鼎談:山屋光司さん×村松亮さん×柘植泰人さん
まっさらな目で捉えた“鏑木毅像”
2017年11月、鏑木毅さんの新プロジェクト『NEVER』が始まった。
2019年8月、50歳でUTMBに再びチェレンジする決意を固めた鏑木さん。その挑戦そのものをさす本プロジェクトでは、クリエイターなどの製作陣が長期的に寄り添い、映像や関連記事を制作し、発信していく。
鏑木さんにとってUTMBは、40歳のとき(2009年)に日本人初の3位入賞を果たした思い入れのあるレース。そこから10年の歳月が流れ、アスリートとしての再生を賭けて、いまもう一度同じスタートラインに立とうとしている。
特設サイト「NEVER」も開設され、昨年12月にはプロジェクトの第一弾として『エピソード1〜リベンジ、始動(49歳)』の映像が配信された。
13分に渡るドキュメンタリームービーの中で、鏑木さんは思いがけない本音をつぶやく。
「自分はいつも過去の話ばかりしているなって」
「UTMBで3位になったことから離れられない自分がいる。いつもあの日のことばかり考えている。あの日で時間が止まっている」
たとえトレイルランを知らない人でも、思わずハッとさせられる心の中心からこぼれ出た言葉たち。2017年秋に出場した「グランレイド・レユニオン」では44位と不本意な結果に終わり、そこからどう立ち上がっていくのか、これから2年をかけてプロセスが描かれていく。
レースの熱狂とは対照的に、静けさが漂う映像からは日だまりのような温かさを感じる。ここに映し出された鏑木さんは、これまで数々のメディアで捉えられてきた姿とはほんの少し違って見える。アスリートとしての圧倒的な魅力ゆえに、数多くの被写体となってきたが、なにかが新鮮なのだ。“鏑木毅”という一人のトップアスリートを改めてまっさらな眼で捉えようと、丁寧につくられた映像に強く心引かれた。
制作チームに会いに行った。
走りながら妄想したプロジェクトが、まさかの現実に(山屋)
———まずは、どういう経緯でプロジェクトは立ち上がったのか教えていただけますか。
山屋:鏑木さん自身が、THE NORTH FACE担当の三浦(ゴールドウイン)に「50歳でUTMBにチャレンジしたい」と伝えたのが始まりです。不思議なことに、同時期に僕も同じようなことを一人で考えていました。鏑木さんとこういうプロジェクトをやりたいと妄想していて、三浦に話したんです。それが2017年春のことです。
どこからアイデアが生まれたというと、鏑木さんのSNSで、サッカーの三浦知良選手の試合を見に行ったという投稿を見たのがきっかけです。何度も引退をささやかれながらも頑張って現役を続け、50歳で一花咲かせている姿が鏑木さんに重なった。それで、トレイルランニング界のフロンティアである鏑木さんが、また新しい道を切り開いたら面白いだろうなと考えました。だからプロジェクトの発案については、まず自分自身が鏑木さんの一ファンであるという軸があります。これが一つめの柱ですね。
二つめの柱は、ブランドであるノースフェイスをそこにどう重ねるか。旬な選手を応援するスタンスはどのブランドも同じです。でもピークを越えた選手や、現役を退いた選手に対してノースフェイスはどう向き合っていくべきか。ノースフェイスでは『NEVER STOP EXPLORER』というタグを掲げていて、三浦雄一郎さんのように生涯冒険する人を応援しています。いまそれを体現できるのは鏑木さんじゃないかと思ったわけです。
三つめの柱は、スポーツを通して生きる価値を高めていく『SPORTS FIRST』というゴールドウインのタグラインです。この3つが自分の中でピタリと重なって「いまこれをやらないとダメだ!」と思いました。ちょうど山を走っている時にアイデアが浮かんだので、ボイスレコーダーに企画を吹き込んで一週間寝かせました。思いつきのアイデアって、一週間寝かすとあれっと思うことがあるんですけれど、寝かした後も同じ鮮度だったので「これは絶対にやりたい!」と。それで三浦に話したところ「いいじゃん、やろう」と決まりました。
———山屋さんご自身の中で、プロジェクトの芽が生まれたわけですね。
山屋:次にこのプロジェクトを誰と進めようかと考えて、鏑木さんからの信頼も厚い礒村真介さん(編集者/ライター)に相談しました。つくり手が大事だと思ったんですね。礒村さんから総合プロデューサーとして村松さんを推薦していただいて、チームが誕生しました。
トレイルランの文脈で語られてこなかった鏑木毅とは何か(村松)
———この挑戦をどのように伝えていこうと思いましたか?
村松:僕自身はトレイルランの現場にすごく近い人間ではないんです。WEBメディアの『onyourmark』やその雑誌版の『mark』 編集部に在籍していたので 、UTMFの立ち上がりぐらいから日本のトレイルランニングシーンの状況は少なからず見てきましたが、過去に鏑木さんを取材したのも一度きり。ですから、まずは僕が呼ばれた意味を考えました。
トレイルランコミュニティには僕よりも鏑木さんに近い人たちがたくさんいて、これまでのトレイルランニングの潮流も理解されていて。それなのになぜ僕が呼ばれたのか。
それで、トレイルランニングの同心円のひとつ外側にメッセージを届けたり、これまでのトレイルラン文脈で語られてきた鏑木さん以外の面を捉えたりしなければいけないんだな、と。まず映像監督は柘植さんにお願いしようと、早い段階から決めていました。
山屋:トレイルランニングに慣れたスタッフではないメンバーでチームを組んだと聞いたとき、ある種の感銘を受けましたね。
村松:トレイルランを撮る人たちの中にはたくさん猛者がいるので、そこのフィールドで戦わないものにしなければ、と思ったんです。もちろん猛者でなければできない仕事もあるので、そこは力を貸してもらおうとも考えました。
一方で、トレイルランコミュニティの人たちが面白いと思ってくれないと意味がない。コアにも響くけれど、いままでにないものをつくることを意識していましたね。柘植さんに相談した時点で、その部分はある程度、解決しましたけれど。
山屋:初回、赤城山で撮影したんですが、スタッフの目の輝きがすごくて。トレイルランや鏑木さんに対して新鮮さを感じてくれていることが伝わってきました。これは新しいものが出来るなと思ったんです。
———『NEVER』というタグラインはいつ頃決まったのでしょう?
山屋:これはわりと最後の方に出てきましたね。
村松:まず鏑木さんにいまの想いを聞いて、その中から強い言葉を企画書に落として、コンセプトやタグラインの開発を進めつつ、同時進行で撮影も始めていました。
山屋:会社としてこのプロジェクトにGOサインが出たのは7月でした。
柘植:僕が村松さんから話をいただいたのは8月後半だったと思います。種子島でロケしている時に電話がかかってきて「やろうよ!」と(笑)。
———短期間で進んだのですね。
村松:そうですね。大枠のことが決まってから改めて、柘植さんと一緒に鏑木さんから話を聞きました。エピソード1の中で証言を軸にするというのは、当初から考えていました。鏑木さんは長年、講演会をされてきたこともあって、自分のことを話すのがすごく上手いんです。だから、そこで語られているものではない言葉にしたかった。本人が話をするよりも、誰かが話した方がリアルに伝わるよねと柘植さんと話していました。
制作チームはゼロベースからのスタートですから、クリエイター全員にも鏑木さんを知ってもらいたい。そうすることで、鏑木さんを知らない人が見ても分かりやすいアウトプットになると思いました。
汗だくで会議に来た鏑木さんを見て、本物だなと(柘植)
———柘植さんは鏑木さんにお会いになって、どんな印象を持たれましたか。
柘植:初めて会ったとき、打ち合わせ場所に鏑木さんが汗だくでやってきたんです。暑い日だったんですが、走ってきたと言って。このまま打ち合わせするのかなと、ちょっと驚きました。本当に走ることが好きなんだな、これは本物だなと(笑)。
僕は鏑木さんのことを知らなかったですし、トレイルランのこともほとんど知らなかった。何も知らないままチームに入りました。ただ偶然、NHKで放映したパタゴニアのレース「ウルトラ・フィヨルド」の番組は見ていたんです。面白い世界だなと。まさか自分がその人を撮るとは思いもよらず。なので、鏑木さんに会ったときに「あぁ、あの人だ!」と思いましたね(笑)
話してみるとすごく穏やかで、レースの時の気迫とギャップがあった。インタビューしていると、いままで聞かれたことがある質問に対してはスラスラとお話しされるんですけど、そうじゃないこと、たとえば今回のタグラインはどうするかとか、いまの想いなんかを聞くと、ちょっと様子が違う。間をおいて、熟考してしゃべる。それでも納得していないように見えました。
つまり、練習すれば上手く話せるけれど、本当は違うのかもしれない。想いが強くて、一言では伝えられないんだと感じました。
山屋:なぜ走り続けるのかというコアな部分を一言で回答するのは難しいんでしょうね。だから、このタグラインもなかなか決まらなかったんです。
ディスカッションする中で、鏑木さんのイメージは抜けるように青い空のポジティブさではなく、どこか陰があって、常に自分を否定し続けるイメージだろうと話していました。そんなところから「NEVER」という言葉が出てきました。
はじめに「僕は撮影のためには走らない」と言った
村松:プロジェクトが始まって早々に鏑木さんに「僕は撮影のためには走らない」と言われたんですよ。真意はわからないんですけれど、その言葉がすごく僕の中では印象に残っていて。このプロジェクトの目的は、2019年にUTMBにチャレンジすることで、映像をつくるために走るわけでも、ビジュアルのために走るためでもないと。その姿勢に寄り添って欲しいという意味の言葉だと感じました。
つまり、この3年間はすべてドキュメントで撮るんだ(基本的な考えた方として)、演出として鏑木さんを走らせたり、何かをやらせたりということはしないプロジェクトなんだと思いました。
柘植さんとは、鏑木さんとゆかりのある場所で撮影したいねと話していました。1年目はレユニオンの練習スケジュールに合わせて撮影日が決まっていったので、すぐには撮影を開始できなかったんです。最初の赤城山は10月中旬でしたね。たまたま二泊三日もらえる日があったので、故郷で撮影することにしました。
事前に撮影チームで群馬に通って、ロケハンとストーリー探しをしました。最終的にはご実家と県庁で撮影を行っています。映像の中でプロジェクションマッピングを行っていて、それは赤城青少年交流の家の外壁をお借りして撮影しています。
山屋:ご家族に登場してもらうというのは新鮮なアイデアでした。まさか、そうくるかと。
村松:撮影前にもスタッフだけで二回ご実家に伺いましたよね、たしか。
柘植:そうですね。証言者の中にはご家族がいた方がいいと考えたんです。トレイルランと関係ない人たちの証言があった方が絶対に面白いから。
決め手はレユニオンのゴールでこぼれた言葉
———撮影にあたってチーム全体で共有したキーワードなどはありましたか。
村松:とくにないですね(笑)。
柘植:カメラワークやトーン、音楽といった資料も事前につくってはいたんですが、ドキュメンタリーなので、こういうストーリーにしようと構えて撮ってしまうと、そこに縛られて面白くないんです。なので、こういうのを撮っておいた方がいいんじゃないかなと思う要素を撮っていきました。撮れたものからストーリーを考えていくやり方が今回は正しいんじゃないかなと思っていましたから。鏑木さんはどういう思いでチャレンジするのかとか、どんな想いでこのプロジェクトを進めようと思っているのかといったことを踏まえた上で、撮れた素材からストーリーをつくっています。
最初に鏑木さんにお会いしたとき「トレイルラン愛好者じゃない同世代の人、人生におけるチャレンジなど考えていないような人にも影響を与えられたらいいな」という言葉が出てきました。普遍的なメッセージを伝えたいと。そのためにはまず、鏑木さんがどういう人かを伝えなければいけないなと思ったので、エピソード1は「鏑木毅とは?」というテーマにしました。
当初、レユニオンは別の形でまとめた方がいいと思っていたんです。ところがゴール後の台詞がすごくよかったので、これは入れた方がいいと考えて盛り込みました。正直、僕もああいう形になるとは思っていなかったです(笑)。
村松:僕は現地で撮影していたんですが、ゴールするまでずっとこの映像が結局どうなるのか何も見えなかったんです。レース中、 100位くらいからどんどん順位を上げていったんですけど、このまま行っても絶対に 20 位以内にも入れない、上位には他の日本人選手もいる。いったいどんな顔でゴールするのか、どんなオチなのか、と。とくに100km以降、鏑木さんはエイドで憔悴しきっていましたし。
それで長い時間ゴールで待っていて、ようやく姿が見えてきたら満面の笑みでした。鏑木さんは礒村さんと手を繋ぎながらゴールして、その直後に倒れ込んだと思ったら、突然、饒舌に話し始めました。あの言葉を聞いたとき、エピソード1はこういうストーリーになるんだなと、 僕も初めてイメージが見えてきてホッとしましたね。
山屋:「みっともないんだよ」ですよね。完成映像であのシーンを見た時、鳥肌が立ちました。レース中、僕は日本でずっとトラッキングを追っていたんです。順位を見ながら、どうまとめるんだろうなと監督みたいな気持ちでいました(笑)。大瀬選手や奥宮選手、丹羽薫選手なんかもいて心配だったんです。チームが帰国してきたら、「いいのが撮れました」というので、一体どんな映像になるのかなと視聴者の気分で楽しみにしていました。
村松:100マイルを走る中で、鏑木さん自身が100km以降に答えを見つけたんでしょうね。本来なら止めていたと言っていましたから。この撮影がなかったら、止めていたと。カメラは嘔吐しているシーンも捉えています。110km くらいで補給して、それから 4 回くらい吐いたんじゃないかな。もう胃は空っぽだったと思います。
———証言者の顔ぶれはどのように決めたのでしょうか。
柘植:赤城山の撮影で「いつも昔話ばかりしているんですよね」という言葉を聞いたとき、これは強い言葉だなと。
村松:このプロジェクトで鏑木さんがあえて否定する自分の過去について、雄弁に語れる人たちにお願いしようと思いました。そう考えると『激走モンブラン!』をつくった中尾益巳さん(映像プロデューサー)と、初期から鏑木さんを支えている三浦さんは外せないなと。身内過ぎるという意見もあったんです。でも僕や柘植さんはトレイルランのコアなコミュニティに属していないこともあって先入観なく判断できたのかもしれません。伝えたいことを突き通すための人選だったと思います。結果として、とてもいいお話が聞けました。
山屋:危惧していたのは、自分が知る限り、話が止まらない二人であること(笑)。ちゃんと撮れるかなという心配はありましたね。
村松:確かに話は長かった(笑)。中尾さんは 2 時間くらい話してくださって。でも今回、発言に関しては、柘植さんが選んだシーンかから誰一人、修正依頼はなかったですね。そこはバッチリだったと思います。
柘植:『激走モンブラン!』をどうつくったとか、ディレクターとしてどういう切り口で撮ったかとか、個人的にも勉強になりました。僕自身は本当に鏑木さんのことを知らなかったので。
僕らは、映像を見てくれた人の背中を押したい
村松:今回、柘植さんにお願いしたのは、柘植さんの作風が好きだということはもちろんあるんですけれど、ドキュメンタリーをちゃんと撮ってくれると思ったからです。これだけの年数で一人の人を追うということは、いろんな枠を越えなければいけない瞬間がこれから先たくさん出てくると思います。柘植さんなら、人を追いかけることを面白がってくれて、それを広告表現ではない形でアウトプットしてくれるだろうという気がしました。柘植さんにインディペンデントな部分を感じているからかもしれません。
柘植:生きていく上ではもちろんお金は必要なんですけれど、それ以外に自分にとって得るものがある作品をつくっていきたいと思っています。それがインディペンデント的に見えるのかもしれませんが。
山屋:三年間48歳のおじさんを撮り続けるといのは、なかなかのことだと思うんです。被写体に魅力を感じていただけているのかなと、その辺がちょっと心配になったりもするんですが(笑)。
柘植:もちろん、魅力は感じています。まったく理解できない、自分では真似しようと思わないことをやっていますから。なんでそこまでするのか理由を知りたいというのが、モチベーションですかね。
———撮影していて、柘植さんも走りたくなられましたか?
柘植:トレイルランを自分がやろうという気持ちにはまだなっていないですけど(笑)。ただ、編集している途中で何度かやってみたいという気持ちにはなっています。自分を極限まで追い込むという状態は普段仕事をしている中では生まれませんから、そういうところまで自分を持っていってみたいなという気持ちにはなりました。
山屋:それは嬉しいですね。このプロジェクトに触れた人にそういうところを感じてもらえたらいいなと密かに思っているので。「明日から頑張ろう」とか「新しいことにチャレンジしてみようか」と、自分ごととして感じてもらうのがこのプロジェクトの目的です。そのメッセージはエピソード1にも反映されていると思います。
村松:僕らのゴールはカッコいいトレイルランムービーでもなければ、鏑木毅の栄光を讃える映像でもない。チームで漠然と考えてきたのは、人生の折り返し地点で何をなすかを投げかけて、映像を見た人の背中を押すということ。見た後の気持ちとしてはそこを目指したいなと思っています。
トレイルラン文化を広めるとか、トレイルランのユーザーを増やすことも前提としてはありますけれど、それは決してゴールじゃないんです。
山屋:鏑木さんじゃないと成立しないプロジェクトだと思います。ほかのトレイルランのアスリートだと、ここまで人生観みたいなものを謳うのは難しいんじゃないかと思うんです。鏑木さんは過去の自分を基点に、この先どこに向かっていくかを常に自問自答しているような人。それは誰もが抱える人生の大きなテーマでもあると思うんですよね。
制作チームだけでなく、鏑木さんも表現を探っている
村松:いままでいろいろなアスリートの方とお仕事をさせてもらってきましたけど、ここまで “距離が近い” のは初めてかもしれません。それは人としての距離感というわけではなくて、表現に対する意見をダイレクトに返してくれるという意味です。僕自身、これまでアスリートの方からここまで直接的に意見をもらうことはあまりなかったんです。
———鏑木さんからはどんな意見が?
村松:やはり印象深かったのは、先ほども出てきた「撮影のためには走らない」という言葉。あと「カッコいい映像にはして欲しくない」とも言われましたね。柘植さんにも言っていましたよね。「カッコいいトレイルランムービーは世の中にたくさんあるから、そういうものをつくりたいわけじゃなくて、もっと泥臭く撮って欲しい」と。
山屋:泥臭くとは言っていましたね。
村松:その部分は、完成直前までクリエイティブチームと結構いろんなやりとりをしていましたね。
山屋:お互い真剣なんですよ。それがすごくいいなと思っています。アスリートだとつくり手にお任せのパターンもよくありますよね。でも今回は鏑木さんがちゃんと意見を言ってきて、つくり手がそれに応えるというステップがある。すごくいいなと感じています。
村松:そういうやりとりは、鏑木さんにとっても新しいやり方だったみたいです。
柘植:普段仕事をする中で、クライアントから言われたことにすぐに応じて修正する場合ももちろんありますけれど、今回はそういう現場ではないなと。僕自身も、自分がいいと思うものを主張してつくっていきたいプロジェクトです。
山屋:鏑木さんがこのプロジェクトにコミットしている証なんだなと思います。つくり手も同じ気持ち。だからこのプロジェクトはよりいいものになっていくんじゃないかなと期待しています。
今年を少年マンガでたとえるなら
「ものすごい修行をしている時期」
———今年もすでに撮影が始まったと伺いました。
柘植:鏑木さんご自身、「いままでやってきた練習と同じことをしていてはUTMBにチェレンジできない」と言っています。ではいままでやってきたこととは何かとか、どれくらい追い込んでいくのかを今年は撮っていくことになると思います。
村松:レユニオンの後、鏑木さんは「胃腸のトラブルがなかったら 20 位くらいに入っていただろう」と言っていたらしいんです。そして「中途半端にいい結果にならなくて、かえってよかった」と。あの結果があったからこそ、ゼロから立て直すぞという気持ちが湧いてきたのだと思います。
柘植:僕、実は聞いてみたんですね、いまの段階でUTMBを走ったら何位くらいなんですかと。
村松:その質問(笑)
柘植:そうしたら「100位くらいじゃないかな」と仰って。じゃあ、どうするんですかと聞いたんです。そうしたら「いままでと違うことをやらないといけないな」と言っていました。
村松:柘植さんの柔らかい物腰がいいんですよね。そう、思い出しましたけど、県庁時代の元上司の増田一郎さんにご登場いただいたのも、現場で 柘植さんが交渉して急遽、決まったんです。あの日は、県庁の最上階で鏑木さんが思い出を語るシーンを撮影する予定でした。そうしたら、増田さんが飲み物を差し入れに来てくれて。すると柘植さんが、「この後、お時間ありますか? ちょっと出演していただけませんか?」と話して、出演してくださったんです。
柘植:いや〜、せっかくだしと思って(笑)。
———とても印象的なシーンでした。
柘植:本編には入っていないんですけれど、トレーラーでは「彼は現役にこだわっている」という台詞も入っています。“現役”という言葉は鏑木さん自身もよく言っていることだったので、この方は鏑木さんのことをよく理解しているんだなと感じました。
村松:増田さんは鏑木さん宛のメールには必ず「鏑木選手」と書くらしいです。
ーーーさて、2018年はどんな展開が待っているでしょう。
山屋:UTMBというゴールは決まっています。でも、そこに至るプロセスは本人次第なので、コミットしていく制作スタッフもよほどの覚悟がないと出来ないなと思います。その覚悟を決めてくれたこと、船が動き出したことが自分はすごく嬉しいんです。
村松:本当に鏑木さん次第なところが大きいですね。でもスポーツってどんな結末であれ、真剣に取り組んでいる姿は面白い。むしろ、ずるいなと思いますよ。今年は昨年より撮影日数も増える気がしていています。2017年は、ある意味で出来すぎたスタートだった。不本意な結果だったレユニオンからどれだけ鏑木さんが変わっていくか、リアルにその様を追っていくことになると思います。
山屋:自分はサポートするメーカーとして、ウェア開発やリカバリーやコンディショニングのノウハウをしっかりと提供していきたいですね。富山のテック・ラボも活用したいと思っています。こうした活動も、レースの瞬間だけでなく3年に渡って追い続けるからこそ出来ることだと思いますね。
柘植:僕が思う2年目のイメージは、少年マンガでいえば、強敵ボスに立ち向かったけれどもぼろぼろにやられて、すごい修行をしてもう一度立ち向かうみたい流れの中の「すごい修行をしているところ」ですかね。
村松:キャプテン翼でいうところの、雷獣シュートを生んだ日向くんが波に向かってボールを蹴るところとか(笑)。
柘植:ドラゴンボールならカリン塔に行くところとか(笑)。修行って、だいたい面白いじゃないですか。
山屋:その時に出会う仲間とかが絡んできたりして(笑)。いいですね。短いレースはフィジカルだけで乗り切れますけど、長いレースはフィジカルとメンタルが密接に絡んでいて、そのバランスを科学的に証明するのは難しいらしいんです。日本だと修験道に秘密があるんじゃないかと鏑木さんは以前から言っています。
長いレースだと必ず心身ともに落ちる瞬間があって、そこから這い上がっていく力が人間にはあると。そのとき、その人のベースとなるよりどころみたいなもの=マインドが出てくると言っています。鏑木さんにとってはそれが箱根駅伝に対する挫折感らしくて。それがベースにあるから、何くそと這い上がっていけると。100マイルで成功する人は、必ずそういった挫折感を持っているといいますね。
柘植:こんなことを言っていいのかわからいんですけど、僕はトレイルランのプロモーションをするつもりも鏑木さんのプロモーションをするつもりも、ゴールドウインさんのプロモーションもするつもりはなくて(笑)。それらすべてから受けとったメッセージを込めて映像をつくっていきたいと思っています。
村松:これからますます大変になってくると思いますよ、きっと。
山屋:このプロジェクト自体、こちらから何かを働きかけるというより、鏑木さんが心の底からやりたいことに対して、こちら側が寄り添うスタンスが一番いい。だからその時が訪れるのを僕らは待っています。
『NEVER』公式サイト
http://never.trailrunningworld.jp
『NEVER〜Episode1』Staff
Project director: Noriaki Oshitari(Cloud9 inc)
Executive Producer, Planner: Ryo Muramatsu(SHIKAKU inc)
Chief Producer: Tetsuya Sugimoto(kusabi inc)
Production manager: Mochizuki Akihiro
Director: Yasuhito Tsuge(November Inc)
Assistant director: Yoshimi Joya(November Inc)
Director of Photography: Kenichi Muramatsu(55 inc)
Réunion-Video Photographer: Shinji Yagi(55 inc)
Camera Operator: Toshiki Akaike
Drone Operator: Hisanori Kato(RIGHTUP inc)
Projector Operator: Takatoshi Shiozaki / Yukari Ochiai(transwork)
Sound Recordist: Kei Nishida / Jun Minamikawa(HIROO MEDIA STUDIO Inc)
Art director: Takuo Yamamoto(takuo.tokyo)
Translator: Ryohei Nakajima
Colorist: Yasuo Fukuda
Sound Mixer: Ryoma Ochiai
Music:Kohei Chida(Current)
Web Director: Jun Nakajima(incode)
Japan-Photography: Shinji Yagi(55 inc)
Réunion-Photography: Sho Fujimaki
Project adviser , Writer: Shinsuke Isomura
Prod co: Cloud9 inc, SHIKAKU inc, 55inc, kusabi inc
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Photo:Takuhiro Ogawa
Interview&Text:Yumiko Chiba