『山物語を紡ぐ人びと』vol.13〜 並木雄一郎さん(トレーナー/ランニングアドバイザー)
まわりの人を笑顔にする力
“ちゃんぷさん”の愛称で知られる並木雄一郎さん。都内でトレーナーの仕事をしながら、笑顔がチャーミングな奥さまと一緒に夫婦でトレイルランニングを楽しんでいる。『UTMF』『UTMB』などの完走経験を持ち、30Km前後の大会では年代別優勝を果たしたこともある実力派だ。
自らが走るだけでなく、大会のボランティアにも積極的に取り組んでいる。北信濃を舞台に『ROCKI’N BEAR モントレイル黒姫トレイルランニングレース』や『志賀高原エクストリームトライアングル』などを主催するNature Scene(代表:大塚浩司さん)の大会をサポートしたり、『UTMF』『IZU TRAIL JOURNEY』といった人気レースでボランティアを行ったり。これまで数多くの大会やイベントにスタッフとして携わり、リーダー的な役割を担ってきた。
今年も9月のUTMFでボランティアを行う予定だという。並木さんのほがらかな笑顔は周囲を明るくし、選手を勇気づける。
階段や坂を取り入れた“並木メソッド”
現在、MAKI スポーツに所属し、東北沢のスタジオで自社オリジナル商品“ウェーブストレッチ”を使ったトレーニングの普及に努める並木さん。一方で、トレイルランナーに向けた指導も行っている。
東神田にあるトレイル&ランニング専門店『RUN BOYS! RUN GIRLS!』が主催するランニングクラブ『岩本町ランニングクラブ』では、ハセツネ12時間切りを目指した練習会を週一回、実施している。「平日夜がメインで、時間は毎回1時間くらい。皇居や隅田川方面を走ったりしています。階段を使ったトレーニングも取り入れているんですよ」。
ご自身も日頃から、階段や坂道を使ったトレーニングを行うことが多いという。この日は、お気に入りのコース、上野不忍池〜湯島エリアを案内していただいた。
「山を登る時に大切なのは体の後ろ側の筋肉、とくにお尻ですね。階段を利用することで、この筋肉をしっかり使う練習ができます。もうひとつ大切なのは、骨盤の重心の位置。どんな体勢の時にも、重心が体の真下にくるように意識するといいですよ」。
手っ取り早くその感覚が掴めるのは、スキップだとか。「ジャッジャッ」という音がしないように軽くスキップして、重心が体の真下にくる感覚を身につける。階段での両足、片足ジャンプも重心確認に役立つという。
「実は昔から階段が好きなんですよね。中学の野球部の部活って、雨が降ると階段を上らされるんです。その後、すごい筋肉痛になって心地よかった。これだけ鍛えられるんだと実感してね」。
こうしたメソッドは、ご自身の経験を通して編み出したものだ。「40歳になる直前に、アスリートではない僕が本気を出したらどれくらいまで行けるのだろうと考えて、集中的にトレーニング方法の研究をしました。1年ちょっとの間、真剣に体を追い込んで、レースでそれなりの結果が出せたのです。その経験をランナーの皆さんと共有したいと考え、講習会に反映しています」。
5月からスタートした『UTMF完走させます!』もそのひとつ。全部で9回開催し、補給やコンディショニングなども盛り込んでいる。UTMFまで5ヶ月あるため、参加者はトレーニングによって体が次第に変化していくのを実感できるという。
「ひとつの方法論がすべての人に合うわけではありません。トップアスリートのトレーニング方法ももちろん素晴らしいと思うのですが、一般ランナーには理解しにくい点も多々あります。やはり、もともとの資質が違いますからね。この講習会ではできるだけ各自の課題を見極めて、それに沿ったトレーニング方法をお伝えしたいと思っています」。
トレイルランニングのレースにおいて、上位0.5%に入るトップランナー以外の選手は、中間でゴールしてもギリギリのタイムでゴールしても、実は力に大差はないと並木さんは考えている。「強化すべき部分が頭で分かっていても、なかなか実践に落とし込めないのが一般のランナー。そうした現状と理想の間を埋めてあげたい。近道となるトレーニングを少し取り入れるだけで、ゴール時間は数時間、短縮できると思っています」。
山が人生を変える出会いをくれた
学生時代、野球に熱中していた並木さん。高校卒業後は社会体育の専門学校に進み、スポーツ指導者を目指した。その頃から海でライフセーバーのボランティアをしていたという。
その後、大手スポーツクラブに就職。同時に、地元・埼玉県加須市の体育指導員に委嘱され、山へ出かけたり、スポーツイベントを手伝ったりするようになる。社会人になってから4〜5年経った頃、仕事でもプライベートでもさまざまな出来事が起こった。
「しばらくスポーツ指導の世界から遠ざかって、製造業に携わっていました。一人で山へ行くようになったのもこの頃です。どんどん山の魅力に引き込まれていきましたね。高山に行く技量はないけれど、小さな山でも一度山に入ったら自力で戻ってくるのが基本中の基本。すべて自分の責任でやらなければいけないという感覚が心地よくて、もう山があれば他は何もいらないかなとさえ思い始めていました。ある意味、人生の迷走期だったんです」。山歩きから始まり、次第にトレイルランへと移行していった。
トレイルランニングの経験を少しずつ積むことで、それまで行けなかった場所、遠い場所へと辿り着けるようになっていく。そうした経験こそが、並木さんにとってはとても意味あるものに思えた。「そんな時、妻と出会ったのです」。Twitterを通して広がりつつあったトレイルラン仲間の中に、後に奥さまとなる弥生さんがいた。
「一度目はみんなで山へ行ったのですが、次に二人だけで富士山へ行くことになって。その時、ガッツのある奴だなと思ったんですね。もし結婚するなら、こういう人だろうなと感じました」。こちらが照れてしまうような温かなエピソードを、並木さんはとても嬉しそうに話してくれた。
そして2013年、UTMFに二人で参加する。先にゴールしていた並木さんが弥生さんのゴールを待ち、その足で一緒に富士河口湖町役場へ婚姻届を出しに行った。
ボランティアをするということ
ライフセーバーをはじめとして、学生時代からずっと何らかのボランティア活動に関わってきたという並木さん。「やる気のある人たちが集まるボランティアは、とてもいい雰囲気です。でも、どうしてもその中でぽろぽろと零れてしまう仕事がある。そういうのを拾っていくのが昔から好きなんですよね。リーダーシップとはちょっと違うかもしれませんけど(笑)」。
人と人をふんわりとまとめる包容力、仕事と仕事の間にある見えない小さな隙間を埋める心遣いこそが、並木さんの魅力なのだ。
たとえば、今年春に開催されたあるロングレースでは、レギュレーションチェックの“相談役”に抜擢された。細かなレギュレーションが決められている大会の場合、どうしても不十分なアイテムを持ってきてしまう参加者がいる。そうした選手の相談にのる役だ。
「この時に感じたのは、選手の皆さんがすごくマナーがいいということ。レギュレーションのチェックは時間がかかるので、だいぶお待たせしてしまったのですが、誰も文句を言わないんです。これはちょっと通らないなというアイテムについてお伝えすると、すぐに納得してブースで替えの品を買ってきてくれる。トレイルランナーって、なんかすごいなと改めて思いましたね」。
その根底にあるのは、心の余裕ではないかと並木さんは考える。「精神的な余裕だと思います。あるいはそれだけ、レースを完走することで得られるものが大きいということなのかもしれません。みなさんすごく意識が高かったんですよ」。
一方で、山に入る心構えについて、疑問に思うケースもある。
「大会では安全確保のために随所にスタッフが配置されていますが、それでも選手が山に入る意識はレースでない時と同じでなければなりません。参加者は自分がレースに出られるコンディションかどうか、きちんと見極める必要があります。明らかに体が不調なのに行けるところまで行くという人がたまにいます。それはご本人だけでなく、その方を見守り続けるボランティアスタッフのリスクにも繋がってしまいます」。
ある大会でスイーパーを務めた際、スタート時から明らかに足の調子が悪いランナーが「せっかく来たから、制限時間に間に合わなくても第一関門まで行きたい」と言って、最後尾を進んでいた。その先に控えるコースの厳しさや到着時間を鑑みて、並木さんはやんわりと途中で止めるように説得したという。
「どう気持ちよく止めてもらうか、とても悩みました。このまま進んだのでは、通常の最終ランナーの予想通過時刻を3〜4時間は越えてしまう。ボランティアスタッフ全員が疲弊してしまいます。もちろん、自分も選手ですからこの方の気持ちはすごくわかるんです。でも一方で、スタッフの気持ちもよくわかる。ものすごく葛藤しました」。
考え抜いた末、こう伝えた。「僕がもし選手で出走していたら、次のレースの準備をするためにここで止めると思います」。すると、「わかりました」と歩くのを止めて、迎えの車に乗ってくれたという。「この方に大会を嫌いになってほしくなかった。いい大会だったなと思ってもらって、次回はぜひ体調を整えてチャレンジしてもらいたかったのです」。
機会があれば、トレイルランナーにはボランティアを経験してもらいたいという。「選手はボランティアを経験した方がいいし、ボランティアスタッフも一度ぜひ走ってみてほしい。そうした相互理解が上手くできているのが、僕がよくお手伝いするネイチャーシーンの大会なんですよ」。
これまで出場した大会で、並木さん自身もボランティアの人にたくさんのエネルギーをもらってきた。「スタッフの言葉ひとつ、笑顔ひとつで、大会の印象はがらりと変わります。それは、自分が何度も経験してきたことです」。
選手としてゴールした時以上に、みんなで力を合わせて大会を成功させた時の達成感は大きく、何ものにも代えがたいという。「大切なのは、自分自身が楽しむこと。自分が楽しくなければ、人を楽しませることなんてできないですよね。ボランティアがカリカリしていたら、選手のみなさんだって嫌でしょう(笑)」。
やりたいこと、そしてやるべきこと
いつも周りのこと、みんなのことを考えている並木さんにとって、ご自身の夢とはどんなものなのだろう。
「実は、いつか大会を開催してみたいと思っています。いまトレイルランニングのシーンでは、僕らくらいの世代がメインゾーンですよね。お父さんやお母さんが主役の大会もあれば、子どもが主役の大会もあって。そうした広い世界観がトレイルランの魅力なのかなと思うんです。だから将来、ファミリー的な大会が開催できたらいいですね。もちろん、いまは全くの夢ですけれど(笑)」。
大切な奥さまとの出会いも、多くを語らずとも深く理解してくれる親友との出会いも、すべて山がもたらしてくれた。さらに最近では山を通じて、トレーナーの仕事を後押ししてくれる人たちとの結びつきも強くなっているという。「妻はいつも“自分のやりたいことをやりなさい”と励ましてくれます。それが最近、トレイルランナーへの講習会として、ようやく形になってきました。彼女の存在がなかったら、いまの自分はなかった。そう思っています」。
山がくれたもの。それは並木さんにとって新たな人生の扉であり、自分自身の立つべき場所なのかもしれない。
place:SHINOBAZU〜YUSHIMA,TOKYO
photograph:Takuhiro OGAWA
special thanks to Shimpei KOSEKI