トランス・ジャパンアルプス・レース2022参戦記〜 土井陵

「トランス・ジャパンアルプス・レース2022」を4日17時間33分という大会新記録で優勝した土井陵選手の手記。大会終了直後にSNSで発信したレポートをまとめ、一部加筆編集したものです。

写真:青谷康一

スタート前から考えていたこと「1日目に槍ヶ岳を越える」

【スタート〜北アルプス(前半)】
8月7日0時00分。

「始まった」

不安な気持ちはほとんどなし。むしろ、これからの挑戦にワクワクしている。なぜか多くの困難を受け入れる自信があった。スタート前から考えていたこと。

「1日目に槍ヶ岳を越える」

富山湾から馬場島までの30km。身体は軽く、順調な滑り出しだ。急登で有名な早月尾根から岩の殿堂剱岳へ。ここから始まる数々の3000m峰の第一座として最も相応しい山だと思う。多くの応援に迎えられ、剱岳そして岩稜帯を難なくクリア。

次に目指すは一の越山荘。ここで友人との出会いを約束していたからだ。「一の越で待っています」。そんな言葉を聞いていたら、自然と脚が動く。今回の旅でスタート・ゴールを除く1番多くの応援者がいた。体調も万全。大好きな五色ヶ原の景色に癒やされ、スゴ乗越で小屋の方と会話し、薬師岳へ。

薬師岳と槍ヶ岳が1日目のハイライト。1つ目の薬師岳。なかなか到着しない。北薬師岳を越え、ガスの合間から見えた薬師岳に感動する。なかなか着かない、なかなか見えない……という状況が感動を倍増させる。

1つ目のハイライトをクリアし、次に目指すは黒部五郎小舎。

カメラマンとのしのぎ合い、睡魔との戦い

【北アルプス(後半)】
薬師岳から、薬師小屋、薬師平、太郎平と登山者がどんどん増えていく。人の存在は、人を元気づける。ましてや応援されるとそれが何倍にもなる。太郎平小屋の前では多くの人が出迎えてくれ、驚いた。だって、応援者や小屋のスタッフの皆さんが列をなして、道を作ってくれているんだもの。ありがとうございます!

ここから黒部五郎小舎までは我慢の区間。わかっていたが、長い。行動時間は、0時にスタートして約16時間……。いやいや、何時から起きているかというと、前日の昼に仮眠してから起きているので、すでに24時間以上起きていることになる。

ここで疲労と眠気がくる。その間、「いい画が撮れないか」と今か今かとその瞬間を待ち望んでいるNHKカメラマンが虎視眈々と狙ってくる。カメラマンとのしのぎ合いだ。結局それは2時間にも及び、痺れを切らして声をかけて離れてもらった。しのぎ合いの勝敗は……気にしない気にしない。

黒部五郎岳の分岐で少し横になり5分ほど目を瞑る。それだけで結構スッキリ。黒部五郎小舎でも多くの応援者が居てくれて嬉しく思う。脚のケアやナイトトレイルのための準備をしながら、応援者と雑談する。

ここからナイトトレイルへ。双六小屋へついたのは20時30分頃。それでも待っていてくれている人がいる。ここまでくれば槍ヶ岳はすぐ。すぐ、すぐ!? すぐ?? どこだ、槍ヶ岳!? 

毎回、槍ヶ岳の取り付きまで遠く感じるし、夜だから姿も見えない。

暗闇の中、西鎌尾根の急登を登り、日が変わる前に槍ヶ岳山荘に到着。ここでもこの瞬間のためだけに応援者が待っていてくれる。深夜だったし、あまり会話できなくてごめんなさい。愛想が悪かったかもしれません。

槍沢の下りでは、ライトをめがけて、昆虫たちが顔面アタックしてくる。カメラマンとのしのぎ合い次は、昆虫たちとのしのぎ合い、滅入る。ライトがある頭に当たってくるのは仕方がないとして眼はやめて……。

馬場平で幕営しようと思ったが、眠気が回復してきたのと、テン場がいっぱいのため、先に進む。3時30分ごろ上高地到着。昨年よりも大幅に早い。上高地スタッフ石川夫妻寝不足にしてしまってすみません。暗闇の中、上高地を後に。

TJARで最も危険と称される奈川渡ダムまでのトンネル。ここを明るくなる前に越えたい。

ヘッドライトと赤色点滅灯を付けて、鬼の居ぬ間に通り過ぎる。ペースが一向に上がらないので、ここで休憩をとることに。トンネルとトンネルの間にある草むらへこっそり入り、マットをひいて仮眠をとる。ようやく横になって脚を休めることができた。眠っていたのは20分ほど。とてもスッキリした。

さぁ、気を取り直して2日目が本格的にスタート。目覚めたら、ちゃっかりNHKのカメラの枠に収まっていた。こっそり隠れて寝たはずなのに、バレた。カメラマンもなかなかやるな……。あっ、IBUKI(GPSトラッキング)やな。

写真:田上雅之

ウルトラディスタンスでは「脳に騙されず、脳を騙す」

【北アルプス→中央アルプス】
睡眠をとったことで、身体も脚も回復。実際に寝たのは20分程度だが、気持ちが戻っている。

「脳に騙されず、脳を騙す」

これまで経験してきたウルトラディスタンスで学んだことのひとつ。疲労が重なったとき、脳は防衛反応で身体を止めようと傾く。睡眠はそれをニュートラルに戻す。短時間の睡眠だけでも回復する(気になっている)のはそのせいだ。全て仮説だけど。だからウルトラディスタンスで意識することは、脳と上手く付き合うこと。限界を超える方法の1つと考えている。

話をレースに戻す。北アルプスから中央アルプスまでを繋ぐロード区間、約70km。トンネルをいくつか通り、TJARの中で最も危険な区間を越える。ホッとする。交通量が多いときに通ることを考えるとゾッとする。ホッとしたり、ゾッとしたり忙しい。

過去の選手のペースをみると、この北アルプスから中央アルプスの区間ペースがあまり上がっていない。事前の計画で、自分はこの区間にペースを落とさないで、動き続けることを課す。気温が上がってきて、負荷も上がってくるが、淡々と脚を動かす。

わざわざこのロード区間を試走に来た甲斐があった。この70kmをいくつかの区間に分割して、1つ1つの区間をクリアしていく。短く区切った区間を走り終える度に、成功体験を積み重ね、毎回自分を褒めてあげる。70kmは長いけど、短い区間をクリアしていくことが、心を保つコツ。

上高地でも、沢渡でも補給できなかったが、持ち合わせの補給食で全て完結。これも想定内。装備をギリギリまで削って荷物を軽くしているが、食料は1割増しで準備している。山の中で何らかのアクシデントがあっても、対応出来るようにリスクマネジメントを怠ってはいない。

TJARレース中の憩いの場所、「スーパーまると」で補給。久々のリアルフードにありつけた。しばしの休憩。休憩中にすることも、走りながら考えておき、実行する。休憩時間は20分、食事をしながら靴を脱いで足を乾かし、休足した後、ガーニーグー(擦れ予防クリーム)を足に塗る。全て計画通り。

リスタート。中央アルプス取り付きまであと少し。藪原駅を越えて木曽福島へ。しかし、調子が上がらない。身体がおかしい、胃腸がおかしい……。おそらく急に食べすぎた事が原因だと思う。一気に血糖値が上がって一気に下がる、いわゆる血糖値スパイク、インシュリンショックだ。もう一つ考えられるのが、血流が胃腸に集中し、脳や筋肉に行き届いていないのではということ。

登山口までもう少しだが、なかなか進まない。ここは冷静になってペースを落とす、休憩を挟んで、この症状が治まるのを待つ。焦らない焦らない。

時間はかかったが、福島Bコース取り付きに到着。これまで誰もなし得なかった「2日目に中央アルプスを越える」。この事前に決めた計画を実現できるのか……。

やっぱり友人のチカラは大きい

【中央アルプス】
調子が悪い中、木曽福島から中央アルプス木曽駒ヶ岳を目指す。旧木曽駒スキー場で飲んだ天然水が本当に美味しく、身体にしみた。「水が甘いってこういうことか!」というくらいの感動で、登山道を登っているうちにみるみる回復していった。

福島Bコースは約3時間20分で登頂。頂上付近はいつものごとくガスっている。中央アルプスが晴れていることはまず経験がない。そういえば、TJAR選考会が終わったそのままの脚で、中央アルプスを試走したときも同様。

頂上はガスと風、かなり寒い。いつもレースの撮影で会うランニングカメラマンのコマケン(駒井研二)さんがいる。そしていつもの短パン半袖スタイル。TJARも出場しているし、アドベンチャーレーサーでもあるコマケンさん。いつ見ても黒い短パン黒の半袖。同じ服ばかり何枚も持っているのだろうか。

チェックポイントの宝剣山荘でチェックを済ませ、ここから気温と風を考えるとほぼ着れるものをすべて着て、ヘルメットも着装し、手袋もして万全の態勢で出発。

宝剣岳の岩場に取り付く。宝剣岳は剱岳と同じくらいの岩稜帯で、脚を踏み外すと奈落の底に真っ逆さまの危険ゾーン。暗闇の中、両手両足を駆使して岩場を登ったり下りたり。ふと上を見上げるとコースから外れた、誰も登ることのできない岩の上に、黒い何かがいる? 野生動物? 目を凝らしてよく見ると……コマケンさん。短パン半袖じゃなかったら誰かわからない(ちなみにめっちゃ寒い)。「よくあんなところに登ったな」と感心しながら、こちらも滑落しないよう注意深く進む。

宝剣岳を越えると、ずっと続く縦走路。景色も見えないし、風がどんどん強くなってくる。挙句の果てに雨も降ってくる。中央アルプスは木曽福島側から吹き上げる風がすごい。雨が下から降ってくる状況。分かる人にはわかると思う。

南アルプスの深部だと気持ちを維持するのは難しいが、中央アルプスは11時間で越えることができる。そう自分に言い聞かせ、悪天候だが終わりが見える状況だと自分に言い聞かす。なかなか進まない行程だが、我慢我慢。

途中、岩に足を置いた際、思いっきり滑った。危ないっ、と咄嗟にポールをついた。全体重がポールにのしかかり、その瞬間「バキッ!」。やってしまった。これまで一度も折れたことのないLEKIポールがついに折れてしまった。仕方がない。自分の身代わりになってくれたと感じ「ありがとう、ごめんな」とポールに伝える。

風がどんどん強くなってきて、普通に立って進むことができなくなってくる。木曾殿小屋でダウンも着込み、これ以上できない防寒対策をして、空木岳へ。這いつくばりながら空木岳の急登を登る。途中立てないほどの暴風となる。

深夜で身体も気持ちも疲れてきた時にようやく空木岳の山頂に着く。山頂にライトが見える。こんな時間(深夜1時)にこんな暴風の中、応援者がいるのか。すごいな……と思いながら「応援登山ですか?」という僕の呼びかけに「福井です」との声。えっ、まさか。そう、自分がTJARを目指し始めた時からいつも一緒にアルプスに行く相棒、「シガイチ」(滋賀一周ラウンドトレイル)優勝者の福井哲也さんだった。そして隣には、南アルプスを下りてからのロード区間試走をサポートしてくれた佐藤直美さんも。

「こんな時間にこんな場所に来てくれるなんて」。嬉しさのあまり、仙豆を食べたかくらいの勢いで心身ともに回復していく。本当にありがとう! 感謝の気持でいっぱいになる。やっぱり友人のチカラは大きい。

おかげで池山の下りは気持ちを上げながら下ることができた。「駒ヶ根でゆっくり寝よう!」。そんな希望を胸に池山をくだった。

段ボール箱を、何度も何度も開け閉めして

【駒ヶ根〜南アルプス】
暗いうちに駒ヶ根高原に到着。少し時間はかかったが、目標である2日目に中央アルプスを越えることができた。

朝4時。この時間でも応援してくれる方々がいる。感謝。ようやくここでしっかり睡眠をとる。駒ヶ根バスターミナルの近くにあるアウトドアショップKの軒先(お店の許可をいただいています)で、マットを敷き、濡れているものを干し、靴も脱いで、携帯のアラームをセットし、寝る態勢に入る。寝る直前まで撮影のカメラを回されるが、気になることもなく、自分の世界に入っていき、どんどん意識が遠のいていく……。

ハッと気がつき、時計に目をやる。まだ1時間20分程しか経っていない。アラームより先に目覚める。

気持ちもスッキリしたので、荷物を整理し、リスタート。寝るという行為はすごい回復力がある。脚の痛みも消えてるし、何より脚が前に出る。短い睡眠だが、十分すぎる回復だ。

中央アルプスから南アルプスの登山口まではつなぎのロード区間だ。おおよそ20km。ただし、この区間にもしっかりと峠がある。標高1300m中沢峠である。

お日様が上がってきて気温が高くなってくる。所々で用水路の水を浴び身体を冷やす。できるだけ暑くなる前に山に入りたい。ここも計画していた通り。やっと登りきった中沢峠には、さっきまで空木岳にいた福井さんと直美さんが。またしても応援してもらい、元気100倍アンパンマンとなる。福井さんがジャムおじさんに見えてきた。

峠を下り、中間地点の市野瀬チェックポイントが見えてくる。ちょっと前にアンパンマンになっていたので、元気いっぱいにチェックポイントに入る。談笑していたスタッフのフナチさんに「うわっ」と声を出して驚かれる。元気が良すぎたのか。

このチェックポイントは、事前に預けていた荷物を受け取ることができる唯一の場所。預けていた荷物を受け取る。スタッフに聞くと、自分の荷物が他の参加者に比べ、一番大きかったとのこと。自分としてはリスクを分散するために、全ての装備のバックアップを入れていたので、当然の量だ。ただし、スタッフはそんなこととはつゆ知らず、「土井2号が入っているのか」と思ったらしい。ここで、人が入れ替わる……いい案だ。次回は双子の弟(いません!)に頼んでみよう。

荷物を受け取ってからすることは全てシミュレーション通り。お湯を沸かす、携帯とGPSウォッチの充電、靴と靴下を脱ぐ、カップ麺とカレー飯を作る……などなど。スムーズに事が運んでいく。

出発の時間を少し過ぎたが、おおよそ予定通り。荷物は再度梱包して、スタッフに預け、家に着払いで返送されるルール。

ダンボールをガムテープで閉じる……とガムテープを入れ忘れたことに気づく。馬鹿だな、おれ。再度開き、ガムテープを入れ、ちぎったガムテープで閉じる。ふと隣を見ると休足用のサンダルが。大馬鹿だな、おれ、サンダルを入れ忘れている。再度開き、サンダルを入れ、ガムテープで閉じる。さぁ、出発しよう、時計、時計……。充電中の時計をみると、そこから伸びた充電コードが目に映る。入れ忘れた……。再々度荷物を開く。ここまでくれば、アンパンマンからアンポンタンに格下げである。この行為全てがインスタライブで発信されていたから、たまったものではない。アンパンマンからアンポンタンに格下げられた一部始終を多くの人に見られることとなった。恥ずかしや……。

気を取り直す。荷物を預け、いざTJAR核心部の南アルプスへ入っていく。ここからが未知の体験となるだろう。天気もよく、風も気持ちいい。絶好の登山日和だ。ここから先の南アルプスはどんなことが待ち受けているのだろうか。

期待と不安を胸に仙丈ヶ岳(3,033m)の登山道へ脚を進める。

辛い時間帯が訪れた。それでも歩みを止めなければ必ず辿り着く

【南アルプス(前半)】
登山口で水を汲み、仙丈ヶ岳(3,033m)を目指す。

天気もいいし、空気も乾燥していて、そよ風も吹いている。それに加え、お腹も満たされている。本当に気持ちがいい。この上ないコンディション……、この上なく眠たくなるコンディション……。そよ風が誘ってくる。ここで初めて睡魔と戦うことになる。

「100mile100times」に挑戦している井原友一さんの言葉を借りると「睡魔は魔物」。睡魔には抗えない。まず、まっすぐ歩けない。置きたい位置に足を置けないのだ。酔っ払いの千鳥足を想像していただきたい。まさにその状況。横になったり進んだりを何度も繰り返す。

寝ぼけながらフラフラ進んでいた時、「ドサッ」木の上から黒く大きな物体が音を立てて落ちてくる。コマケンか? 目を凝らすと、正真正銘のクマだった。あっ、クマ、なんだクマか……。睡魔とは恐ろしい。「スイマ > クマ」という、構図が出来上がっていた。今ならドラゴンボールの極悪宇宙人・フリーザが出てきても驚かないだろう。

にっちもさっちもいかないため、ここで秘蔵のカフェイン、スーパーメダリストをとる。眠気が少しづつ無くなる。少しずつ元気になってきて、回復しながら地蔵尾根を進む。

途中、登山道から外れ、開発中の林道区間を選ぶ。ここは棘植物との戦いだった。大丈夫、試走したときには血だらけになったから、対策は練っている。「棘植物くん、こっちはふくらはぎのゲイターを着けているからね。かかってきなさい」。甘かった。こちらが対策を練っていたこの1ヶ月で彼らは急成長していた。高さも2倍くらいになり、否応なしに棘が襲ってくる。痛みと対応で、残った眠気が吹き飛んだ。

仙丈ヶ岳が近づいてきた。辺りは薄暗くなってきている。山頂手前に田中カメラマンがいる。そう、言わずと知れたアドベンチャーレースチーム・イーストウインドの鬼軍曹、田中正人氏である。

仙丈ヶ岳を過ぎ、仙塩尾根に入り、三峰岳(2,999m)を目指す。当初の予定では三伏峠まで行きたかったが、この行程では難しいことは明らか。今夜のビバークは三峰岳を越えた熊の平キャンプ地にする。

どんどん暗闇が迫ってきて、いつの間にか辺りは真っ暗闇に包まれる。そして、霧も出てくる。霧が出ると視界が数メートルになる。仙塩尾根は単調な登山道で、霧のため足元ばかりを見ることになるし、暗さも相まって当然眠たくなる。しかし、後ろには鬼軍曹が迫っている。姿が見えなくなったと思ったら現れ、また見えなくなったと思ったら現れる。次第に追われている感覚に陥る。鬼軍曹から追われる……。それがどれほどの恐怖か容易に想像できるだろう。

それでも、いつの間にかライトも見えなくなったし、ようやく鬼軍曹を撒くことができた。流石に眠気と疲労、鬼軍曹の追撃を振り切った安堵感で座り込み、膝を抱えて少し仮眠態勢に入る。ふと、顔を上げると、ファイバースコープさながら赤外線カメラで鬼軍曹に撮られていた。やられた。ここまでくれば鬼軍曹でなく特殊任務部隊SWATだ。

とりあえず、三峰岳を越えて熊の平までいかないと。その一心で前に進む。ある言葉を思い出した。福井さんとの会話だ。過去に福井さんは自らTJARのコースに挑戦している。そんな福井さんにアドバイスを求めたときのこと。

土井「TJARで一番しんどかったとこはどこです?」

福井「やっぱり仙塩尾根ですかねー。疲れも溜まっているし、変化がないから単調だし、小刻みなアップダウンが続きますからね。」

土井「あー、それなら大丈夫ですわ。仙塩尾根はこれまで何度も行っていて、結構好きなんですよね。どちらかといえば得意ですわ」

全力で猛省した。次に福井さんに会ったら、全身全霊で謝ろうと思う。私はアンポンタンでした。このTJARを通して一番苦戦した区間だった。

苦戦を強いられる中でも、歩を止めないことで必ず目的地にたどり着く。どれだけ困難だとしても、進み続けること、これが大切。そして、必ず復活する。これもウルトラディスタンスで学んだこと。

三峰岳を越え、深夜2時にようやくビバークポイントの熊の平キャンプ地に到着。ここで最初で最後の野営具を張る。速効QCスタミナ(サプリメント)を摂り、カロリーメイトを補給して、ダウンを着込んで寝床に入る。

やっと眠ることができる。3日目が終わった。

写真:Michiko Nakaya

荒川小屋、赤石岳避難小屋にあいさつを

【南アルプス(後半)】
寒さで何度も見が覚める。時計に目をやると4時前。ツェルトを畳み、パッキングをする。雨でなくて本当に良かった。

塩見岳(3,052m)に向かう中、少しずつ空が明るくなってくる。朝焼けがアルプスの山々を照らす。一刻ごとに様相が変わっていく。山での一番好きな時間帯だ。霧が晴れた瞬間、視界の開ける北荒川岳から望む塩見岳は絶景だった。

塩見岳の取り付きからは急登が続く。相変わらずここは何度来てもキツい。塩見岳を何とか越え、塩見小屋は寄らず三伏峠へ。南アルプスでこの区間が一番多くの登山者に会った。中央アルプスから今まで山中で会ったのは、ジャムおじさん(福井哲也さん)、バタコさん(佐藤直美さん)、コマケンさん、ほかにも友人知人などなど。これまで人に会わなかったので、登山者に会うことが自分を元気づけてくれる。

三伏峠に向かう途中から左足の小指が痛む。靴も靴下も濡れている。もうすぐ三伏峠なので、そこに着いたら足のケアをしよう。そう決めて三伏峠を目指す。

三伏峠のチェックポイントで到着の報告をして、足のケアをする。しっかりマメができている。安全ピンでマメを潰し、ガーニーグーを塗りこむ。これだけで痛みが緩和される。

昨晩から気づいていたが、自分が計画していた行程から遅れている。そして、疲労と眠気に加えて足の痛みもある。少し不安になる気持ちを抑え、もう一度、小分けにした各区間の想定タイムを確認する。一つひとつこなしていくしかない。覚悟を決めて、荒川前岳(3,064m)、赤石岳(3,121m)、聖岳(3,013m)の3,000m峰を今日中に越えよう。

休憩の後、三伏峠を出発すると、どんどん身体が楽になってくる。不思議だ。荒川岳の急登に入る。若い男女グループが楽しそうに登山をしている。羨ましい。ただ、ただ、羨ましい。こっちはお風呂も3日間入っていないし、ましてや歯も磨いていない。自分の匂いと相談し、混ざりたい気持ちを諦め、荒川岳頂上に向かう。荒川岳を越え、チェックポイントの荒川小屋を目指す。

荒川小屋では、友人ユーゾー氏がスタッフをしている。元気に挨拶し、少し談笑する。それだけでとてもリラックスできた。

そして、荒川小屋のご主人には、きちんと挨拶しないといけないと思っていた。7月にTJARの試走に来たとき、ちょうど小屋開きに向けて準備されていた。当然小屋では食事もできないし、補給も買えない。そして、その日は雨にも打たれとても寒かった。小屋の外で荷物を整理していると、何と温かい甘酒を差し入れてくださった。感激した。雨続きの厳しい条件での試走だったが、人の優しさに触れ、甘酒が何倍にも美味しく感じられた。TJAR本戦でここまでこれたことをご主人に報告できた。

荒川小屋には、あのコマケンさんもいる。この人は本当にどこにでも現れる。北アルプス剱岳、中央アルプス木曽駒ヶ岳、そして南アルプス荒川岳。「わかった、コマケンさんは数人いるんだな」と仮説を立てる。カモフラージュのために黒の半袖短パンを着て黒のシューズを履いているんだ。ということは、今回はコマケン3号か。

荒川小屋を出て、コマケン3号と百間洞山の家を経て赤石岳を目指す。赤石岳はTJARのコースで最高峰(3,121m)の高さを誇る。赤石岳に登っている時に、コマケン3号の足元にふと違和感を感じた。昨日履いていたシューズと違う。メーカーの違うシューズが黒から黒に代わっている。「コマケンさん、シューズ、昨日のと違いますよね?」。コマケンは不適な笑みで振り返り、「ニヤリッ」。なんの笑みだ?「気づいたな……」の笑みか? やはりコマケンは何人かいる。仮説は正しかったと思った。

赤石岳の頂上付近、少し登山道から離れたところに赤石避難小屋がある。小屋の主人は以前からお世話になっている榎田さんだ。榎田さんにTJARに出場できたこと、元気にここにたどり着けたことを報告する。榎田さんは自分が小屋を寄らずに通り過ぎるだろうと思っていたようだ。そんなことはありえない。

百間洞山の家を経て、南アルプスのラスボスと言われている聖岳を目指す。聖岳までには、中盛丸山、小兎岳、兎岳という山が連なる。ここは嫌な区間。辺りは暗くなってくる。しかし、辛いとわかっていたら、何とか頑張れるものだ。相手を知ることで、自分に余裕が生まれる。試走した時の身体と感情をまとめ、メモしておくこと。その準備と対応をすることが、厳しさを乗り越えるポイントである。

何とか3つの山を越え、ラスボス聖岳を攻略。聖沢の長い長い登山道を下り、最後の山、上河内岳を越える頃にはもう日付が変わろうとしていた。南アルプス最後のチェックポイントの茶臼小屋でTJARスタッフの朝倉一朗さんと黒田清美さんに会い、今のところ眠たい以外のトラブルはないことを報告する。

茶臼小屋からの下りの間に仮眠し、最後の登山道を下る。山の区間がようやく終わる。長いようであっという間だった。喉元過ぎればなんとやら。畑薙から大浜海岸までの力を残しつつ、畑薙大橋を目指す。

写真:内田憲匡

増え続ける応援者。TJARのチカラを知る

【畑薙〜静岡】
畑薙に向けてトレイルを下る。何とも言えない寂しい感覚とともに少し安堵感を覚える。

テンポよく下っていると、鼻に違和感が……タラリ。鉄の味がする、鼻血。特に疲労は感じていなかったが、身体は正直だ。相当無理をしている。なかなか止まらない。鼻血は特に気になるものではないが、畑薙大橋が近づいている。過去のNHKの放送で、望月将悟選手、垣内康介選手がトップで畑薙大橋を渡っている画を撮られている。確実に居るな……。

ここで、大きな大きな目標ができる。畑薙までに鼻血を止めること。大きなミッションだが、これまで多くの困難を乗り越えてきた自分にはできるはずだ。危険な劔岳も、暴風の空木岳も、眠気に打ち勝ち三峰岳も越えてきた、鼻血も乗り越えれるはずだ。ティッシュを交換しては鼻血が垂れ、またティッシュを交換しては垂れる。

諦めそうになったその時、鼻血が止まった。今まで大きな困難を乗り越えたことで、全くどうでもいい困難を乗り越えることができた。市野瀬でダンボール箱を3回開けたことがライブ配信により全国放送された二の舞いを踏まずに済んだ。意気揚々と畑薙大橋を渡る。

NHKのカメラマンが待ち構えていた。元気で爽やかな笑顔でカメラマンに近寄る。その胸のうちは、「やっぱりな、君たちの行動は全てまるっとお見通しだ。おれの勝ちだね。鼻血なんてものは、いざとなったらいつでも止めれるんやで」という謎の優越感。NHKの放送でどう映っているんだろうか。

畑薙に降り、ゲートまで行くと、なんと消防署の大先輩がサプライズで応援に来てくれている。社会人になった自分を山の世界に導いてくれた方々だ。この二人がいなかったら、今の自分はないだろう。そして、畑薙ダムでは過去にTJARに出場した方々や、そのほか大勢の応援者が迎えてくれた。

朝6時半頃、畑薙第一ダムを越えると、あの有名な看板「静岡駅まで81km」が現れる。実は南アルプスの登山口から大浜海岸までのロード区間のためだけに、わざわざ試走に来ていた。どんなコースで、区間の区切りはどこか、どこで補給ができるかなど情報収集し、事前準備は怠っていない。

ここからのロードも多くの応援者に会った。純粋に嬉しかった。仲良くさせてもらっているblooperbackpacksの植田徹さんの姿も。

白樺荘を過ぎ、チェックポイント井川オートキャンプ場が500mまでに近づく。タラリ……嫌な予感だ。次は逆の鼻から血が垂れてきた。いつでも止めれるんやで……、いやいや、直前すぎるやろ。ここでの切り替えはすごかった。撮ればいいさっ、こっちは全然恥ずかしくも何ともないからね。ティッシュを鼻に詰めた時、さっきまでの謎の優越感は一瞬にして消え去った。

チェックポイントでは、当然みんなが「大丈夫か?」と聞いてくるし、カメラマンにも撮られることとなる。「大丈夫っすよ、まだまだ元気っすよ」と強がっていたが、自販機でジュースを買う時、買いたいものと違うボタンを押してしまった。動揺している。

キャンプ場を過ぎ、井川の集落に差し掛かる手前で、一台の車が停まり、女性が降りてきた。「土井さん、頑張って!」「どうも、ありがとうございます」「あっ、ショウゴの母です。土井さんすごいね!」。望月将悟選手のお母様でした。

井川集落、廃線道、井川ダムを過ぎ、この区間最大の山場である富士見峠に差しかかる。約10kmの登りだ。ここを越えるとあとは下りのみ。走れるところは上りも走り、富士見峠を攻略する。大丈夫、走れている。

登山口から直近のコンビニまでは70kmもあるため、この区間の補給食もしっかり持っていた。何度も言うが、食べ物は減らしていない。エネルギーは切らさない。

コース上では家族の姿もあった。わざわざ大阪から駆け付けてくれた。本当に感謝。お陰様で走らせてもらっています。

静岡市内に近づくにつれ、応援の数がどんどん増えてくる。沿道からも車からも応援の声が聞こえる。ここまでの想像はしていなかった。この大会の凄さを改めて感じた。

重くなった脚が、自然と動いた。中には、関西から駆け付けてくれた友人や、学生時代のバスケット仲間の姿も。TJARのチカラが人を集めている。今まで出場してきたレースとは明らかに違っていた。沿道には応援が連なる。まるで戦場から帰ってきた英雄の気分だ。

静岡駅を過ぎ、ここから大浜海岸まではビクトリーロード。雨が降ってくる。ついに土砂降りに。それでも応援は途切れなかった。大浜海岸の2km手前で鼻血が出てくるも、気合で止める。応援者のチカラはここまで及んでいる。大浜海岸が見えた。

写真:grannote

【TJAR 大浜海岸】
大浜海岸に続く階段が見える。太平洋は、まだこの目には映っていない。階段の前には、すでに大勢の人が集まっている。7月に試走した時、この階段を越えなかった。フィニッシュ当日、この先にどんな景色が待っているかを楽しみにしたかったから。その景色をようやく見ることができる。大勢の人に迎えられ、階段を登る。

登りきった目に映ったものは、太平洋まで続く、応援者で作られたビクトリーロードだった。土砂降りの雨の中、大勢の人が列をなし、左右に分かれ、道を作ってくれていた。そこにないはずのレッドカーペットが、自分には見える。

達成感がなかったわけではない。嬉しくなかったわけでもない。ただ、冷静な自分がいた。そして、次々と湧いてきたのは、「ありがとう」という言葉だけだった。

参加させてくれて、ありがとう。
いつも支えてくれて、ありがとう。
わざわざ来てくれて、ありがとう。
背中を押してくれて、ありがとう。
応援してくれて、ありがとう。
雨の中待っててくれて、ありがとう。
素敵な大会を作ってくれて、ありがとう。

ビクトリーロードを歩いている時の素直な気持ち。優勝したことや、記録更新をしたことは特別だとは思わなかった。その代わり、これだけ大勢の人にポジティブなインパクトを与えることができたことが嬉しかった。

そして結局は、大会中は多くの人に励ましてもらいながら、自分は自分の内面と対峙していたんだろうと思う。

4日17時間33分

とても簡素で、とても素敵なゴールゲートを息子とともにくぐった。この記録がすごいのかどうなのかわからないけど、挑戦する人が次に目指す一つの指標となることは確か。記録は破られるためにある。この記録を更新してほしいと思うし、自分もまだまだ成長できると思っている。

「限界はまだ先にある」

これも自然に出てきた言葉。先を見ている自分が、少し誇らしかった。

〜おわりに〜

お読みいただき、ありがとうございました。TJAR出場者の裏側を少しでも垣間見ることができたのではないでしょうか。SNSで多くの温かいメッセージもいただきました。レース中も終わってからも、皆様の応援が大きなエネルギーになりました。

結局、自分が今回TJARに出場し、本当に良かったと思えたことは、大会中も、そして終わってからも、私を含め多くの人とワクワクとドキドキを共有できたことかなと思います。TJARが選手とともに成長していき、これからもずっと挑戦の場であり続けることを心から願っています。

土井 陵

写真:grannote