フォトグラファー永易量行のロングラン「国道20号234kmを走る旅」

アウトドア雑誌やブランド広告など、さまざまなメディアで活躍するフォトグラファーの永易量行さん。2016年『山物語を紡ぐ人びとvol.20』にもご登場いただいた永易さんは仕事の合間をぬって、例年『阿蘇ラウンドトレイル』や『信越五岳トレイルランレース(110km、100マイル)』などに出場してきた。

新型コロナウイルスの影響で、いまだ国内外のトレイルランレースは開催が困難な状況が続いているが、そんななか、永易さんは昨年(2020年)秋にひっそりと個人的なチャレンジを行っている。全長234kmに及ぶ「国道20号を始点から終点まで走る旅」だ。

旅のスタート地点、日本橋の麒麟像で Photo:大崎荘太

2020年秋、長野に向けて
甲州街道の始点から終点まで

ーーーInstagramのストーリーズを拝見して、当時リアルタイムで永易さんの挑戦を知りました。もしや国道20号を走るのか、なんと渋いチョイスをされるのかと少々驚いたのです。

永易:理由は明快で、コロナでいろんなレースが中止になってしまったからです。かといって個人的なトレーニングは続けているわけで、逆に例年よりよく走れているんですね。以前は平日10km程度のロードランを行い、週末は20〜30kmの走り込みをしていたんですけれど、ここ数年は故障しやすくなったので、週末は区のスポーツセンターでの筋トレをメインにしていました。

ところが昨年は長期間、そのスポーツセンターがコロナの影響で休館となってしまい、30〜50kmくらいのロングランに戻しました。僕の場合は大会が中止になっても走るモチベーションには影響しないんです。もちろん、残念な気持ちはありますけれど。

ただターゲットレースがないと心身のピーキングもテーパリングも必要ないでしょう。追い込んでいるつもりでも帰宅後に立ち上がれないほどまでは追い込んでいないわけです。50km走ったといっても余力があって、結局はトレーニングレベルなんですよね。それほどやり切った感はないわけです。

ーーー『信越五岳トレイルランレース』に出場される際には毎回、ご家族が集ってサポートされているのが印象的でした。

永易:信越五岳は実家の年中行事のような意味合いもあるんです。それがなくなって9月の連休が空いてしまったので、前後を休みにして長距離走をしようかと。日本橋のスタジオから横浜の自宅まで50kmくらいの帰宅ランは頻繁にしていたので、ワンウェイの帰宅ランには馴染みがありました。それで当初は、横浜から実家のある長野県茅野市まで走ろうかと計画しました。

日程が近づいてきたとき、せっかくならもっと分かりやすいルートがいいかと思ったんですね。自分にとって未知の距離でもあるので、目標設定とて単純明快な「甲州街道の始点から終点まで」にしたんです。

ーーーまず、どのような準備をされましたか?

永易:仕事の合間に2週間くらいかけて準備をしました。私はカシミール3Dが使えないので、『阿蘇ラウンドトレイル』などの企画・運営を行っているユニバーサルフィールド代表の高木智史さんにお願いして、高低差図を出力してもらいました。国道20号って想像以上にアップダウンがあるんです。

あとは、グーグルマップを見ながら補給場所のコンビニを決めていきました。一応、参考タイムも出しています。コンビニは約10kmごとにあるので、10kmを1時間半のペースで刻むスピードを想定しました。かなりゆっくりなんですよ。

カシミール3Dで高低差図を作成し、携帯しやすいよう防水加工を施した。最下部に赤字で記しているのが想定タイム
日本橋から高出交差点までの実際の通過タイム


笹子トンネルは峠へ
熊が出るので明るい時間に

永易:国道20号の起点の表示がある日本橋から、夜9時50分にスタートしました。ありがたいことに、国道20号には1kmごとに「日本橋から○○km」という表示があるんですね。僕は今回、初めて知りました。

ーーープランニングで気をつけたのはどんなことでしょうか。

永易:準備中にたまたま仕事でプロトレイルランナーの小川壮太さんがスタジオにいらっしゃったので、山梨が地元の彼にいろいろ聞いてみました。すると「国道20号の笹子トンネルは法律的には歩行者も通行できるけれど、実際には非常に危ない。峠へ巻いた方がいい」というアドバイスをしてくれました。

このトンネルは「新笹子隧道」というんですけれど、二車線の幅がギリギリなんです。大型トラックが肩に触れるくらいの近さで通過していくらしい。トンネルを巻くと10km距離が伸びるんですけれど、迂回することにしました。

ーーーそういう情報は非常に重要ですね。

永易:本当に助かりました。あと「峠は熊や野犬が出るから夜間は通らない方がいい」とも教わりました。なので、このエリアを明るいうちに通過することを想定して、タイムスケジュールを組んでいきました。

そこから逆算して、日本橋を夜スタートすることにしたわけです。あと「大弛峠は歩道がなくて危ない。八王子から相模湖まで大型トラックがものすごく通るので、昼間通過した方がいい」というアドバイスをくれたのは、これも仕事でたまたまお会いしたアートスポーツの鈴木健司さんでした。つまり、大弛峠から笹子峠までを昼間に通過する必要があったわけです。日本橋からの距離でいうと、大弛峠は70km地点くらいですかね。

ほかにも、地方ではコンビニが24時間営業でないところもありますし、コロナの影響もあるので営業時間を調べました。閉まっていたらショックですから。

Instagramストーリーズから

ただただ足の裏が痛くなるということを知る

ーーー装備の面では何か工夫されましたか。

永易:シューズがロード用という以外は、ほぼトレイルランレースと同じ装備です。ただコンビ二があるのでハンガーノックの危険はないから、ジェルはいらないかなと持ちませんでした。

ーーー夜間のロード走は車からの視認性が悪いといいますが、気をつけたことは?

永易:ヘッデンのほかに小さく点滅するランプをザックにつけていたので、とくに怖い思いをすることはなかったですね。むしろ心配だったのは距離。笹子峠を越えたあたりから、自分にとっては未知の領域でしたから。これまでロードのウルトラマラソンレースには出たことがなかったので、ロードの最長は帰宅ランの70km。トレイルは100マイル走っていますけれど、トレイルとロードは地面の固さが違いますね。足の裏が痛いって5万回くらい思いました。

ーーートレイルの場合は路面状況が変化するため、脚のいろいろな筋肉を使い分けますけれど、ロードだと同じ動きの反復ですから、手で例えると延々と拍手をしているような感じではないですか?

永易:そういうことなんですよね、足の裏が。そのあたりも未知の経験だったので、やってみないとわからなかったんです。ふくらはぎや太ももはそれほど疲労していないのに足の裏だけが強烈に痛くて、コンビ二で止まるととにかく足の裏のマッサージをしました。マメとかはできませんでしたけれど。

ーーー胃腸はどうでしたか?

永易:トレイルレースでも胃腸がダメになることがあるんですけれど、今回はずっと大丈夫でした。理由は明確じゃないけれど、ジェルをまったく摂らなかったのがよかったのかなと想像しています。ゆっくりエネルギーになるものを摂ればいいかなと思っていましたので、休憩ではおにぎりや漬物を食べていました。

これまでレースでは45分おきにジェルを摂っていましたが、これからは試しにレースでも止めてみようかなとも思っています。この発見も自分にとって収穫でした。

水分は序盤スポーツドリンクで、途中からはお茶と水をボトルに入れていました。粉末のアミノ酸のようなものもとくに摂りませんでしたね。ゴールまで43時間58分かかったのですが、1万5000キロカロリー消費していたようです。

ーーー仮眠はとりましたか。

永易:弟夫婦が途中から車でサポートしてくれたので、車の荷室で一度短い仮眠をとりました。ものすごく眠くなって、これはやばいなと思ってね。眠る前にエナジードリンクを飲んで効いた頃に目覚めようと作戦を立て、15分で起こしてもらいました。

ところが韮崎に上がっていく坂の途中で、また眠くなってしまって。二日目の夜9時頃ですかね、身体的にきつかったのはこの時間帯です。朦朧とした状態でとぼとぼ歩いていたら自販機があり、エナジードリンクがあったのでまた飲みました。

飲んだ直後は効いたんですけれど、だんだん吐き気がしてきて。160km地点くらいがかなりきつかったです。嘔吐したわけでもなく、その後も食べられたんですけれど、メンタルがやられたというか。脳から「即中止せよ」という指令が出ているような感じですね。そこから5時間くらい、夜が明けるまでが辛かった。北杜市の武川と白州の間くらいで夜が明けてきました。

Instagramストーリーズから

ロードのロングランなら
レースじゃなくてもいいんじゃないかと

永易:太ももとかハムストリングスとかお尻の筋肉も疲労していたから、コンビ二では階段が上がれなかったりするんですけれど、それ以上にとにかく足の裏が痛すぎて。トレイルより高低差も少なく、ただゆっくり走っているだけなのにここまで疲労するんだということも発見でしたね。あと初めてアキレス腱が痛くなって、テーピングをしました。反復動作だからか思いもよらない場所が痛くなったんですよ。1キロ12分くらいのペースまで落ちた時間帯もありました。

国道は走りにくいですね。歩道自体が狭かったり、延々とクモの巣地獄だったり、道路の左側にある歩道がいきなり右に移ったりね。たとえば諏訪エリアでは諏訪湖畔は遊歩道があったりして走りやすいのに、国道は歩道が数メートルごとに一段下がったり上がったりしていて、とても快適とは言えません。

ーーーゴールまでに風景の変化などは楽しめましたか。

永易:国道って、そんなに風情がある道じゃないんですよ。地元の人々の暮らしが見えるとか、そういうのもないし。新宿から調布までは飲み屋さんがあったりして面白かったんですけれど、そこまでですね。味の素スタジアムを過ぎたあたりからは人も全然いなくて、甲府エリアは車道と歩道が分離しているところがあって、歩行者が少ないからか案内も全然なくて大変でした。

ゴールは夕方5時50分。歩道橋がある塩尻市の「高出」という交差点で終了しました。そこを直進すると、名称が19号に変わって名古屋方面へ向かうんですね。交差点には「国道20号終点」と書いてありました。

旧甲州街道で行こうかなとも思ったんですけれど、ルートファインディングが難しいところが多く、地図とにらめっこしながら走ることになってしまうので諦めました。旧道で宿場街なんかを繋いでいけば、もっと旅情ゆたかなルートになると思います。

ーーーこの「国道の旅」をシリーズ化する計画は?

永易:ないですよ。誰か代わりにやってください(笑)。

ーーーロード超長距離レースといえば「川の道フットレース」や「大江戸小江戸200k」などの人気大会がありますが、興味はありますか。 

永易:ロードを走るのなら大会じゃなくてもいいかなと思うんです。ロードレースのメリットは、交通規制があって路面がなめらかな車道を信号で止まることなく走れる点にあるわけだから。歩道を走るのなら、一人でできますしね。

ーーーフィニッシュ後はどう過ごされましたか。

永易:走った直後って、僕はよく眠れないんです。でも食欲はあるので、翌日はドカ食いします。実家でもかなり食べましたけれど、初日の晩は7時間くらいしか寝られませんでした。信越五岳のときも同様で、フィニッシュ後、夜中の1時〜2時に宿泊場所に入るんですけれど、布団に入って目をつむっても朝6時くらいには目が覚めてしまう。それからお風呂に入りに行きます。

座禅のような時間
でも崇高なことは浮かばない

ーーー初めての距離234kmの旅はいかがでしたか。 

永易:長い時間ずっと一人なんですよ。本当に誰もいない、車が通っていくだけで。

その一人の感覚が座禅に似ている気がしましたね。長い時間ひとりでじっと耐えて、物思いにふけっている感じというか。はっきり言って、国道20号って景色が綺麗なわけでもないし、地元の人との触れ合いがあるわけでもないし、美味しいものを食べるわけでもないし、自分の興味をそそる外的なものって何もないんですよね。そこが山とは全然違います。

ーーー確かにそうですね。

永易:山は美しい樹林帯があったり風が吹いたり、小川が流れたりして、自分の外の世界が魅力だったりするじゃないですか。自然を感じながら、「あの山がこんな近くに見えてきたんだ」と思ったりね。

国道20号も気をつけて見ればそういう要素があると思うんですけれど、今回は心動かされるものはあまりなかったですね。遙か遠くにトラックが坂を登っているのが見えて「俺、あそこまで行くの?」と思ったりはしましたけれど。

むしろ、自分が見ていたのは内面。走っている自分と対話している時間が非常に長い。

このペースでいいのか、ここが痛いのはどうすればいいのか、次のエイドで何を補給すればいいかとか、そういうやりとりをずっと一人でやっているんです。

それこそ日本橋から1kmごとの表示を見つつ、「このペースでいけば、どれくらいに着くか」とか、そういうやりとりをずっと自分の中でしていました。自分の内面と対峙しているから人生を見つめている、とかそういうことではなくて。いまの瞬間と対峙しているというのかな。そこが座禅と似ていると思うんですよね。

ーーーこれまでの人生が走馬灯のように現れるとか、スタート前に置いてきた心の宿題を解決するとか、そういうことじゃないんですね。

永易:うん、そうじゃないんです(笑)。人生の目標をこれからどうしようとか、そういう崇高な考えが浮かぶわけじゃない。いまの瞬間の自分の体と対話している。その時間がとにかく非常に長い。こういう経験はこれまでなかったので貴重でした。

100マイルレースでもそういう感覚はありましたけれど、トレイルの100マイルは外的なことに興味がむく時間も結構あるわけです。「景色が綺麗だな」とか「エイドの人たちが賑やかで楽しいな」とか、他のランナーと出会って話をしたりだとか。今回はそういうことがまったくなく一人だった。家族の応援があったにしてもね。

左)二度目の夜明け、実った稲穂が美しく輝いていた 右)Stravaのログ

ーーーたったひとりの時間ですね。

永易:僕はそれをまったく苦にしないので、楽しかったといえば楽しかったんです。ずっとひとりの時間を過ごすというのは、自分にとっては贅沢な経験だったんですよ、普段できないことだから。だからといって、これを人に勧めるかというとまた別の話ですけれど。

ーーーお話をうかがっていると、充分に楽しそうです。

永易:そういえば、風景が綺麗だなと思ったところもありましたよ、わずかですけれど。夜明けの北杜、白州あたりですかね。ちょうど稲刈り直前で、田んぼが金色に輝いていて美しいなと思いました。

ーーー国道20号走破に興味のある方にアドバイスはありますか?

永易:もし同じルートを走ってみるなら、危険箇所が結構あるのでちゃんと調べてから走った方がいいですね。あと車が多いので、週末は避けた方がいいと思います。歩道がないところもあるし、運転が上手じゃないドライバーもたくさんいるので。下調べをして、走る時間帯も考えてということですが、やる人いないでしょ(笑)。

ーーーご実家で暮らすご家族からはどんな言葉をかけられましたか?

永易:「今年は走って帰ってきたの!」と言われました。「よくやったわね」と(笑)。

国道20号終点、塩尻市「高出」の交差点で

Photo courtesy : Kazuyuki Nagayasu
Interview&Text : Yumiko Chiba