今回は、トレイルランナー石川弘樹さんの奥さま・枝里子さんが初めての高所登山、アフリカ最高峰キリマンジャロ(5,895m)を目指すお話。先にアフリカに渡り、仲間とウガンダを旅していた弘樹さんに合流する形で、2019年1月初旬、枝里子さんはタンザニアに渡ります。
日頃は石川さんがプロデュースするすべての大会で、裏方として献身的にサポートする枝里子さんですが、今回は石川さんがサポートする番。国内外で自由にトレイルランを楽しむ枝里子さんにとって、初めてのキリマンジャロ・トレッキングはどんな経験だったのでしょうか……。細やかな視点で、8日間にわたる旅の記録を綴ってくださいました。
キリマンジャロ登山をサポートしてくれたガイドやポーター、コックたちと
ーー 寄稿・石川枝里子さんーー
初めてづくしのタンザニア旅。
旅のはじまりは情報収集から
低酸素ルームで高所馴化
師走真っただ中、ビザ取得のため、人生初の大使館へ。
このご時世、インターネットで調べると親切かつ丁寧にタンザニアのビザ申請書の書き方を解説してくださっている方がいる。ありがたい。
住宅地の真ん中に、突如現れた大使館。中に入ると、応接間のような空間にガラス張りの受付があり、日本人の女性スタッフの方が座っていた。書類を渡し、5分ほど待つ。「24時間以内に連絡がなければ振り込んでください」と言われ、手続きは終了した。1週間後、また大使館を訪れパスポートを貰った。ビザの取得完了!
続いては身体の準備。
今回はなんと、アフリカ大陸の最高峰(標高5,895m)で、麓から山頂までで地球上全ての気候を体験できると言われているキリマンジャロ山に登る!実はこれ、弘樹さんからのサプライズプレゼント旅行。サプライズの規模が大きすぎる(笑)。
アフリカの地に立てるだけでも貴重な経験なのに、6,000m近い山へ登るとは!弘樹さんから「ミウラ・ドルフィンズに行って、低酸素トレーニングしてきなね」と言われ、さっそく電話し、予約を取る。
初回は海外高所テストを受ける。あらかじめ書いていった問診票を提出し、体重、血圧、呼吸機能測定などを測定した。
ここでサプライズ!なんと、アコンカグア登頂を目指す三浦雄一郎さんにお会いすることができた。トレーニングをされていたようで、「頑張ってね」というお言葉をかけていただき、この一言で登頂できる気がした。
続いて低酸素室に入り、トレーナーさんから呼吸法や歩き方などのレクチャーを受ける。この間ずっとパルスオキシメーター(動脈血中にどのくらい酸素が供給されているかを測る機器)を指先に付けて表示される数字を見ながら、どうすればこの数値が上がるのかを試行錯誤する。
通常の状態で95以上が正常値。しかし、低酸素室に入るとみるみる下がる。この状態で軽い運動。気を抜くとすぐに数値は落ちてしまう。
そして仮眠。眠りに落ちては起き、起きては眠りを繰り返す。数値が下がると決まって起きてしまう。測定結果をもらい、この日は終了。
後日、4500m、5000m、5500m、6000mのトレーニングを受ける。回数を重ねるごとに感覚で数値が下がっているのか、上がったのかがわかるようになってきた。身体の準備も万端!なはず。
そして装備の準備。
寝袋の分厚さは?ウェアは?ザックは?食べ物は?など「?」がいっぱいだったが、ミウラ・ドルフィンズのトレーナーさんから話を伺ったり、インターネットなどで情報収集するなどして、装備を固めていく。たまにコンタクトが取れる弘樹さんにも相談し、準備を進めた。(弘樹さんはアフリカで別の山にも登るため、先に出発していた)
アフリカの山と言えど、山頂付近は-15℃くらいまで冷え込むという。真夏~厳冬期のウェアまで各種揃える。いつものトレランスタイルの旅よりも装備は多く、大きな違いといえば、登山靴、ストック、分厚い手袋、寝袋。登山時には、ポーターさんが荷物を持ってくれるのでザックは28リッターのものを選択。
装備の準備もでき、出発日を迎えた。
ガイドやポーターなど7名がサポート
想像以上に至れり尽くせり
フライトは羽田発ドーハ経由キリマンジャロ空港行き。2週間ほど前からウガンダの旅をしている弘樹さんとはキリマンジャロ空港で待ち合わせ。無事に会えるかドキドキしながら飛行機に乗り込んだ。
約18時間後、飛行機を降りるとモワっと熱風が身体を包む。タンザニアに着いた!という実感がわいてきた。キリマンジャロ空港は、こじんまりしたカワイイ空港。入国審査も無事に通過、荷物を受け取り出口へ。
日焼けして真っ黒になった弘樹さんがこちらに向かって手を振っている!!2週間ぶりの再会!元気そうで安心。現地のガイド会社の方にモシという町にあるホテルまで送ってもらう。
キリマンジャロ登山はガイドが必須なので、弘樹さんが事前に手配をしてくれた。なんと、弘樹さんと私の2人に対してガイド、サブガイド、コック、コック助手、ポーター3名の7人でサポートしてくれる。コックさんは毎日3食ご飯を用意してくれ、さらには朝と夕方にあるティータイムにおやつまで用意してくれる。至れり尽くせりだ。
ホテルまでの約1時間の道のりは、窓に張り付いて景色を堪能した。街中にはカラフルな布(カンガ)をまとった女性たちがバナナなどフルーツを売り、男性がナタを振り回し草刈りをしている。道沿いには自動車整備工場や家具屋さん、スーパーなどさまざまなお店が並んでいた。
ホテルに到着しチェックインを済ませる。クーラー付きの綺麗なお部屋。休憩もそこそこに明日からの登山の準備を始める。
登山に必要なものだけを抽出し、さらに、自分で持つもの(当日必要な装備)とポーターさんに持ってもらうものとに分ける。ポーターさんはその日の工程が始まると先に次の目的地を目指すので、行動を共にすることはないのだ。
タンザニア2日目。
ガイドさんがホテルに迎えに来てくれる予定なので、それまでに朝ご飯を食べ、準備を整える。朝ご飯はバイキング形式で芋のココナッツ煮や野菜炒め、トーストのほか、卵を好みの方法で料理してくれる。マンゴージュースにハイビスカスジュース、紅茶、緑茶、もちろんキリマンジャロコーヒーも用意してあった。緑茶があるのが意外だった。
ガイドのアベルさんがホテルに到着した。とても優しそうな方だ。アベルさんより登山の行程を説明していただいた。いくつかあるルートの中から、一番メジャーなマラングルートで山頂を目指す。山頂のウフルピークまでは約39㎞で、往復約78㎞の道のりを私たちは5日間かけるプランだ。
ホテルから車で移動すること約1時間。数ある登山口のひとつであるマラングゲートに到着。とてもきれいに整備されており、水洗トイレはもちろん、広い駐車場も完備、入山届を記入する国立公園管理事務所、お土産屋さんまであった。
スタートポントのマラングゲートで、ガイドのアベルさんと
ちょうど下山してきた人達と今から登る人達、ポーターさんなどで混雑していた。ふらふらになりトボトボ歩いている人を見るといかに厳しい登山だったかがわかる。私もあんな風になるのかなと思いながら、コックさんが用意してくれたランチボックスを食べる。ランチボックスにはバナナやパン、焼いたチキン、クッキー、フルーツジュースなどが入っていた。このランチボックスはこれから毎日お昼にお世話になることとなる。
キリマンジャロ国立公園内には「ペットボトルを持ち込んではいけない」というルールがある。そのため、初日は各自ボトルやハイドレーションに水を入れて持っていく。2日目以降は、コックさんがハット(山小屋)の近くにある沢の水を煮沸して渡してくれた。
なかなか豪華なランチボックス
このルールは、とても良いなと思った。ペットボトル持ち込み禁止なので、ペットボトルのごみが全く落ちていない。日本の山でも行ってほしいところだが、山小屋の収入が減ることを考えると良いとも言えない。でも、個人的にはこのルールをマイルールにしようと思う。
話がそれてしまったが、装備チェックを済ませ、サブガイドのアルフレッドさんと合流し、いざ出発。
2秒に一歩のスローペース
とにかく水を飲むこと
この日は標高1,860mにあるマラングゲートから標高2,720mのマンダラハットまで約8キロの樹林帯をすすむ。トレイルはとてもきれいに整備されており、歩きやすい。走りたくてうずうずしてしまうトレイルなのだが、とにかく走ってはいけないというトレーナーさんからのアドバイスを守り、テクテクと歩く。
日本では見ることのできない植物や虫に目を奪われ、米俵ほどの大きさの荷物を頭に乗せているのにも関わらずスタスタと歩くポーターさんに驚き、写真を撮影し、ガイドさんにいろいろと教えてもらいながら進む。歩く事でゆっくりと自然を楽しむことができる。
トレッキング中にはこれまで見たことがない植物や昆虫と出合った。写真はジャイアントセネシオ
スタートから3時間半ほどでマンダラハットに到着した。三角屋根の小屋が点在しており、日当たりの良い所にはソーラーパネルが設置してある。ガイドさんに案内され、今日の宿である小屋に入る。小屋には4つの簡易ベッド(マット、枕付き)があり、他の登山客とルームシェアする。私たちがついた時にはすでに1人の男性が寝ていた。そこにアベルさんが、ポーターさんが運んでくださった荷物を持ってきてくれた。ポーターさんがいるから自分たちは30リッターほどのザックで登ることができている。ほんとに感謝しかない。
この後、ティータイム。紅茶、コーヒー、ホットチョコレート、砂糖、ポットに入ったお湯が用意されており、各自で好きなものを選びお湯を注ぐスタイル。おやつにポップコーンまでついてきた。毎日、朝と夕方にこのティータイムがある。厳しい登山になると思いきや、優雅である。
1時間ほどすると夕食の時間だ。既に他のチームがワイワイと夕食を楽しんでいる。各チーム、メニューもばらばらだ。私たちのメニューは、バジルスープ、フライドポテト、牛肉、野菜ソース、アボカド、パン。どれも美味しく、まさかこんなご飯が食べることができるとは思っていなかった。もしも自分たちで食料までもって上がるとなると、確実に全食フリーズドライだっただろうなと思いながら、美味しく頂いた。
明日の分の水分(お湯)を各自ボトルやハイドレーションに詰める。お湯が少し黄色いが問題ない。アベルさんと明日の打ち合わせをし、就寝。だいたい毎日がこの流れだ。
他の登山者とともに小屋の食堂で晩ご飯
タンザニア3日目。キリマンジャロ登山2日目。
この日は標高2,720mのマンダラハットから標高3,720mのホロンボハットまで11キロ。樹林帯を進んでいくと、だんだん木の背丈が低くなっていき低木帯になる。
その中にひときわ大きいジャイアントセネシオという木が生えていた。この種類だけ3~5mほどある。異様な光景だ。
ホロンボハットに到着。さすがに3,720mは寒い。スリーシーズンの寝袋で大丈夫と言われていたが、やはり冬用の寝袋を持ってきて正解だった。例として書かれている装備はあくまでも例であり、必ずしも自分に適しているものとは限らないので自分が寒さに強いのか、弱いのかなど考えて装備をチョイスすることが大事だと感じた。
上)低木帯にて 下)3,720mホロンボハットに到着!
タンザニア4日目。キリマンジャロ登山3日目。
今日は標高3,720mのホロンボハットから標高4,703mのキボハットまで約9㎞。今日、自分の人生最高の標高となる。今日頑張りすぎると、明日のアタックの時に力が残っていない気がしたので、とにかくゆっくり歩く。
3,800mを超えたあたりで弘樹さんに富士山の高さを越えたよと教えてもらう。ここからは未知の世界。とにかく、自分の身体に少しでも多くの酸素を届けることを考え、たくさん水を飲むことも心掛けた。おかげで、歩いているときには高山病の症状は出ることはなかった。弘樹さんは10日前に5,109mのルウェンゾリ山に登っているので何ともない様子。
低木帯から砂漠帯へと変わり、キボサドルが目の前に広がった。本来なら正面にキリマンジャロを見ることができるはずなのだが、あいにくこの日は曇り時々雨。果てしなく遠くまで続くこの道を2秒に1歩の速さで進む。
どこまでも続く砂漠地帯。休憩をはさみながら進む
15時前にキボハットに到着。今日の宿は石作りの大きな小屋で、大部屋が4~5部屋と食堂がある。大部屋にはすでに7~8名の登山者がいて、思い思いに過ごしていた。
アベルさんにアタックの予定を教えてもらう。私の歩くペースが遅いので、出発を早めるとのこと。本来なら0時に出発予定だったのが1時間前倒しとなり、22時に起床、22時半に軽食、23時出発に決定。事前情報では、このキボハットではあまり眠れなかったという話を聞いていたが、私も例外ではなかった。寝ては起き、寝ては起きを何度かくりかえしているうちに起床時間。
登頂前の夕食。標高が上がり、小屋の中もかなりの寒さ
高山病に襲われつつも、ついに山頂へ。
でも肝心の景色は……!?
タンザニア5日目。キリマンジャロ登山4日目。
起きて準備をしていると、胃からこみ上げるものが……。やってきました高山病。食欲はなく、それでも何か食べなくてはいけないと思うが、のどを通らない。唯一、水分は大丈夫だったので、紅茶に砂糖をたくさん入れて飲んだ。
そして出発。キボハットからギルマンズポイント、ウフルピークを目指す。アベルさんとアルフレッドさんはまさかの手ぶら。昨日まで、70ℓくらいのザックに荷物パンパンにして背負っていたのにどうした!? と驚いていると、私たちに何かあった時に担いで下りられるようにとのこと。このガイド魂には頭が上がらなかった。先ほど吐いてしまったと言うと、アルフレッドさんが荷物を持ってくれた。頼もしい!私の装備はヘッドライトとトレッキングポール、ポケットにスマホのみ。
予定では、ウフルポイントまで7時間。真っ暗な闇の中をヘッドライトの明かりを頼りに進む。キボハットからギルマンズポイントまでの道のりは急な登りで、先行している登山者のヘッドライトの明かりが見え、まだ登りが続く事を否応なしに確認できてしまう。高山病はというと、頭痛もなし、吐き気もない。意識的に深く息を吸うことを行っていたからか。
歩き続けて2時間ほどで初めての休憩。弘樹さんは手ぶらのガイド2人に自分の持ってきたナッツやクッキーを渡している。こんな状況でも周りを見て、気を遣えるところは本当に尊敬する。自分の事しか考えていなかった私はものすごく申しわけない気持ちになった。
ギルマンズポイントまであと少しという所から岩場になってきた。岩にはうっすらと雪が積もっている。気温はぐっと下がり、アルフレッドさんに持ってもらっていたハイドレーションも着ていた服も凍り始めた。
ギルマンズポイントに近づくにつれ、積雪量が増えていっている。ギルマンズポイント到着したが、ギルマンズポイントと書かれているはずの標識が凍って白くなり、何が書いてあるかわからない。雪を落とそうとするがカチカチに凍っていて取れない。あきらめ、写真を撮る。
そして山頂、ウフルピークを目指した。あたりは真っ白。踏み外すとどこまで落ちていくかもわからない。あられも降り出し、顔にピシピシと当たって痛い。髪、眉毛も凍った。ガイドさん曰く、今日は悪いコンディションとのこと。それは私にもわかる。
念願のウフルピークに到着すると、今までの辛さがふっとび、喜びに変わった。5,895mもあるこの山に登れたこと、この悪条件の中、登頂できたことが自信になった。でも、山頂の標識、山頂からの景色、氷河は見たかったな……。
既に、10名ほどの登山者が写真撮影を終えて帰ろうとしていた。その内の1人にお願いをして写真を撮ってもらった。撮影終了後、すぐに折り返す。滞在時間5分ほどだったと思う。とにかく寒くてとどまるという選択肢はない。
私たちが下山していると、ぞろぞろ歩く50名以上の登山者とすれ違った。中には両脇を抱えられてずるずる引きずられている人まで。高山病にやられたのだろう。私たちは、出発を早めたこともあり早めに到着していたので良かった。この大人数の写真待ちをせずに済んだのだ。この極寒の中、この人数の写真待ちはつらい。
雪で景色は望めなかったけれど、キリマンジャロ登頂は自信につながった
最後の宿泊日
夕闇に響いたキリマンジャロの歌
下りは標高を下げるので、スピードアップしていく。富士山の大砂走のような砂地をガンガン降りる。3時間20分ほどでキボハットに到着。まだ朝の9時だ。ひとまず、ティータイム。ちらほらと登山者が帰ってくる。皆、疲れ切っていた。中にはウフルピークまで行けなかった人もいたようだ。
ティータイムを終え、1時間ほど仮眠をとり、ホロンボハットまで下る。往路とは比べ物にならないほどスタスタと歩けた。
今日は、最後の宿泊日。夕食後には、ガイドさんはじめ、ポーターさん達オールスターズが集まってキリマンジャロの歌を披露してくれた。このメンバーに支えられ、登頂できたかと思うと感慨深かった。アベルさんに今まで何回キリマンジャロに登ったのか聞いたところ、209回登ったそうだ。私たちと下山した翌日からまた登るらしく、彼は「ウフルピークが僕のオフィスだ」とさらりと言った。かっこいい。
タンザニア6日目。キリマンジャロ登山5日目。
約19kmをとにかく下る。途中、米俵級の荷物を担ぎいだ若いポーターさんが走って下って行った。足元はまさかのバンズ。結構な勢いで下って行ったので驚いた。彼が荷物を持たずに山を走るところを見てみたいとさえ思った。すごいポテンシャルを秘めていると思う。
標高を下げるにつれ蒸し暑くなり、もうすぐこの日々も終わってしまうのだなと寂しくなる。初日に通ってきたゲートをくぐり、無事に下山。受付に行き、登頂記録をもらう。登頂証明書にはナンバーが書いてあり、おそらく登頂者の人数だろう。私は41万3951番という数字だった。今まで登頂できなかった人もいるはずなので、相当な人数がこのキリマンジャロ山のピークを目指したのだろう。
少し休憩したのち、車でホテルまで戻る。ホテルで昼食をとり、洗濯&片付けをしているとイスラム教の礼拝の時間を告げるアザーンが響き渡る。街に戻ってきた実感が湧いた。
旧友との再会
バナナ畑とコーヒー園を駆け抜ける
翌日、弘樹さんが18年ぶりに友人のサイモンさんと会う。彼は、弘樹さんがアメリカに武者修行へ行っていた頃からの友人で、ウェスタンステイツでも競い合った仲だという。サイモンさんは、過去にキリマンジャロの登頂最速記録も出している!(キリマンジャロ山の周りを走るステージレースを行っているので気になる方は是非!)
まずは彼の職場や自宅、農園などを案内してもらい、その後、3人で走りに出かけた。街から少し離れているところなので、田舎っぽい雰囲気。土壁の家が点々としている中をすり抜け、バナナ畑やコーヒー畑を走る。
すれ違う人々が「ジャンボ!」とあいさつをしてくれ、子供たちが走ってついてくる。皆がフレンドリーだ。旅行者としては走ることのできなかったであろう場所をサイモンさんがいることによって走ることができた。私にとっては、サファリツアーに行くよりも価値のある時間だった。
ホテルへ戻り、少し休憩したのち、町へくり出した。タンザニアに来てから街中を歩くのは初めて。みんな「ブラザー!」「シスター!」と、とてもフレンドリーに声をかけてくる。何かを売りたい人、サファリなどのツアーの呼び込みだ。最初、とてもショックだった。「ブラザー!」と近寄ってきて弘樹さんと親しそうに話している。
「知り合い?」と聞くと、「全然知らない」という。サファリの勧誘だったそうだが、値段も決まっておらず、交渉次第という感じ。とにかくひたすらついてくる。スーパーに入って飲み物を買おうとすると、お金を支払おうとまでしてくれる。ちょっと怖かった。
タンザニア7日目。
モシからバスで2時間ほどのところにある、アルーシャという町へ。バスは出発時間は決まっておらず、席が埋まれば出発のようだ。暑い中、クーラーはない。街を出て大きな道路を走る。停留所イコール町といった感じで、降りる人、乗る人がいれば停車する。町にはバイクタクシーのお兄さんがバイクにまたがって待機している。まるで、ジャマイカ映画『Rockers』のリロイ・ホースマウスのようでかっこいい。
アルーシャの町には2時間ちょっとで到着。街を探索し、ご飯を食べ、お土産を物色する。この町で例のごとく声をかけてきたシャバンさんという男性と弘樹さんが交渉してくれた結果、明日は念願のあの場所へ!!
町での食事風景 。肉料理も魚料理もおいしかった
もしひとりだったら、
この場所に立つことはなかっただろう
タンザニア8日目。
シャバンさんがホテルに迎えに来てくれ、念願のあの場所へ向かう。目的地にただ行くだけかと思いきや、超ローカルな市場や巨大なサトウキビプランテーションも車で案内してくれた。モシを出てから2時間ほど走り到着。マサイ族の村だ。マサイ族と言えばケニアというイメージだったが、ケニア南部とタンザニア北部の先住民族なのだ。
スラっと背が高く、細身で赤い布をまとい、杖を突いた男性が立っている。まさに私がテレビで見た格好だ。かっこいいという言葉よりも、美しいという言葉が合う。シャバンさんが村の村長さんに話をしてくれている。その間にどこからともなくぞろぞろと人が集まってくる。マサイ族の女性はとてもカラフルな布をまとい、ビーズで作られたアクセサリーを身に着けている。大勢集まるとより一層華やかで美しい。
シャバンさんと村長さんの話が終わるやいなや、歓迎の儀式が始まった。皆が歌い、踊り、跳ねる。儀式が進んでいくうちに、男性陣がすさまじい跳躍力を見せてくれた。助走もなくその場で何度かジャンプを繰り返しているだけなのになぜあんな高さを、美しく飛べるのだろう。とても謎だった。
儀式が終わり、彼女たちが衣装を着せてくれた。綺麗なブルーの布にビーズで細工が施してある。首にはビーズで作った土星のワッカのような形をしたアクセサリーをつけてくれた。彼女たちは、こういったビーズアクセサリーなどを販売し、収入を得ている。携帯も持っており、男性は夜になると街へ出て警備の仕事をするらしい。現代の良いところを取り入れ、伝統も残しつつ生きている。これからも、あの赤の布はまとい続けてほしいと願う。
これでタンザニアの旅は終わった。
今回の旅では、高所の苦しさ、アフリカの土っぽい空気、スパイスの効いた料理の味など写真、テレビでは伝わってこなかったものを自分自身で感じることができた。カルチャーショックも多かったが、いかに自分の知識や経験が浅いか、どれだけ日本が便利な国(物が何でも揃っている)なのかを改めて考え、いろいろと学ばせてもらった。
弘樹さんと一緒になっていなかったら絶対にキリマンジャロに登ってなかったし、アフリカにも来ることはなかったと思う。こんなスペシャルな機会を与えてくれた弘樹さんに感謝です!
アサンテ サーナ!!
2019年3月
Special Thanks:石川弘樹