『斑尾フォレスト50km』優勝や『信越五岳トレイルラン』2位など、安定した走りで常に上位の成績を残しているトレイルランナーの上野朋子さん。涼しげな表情と落ち着いた佇まいが印象的なアスリートだ。
上野さんは3年ほど前に首都圏から上田市に移住し、埼玉にある大学で教員として働きながら、首都圏と上田を行き来する生活を送っている。
山々に囲まれた場所に居を移し、都市部での仕事と長野でのアウトドアライフを両立させている姿から、自分なりの価値観やスタイルをしっかり持った方だなと感じ、お話を伺いたくなった。
冬のある日、週の半分を過ごしているという大東文化大学のキャンパスを訪ねた。
大学の授業とトレイルラン、そしてスキー
「それでは授業を始めます」。
キリッと爽やかな声が講義室に響く。この日の授業は一般教養の「総合体育」で、90分に渡って生涯スポーツについて話をする。
主に1〜2年生が対象ということもあり、専門用語も一つひとつ丁寧にかみ砕きながら、授業は進んでいく。思わず自分もノートを取った。
ここ大東文化大学で教鞭を執るようになって10年が経つ。
「週前半をキャンパス内にある教員寮や実家の横須賀で過ごし、あとの半分を上田で過ごす生活を送っています」。
スキーの準指導員の資格も持っているため、冬場になると越後湯沢や志賀高原のスキースクールで教えたり、大学の授業でもスキー実習を行ったりする。
「トレイルランを楽しめる山がたくさんあり、スキーの拠点として便利で、なおかつ首都圏まで新幹線でも通いやすかったので」と上田に引っ越した理由を教えてくれた。東京から上田まで、新幹線なら1時間半ほどで着いてしまう。
山のある暮らしを求めた上野さんのバックボーンとは、どんなものなのだろう。
とことんテニスを突き詰めてみたい
横須賀市で生まれ育った上野さんは兄との二人兄弟。父親が学生時代に山岳部だったことから、子どもの頃はよく家族四人で丹沢や金時山などに登った。長い休みになると、父親の友人のペンションがある松本方面に出かけ、冬にはスキーも楽しんだ。
中学と高校時代はテニス部に所属する。「友だちが入部したから自分も、という単純な理由で始めました。でもすっかりのめり込んでしまって。いま思うと適正もそれほどなかったし、なんでテニスをしていたのかなとも思うんです。難しいスポーツだよなと」。
上達するのに時間がかかった。人の倍くらい練習量を積まないと同じレベルに到達できなかった。
高校時代に怪我が多かったことから、トレーナーを志望し、スポーツ健康科学部のある順天堂大学を進学先に選ぶ。順天堂大学ではさまざまなスポーツが盛んで、サッカー、陸上、体操、バレーボールに次いで、テニス部にも力を入れていた。
「テニスをもう少しやりたいという気持ちも、どこかにあったのだと思います」。
テニス界におけるジュニアの育成はサッカーや水泳と似ていて、学外のスクールがメイン。小学校からテニススクールに入って指導を受ける子どもも多い。
上野さんの高校でもスクール育ちの選手が強く、主な大会はそうした選手ばかりが出場していた。「テニスってこういう世界なのか、とがっかりした部分もありました。一方で、スクール育ちの子たちに負けないくらいまでテニスを続けてみたいという気持ちも持っていました」。
自分は不器用なのだと、上野さんはいう。
「鈍くさいんですよ(笑)。技術の飲み込みが早くないというか。それを実感したのは、大学でスポーツの勉強を始めてからですね」。
ひたむきに継続する力
テニスにはさまざまなタイプの勝ち方がある。上野さんは、メンタルの強さを武器に点を取っていくプレースタイルだった。
「ダブルスが好きだったりシングルが好きだったり、ラリーで粘って勝つ選手もいれば、ラリー戦が長く続けばミスをするからと自分からポイントを決めにいく選手もいて。そんな中、自分はラリーに持ち込んで、ミスをしないで粘り勝つプレースタイルでした」。
ラリーになれば運動量も増え、それだけ持久力も必要になってくる。自分がへばってしまったら、簡単に点を取られてしまう。それでも、このスタイルが性に合っていた。
午後はテニスの授業。サッカーやラクロスなど、さまざまなスポーツに取り組む学生が在籍している。授業で初めてラケットを握った学生もいるが、みんな勘がいい。
大学のテニス部では、自分たちで練習メニューや活動内容を考えた。1年次は全寮制だったため、千葉県の印旛村(現・印西市)にあるキャンパス内の寮で、他の部活の学生と一緒に共同生活を送った。
「周りには田んぼしかないので、朝練して、走って、コート整備をして、その後に授業に出てという毎日でした。20時くらいにトレーニングを終えて晩ご飯を食べたら、あとは寝るだけという生活です」。
週に数回、夜12時まで営業しているスポーツクラブでトレーナーのアルバイトをし、終電で帰宅。平日に1日だけオフの日をつくっていたが、土日も練習をして日曜日は大会に出場する。
「もう、いま振り返るとテニスしかしていなかったですね(笑)テニス漬けの4年間でした」。
大学院では市民ランナーの心理を研究
卒業後は大学院に進学し、スポーツ心理学を専攻する。市民ランナーを対象に「ランニングaddiction」に関する研究を行った。
「運動は一般的に体にいいといわれていますけれど、一概にそうとは言い切れないということを心理面からアプローチしていく研究です」。
たとえば、オーバートレーニング。
走り過ぎると体の一定箇所に負担がかかり、疲労骨折やシンスプリントを起こすことがある。「ランニングにのめり込み過ぎると、走らなきゃとかトレーニングしなければといった強迫観念を抱いてしまうんですよね。健康のために体を動かしているのに、果たしてそれは健康な状態と言えるのかどうか」。
トレーナーとして働いていた県立スポーツ科学センターでも、走行距離を気にするランナーや、筋トレの重量やマシーンの回数を気にする人がたくさんいた。
「自分も追い込んだ経験があるので、気持ちはとても理解できます」。
大学院ではテニスを続けなかった。やり切ったと思えたからだ。
4年間のうち、辞めようと思ったことは?
「あります、何度も。レベルが高かったですから。でも踏みとどまったのは、とことんやりきってみたいという想いが強かったからかもしれませんね。こぢんまりとした大学で学生同士のつながりも強かったので、仲間にとても助けられました」。
大学三年の時には膝の靱帯を切り、手術も経験した。挫折を重ねても諦めない粘り強さは、トレイルランナーとしての上野さんにも通じる気がする。
「コツコツとやるタイプかもしれません。決して天才肌ではないので、地道に努力しないと上に行けないんです」。
勝敗とは違うところを求める ”本気“
トレイルランを知ったのは2009年頃、雑誌『アドベンチャースポーツマガジン』(山と溪谷社)がきっかけだった。冬に自分がスキーを楽しんでいるエリアで、グリーンシーズンはこんなことが出来るのかと興味を持った。
そして、20km程度のレースに出るようになる。トレイルランにのめり込んだのは、同年に出場した『OSJ志賀野反』(30km)から。後々も語り継がれるほど悪天候の中で行われたレースで、コースは泥沼のようだったという。
「きつかったけれど、とても楽しかったんです。この大会を経験してから、トレイルランがどんどん好きになっていきました」。
2017年『志賀エクストリームトレイル』。
テニスで磨いてきたアスリート魂に、本気のスイッチが入ったのだろうか。
「こんなこと言っていいのかなと思うんですけど、わたし、トレイルランでは本気のスイッチがないんですよ。何がなんでも勝ちにこだわるスイッチがないというか。競技テニスでずっと勝負にこだわってきたから、もうそういう世界はいいかなと思っているのかもしれません」。
テニスをしていた頃は、個人でもチームでも勝たなければならなかった。常に勝ち負けにこだわっていたし、仲間もみんな同じ意識だった。
「でも、トレイルランは私にとって遊びなんです。競技スポーツではなくて純粋に楽しいから走っている。もちろん、いいかげんという意味ではないですよ。本気の意味がちょっと違うんです。 “本気で勝ちたい”ではなくて、”本気で遊びたい”という意識です。レースを本気で気持ちよく走るためのスイッチは、いつも入れているのかなと思います」。
お話を伺いながら、不用意に何かに同調したり染まったりすることなく、自分らしい暮らし方や生き方を自然な形で選びとっている上野さんに凜とした強さを感じた。
「やらされているなという感覚がある時には走らないし、体調がよくないなと思った時も走りません。日常で走ることは、練習という意識とは少し違うんです。週末のレースを楽しみたいから走る。逆に今日は走るのをやめておこう、そんな日もあります」。
最も心に残っているのは、土砂降りの『信越五岳トレイルランレース』(2016年)。「自然の厳しさを目の当たりにして、この状況にどう自分を合わせて走るかを最後まで探りながら走りました」。
ジャンルの異なる人と、山に行くということ
仕事のない日には、上田や長野などへ走りに行く。異なるアクティビティを楽しむ友人とともに山に出かけることも多い。
たとえば、マウンテンバイク。ある時には自転車に乗る仲間と新しいトレイルを開拓しに行った。「ここは通れるかなと推測しながら進んで、点と点が線で繋がったときが楽しいんです。滝を見に行ったり、源泉が湧き出しているところへ出かけたりもします」。
ある時には冬山に出かけ、上野さんはスキーにシールをつけて登り、友人はスノーシュートレッキングを楽しんだ。
違う遊び方をする人たちと一緒に行動することが、自分にとってはとても大切だと上野さんはいう。山そのものを楽しむことが好きで、自分にとってトレイルランはその一つの方法なのだと。
「山はそれぞれのスタイルで楽しめるところがいいんだと思います。違うスタイルの人と遊ぶことで発見がありますし、相手が楽しんでいるアクティビティへの理解も深まります」。
マウンテンバイクは下りは気持ちよさそうだけれど、登りは担ぐのが大変だし、下りでも痩せた尾根はバイクから下りないと危ない、といったこともリアルにわかる。
例年、夏になると北米のフィールドに出かける。これまではアメリカ西部が多かったが、昨年はカナダのバンフへ旅をした。
「トレイルランでは、勝敗よりも風を切って走る気持ちよさを求めている気がしますね」。
走ってみたい風景のレースを見つけると旅をする。旅ではレースの出場だけではなく、近くの山を登るのも好きなことのひとつだ。
レース後、ローカルの仲間とともにキャンモア地域の2,400m前後の山3つを1日で駆け抜けた。
アメリカで知った自然との距離感
自分らしい自然との接し方は、いつから形づくられていったのだろう。
「そうですね、あらためて考えてみると、5年ほど前のアメリカでの経験が大きく影響しているかもしれません。私が上田に引っ越したのも、そのときの経験が原点にあるのかなという気がします」。
奥さまが日本人のアメリカ人ご夫妻の家に2週間ほどお世話になりながら、レースに参加した。
ご主人はオフィスワーカー。家の裏にトレイルの入り口があり、朝、仕事前に一緒に走って、仕事が終わってからは2歳の子どもを連れて再びトレイルに近接する公園に出かけた。
ご主人が背負子のようなザックで子どもを背負って山に入る。公園で遊んだ後は、また背負って帰ってくる。
週末になると、午前中はみんなでトレイルを走り、午後からはビールとポテトチップスと家にある食材を持って、車で川に出かけた。真夏の暑さの中、ランパンとランシャツで水遊びをする。犬も一緒に。
上)滞在先のファミリーと一緒に川遊び。中)レーニア国立公園。トレイルランのスタイルで4時間ほど走った山頂からの景色。下)Pacific Crest Trail(PCT)では、コースの一部を走って、ロングトレイルハイカーと行動を共にした。
お腹がすくと、自宅から持ってきたパンやハムでサンドウィッチをつくって河原で食べ、夜も遅くまで明るいため、21時頃まで遊んで帰る。次の日はまた違う山に遊びに行く。そんな週末の過ごし方が、とても新鮮で楽しかった。
「自然の中で遊ぶことが特別ではなく生活の一部なんです。山も川も生活の中にあって、MTBをしたりボートで遊んだり。特別なご飯をつくるわけでもないし、川だって名前もわからないような普通の川で、大げさな何かをして遊ぶわけでもないんだけれど、それがすごくいいなと思いました。こんなふうに自然を楽しみたい、日常を暮らしたいと思ったんです。漠然とですけれど」。
特別じゃない、自然とのつきあい方。
「アメリカのレースが好きなのも、そんなところに理由があるのかもしれません。欧州のような派手さはないんですけど、アウトドアが身近にある。生活にとても近いところにあります。そういう雰囲気が好きなんです。人のつながりや温かさを直に感じる距離感。自分はそういうトレイルランの楽しみ方が好きなんだと思います」。
理想の暮らし方に、少しずつ近づいてきた。
上田の町にももうすぐ春が訪れる。朝、空を見上げて、今日はどこの山に出かけようかと考える。
「今日はお天気がよさそうだなと思って山に行ってみたら、あれ、意外に景色が見えないじゃん、という日があったりして。日常と山がつながっているいまの暮らしをとても気に入っています」。
Profile
上野 朋子 Tomoko Ueno
1983年神奈川県横須賀市生まれ。子どもの頃から家族と登山やスキーなどアウトドアを楽しむ。中学高校、順天堂大学時代はテニス部に所属し、大学院ではスポーツ心理学を専攻。修了後、大東文化大学の教員に。2009年からトレイルランを始め、国内外のレースに参戦。斑尾フォレスト50km優勝、信越五岳トレイルラン2位、志賀高原エクストリームトレイル2位、Cougar Mountain Trail race(米国)優勝など。冬はスキー、グリーンシーズンはトレイルランや縦走登山など四季を通じて山に親しみ、新しいフィールドとの出会いを楽しんでいる。
写真:小関信平
取材・文:千葉弓子
協力:信越五岳トレイルランレース実行委員会、志賀エクストリームトレイル実行委員会