山岳アスリート「望月将悟」について、あらためて多くを説明する必要はないかもしれない。それほど幅広い世代の人たちに愛されているトレイルランナーであり、山ヤだ。
その名前を広く知らしめたのは、やはり『トランスジャパンアルプスレース(以下TJAR)』だろう。
2年に一度開催されるTJARは、日本海の富山湾をスタートして日本アルプスを縦走し、太平洋の駿河湾のゴールまで約415kmを8日間以内で駆け抜ける壮大で過酷なレース。ここ数年、新聞やテレビでも数多く取り上げられ、山岳愛好者以外でもレースを知る人が増えた。
前回の2016年、望月は自らの持つ大会記録を塗り替えるかたちで、4日23時間52分でゴールし、四連覇を達成した。
山の技術力、体力、走力、精神力、判断力が問われるTJARで圧倒的な強さを見せる望月は、たくさんのアスリートから憧れの眼差しを向けられている。その理由は強さだけでなく、どんな人に対しても丁寧で優しく接する温かな人柄にもあるだろう。
2014年TJARフィニッシュ会場。
望月さんと初めて話をしたのは数年前、富士山の7合目にある砂走館でのことだった。その後、さまざまな場所でお会いする機会を得たが、その度に繊細できめ細かく、周りへの心配りを怠らない姿が心に響いた。
そして昨年末、ある対談の仕事をきっかけにして話が進み、この連載にご登場いただくことになった。
その対談で、望月さんは印象的な言葉を残した。
「山に敗退なんて、ないと思うんです」
山頂を目指していても、何かの理由で引き返さなければならないことがままある。そのとき「敗退」という言葉を使うことに、自分は違和感があるのだと。
「頂上まで登れなければ戻って、また挑戦すればいいんですから」
山岳救助隊員としてさまざまな場面に遭遇したであろう望月さんのそのひとことに、「TJAR覇者」という称号とはまた別の奥行きのようなものを感じた。
望月将悟はどのようにして「望月将悟」になったのだろうか。
4月のある日、望月さんとも親しい山岳フォトグラファーの藤巻翔さんとともに静岡へ向かった。まずは職場を訪問。そして生まれ育った故郷の井川へ。
がむしゃらに先輩の背中を追った日々
JR静岡駅から8kmほど北に向かった県道27号線沿いにある千代田消防署しずはた出張所。望月さんが消防士、そして山岳救助隊として勤務する場所だ。
4つの出張所を束ねる千代田消防署の富田薫副署長(左)としずはた出張所の皆さん。
望月さんは、南アルプスの麓にある静岡市葵区井川で生まれ育った。静岡市内の工業高校を卒業し、公務員試験を受ける。勉強嫌いだったことから「まさか受かると思わなかった」というが、そのまさかが起こって合格。静岡市消防局に入局した。
しずは出張所内での訓練。
入局して6ヶ月間、消防学校で訓練を受けた後、最初に配属されたのが清水市の消防署だった(2003年静岡市と合併)。そこで豪快な先輩たちと出会う。
「清水の中でもいちばん厳しいレスキューといわれていたんです。自分はもっとも年下で体力も知識もないし、ましてや社会人としての常識もなければ気も利かない。とにかく何もかも教えてもらいました」
現場では、必要だと思うものを先回りして考え、先輩に機材を手渡さなければならない。
「もちろん基本的な段取りはあるんですけど、同じ現場ってひとつもないんです。毎回、その状況に応じた動きをしていかないと通用しない世界です」
上)装備を身につける準備室。それぞれにロッカーがあり、壁面裏側は交替で勤務する隊員の装備がかかっている。下)放水の訓練が始まる。
ものをひとつ切るという行為でも、持っていった機材で切れなかった場合を想定して、次の策を講じておかなければならない。最初はなかなかできなかったが、経験を重ねるうちに先輩たちの考えが読めるようになり、適切な機材を準備できるようになる。
体力もあり経験豊富な先輩たちとは宿舎も同じで、休日も行動が一緒。気を緩める時間のない日々だった。
「でも先輩たちは仕事と休みのメリハリが強くて、休みの日にはいろんな遊びも教えてもらいました(笑)。この頃、何を言われても、何をやっても、苦にはならなかったんです。これはきっと自分のためになるんだ!そう思っていたから」
火を消したり、困っている人を救助したりするためには、もっともっと体力をつけなければとの想いから、ランニングするようになり、山登りも始めた。
「練習を重ねて速くなっていったら、先輩たちが『お前、けっこう速いじゃん』と一目置いてくれるようになったんです」
地元のマラソン大会に出場し、富士登山駅伝で上位の成績を収める清水ランニングクラブにも入部した。そんなある日、職場の先輩から南アルプスに行かないかと誘われる。
上)20kgにおよぶ完全着装(実際の消防活動と同じ装備)での消火訓練。車から降りて45秒以内に放水できるように日々、訓練する。下)素早く放水するには、ホースのたたみ方も重要だ。
北岳から入って茶臼岳を縦走するコースだった。
「茶臼岳は井川の裏にあるんですけど、こんなでかい山があるなんて知らなくて。それまでアルプスなんて全く興味なくて、地元の山といえば山菜やキノコを採ったり、遊んだりする場所だと思っていましたから」
尾根から先まで続く稜線を見ながら、あんな先まで行けるわけないと思ったが、先輩は「行ける行ける」と軽くいう。そして、本当に辿り着くことができた。
「振り返ると来た道が遙か遠くに見えて、自分の足でこんなことができるんだと感激してしまって。そこからです、山にはまったのは」
ほどなくして、国体の山岳競技に静岡県代表として選ばれる。21歳のことだ。
山岳救助に携わる決意
2003年(平成15年)に静岡市と清水市が合併する。静岡市の消防には1991年に発足した山岳救助隊があったことから、望月さんは入隊を希望した。
「当時、一緒に勤務していた上司が、静岡市の中山間地やアルプスの山々を『道案内してくれ』と頼ってくれて。その頼られたことが嬉しくて、もっと山のことを知ろう、知りたいとのめりこんでいきました」
休みの度にひとりで山に入るようになる。
それでも救助現場では当初、経験の浅さと体力のなさで、危険な場所には連れていってもらえなかった。もっと技術を磨いてやろうと、心に決める。
「自分はいつも悔しさをバネにしていますね。山岳救助隊に入ってすぐの頃、赤石沢で事故が起きたんですが、自分は現場に行かせてもらえなかった。それが本当に悔しくて。その年、ひとりで何回も登りました」
沢は遭難しやすい。道案内の看板もなく、支流も多いため迷いやすいのだ。それをすべて覚えてやろうと思った。 足繁く山に通ううち、山小屋の人や山で作業している人たちとも話をするようになる。人の輪が広がっていくのも嬉しかった。
これまでで記憶に残っている事案をたずねると、「すべて記憶に残っています。自分が非番の日に起こった事故現場も、必ず見に行くようにしているんです。事故が起こったということは、また何かが起こるかもしれないから」。
「将悟さんは、とにかく行動が早い」
しずはた署で救急隊として活動する消防司令の望月剛さんは、昨年までの4年間、将悟さんと一緒に山岳救助隊として働いてきた。お話をうかがった。
「日本でも最速の山岳救助隊ではないか」、と消防司令の望月剛さんはいう。
「将悟さんはとにかくせっかちです。そして準備がものすごく早い。山小屋につくとすぐに寝袋に入って寝てしまう。寒いのが嫌いらしいんですね。それで、とんでもなく早い時間に起きて活動しだすんですよ」
昨年の冬、雪山を捜索した際には、将悟さんがほとんど先頭を歩いたという。
「ほかにも強い隊員がいるんですが、将悟さんが8割くらいラッセルして道をつくってくれました。僕は後ろにくっついていくだけ。それでもヘロヘロでした。ラッセルしてもらわなかったら、日のあるうちに山小屋に到着できないほど雪の深い現場でした」
上)手入れの行き届いた登山靴がならぶ装備室。下)2階にあるトレーニングルーム。
圧倒的な体力があるため、救助者を背負っての搬送も率先して行う。「でも最近は隊員の体力も知識もあがってきて、とても心強いんです」と将悟さんは話す。
静岡市の山岳救助隊はしずはた出張所のみ。隊員は全17名で二交替制。勤務時間は朝8時半から翌朝8時半までの24時間だ。管轄範囲に南アルプスを含むため、冬でも救助要請があれば出動する。消防局が結成する山岳救助隊で冬山にも対応しているのは全国でも珍しいという。
冬山での救助はとりわけ技術、体力がないとできない。隊員の安全にも関わるため、少しずつステップアップしながら訓練を重ねていく。積雪の中での歩行や野営を経験するために、泊まりで冬山訓練することもある。気温はマイナス20度、雪は胸くらいの深さになる。
将悟さんの仮眠室。きれいに整頓されている。
「ここまでできたら一人前、というのはないです。僕らもいつ何が起こるかわからない。海外登山を経験したベテラン登山者でも悲しい事故にあってしまう場を見ているので」
だからこそ、足繁く山に通う。せめて自分たちのフィールドは熟知しておくために。地形からなる山岳特有の気象条件、小屋までの道のり、ヘリがピックアップできる場所、風がかわせる場所など知っておかなければならなことは数多い。
仕事は山岳救助だけではない。街で発生した火事や自動車事故のレスキューなどの任務もあり、そうした活動を行いながら、山岳遭難や事故があれば山岳救助隊として救助に向かう。
上)垂直訓練中の将悟さん。下)隊員の中にはクライミングの国体選手もいる。
訓練中はピリッとした空気が流れているが、所内の雰囲気はどこか穏やかだ。
「それぞれの出張所でカラーが違って、うちは勢いがある所ですね。体育会系のノリで上下関係もあって、なおかつアットホーム。山岳救助隊があることも大きいかもしれません。みんなで協力して、厳しい状況と向き合わなければなりませんから」
ようやく、一緒に山に行ける後輩ができた
2年前にしずはた出張所に配属された谷允弥さんは、将悟さんと休日も山に行く仲のよい後輩隊員だ。
中学高校時代に指導をうけた野球の監督が“カッコいい消防士”だったことから消防士に憧れ、東京の大学を卒業した後に公務員試験を受ける。当初から山岳救助隊員をこころざし、東京都と静岡市の両方で合格。より大きな山を管轄する静岡市消防局を選んだ。
学生時代から陣馬や丹沢などの山に登っていたという谷さんは、2016年からトレイルランレースにも出場。初めて参加した美ヶ原トレイルラン80kmで15位となり、2017年には甲州アルプスオートルートチャレンジ2位、伊豆トレイルジャーニー10位の成績を収めている。
志望者の多いしずはた出張所に早くから配属された谷允弥さん。「こんなに早い段階で将悟さんと組ませてもらって、自分はすごく運がいいと思っています」。
谷さんの目に、将悟さんはどう映るのだろう。
「とにかく野性的ですね。いまは勤務日が同じなので、休日もよく山に行きます。山に入ると自由に突っ走る感じで、たまに突っ込みすぎてつぶれることもあるんですが、負けず嫌いなところもあって、自分が必死についていくと突き放されます。常に遊び心があるんです。15歳年上ですが、兄貴みたいに思っています」
谷さんは望月さんに憧れて山岳救助隊を志望した。
「兄が地元の南伊豆の消防に務めていて、学生の頃から“静岡にすごい人がいる”と聞いていました。実際に会ってみたら、将悟さんはとても気さくな人でした。でも厳しいところは厳しい。怒るとかじゃなくて、しっかり丁寧に教えてくれる感じです」
日常での行動もとにかく早くて、せっかちだと谷さんもいう。先ほどお話を伺った望月剛さんの言葉とも重なる。
「テント泊にいっても、ものすごく帰り支度が早いんです。ギアやウェアについては、将悟さんはこれがいいと思ったら使い続けるタイプですね。自分はギアが好きなんで、よく調べます。そうすると将悟さんも『それいいのか?』と興味を示したりして」
圧倒的な体力から、県内では逸話が逸話をよんでいるともいう。
「山を30kmくらい超えて通勤していると話題になっていますね。海の近くとか、こんなところにいるはずがないというようなところで通勤ランしているのが目撃されていたり」
上)出張所内の食堂と調理場。ここで当直の食事をつくる。下)しずはた出張所のすぐ隣にある食料品店「みねストアー」。カップラーメンから卵、野菜、パン、刺身や肉まで揃う。「なんでもあるから本当にありがたいです」。
では、将悟さんから見た谷さんはどうだろう。
「すごく優秀ですね。そしてあたたかみがある。僕は先輩たちにいろいろ教えてもらったんですが、これまでなかなか後輩に同じようなことができなかった。休みの日に山に付き合ってくれる人がいなくて寂しかった。本当は誰かに教えたかった。ずっとひとりで山に入っていました。谷が来てくれたことでいろんなことが教えられるし、山にも一緒に行ける。自分も夢を見させてもらっているんですよ、谷に。これまで叶わなかったことを叶えてもらっているんです」
将悟さんにとって南アルプスは熟知した山だが、谷さんはまだ知らない場所が多い。そこで地図をつぶすように二人で山へ行く。
「知らないと自信を持って救助できないですから。湧き水の水量や危険箇所なんかも、いつも二人でチェックしています。南アルプスは山が深いので、枯れていたら生死に関わります。山が大きいから自分らは4Lとか水を持っていきますけど、普通の人では重たいですよね。そういうことも知らなければいけない。山に通っていると自然と体力もつきます」
山ではすれ違った人に必ずひとこと声をかけ、顔も覚えておく。
「もうね、年齢的なこともあって(今年40歳)ひとりだと追い込めないんだけど、谷が家にひょっこり現れると、じゃあいこうかとなる」
そう話す望月さんは、とても嬉しそうだ。
2016年TJAR、塩見岳にて。
もう何もいらない。そう思えた瞬間
春から静岡市消防局の防災ポスターにも登場している望月さん。地元ではすっかり知られた顔だ。
「やはりたくさんの方から声をかけてもらえるようになりましたね。山好きなおじさんやおばさん、トランスジャパンを応援してくださる方々など、みなさん気軽に声をかけてくれるので嬉しいんです。とくに山であったおじさんなんかは『一緒に写真撮ってよー!』って(笑)。職場でも応援してもらって、幸せ者です」
どれほどその強さが知れ渡っても、望月さんの根っこの部分は以前とまったく変わらない。偉ぶったり、過信したりする様子がまるでない。
ある時、山で救助した男性から「ごめんね。もう、山やめるね」といわれた。そのとき、望月さんはこう答えた。「そんなこといわないで。僕らもおじさんたちから勇気をもらっているんだから」。
この夏も日本アルプスにTJARの風が吹く。毎回、ゴールが近づく静岡市内の応援はとりわけ熱い。TJARに出走できるのは30名と決められている。谷さんも今年初めてエントリーしたが、残念ながら出場の願いは叶わなかった。
「自分にとってTJARは、近年では大きなできごとです。有名になったとかそういう意味じゃなくて、いろんなことが変わりました。応援がものすごい力になることを知ったのもTJARだし、初めてゴールしたときは、もう何もいらないと思ったくらいで。走らなくても山に行かなくてももういいって、無欲になったんです。こんな辛いことを乗り越えられたんだから、自分はもうなんでも乗り越えられる。そんな自信が生まれました。だから自分としては谷にもいつか経験してほしい。いまの若者がどう乗り越えていくのか、どんなことを感じるのか聞いてみたいんです」
2014年TJAR。ゴールまであと少し。しずはた出張所の前を通ると、仲間が出迎えてくれた。
つづく—–。(#02「井川生まれ。山の神々に愛された男」へ)
Profile
望月将悟 Shogo Mochizuki
1977年、静岡県葵区井川生まれ。静岡市消防局に勤務し、山岳救助隊としても活動する。日本海側の富山県魚津市から日本アルプスを縦断して、太平洋側の静岡市までをテント泊で8日以内に走り抜けるレース「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」で4連覇。2016年は自ら自己ベストを上回り4日23時間52分でゴール。2018年のTJARにも出場予定。
■主な戦績、挑戦
2006年北丹沢12時間耐久レース優勝、2009年おんたけ100で2位、OSJシリーズ戦優勝、日本山岳耐久レース4位、2010年道志村トレイルラン優勝、2012年UTMF4位、2014年〜2016年OSJ新城トレイルダブル64K優勝、2017年奥三河パワートレイル3位、2018年6位など。フルマラソンのベストタイムは2時間35分、ほかに2015年東京マラソンでは40ポンド(18.1kg)の荷物を背負って3時間06分16秒というギネス記録を樹立。2017年夏には約235kmの静岡県境を一周するチャレンジ『AROUND SHIZUOKA ZERO』(累積標高差/約2万3000m)を4日間20時間28分で達成。海外レースへの挑戦は2011年トルデジアン13位、2017年レシャップベル5位など。
Photo:Sho Fujimaki
Interview&Text:Yumiko Chiba