人生をまるごと楽しむエキスパート
心身ともにタフでなければ務まらない外資系の巨大企業に勤務し、再生可能エネルギー事業の開発などに携わりながら、トレイルランナーとしても輝かしい成績を収めてきた渡邊千春さん。仕事もトレイルランも見事なバランス感覚で錬磨し続けるアスリートだ。
近年は100マイルなどの長距離を「無理なく、楽しく」走るための方法を追求し、体づくりのベースとして、一本下駄で重心を整える手法を見いだした。効率的な走りのフォームを体得し、余裕を持って長距離を走るためのメソッドを、ランニングセミナーなどで伝えている。
いつ仕事をしているのかわからないくらい、いつもリラックスした表情の渡邊さんは、人生をとてつもなく謳歌しているように見える。
今回はそんな渡邊さんに、愛する故郷・安達太良山と岳温泉を案内していただいた。ここ数年、渡邊さんは月数回のペースで安達太良山エリアに通い、アウトドアアクティビティを切り口とした地域活性に積極的に取り組んでいる。
旅の途中、学生時代のアメフトの話からお洒落のこと、億万長者がクライアントだった金融マン時代のこと、そして走る意味とは?、などと話がどんどん展開し、仕事もトレイルランも同じ温度のまま自然体で向き合う「千春哲学」に浸ることができた。
100マイルは神様からのテスト
渡邊さんはトレイルラン界ではかなりの先輩格にあたる。「トレイルランのレジェンド」と称される鏑木毅さんをして「鏑木!」と呼び捨てにできる数少ないアスリートだ。仲間たちからは「千春さん」と兄のように慕われている。
千春さんのアスリートとしての強さについて、少しおさらいしてみる。レースに出始めたのは、日本のトレイルラン黎明期と重なる。
2006年に「日本山岳耐久レース」4位、2007年は「第一回・斑尾フォレスト50km」で優勝、翌年からスタートしたOSJシリーズ戦では初代チャンピオンに輝いた。その後は海外のレースをメインに出場し、2009年からは4年連続で「UTMB」に出場したほか、南アフリカのレユニオン島で開催される「グレンレイド・レユニオン」なども完走した。
「とにかく行ってみたいところ、見てみたい風景を選んでいるだけなんですよ」
今年4月にはチリのパタゴニアで開催される「ウルトラ・フィヨルド」に参戦する予定だ。実は昨年も大会出場のためにパタゴニアの地に向かったが、現地で車の事故に遭い、出場が叶わなかった。氷河を渡るそのレースは、とにかく過酷な100マイルレースとして知られている。
「トレイルランの神様が、もう少し待てと言っていたのかもしれませんね(笑)」と屈託がない。
長い距離が好きなのには理由がある。
「100マイルを克服することは、人間の動物としてのテストじゃないかと思っているんです。これを気持ちよく走ることが出来たら、人間のDNAは次世代に繋がっていけるだろうと。100マイルレースには、そういう面白さがあるんですよね」
動物としての本能を鈍らせないため、レースでは時計や心拍計を身につけない。“素”の身体で勝負する感覚が好きなのだという。
「走っているとき、前の人に追いつくと元気が出ますよね。あれって、動物が獲物に追いつく感覚じゃないかと思うんです。長い距離を走っている時の精神の浮き沈みは、人間の生き様にも似ている気がします。100マイルレースでは特にそれをリアルに感じますね」
ただ楽しいから走っている。そう渡邊さんは言い切る。100マイルを走るようになってから、レース中に後ろを振り向いたことはない。
それでも一度目の100マイルは違った。初めて出場したUTMBは予想外の内臓の不調でリタイアしている。
「いま思うと少し休めば体は回復したはずなんだけど、そういう思いに至らなかった。タイムや順位を気にしていたんです。その失敗からですね、ただ楽しもうと思うようになったのは。レユニオンの時なんかは楽しすぎて、ゴールするのがもったいないと思ったくらい(笑)」
リタイアのショックを克服するために、その当時まだ達成できていなかったフルマラソン2時間40分切りを目指し、別府大分マラソンで見事2時間39分30秒を記録。しかし、その直後に故障して半年間走れなくなってしまう。
この怪我をきっかけに、走り方や体の使い方について真剣に考えるようになった。
「ほんとうの空」を見て育つ
渡邊さんが生まれ育った二本松の家の窓からは、安達太良山(1,700m)がとても綺麗に見える。
高村光太郎が「智恵子抄」で詠んだことで知られる安達太良山。
智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空がみたいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多田羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である。
〜智恵子抄「あどけない話」より(新潮文庫)
渡邊さんはこの詩を思い、自分が本当の空を知っていることを誇らしく感じながら成長した。
安達太良山にはいろんな表情がある。太平洋側は緑が濃くて女性的な山容。日本海側は過去の噴火あとがそのまま残っている。
「登山口が7つあって、それぞれの登山道でも風景が全く違います。猪苗代湖側はアメリカ西海岸の国立公園のようなイメージで、湯の花採掘場のある沼尻はイエローストーン。200m近い岸壁から落差約60mで流れ落ちる白糸の滝はヨセミテ、近くにある溪谷はグランドキャニオン、鉄山の周りの断崖絶壁はグレーシャーみたいなんですよ」
走る理由のひとつは、心が浄化されるから
毎日、安達太良山を見ながら通学し、バスケットに明け暮れた中学高校時代を経て、仙台にある東北大学へと進学する。
東北大学ではアメリカンフットボール部に入部した。その頃、アメフトの大学リーグでは関東、関西が盛り上がっていて、京都大学が強かった。「自分たちはインディペンデントリーグ最強チームのつもりでプレーしていましたね。昨年、長男が慶応大学に入学してアメフト部に所属したんです。それから試合の度に観に行くんですけれど、ちょっと複雑な気持ちですよ。昔は早慶はやっつける対象でしたから(笑)」。
スポーツ以外に興味があったのがお洒落。圧倒的な人気を誇っていた雑誌「ポパイ」を愛読していた。LL Beanのトートバックをアメリカの通販で購入し、靴はキャンプモカシン、マウンテンパーカーはウールリッチのものとこだわった。「いまでは普通ですけれど、当時そんなことをしている学生はあまりいませんでしたよ」。
大学卒業後は三井銀行(現:三井住友銀行)に入行。社内留学制度が盛んだったことから、渡邊さんも入社6年目から2年間、アメリカのシカゴ大学で学び、MBAを取得する。
「はじめて勉強を面白いと感じたのがこのとき。寝るのが惜しくて、一週間で1教科60時間くらい勉強しました。学校に通うことで自分が成長すると実感したのは初めてでした」。講義には80年代後半に財界で活躍していたアイコンのような人たちが登壇し、それぞれのケーススタディをレクチャーする。世界中から集まった留学生たちが、それについて活発に討論した。
留学を終えてからは、香港の支店に勤務。ちょうどアジア通貨危機が起こった頃で、渡邊さんは仕事で大きなストレスを抱えるようになる。「勤務していた銀行の体力がなくなり、お金を貸すことができなくなって、お金の貸し借りではなく、アジアで稼ぐのが仕事でした。銀行が貸し借りをせずに儲けるなんて所詮無理ですよね(笑)。他銀行の同じような立場の人とお酒ばかり飲んで、体を壊してしまいました」。
家族が帰国していた夏休み、ふと「山でも歩いてみようか」と思い立つ。香港の平地は空気が汚れているが、山の上は美しい。500〜700mの低山の山頂に行くと、汚れた空気ときれいな空気の層が見えた。
炎天下の中、熱中症、ハンガーノックになるまで長時間歩き続けるうちに、体もすっきりして体調もよくなった。秋になり涼しくなってきた頃、今度は「ちょっと走ってみようかな」と考える。
翌2000年には香港島のトレイル50kmのレースに出場。4時間40分という“意外に早い”タイムで3位に入賞し、思いのほか走れることに気づく。
同じ頃に出場した初めてのフルマラソン(3時間02分)で衝撃を受ける。
「ゴール手前で地元の人に応援されて、感動で涙がでてしまったんです。それまで職場では香港人の部下に不満を持っていたんですね。賢いのに、見えないところで手を抜くと。でも本来、人はこんなに美しいんだと、そのときに気づいて」。部下に不満を感じていたのは、自分にも正すべきところがあったのかもしれないと思った。
「僕は思うんですよ。人が走り続ける理由のひとつは、心が浄化されることにあるんじゃないかって。地元の人に応援されたとき、経験したことのない感覚に陥りました。まさに、心がきれいになった瞬間だったと思うんです」
そこから、一気に走ることにのめり込んでいく。
「順位とかタイムとか、人が見てどう思うかを追求していると、こういう心の状態にはならない。なぜなら、それは日常の延長だから。逆にいえば、こういう心の状態になったとき、走ることが非日常になるんじゃないかと思います」
仕事も同じじゃないか、と渡邊さんはいう。数字のためだけに頑張る仕事と、人に喜んでもらうために頑張る仕事では、結果は同じでも自分自身が得るものは異なるはずだと。
転職で生まれた自分らしいリズム
2002年の帰国後、香港上海バンキングコーポレーション(HSBC)に転職した。そこでは信じられないほどの大金持ちをクライアントに持つ。外資系企業に転職した途端、ストレスも減り、フルマラソンのタイムも上がってサブスリーを達成してしまう。
日本でもトレイルを走るようになり、2005年に「日本山岳耐久レース(ハセツネ)」に初出場、翌年には「第一回おんたけスカイレース」に出場し、秋のハセツネで4位の成績を収める。
同じ頃、スイスの銀行に転職。朝3時半に起きて1時間走り、5時半には会社で勤務を始めていた。「平日はロードを走って、週末は山を走ってという生活を4年くらい送っていました。この頃がいちばん走っていましたよ。愛車の年間走行距離が6,000km、僕の走行距離が7,000kmでしたから(笑)」
国内のトレイルランレースでは、鏑木毅、横山峰弘、相馬剛、山本健一といった顔ぶれが上位を占めていた頃。まだトレイルランだけで生活している選手はほとんどおらず、大会に行くとスタート前はピリピリとした空気が漂い、みんな“話しかけるなオーラ”を発していたという。
「そういう奴らとも、いまは仲良しなんですけどね(笑)。最近の若いトップアスリートを見ていると、素直だし壁をつくらないし、いい子ばかりだなと思うんです。彼らのために何かしてあげたいという気持ちになる。トレイルランは本当に魅力のあるスポーツだから、トップアスリートがプロで食べていけるくらいにならないといけない。そのための仕掛けづくりが出来たらとも考えています」。
決断のとき。福島のために何ができるか
2017年12月、渡邊さんは11年間在籍したGEを退職した。
今年からは、故郷の福島の復興に貢献するため、新たな会社を立ち上げる。そこでは、再生可能エネルギー事業とエネルギー事業の立地である農業を活用した地場産業の育成にフォーカスしていくという。
2011年の東日本大震災によってもたらされた原発事故で、県内有数の観光資源だった安達太良山への来訪者は激減した。それを知った渡邊さんは、自分の得意分野である“走ること”をキーワードに、故郷のために何かできないかと考え始める。
安達太良山の麓、安達太良高原にある岳温泉では、観光協会がちょうど「健康ツーリズム」を推進していた。ウォーキングを科学的に捉えて、心身の健康を増進するためのプログラムを提供する「岳クラブ」も設立していた。
その岳クラブから渡邊さんに、「トレイルランで地域活性化ができないか」と声がかかり、2014年の夏から毎月、岳温泉に通うようになる。
東京から約250km。一泊二日で楽しめる安達太良山エリアの魅力をとにかく体験してほしいとセミナーを実施。イベントに参加するトレイルランナーを都内から愛車に同乗させ、一緒に出かけることもある。
「現地での移動にもっと大きな車が欲しいなと思って、トレイルランナーの相馬剛が自身の活動拠点である“FujiTrailhead”で活用していたバンを譲ってもらう予定です。どうやって使おうかなと思案中です」
日本のウィスラーになろう!
地元の人たちも、そんな渡邊さんに期待している。
岳温泉観光協会の鈴木安一さんは「安達太良山と岳温泉を日本のウィスラー(カナダのリゾート都市)にしよう!」という壮大なビジョンを持つ、エネルギッシュでユーモアに溢れた会長さんだ。
鈴木会長の言葉に触発された千春さんは、トレイルランのセミナーのほかにも、東京・三鷹のアウトドアショップ「Hiker’s Depo」のオーナーで、ウルトラライトハイクの第一人者でもある土屋智哉さんをゲストに迎えたULハイキングイベントや、最新のヘッドライトを試しながらナイトハイクを楽しむツアー、冬のゲレンデを舞台に雪中ロゲイニングを行う「ウールランニング」といったイベントを次々に開催してきた。
いずれもトレイルランを通して知り合った仲間やサポート企業などと協力し、実現した企画ばかりだ。
鬼面山、箕輪山、鉄山、安達太良山、和尚山からなる安達太良山連峰の主峰・安達太良山は、山頂部に沼ノ平火口がある。古くから火山信仰の山として崇められてきた。
実は安達太良山は、万葉集で詠まれた北限の山でもある。
「4500首のうち、東北を詠んだ歌は13首あってね。そのうち12首が福島県の歌で、安達太良山を詠んだ歌は3首あります。このあたりのマユミの木でつくった弓が都でも有名だったことから、“安太多良真弓(あだたらまゆみ)”などと登場します。昔から憧れの山だったんだよね」と鈴木会長は教えてくれた。
“安達太良”という名前の由来は諸説あるらしい。
「いろいろ調べた結果、私はアイヌ語の“おっぱい=母親”という意味の言葉が元になっているんじゃないかと思っています。安達太良山は尖った形で、昔から乳首山(ちちくびやま)とも呼ばれていましたから」
鉄山の南直下、標高1,500mほどのところに源泉があり、そこからpH2.48の酸性泉が湧き出ている。岳温泉まで約8kmに渡って湯を引いてくる間に、ほどよく湯質がまろやかになる。「美肌の湯」としても名高い。
このあたりの湯は800年代から古い記録が残っており、江戸時代後期の「諸国温泉効能番付表」では東北トップの前頭三枚目に位置していた。「お食事処 成駒」には、その番付表が飾ってある。
2017年、アウトドアアクティビティをテーマにしたプロジェクト「あだたらアクティビティ」が立ち上がった。アウトドアと温泉に有機野菜などの地元の食を絡めて面白いことがしたいと、鈴木会長もプロジェクトリーダーの山谷勝敏さんも想いを熱くする。
「実は僕もいろんなアイデアを温めているんですよ」と渡邊さん。ほかにはないような角度から安達太良山に光りを当てたい。そこでは、これまで培ってきたプロデュース能力が遺憾なく発揮されるに違いない。
春から新しい一歩を踏み出す千春さんに、いま想い描く未来像を聞いてみた。
「持続可能で、安心して使えるエネルギーを福島からという思いで、会社を立ち上げます。名前はSUSKENERGYとしました。“Sustain(持続する)”と、福島を含む広い地域で大丈夫、問題ないと言う意味で使われている方言 “サスケねー” と“エネルギー” を組み合わせました。身体を動かすことも持続可能性には大きな意味があると思います。震災以降、何かとイメージが悪くなってしまった福島ですが、過疎化を含め福島で起こっていることはすぐ日本中で起こることだと思います。福島だから今できることがたくさんあると信じています」
早朝。旅でお世話になった温泉宿の窓からは、見事な日の出が見えた。美しい空の下に、これから強くて新しい風が吹くことを予感した。
Profile
渡邊 千春 Chiharu Watanabe
福島県二本松市生まれ。東北大学ではアメリカンフットボール部に所属。大学を卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入社。シカゴ大学でMBAを取得した後、香港やスイスの銀行へ転職し、2006年よりGEで勤務する。主に再生エネルギー事業の開発プロジェクトに関わり、2017年末に退職。合同会社SUSKENERGY(仮称)を設立し、再生可能エネルギーと、プロジェクトの立地である農地を活かした持続可能で、安心なコミュニティ育成にフォーカスした事業に取り組む。トレイルランでの活躍は2006年日本山岳耐久レース4位、2007年斑尾フォレスト50km優勝、2008年OSJシリーズ戦初代チャンピオン、UTMB 、グレンレイド・レユニオン、トランス・グラン・カナリア、ラバレド・ウルトラトレイルなど。
玉川屋
名物「くろがね焼き」は昭和30年と32年、高円宮殿下がスキーで来訪された際の献上品。ほかに「みそまんじゅう」や「くるみゆべし」など。ご主人の渡辺茂雄さんは山岳ガイドで、「安達太良山マウンテンガイドネットワーク」の副代表も務める。
福島県二本松市岳温泉1-13
http://www.dakeonsen.or.jp/shop-tamakawaya.stm
お食事処 成駒
昭和23年創業。昔から変わらない味、名物「ソースカツ丼」はトレイルランや登山の帰りにぜひ食したい一品。「安達太良山カレー」も人気。いずれもボリューム満点なので、お腹をすかせて行きたい。
福島県二本松市岳温泉1-115
https://tabelog.com/fukushima/A0701/A070103/7002080/
岳温泉
14軒ある旅館すべてが、鉄山の南直下にあるくろがね小屋付近の豊富な湧泉地帯から湧き出る天然温泉を引き湯している。pH2.48の酸性泉だが、約8kmに渡って引き湯されることから、適度に湯もみされ、やさしい柔らかなお湯になる。美肌の湯として名高い。
http://www.dakeonsen.or.jp/onsen.stm
岳温泉観光協会
http://www.dakeonsen.or.jp
Photo:Takashi Shikano
Special thanks to Sho Fujimaki
Text:Yumiko Chiba