCCのリアイアに関しては比較的、割り切ることができました。

■9月/マウンテン&トレイルランニング世界選手権

調子はよかったと思います。遠征に帯同しているトレーナーからも「筋肉の状態がよい」と言われていたので、3位くらいに入れるかなと考えていました。ただ、今回も「一番を獲ります」といえるほどの自信はなかったんです。前半は抑えて10〜12位くらいをキープし、中盤は8位くらいまで上げましたが、その後ロードのセクションに出たときに腹痛がおきてしまいました。これまでレース中に内蔵トラブルを起こしたことはないんです。気温は低かったけれど腹部が冷えた感覚もなく、便意を催したわけでもなかった。ただ走る衝撃でお腹が痛くなり、歩くと治まるという状態が1時間以上続いて、最後のダウンヒルまでほぼ歩くようなペースになりました。

原因を考えると、思い当たることが3つありました。ひとつは食べ過ぎ。いまヨーロッパでは「どれだけ炭水化物を摂れるか」がトレンドになっています。もともとはツールドフランス発祥の考え方なのですが、そこに企業の研究開発費が注ぎ込まれていて、他のエンデュランス競技にも影響を与えている状態です。エネルギーが枯れない状態を維持してタンパク質分解を防ぎ、筋疲労を起こさないという理屈です。ランナーだと1時間に約120グラム、480キロカロリー程度の炭水化物(ジェル4個分程度)を摂ります。レース中のそうした補給に身体を慣らすために、普段から炭水化物が多い食事を食べるようするわけです。それでレース前2週間くらい、現地でパスタやご飯を結構な量摂っていたので、胃疲れしていたのかもしれません。

もうひとつは、レース中の補給物との相性です。あとは、レース序盤で蜂に頭と脚を刺されたこと。後日スポーツファーマシストに聞いたのですが、発汗により体内の水分量が減って血が濃くなっている状態で蜂に刺されたため、蜂の毒素が薄まらずに腹痛を引き起こした可能性もあるのではないかと。結局は何が原因かははっきりしていないので、これからいろいろ試して解決策を探ります。

取材・文=千葉弓子
写真=藤巻翔(富士登山競走)、野田倖史郎(マウンテン&トレイルランニング世界選手権)