『山物語を紡ぐ人びと』vol.34〜 祝・創業から丸12年のATC Store。UTMF開催地・富士宮でトレイルランショップを続けるということ / オーナー芦川雅哉さん

店内にて。芦川雅哉さんと開店当時からのスタッフ鈴木麻生子さん


静岡県・富士宮市のアウトドアショップ「ATC Store」は2022年5月で創業から丸12年を迎えた。なぜ“12周年”という少しだけ半端に思える周年記念を伝える記事になってしまったかというと、10周年記念で取材する約束が、コロナ禍の影響で伸びに伸びてしまったからだ。

独立系トレイルランショップとして東海エリアを牽引してきたオーナー芦川雅哉さんを初めてグランノートで取材したのは2014年春のこと。サイトを立ち上げたばかりの頃で、一人でトレイルランショップを起業した芦川さんのお話を個人的な意味でも伺ってみたかった。そのとき芦川さんから「実はこういう取材を受けたのは初めてなんです」と知らされ、「では10周年記念もぜひ取材を!」と確約した(実際にはその後、何度もお店にお邪魔しているが)。

そんなわけであらためて、芦川さん創業12周年(13年目突入中)おめでとうございます。

開店当初は挫折ばかり
「なんだかわからない店」と思われていたに違いない

ーー起業して10年というのは大きな節目といえるかと思います。その間に社会状況もトレイルランを取り巻く環境も変わってきたと思うのですが、芦川さんご自身が変わったと思うところはありますか?

芦川:僕自身はそんなに変わっていない気がしますけど、関わる人の数は増えましたね。店を開くとこんなに出会う人の数が増えるんだというのが実感です。

店をオープンする前、僕の周りで “トレイルランニング” を知っている人は数人だけだったんですよ。前の職場(静岡県に複数店舗を構えるアウトドアショップ)の同僚2人と友人の太田博之社長(後から登場)とあと少しだけ。当時、僕は店の仕入れや販促の仕事をしていました。店舗数が増えるに従って仕事が忙しくなって、お客さまと触れ合う機会も外の世界を知る機会も減っていたんです。

ちょうどその頃、トレイルランナーの相馬剛さんがハセツネで優勝して、彼は静岡県清水区に住んでいたので「清水にそんなすごい人がいるんだ」なんて思っていました。

ーー2010年前後といえば、トレイルラン市場が急成長する夜明け前みたいな時期ですね。

芦川:そうですね。僕自身にとっては「店を立ち上げて開国してみたら、世界は広かった」みたいな感じでした。それまでは会社の看板で仕事をしていたわけですよ。店を始めるときも、「自分の名前で勝負してみたい」なんて欲求があったわけじゃなくて、結果としてそうなっただけで。店を開いてみたら「こんなにも世の中には通用しないものなんだ」と思い知らされたというかね。「なんだか知らない人が、よくわからない店を始めたらしい」と思われたみたいで、それが最初の挫折でした。

ーーちょうどトレイルランニングクラブ第一次全盛期の頃ですか。

芦川:「IBUKI」や「心折れ部」、「すぽるちば」「トレイル鳥羽ちゃん」「RUN OR DIE」といったトレイルランクラブが東京を中心に出現した時代でした。みんな『激走!モンブラン』(2009年放映/鏑木毅さんが3位入賞したUTMBを追ったNHK番組)を見て感化された世代だと思うんですけど、関東すごいなと。

ーーそんななか、もっと順調な滑り出しができると想像していたわけですね。

芦川:そういうイメージでしたね。まぁ、無計画だったんですよ、全然考えていなかった。よく考えてみたら、当時このエリアでトレイルランやっている人もほぼいなかったわけだし。トレイルランやハイクの独立系ショップでいうと、2007年に六甲「Sky High Mountain Works」(以降:スカイハイ)や福岡「スカイトレイル」、2008年には「信州トレイルマウンテン」と東京・三鷹の「ハイカーズデポ」なんかが開業していました。だからテーマを絞ればいけるんじゃないかと、甘く見積もっていたところはあったと思います。

でも現実には、静岡県内のレースといえば「朝霧トレイルランレース」くらいでね。参加している人たちはとくにトレイルラン専門の道具を求めていなかったというか、お店を開けてみたら必要とされていなかったというか。最初の1〜2年は試行錯誤していました。

僕らの地元の「UTMF」がやってきた

ーー何が突破口だったのでしょうか。

芦川:それはやっぱり「UTMF」の開催です。2010年、実行委員の村越真先生(国内オリエンテーリングの第一人者/静岡大学教授)がふらっと店にやってきて、「実は今度、富士山の周りを走るレースを開催することになった」と言うんです。

前年の2009年、村越先生主催で富士山の周りを回るローカルレース「富嶽周回」というのが開催されていました。地図を渡されて、分岐ごとに印がついていて、選手はそれを辿って走るという約90kmのレースです。トレイルランナーの奧宮俊祐さんや相馬剛さんも出場していたんですけど、GPS時計がない時代だったから、みんなロストして100kmくらい走ってね。富士山を一周したのは人生初で、すごく面白いなと思いました。

「富嶽周回」のプログラム

だから、話を聞いたとき「富嶽周回」の拡大版かなと思ったんです。そうしたら「UTMBみたいなちゃんとした大会だ」というので驚いちゃって。予定していた第一回大会は東日本大震災の発生で延期になり、2012年UTMFが誕生しました。

ーーUTMFでは長年、麓エイドを仕切っておられます。もはや裏方として、なくてはならない存在になっていますね。

芦川:当時UTMF実行委員の一人だった三好礼子さん(元国際ラリースト)が近くに住んでいて大会準備の手伝いを頼まれたことや、相馬剛さんが富士宮に引っ越してきたことが、ここまでUTMFにはまるきっかけになったのかもしれません。第一回目はランナーで参加して、2013年から裏方をするようになりました。2014年はまた選手で走って、2015、2016、2019、2022年は麓エイドを担当しています。

多くの人にチャンスがあるのがUTMFという舞台

ーーUTMFの登場でどんな変化がありましたか。

芦川:それまでメジャーな大会では、ハセツネや信越五岳トレイルランレースがあったわけだけれど、どれも選手として関わるだけでした。でもUTMFは地元にやってきた。これは偶然というにはあまりに驚くべき出来事でした。

店を立ち上げた当初、そんな大きなレースに関わるとは想像していなかったわけで、地元で開催するからにはいい大会であって欲しいと思いました。2022は3年ぶりに開催できて本当によかった。やっぱりすごく楽しいんですよ。僕自身にとってもお店にとってもUTMFの存在は大きいです。実際「あの大会に出てみたい」と目指すランナーも増えていますからね。

UTMFの歴代ポスター

たとえば、「トランス・ジャパンアルプス・レース」のテレビ放映の影響はすごく大きいけれど、自分が目指して出場できるかといったら難しいじゃないですか。でもUTMFなら頑張れば多くの人がスタートラインに立てる。かつて「自分には無理」と言っていた人が、いつの間にか出場して100マイルを完走しているのを何度も見てきました。

僕らは大会の誕生から併走するような形でここまで来ましたけれど、UTMFに感化されて、いろんな経験を重ねたフィニッシャーはすごくたくさんいると思います。そういうのを見ていると、感慨深いものはありますね。

ーー開催地だからこその悩みもあるのかなと想像します。

芦川:それはありますね。たとえば試走に来たランナーが私有地に入って、勝手にトイレを使ってしまうといった困ったことがあったりします。同じようなことは、きっと全国各地で起こっていると思うんですけど、誰にとってもメリットがないですよね。そういった迷惑行為が重なって大会がなくなってしまう可能性もあるわけで、そのあたりはみんなで考えなければいけないことだと思います。トレイルラン人口が増えたがゆえにね。

この日撮影した藤巻さんとは2015年に雑誌「TRAILRUN」(山と溪谷社/休刊)でも芦川さんを取材。懐かしの誌面と同じポーズで。上は2022年、下は2015年撮影

顔を思い浮かべながら商品を選ぶ

ーー鈴木麻生子さんは前職場の後輩で、ATC Store開店後は手伝いもされています。(現在は子育てでお休み中)前職ではよくご一緒にレースに出場していたそうですね。

原:もう一人トレイルランを趣味にしている同僚がいて、3人でよく大会に出場していました。

ーー芦川さんはどんなオーナーですか?


鈴木:冒頭で芦川さんが「僕は変わっていない」と言っていましたけれど、本当に変わらないですね、いい意味で(笑)。もちろん時代や環境の変化で変わってきた部分もあるんですけど、芯がブレていない気がします。

たとえば製品の仕入れひとつを見ても、芦川さんの中で決まった基準があるんだろうなと感じます。自分が好きなもの、お客さまに勧めたいものの基準がちゃんとあって、その軸が変わらないというのかな。それは開店から12年経っても感じます。こだわりというんですかね。

ーー鈴木さんは芦川さんと同じ富士宮西高校のご出身で、ワンダーフォーゲル部に所属して国体やインターハイにも出場されたと伺いました。アウトドア業界でのお仕事も長いわけですが、そんな鈴木さんから見て“芦川イズム”はどんなところに現れていると思いますか?

鈴木:取り扱う商品を選ぶとき、それが出来上がるまでのストーリーを大事にしているところは大きいと思います。あと、どのお客さまに使ってもらいたいか明確なイメージがあるというのかな。常にお客さまの顔を思い浮かべながら、商品を選んでいる気がします。

ーー芦川さんご自身はどう考えておられますか?

芦川:僕自身はかなり優柔不断だと思っています。日和見して買い付けることもあって、そういうときはだいたい失敗するというか、反省することが多いです。だから「あの人が喜んでくれるかな」というイメージを持ちながら選ぶようにしていますね。

でも、それはいまだからできることで、開店当初はできなかったんですよ。店に置いていたら格好いいだろうなと思う商品を選んでいたし、とにかく売らなきゃと焦ってもいたし。この店で何がやりたいのか僕自身が迷っていたから、最初はかなり曖昧な商品群でした。

トレイルランでもハイキングでも、日常でも使えるものとかあれこれ考えて、一体感がなかったですね。徐々にお客さんが増えてきて「この方向でいいんだ」と思えるようになり、いまがあります。

ーー起業する方は大小の差こそあれ、そういった迷いを経験していくんでしょうね。

芦川:具体的なブランド名を挙げていいのかわかりませんが、チャムスとか置いていました。チャムス自体がどうこうという意味じゃないんですよ、もちろん。当初はいま取り扱っているようなトレイルラン専門のブランドと取引がなかったから、幅広い層に人気のあるチャムスでなんとか凌いでいたんです。オープンして3ヶ月間で売上が100万円にも達していなくて、ある月は全売上が20万円で途方に暮れていましたね。こんなに売れないんだと。店の場所もわかりにくいし(茶畑に囲まれた住宅地の中にある)、名前は知られていないし、通販もやっていなかったし、売れる要素がひとつもなかったんですよ。

12周年記念に12個限定で製作したblooperbackpacksのザック(左)と同じく10周年記念に10個限定で製作したザック(右)

お客さんとの距離が近づき、関係が深くなった

ーー麓エイドを担当しているトレイルランコミュニティ「フジヤマユナイテッド」を立ち上げたのはいつですか?

芦川:2013年頃だったかな。鈴木も、今日会いに行く太田社長も創設メンバーです。

ーーこんな質問をしていいのかわかりませんが、お客さまがフジヤマユナイテッドでは仲間でもあるわけで、距離感が難しいと感じたことはないですか?

芦川:あんまりないです。意識的に境目をなくすようにしてきたんです、自分の中で。会社員時代はお客さんを「○○さん」と呼んでいたんですけど、あるとき、それでは壁をつくってしまっているなと感じて。

たとえばスカイハイの北野拓也さんとか、身近な人を愛称で呼んでいますよね。僕はなかなかそれができなかったんだけれど、壁をとっぱらったらどうなるかなと考えました。きっかけになったお客さんがいて、徐々に呼び方が軟化していったら歯止めがきかなくなっちゃって。いまは年下の仲間を名前で呼び捨てたりしています。この変化は僕の中ですごく大きかったです。

鈴木:いまでは芦川さん、人生相談も受けていますよね。

芦川:俺に相談してもどうかと思うんですけどね。やっぱり呼び方が変わってから深い付き合いになった気がします。そう考えると、この12年でいちばん変わったのはお客さんの呼び方かもしれないな。僕から近づいていったんです。

ーー金曜夜のランイベント「Fujinomiya Friday Night Group Run」や日曜開催の「Trail Running Session -SUNDAY MORNING」も長く継続していますね。

芦川:お陰様で好評です。初心者の人もリピートしてくれて、仲間内でいくつかコミュニティが生まれたりして、いい形で繋がってきています。イベントで知り合った人同士が仲良くなるのがいいんですよ。僕が店を始めていなかったら出会わなかった人たちが出会うのがすごいと思うわけです。鈴木なんて、旦那さんを見つけて結婚しましたからね!

ーー旦那さまはお客さまだったのですか?

原:そうなんです。先に主人の姉と知り合って、それから夫と知り合って(笑)。

芦川:僕らが知らないだけで、ほかにも結婚した人はいるかもしれないですね、店が存在することの意味って、そこにあったんだなって気づきました。性別関係なく、いろんな人が巡り会える場所なんだなと。もしかしたら、店を始めていちばんよかったことかもしれないです。

2022年トレイルランイベント「Trail Running Session -SUNDAY MORNING」


創業当時をよく知る太田社長の会社を訪問

ATC Storeから移動し、開店当初を知る数少ないトレイルラン仲間・太田博之さんが経営する「アートユニオン株式会社」へ。太田さんは二代目社長で、百貨店のディスプレイや展示会のブース製作などを手がけている。

ーー芦川さん、こちらには何度も来ていらっしゃるのですか?

芦川:長い付き合いですけど、会社に来たのは初めてですよ。

太田:そういえばそうだよね。出会って15年くらいになりますかね。昔、流行ったSNS「ミクシィ」のトレイルランコミュニティで知り合ったんです。「朝霧トレイルランニングレース」の情報交換だったかな。当時はまだトレイルランをやっている人も本当に少なくて。

 ミクシィで知り合ってしばらくしたら、前の会社を辞めると言い出して。せっかく経営企画室室長にまでなっていたのに馬鹿じゃないのって思ったんです。

芦川:役職までよく覚えてますね(笑)。

太田社長の会社はこの日が初訪問。製作スタジオを覗かせていただく。ちょっとした社会科見学

太田:2009年、まだトレイルランが認知されていなかった頃に独立するっていうから驚いちゃって。当時のギアといえば、ザックはグレゴリーのルーファスで、ウィンドブレーカーはモンベル、サンバイザーにサングラスかけて走っているような時代。そんな頃にトレイルランだけで食べていくんだ、すごいなと思いました。

 最初は大変でしたよね、取り扱う商品もいまみたいに種類が豊富じゃなくて。それがあれよあれよと右肩上がりでブランド数が増えていって。僕だったら絶対に選択しない道を歩いていますよ、彼は。

ーー選択しないというのは、難しそうな業界だからということですか?

太田:そうですね、僕にはそんな度胸はないから。ちょっと格好いいじゃない、独立するって。でも正直、トレイルランで食べていけるのかなと心配したな。なにか算段があったんですよね?

芦川:なにもなかったですよ。

太田:それはすごいな(笑)。いまはお洒落で機能的なウエアやギアがたくさんあるけど、当時は本当になかったから、よくお店が成立したと思う。あの頃の人気シューズといえば、ラッキーチャッキーですよね?ロードシューズからラッキーチャッキーに履き替えたときには、トレイルラン専用シューズは走りやすいなと思ったな。

芦川:よく覚えていますね。ノースフェイスのシューズなんですけど、名前が衝撃的でデザインがファンキーでしたね。でもほかに選択肢もなくてね。

太田:そんな時代に独立するっていうから、男としてちょっといいなって思ったんですよ、僕は。「なんで店名がATCなの?」と聞いたら、恥ずかしそうに「芦川トレイルランニングクラブです」と教えてくれてね。でも開店してしばらくは暇だったよね。

芦川:ずっと暇でしたよ(笑)。

太田:お店の開店が2010年5月1日で、ちょうどその日に近くで鏑木毅さんのトレイルラン講習会があって、「ハイドレーションを使うといいよ」なんて教えてもらってね。帰りにお店に寄ったんです。

芦川:それくらい何を使ったらいいか情報がない時代で、買うお店もなかったんです。

太田:芦川さんは自分で走って商品を試して売るじゃないですか。だから紹介する商品が信頼できるなという感じはありましたね。いまもそうだもんね。

阿蘇、平尾台、信越、北アルプス
二人でよく遠征している

ーー太田さんはいつからトレイルランを?

太田:健康維持のためにマラソンを始めたんですけど、マラソンは途中で歩くのが恥ずかしいじゃない? 山だと歩いても恥ずかしくないから、トレイルランを始めたんです。早い時期に芦川さんと知り合ったので、そこからはどっぷりトレイルランにはまっちゃって。

ーーお二人でよくレース遠征していらっしゃいますよね。

芦川:そう、よく行っていますね。阿蘇ラウンドトレイル(熊本)も行ったし、平尾台トレイルランニングレース(北九州)にも行ったし、信越五岳トレイルランニングレース(長野/新潟)では僕がペーサーもしたしね。

太田:大雨でコース変更になった2016年ね。ペーサーが待っているエイドに到着したら芦川さんがいなくて、何度も放送で呼んでもらったんだよね。大雨で寒くてボロボロでしたね。

芦川:ボロボロでしたね、あのときは。僕なんか走らず待っていたから、もっと寒かったですよ。

2017年「平尾台トレイルランニングレース」(北九州)にて

太田:結構いろんなところ行っているね。北アルプスの燕岳にも行ったし。

芦川:最後に行ったのは南アルプスの鳳凰三山。霧が出てきて「こんな日に山に来る人なんていないよね」とか言っていたら、前から山本健一さんと菊嶋啓さんが走ってきてね。

太田:その前年も南アルプスだったよね。たいがい二人で山に行くと天気が悪くなるんですけど、その時も雨で、二人で泣きながら吊り橋を渡ったね。二人とも高所恐怖症だから。

太田:それにしても、どんどん取り扱うブランド数が増えていったね。アークテリクスを扱うって聞いたとき、ブランドを知らなくて「どんなイメージのブランド?」と聞いたら「車でいったらポルシェかな」って。

芦川:それくらいこのあたりでは知っている人がいなかったんです。アークテリクスとパタゴニアを取り扱うようになって、その後にフーディニやアルトラも扱うようになって。

ATC Storeの入口に掲げられた太田さんが手がけたアクリル看板

太田:僕はブランドロゴが入った店舗看板をつくってきたから、ブランドの変遷をつぶさに見てきたんだけれど、その辺りから店のテーマが確固たるものになってきたね。

芦川:最初は取扱いブランドも試行錯誤していて、それに太田さんはむちゃくちゃ付き合ってくれたんです。

太田:第一回UTMFが開催される直前、 SuuntoのGPS時計「アンビット」が発売されて、3つ入荷したときも買ったなぁ。僕らの間ではATCは「物欲の館」って言われているんですよ。行くとなにかしら買ってしまうから、お金がかかるんですよ(急に小声で)。

芦川:なんで小声になるんですか?

太田:かみさんが隣の部屋にいるから(小声)。またなんか買ったのって言われちゃうからね。


ーー芦川さんは東海エリアのトレイルランシーンを牽引してきたお一人でもありますね。

太田:人柄がいいんですよ。自分がトレイルランを続けているのも、芦川さんが店をやっているからというのが大きいですよ。信頼感があるから、必要以上に話しちゃうんだよね。トレイルラン以外に銀行の借り入れの話とかまで。

芦川:そういうことを話せるのは僕も太田さんだけですよ。

太田:経営のことはほかの人に話しても共感してもらうのは難しいけど、芦川さんならわかってくれるから。

芦川:規模は全然違いますけど、僕も太田さんならわかってくれるかなと思って話すんです。

ーー経営者ならでは会話ですね。

芦川:コロナ禍だったこの2年間はそんな話ばかりでしたね。

太田:製品や材料が入ってこないという話が多かったかな。でも暗くはなかったね、お互いに。

うちが取引するお客さんの中には、ATCで知り合った人もいるんです。山好きな人って真面目な人が多いし、山をやっていると一気に仲良くなってしまうでしょう。ニューハレ社長の芥田さんもそうだよね。うちの会社でニューハレのPOPも作ったりしているんですよ。当時はみんなタイツにショートパンツ、グレゴリーのルーファスを背負って、靴はモントレイルでね。

芦川:トレイルランのウエアも市場にはモンベル、ノースフェイス、パタゴニアくらいしかなくて、ちょっと経ってからホグロフスが入ってきて。

太田:短パンに短いスパッツを合わせるスタイルを鏑木さんがやり始めて、それからニューハレのVテープを貼るスタイルが流行ったな。短パン生足が主流になったのは、ここ数年ですもんね。僕は最初トレイルランレースに出たとき全身ナイキだったんです。周りを見たらオールナイキは僕だけしかいなくて、恥ずかしかったな。

2008年「志賀野反トレイルレース」にてゴール後の芦川さん(手前)。ニューハレ社長の芥田晃志さん(左)とはこの大会で知り合った

静岡のトレイルランシーン10年

ーートレイルランシーンの変化についてどう感じておられますか?

太田:みんなでお揃いのTシャツをつくるムーブメントがあって、それが終息して、いままたTシャツをつくる人たちが増えていますよね。そういう繰り返しがずっと続いている。2000年代後半から2010年前後の黎明期にトレイルランを始めた人たちは、いまはレース以外の山の楽しみ方も見つけているじゃないですか。スピードハイクとか。

2014年フジヤマユナイテッドの仲間たち。お揃いのTシャツは何種類かつくったが、赤色は初代のもの


芦川:コロナ禍も影響して、レースがなくても楽しめることを知ったというか。でも時代は巡るんですよ。コロナで一旦レースがなくなったけどまた復活してきたから、新たにレースに挑戦する人も増えてきましたね。

ーー太田さんから見てATC Storeらしさとはどんなところにあると思われますか。

太田:なんだろう?僕がトレイルラン初心者だったとしたら、他の専門ショップはちょっと店の人と話しづらいんじゃないかと思うんですよ。でもATCは初心者でも話しやすい。店の場所はわかりにくいけど、もう場所も関係ないもんね。あと静岡のトレイルランシーンでいえば、芥田さんの存在も大きいと思う。

芦川:静岡には芥田さん、望月将悟さんがいて、かつては相馬さんがいてね。こういう話をしているとつくづく思うんです、相馬剛がいたらどうなっていたんだろうなって、いまのトレイルランシーンは。(相馬剛さんは2014年マッターホルンで遭難事故に遭い、4年後に発見された)

太田:ほんとそう思う。

ATC店内には懇意にしていた相馬剛さんから預かった優勝トロフィーが飾られている

芦川:それを見てみたかったという想いはすごくありますね。富士宮に引っ越してきて、ガイド業を始めてすぐに亡くなってしまったわけだけれど、彼が生きていたら何を見せてくれたんだろうって思いますよ。同世代のプロトレイルランナーとはまた違うことをやっていたと思うから。

太田:僕は相馬さんが海上保安庁に勤務していた頃、偶然、巡視船の上で会っているんです。巡視船を見学できる日があって乗ったら、ハセツネの優勝記事で見たことがある顔を見つけて、「相馬さんですよね? おめでとうございます!」と声をかけたんです。そうしたら「なんで知っているの? 知っている人いないよ、この中で」とか言われて、「僕もトレイルランやっているんです」と話して。話すと和やかな人だったな。

芦川:2019年、日曜のランイベントに相馬さんのご家族が参加してくれて、相馬さんが好きだった富士山の双子山で遺骨の一部を散骨したんですよ。参加者のみんなは静かに見守っていて、本当なら厳粛なシーンのはずだったんだけれど、いざ遺骨を蒔こうとしたら風で舞ってしまって、奥さんの真由美さんや子どもたちが驚いてすごいリアクションしたんです。そうしたら、すっかり場がコメディみたいになってしまってね。でもそれを見たとき、相馬さんはいないけど、家族3人が幸せそうに暮らしているからよかったと思ったんですよ、僕らは。

太田:相馬さんの遭難の知らせを僕はちょうど望月将悟さんの講演会に参加しているときに聞いたんです。驚いてしまったな、山ってそういうところなんだって。

これからのATCはどこへ向かうのか?

ーー今後ATC Storeがどんな存在になっていったらいいと思いますか。

太田:それは考えたことなかったな……。これまではいつも先を見せてくれる存在だったんですよね、お店が。マナーも啓蒙しているし、「みんなが集う場所」というかね。

芦川:僕自身もわかんないですよ。いままでどおり、ぼんやりした存在でもいいのかなって気もするし。太田さんが言った「集う場所」というのも、結果的にそうなった感じでね。何かを目指してやってきたわけでもないし、これからもそうはならないと思う。意識しちゃうと嫌らしくなってしまうから。日々淡々と過ごして、結果としてそうなったらいいなと思うんですよ。

 もちろん、お客さんの中には「ちょっと違うな」と感じて離れてしまう人も出てくるかもしれないけど、僕自身はこれからもそんなに変わらないと思います。みんなは変わっていくと思いますけどね。

太田:ATCはみんなにとっての居心地のいい場所。お菓子もあって、趣味について話せる店主がいるお店って憧れるじゃないですか。それが実現しちゃった感じなので、僕はなかなか山の趣味から離れられないんだよね(笑)。


■ATC Store
https://atc-store.jp

■ATC Store Onlineshop
https://atcstore.stores.jp

協力
■アートユニオン株式会社
https://www.art-union.co.jp

■2014年7月配信記事
『山物語を紡ぐ人びと』vol.5〜芦川雅哉さん
https://grannote.jp/archives/1074

■2016年12月配信記事
「アウトドアのローカリズムって?」芦川雅哉×石田啓介
https://grannote.jp/archives/1505382

Photo:Sho Fujimaki
Interview&Text:Yumiko Chiba