『山物語を紡ぐ人びと』vol.14〜 小松祐嗣さん(七面山 敬慎院 執事)/ 後編
前編はこちら。
夜明け前、七面山は眠りから覚める
朝4時の境内。肌に冷たく、清らかな空気があたり一面に漂う。遠くからコンコンコンというキツツキの音が聞こえてきた。
執事を務める小松さんの朝は忙しい。4時半から本堂で朝のお勤めが始まる。本堂でお経を唱えた後は、境内にあるすべての建物を廻りながら勤行していく。
身延山の僧侶となって15年あまり。次第に、昔は見えなかったことが見えてきたという。
「いま全国各地のお寺で経済的に厳しいところが増えています。これからの仏教界は大変になるだろうなと僕らも覚悟しています。世の中には、仏教に対して興味がある方もいらっしゃいますが、そうでない方の方が多い。とかく世間を騒がすのは派手なことをしているお寺なので、そういうイメージで見られてしまいます。高級車に乗っているとか、お墓やお葬式の金額が高いとか。でも実際には過疎地で頑張っているお寺さんがたくさんある。うちもそのひとつです」。
一方で、仏教は現代社会とどう関わっていけるのか、考えてしまうとも。
「仏教に対して、救いや安らぎを求めている方は多いでしょう。あるいは、仏像は好きだけれど、お坊さんは嫌いという方もいます。それは僕ら僧侶に責任があるのかもしれません」。
神仏への心も、人への心も同じ
この山で働くことは、他の職業と同じように小松さんにとって仕事だ。しかし、それは仕事であって単なる仕事ではない。時間給で働くような意識ではダメだということを、もっと僧侶たちは自覚すべきだと話す。
「僕らはここでお給料をもらっていますが、それは信者さんからお預かりしているお布施なのです。そのことを常に忘れてはいけない。ところが、その意識が薄れている僧侶がだんだん増えています。お坊さんの仕事を“給仕”と呼ぶんですね。神仏に対してお経を唱えたり、“仏飯”といって神様に食事をお供えしたりします。その心は、人に対しても同じでなければいけません。ここまで登ってきてくださったことに感謝して、自分たちができる最大限のことをして差し上げたい。ホテルのような快適さを備えることは出来ませんが、登ってきて下さった方の心情を汲み取って給仕をすること、それが自分たちの仕事です」。
参詣者は全国各地から訪れる。「ご高齢の方でも、飛行機や新幹線に乗って来てくださる。やはり、考えてしまいますよね。そういった方々からお布施をいただくことに対して、僕らは何ができるのかと」。
お経を唱える以上に信者さんに感謝されるのが、実は山仕事をしている時なのだという。「参道を整備していると、すごく有り難がってくださるんですよ。お坊さんはこんなことまでしてくれるんですねと言われます」。
そして、お父さまのあるエピソードを聞かせてくれた。
「昔、うちの宿坊で仏教を勉強する高校生や大学生を預かっていたんですね。朝、玄関掃除をして、風呂掃除をして、廊下掃除をして、それからお勤めをしてという生活です。お客さまがあれば夜遅くまで皿洗いをして、その合間に僕の遊び相手もしてくれて。そんな中で、人と違うことがしたいという思いから水行を希望する子がいました。すると父はこう言ったのです。どうせやり通せるわけはないのだから掃除をしろ、と。その真意は、掃除は何のためにするものなのかをもう一度考えろということ。人と違った行をするよりも、大事なことがあると言いたかったのだと思います」。
小松さん自身も七面山を下り、宿坊にいる時には、皿洗いや風呂掃除などをこなす。そして山ではさまざまな力仕事が待っている。朝夕の勤行だけではなく、こうした仕事の一つひとつが、すべて修行なのだという。
「自分よりも年上の、登山とは縁遠い方たちが、6〜7時間かけてここまで登ってこられる。敬慎院に着いた途端、足がつってしまう人もいます。僕らも修行ではお題目を唱えて、太鼓を叩きながら登ったりしますが、それでも身体は楽です。だから少しでも皆さんの苦労を理解したいと、山を走ったり、重い荷物を背負って登ったりするようになりました。軽い気持ちではなく、自分はどれだけこの山を息を切らせて登ることができるか、それを試したいと思っているのです」。
日蓮宗には本来、山を走る修行はない。小松さんは一人で走り始めた。
竜神が住む“一の池”
身延山が日蓮宗の信仰の山となって700年あまり。それより前は真言密教の修験の山だった。当時の修験の人たちが見つけたのではないかといわれているのが、本堂裏にある『一の池』だ。この池はこれまで一度も枯れたことがない。
池の真東には富士山がそびえている。富士山は修験では大日如来を意味する。ここ七面山では春と秋の彼岸の中日に、富士山の頂上から太陽が昇るのが見え、その光は敬慎院の境内を通って『一の池』を通過し、真西にある出雲大社まで伸びていく。
この池には竜神様、七面大明神が住むといわれている。
「昔の修験の人たちは天体を見ながら行動していました。富士山が真東にあるということは、太陽神と一体になる富士山が見られる特別な場所だということです」。
死者の魂が帰る山
登山をしている人の多くが、自分が登っている山の歴史や文化について、あまり関心がないようだと小松さんは嘆く。「祠があってもお詣りをする人は少ないですよね。日本人に生まれたのに、もったいないなと思うのです」。
信仰の山は、自分を見つめる場所でもある。「僕自身、仲間とワイワイ楽しく登る登山も嫌いではありません。でも一方で、信仰の対象としての山もある。人間が死んだときに魂が帰る場所です。つまり本来、山に入るということはすごく深い意味を持っているのです。身延でぜひ、それを感じてもらいたい」。
大会をきっかけにして、その山が持つ意味を考えたり、感じたりして欲しいと小松さんは願っている。
趣味でお寺巡りをしたり、仏像を見たりすることはあっても、特別な信仰を持たない限り、日常の中で仏教に深く関わる機会は少ない。
そんな私たちにとって、山を走る僧侶である小松さんは、信仰の山とのご縁を取り持ってくれるかけがえのない存在だ。小松さんの存在が身近に感じられるのは、トレイルを走る小松さんの目線が、私たちと同じように思えるからだろう。
時を重ねた場所にしかないもの
修行には「こうでなければいけない」という答えはないと小松さんはいう。
「人それぞれ、いろいろな想いを抱えておられますよね。七面山に登るという行為自体が、人間を磨くための修行です。ここは自分を磨く場所、魂を浄化する場所なのです」。
あるご高齢の女性信者さんの言葉が、とても強く印象に残っているという。
「その方は、お一人で七面山に登ってこられました。そして『私は身延が大好きなんです。なぜならこの山には自分よりも古いものしかないですから』とおっしゃった。その言葉を聞いて、なるほどなと思いました。自分はいま40歳ですが、都会にいけば建物でもなんでも、新しいものがたくさんある。でもここには、自分よりも年上のものしか存在しません。樹齢40年の木なんてありませんからね。すべて千年単位の木ばかりです。その女性の言葉を聞いて、この場所の意味、ここだけにある大切なものに気づかされました」。
もっと身延に来る人を増やしたい、七面山に登ってくれる人を増やしたいと小松さんは願う。
「信仰の山は、信者さんだけのものではないのです。この山に登らなければ感じてもらえないことがある。だからこそ僕は、本当の意味での霊山解禁を目指したいと思っています」。
敬慎院を去るとき、一頭の鹿が姿を現した。鹿は神様の使いといわれている。
七面山という信仰の山で感じた清々しさ、抱かれるような安堵感は一体、どこから生まれてくるのか。残念ながらいま、それを正確に言葉で表すことは難しい。
ただひとつ、確信したことがある。
それは、自分が再びこの山を訪れるであろうということ。深い感謝とともに。
Place:SHICHIMENZAN KEISHININ, YAMANASHI
Photo:Shimpei KOSEKI
Text:Yumiko CHIBA
2015年『身延山 七面山 修行走』レポートはこちら。