『山物語を紡ぐ人びと』vol.33 〜「負けるために走った」勝てなくても逃げないという望月将悟の答え

Photo: Doryu Takebe


日本で最も過酷といわれる山岳レース「トランス・ジャパンアルプス・レース(TJAR)」に2010年の初出場で初優勝した望月将悟。その後、4連覇達成、大会記録の樹立、水以外の補給を行わない「無補給」での完走を成し遂げ、長年 “TJARの顔” として戦い続けてきた。

しかし2018年「無補給」での完走後、40代に突入した望月はかつてない身体の不調に苦しみ、大きな舞台から遠ざかっていた。その望月が「TJAR2022」に復帰したことは多くの反響を呼んだ。

アスリートが勝ち続けること……順位や数字に価値が置かれる世界にあって、それはどんな才能ある選手でも不可能なことだ。

南アルプスの麓・静岡県井川で山の申し子のように育った望月をもってしても、TJARで勝てなくなる日は必ず訪れる。だからこそ、望月が今回スタートラインに立ったことには大きな意味があった。

いずれ肉体は衰退していくという生物の宿命に対する、望月らしい答えの出し方だった。

「初めて感じる不安だよ」と望月はこぼした

8月6日土曜日23時00分、富山県魚津ミラージュランド。
開会式を終え、短い仮眠を取った望月が身支度を始める。

「さっき会場入りするとき、車からミラージュランドの観覧車が見えたら『行きたくないな』って思わずつぶやいちゃったんだよね」

過去のTJARでもスタート前は緊張したが、今回は意味合いが違う。その姿に覇気はなく、迷いと不安が表情に浮き出ている。選考会を通過してからずっと、望月は今回のレースをどう走るべきか迷ってきた。これまでには必ずあった明確な目標がないからだ。

そんなとき、2018年優勝者の垣内康介の言葉が背中を押してくれた。垣内も「TJAR覇者」としての想像以上の重圧に押しつぶされ、それを乗り越えようと無理なトレーニングを重ねた結果、怪我に苦しんでいた。

「走ってください。望月さんが走ってくれるだけで、僕は勇気をもらえます」

Photo: grannote

23時30分。
スタート30分前。真っ暗な日本海を背にして立つ簡素なスタートゲートは、選手たちの熱気で溢れていた。真夜中にも関わらず、家族や仲間たちが大勢集まり、この日のために何年も準備してきた選手たちに精一杯の励ましの言葉をかけている。独特の高揚感。

23時57分。
スタート3分前。この時間まで、優勝候補筆頭の土井陵と望月将悟はとくに話をする機会もなく過ごした。ゲート後ろ、二人は少し離れたところに立っていたが、号砲が鳴る直前、ふと土井が後ろを振り向き、2列後方に立つ望月のそばに駆け寄ると小さく言葉を交わした。

思わずシャッターを切る。後で写真を見返してみると、望月はなんともいえない困った笑い顔をしていた。大会前、望月はこう話していた。

「本当なら土井君が出場することに、もっと興味を持ちたいところなんだけれど、以前と同じようにはもう身体が動かないから」

突き抜けた空のようなフィニッシュ

自身6度目となるTJARを望月は淡々と進んでいく。そのペースは決して遅くないが、トップ争いに絡むような気配は見せない。レース中、望月の心に大きな変化があった。北アルプスを下りて、中央アルプスへと向かう木曽福島あたりでのことだ。次第に走ることを楽しんでいる様子が見え隠れし始めた。

南アルプスや静岡に近づけば近づくほど望月を心待ちにする応援者は増えていく。声をかけられる度に立ち止まったり、写真撮影に応じたり、望月はそうしたことに時間を割くことも厭わない。

南アルプスを下りて故郷の井川に着くと、雨が降っていた。母・仁美さんはいつものように実家近くで息子が通るのを待ち構えている。かつてのような圧倒的な勝利は見込めないとわかっていても、たくさんの地元の人たちが望月を待っていた。

時折、激しい雨が降る定まらない天候の中、穏やかな笑顔で走り続ける望月はもうスタート時とは別人のようだ。

4年前、大きな荷物と目に見えない重荷を背負い、痩せこけた頬で「無補給」によりゴールした望月の全身からは、まるで何かを救うために走ってきたかのようなオーラが放たれていた。

しかし今回はそれとも違う。その表情には突き抜けた空のような「無」が広がっている。

8月12日金曜日、静岡県大浜海岸。
スタートから5日18時間37分、6度目の旅が終わった。

望月は何かを手放した。そう直感した。

Photo: grannote

スタートしても目標が見えない

望月:土井君がいてくれてよかったよ。意識しなかったといったら嘘になるけど、記録も順位も、土井君がいてくれたんで、僕はすごくほっとしたというか。違う楽しみ、挑戦の仕方を見つけられそうな気になれたんです。

ーーそれはどうしてですか?

望月:長年ずっと追われる立場だったし、プレッシャーも大きかったから。大きかったといっても、ただ自分で大きくしていただけなんだけどね。先人たちがつくってきた「TJARはこういうものだ」というイメージが自分の中にはあって、その舞台で自分が簡単に負けちゃダメだという気負いがあったんだけど、今回初めて「自分のためのチャレンジ」と思えたんです。それでいいんだと。

ーースタート時とてもナーバスになっているように見えました。

望月:「土井君についてどう思いますか?」とか「競い合うんですよね?」とか、いろんなことを質問してくる人がいたからね。スタートした段階では、今回のTJARをどうやって走るか、自分の中でも定まっていなかったんですよ。それが一番苦しかったんです。

「厳しいルールを守りながら進む場所だ」と納得して

望月:4年ぶりに出場して、大会もいろいろ変わったなと感じました。ライブ配信が始まったこともそうだけれど、競技ルールがとても細かくなって、正直すべてを把握しきれない部分もあって、すごく気を配りました。判断に迷ってしまう場面では、とりあえず止めておこうとかね。

たとえばある場所では推奨される通過時間帯があったんですけど、その時間までに通過できない場合は、手前で待機せざるを得ない雰囲気だったんです。もちろん待機は強制ではないんだけど。

でもそういうことも含めて、これはこれでいいんですよ。なぜなら、今年TJARに出ると決めたのは「制限や細かなルールがある中で挑戦する場なんだ」と自分で納得して出場したから。「ルールが守れなかったら退場なんだ」と理解して出場しました。それにある意味、100%自分の判断で進める舞台ではないわけだから、ここで「自分の能力を高める」とか「自分の限界にチャレンジする」という意識ではいけないなとも思っていたんです。

Photo: Shimpei Koseki

TJARは人生の映し鏡のようなもの

ーー望月さんがTVカメラに追われるのはもはや名物になっていますが、今回はいかがでしたか?

望月:いつもと一緒でした。気持ちに揺さぶりをかけるような質問もたくさんあって(笑)。TV カメラにずっと撮られることを嫌だなと思う選手もいると思うんだけれど、僕自身はポジティブに捉えています。こういう機会もなかなかないからと。

それに山の中を担当する山岳カメラマンは、登山家の平出和也さんやチームイーストウインドの田中正人さんだったから、いろいろ話せて楽しかった。正人さんなんて号泣していましたからね。

ーーそれはなぜですか。

望月:僕にもはっきりとはわからないんだけど、南アルプスで。僕が「このプレッシャーは田中正人さんにしかわからないです」という話をしてね。「TJARの優勝者として、これまでプレッシャーがすごく大きかったんです」と話したら、正人さんは「僕が優勝したときは今みたいに有名な大会じゃなかったから、それほどプレッシャーは感じなかったけど、望月君はそんなに感じていたんだね」と。(田中正人さんは2004年・2008年優勝者)

そりゃそうですよ。僕はアスリートとして大先輩の正人さんからTJARの優勝を受け継いだわけで、自分の中では「辛さを乗り越える」とか「一歩一歩進めばゴールまで近づくんだ」とか、そういう経験すべてがTJARだと思ってやってきた。TJARは自分の人生の映し鏡みたいなものだったから。

その舞台で優勝したからには、簡単に負けるわけにはいかない。いままで出場した人たち、一緒に競い合ってきた人たちの存在が僕の中では大きかったからです。僕が簡単に負けてしまったら、そういう人たちまで「たいしたことないな」と思われてしまう気がして、それが自分ではすごく嫌だった。そんな話をしました。

負けてもいい。このプレッシャーから解放されるなら

望月:そうしたら正人さんに、「じゃあ、なんで今回も出たの? やめればよかったじゃない? 出なければ四連覇した勝者で終わったのに」と言われて。「いや自分はそのプレッシャーから解放されたかったんです」という話になって。

逆に正人さんにも「なんでTJARに出ないんですか? また出たらいいじゃないですか」と言ったんです。そうしたら正人さんは「こんな苦しい大会もう出ないよ。こんな苦しいレース、もう俺にはできない。だけどなんで望月君はあえて出るの?」と。

それで僕は言いました、「もう負けたかったんです」と。「じゃあ、負けるために出たの?」と聞かれたから「そうです」と答えました。「もう負けたっていいんです。それで絶対王者とか優勝者とかいったプレッシャーから解放されるなら」と。

そんな会話をしていたら、正人さんも何か感じるものがあったのかな。僕自身も、その話をしながら泣いているんですけどね。二人でどしゃ降りの雨の中、号泣したんです、三峰岳で。ちょうど落雷があって、夕立が降って、正人さんと会ってそんな話をしました。

ひとしきり泣いた後、正人さんに「それなら望月君、ヘルメットに書いた “I’m Back”って文字、もっと太い字で書かなきゃダメだよ」と言われてね(笑)。

ひとつの世界を背負うことの重さ

ーー田中正人さんは日本におけるアドベンチャーレースの開拓者です。1996年の創設以来ずっとチームイーストウインドをキャプテンとして牽引し、2022年その座を田中陽希さんに譲ったばかりです。

望月:なんだか心境が重なりますね。正人さんは日本におけるアドベンチャーレースの第一人者として、ずっとイーストウインドを世界へと引っ張ってきた人だから。

これは僕の想像だけど、きっと正人さんも「そう簡単に負けるわけにはいかない」と思っている気がするんですよ。自分が簡単に負けてしまったら、イーストウインドの名が廃るというか、「そんなものなのか」と世間から思われてしまうから。

だから張り詰めた気持ちで、ずっとやってきたんじゃないかな。体力の低下と格闘しながら続けてきたんじゃないかと思います。そこはもしかしたら、僕と重なる部分があるのかもしれません。

Photo: Sho Fujimaki

まるで「自分探し」のような旅だった

ーーレース中、何度も止めようと思ったそうですね。

望月:思いましたね。その理由は2つあって、ひとつめは心身の辛さ。剱岳に向かっているとき、4年ぶりにTJARの辛さを思い出して。思うように身体が動かないとか眠気との闘いとか、いろいろ感じ始めて、「これじゃ、自分が納得したゴールはできない」という現実をまず突きつけられました。

2つめが目標。みんなが一生懸命にゴールを目指している中で、僕には目標がないという後ろめたさのようなものがあって、僕だけこの舞台で “自分探し” みたいなことをしていて本当にいいのかと、何度も自問自答しました。そんな甘い考えでは他の選手に失礼じゃないかとね。

実はそれもきっかけがあって、TVカメラマンに「なんで走っているんですか?」と何度も聞かれたからなんです。でも僕はそういうことにはだいぶ慣れているから、TJARにおけるひとつの試練だと捉えて、自分の中でプラスにしていこうと思いながら進みました。

それでも、あまりにロードで質問してくるから、逆に山岳エリアに入ってからは山岳カメラマンに逆質問したんです。たとえば駒井研二さん(元チームイーストウインド/TJAR完走者)に「もうTJARに出ないんですか?」とか。そうしたら「う〜ん」とニヤニヤ笑いながら、「何か自分に優勝できるという自信が持てたら出るよ。勝てるという自信があったら出るよ」と言っていました。

ーー駒井さんは寡黙なカメラマンとして有名ですね。

望月:そう、駒井さんとはTJARでの思い出があるんです。僕が初めて出場したとき、選手として走っていた駒井さんに辛い場面で声をかけてもらい、しばらく一緒に走ったことが忘れられなくて。最初声をかけてもらったときは「レースなのに一緒に進むってなんなんだ!?」と戸惑ったんですけど、レースにも関わらず、他の選手のことを思いやれるというのが自分の中では驚きで。

いまは偶然以外に連れだって進むことはルール違反になりますけど、その時は「なんて大きい人たちなんだ」と思ってね。そういうマインドを僕もTJARを通して伝えていきたくて、ここまで走ってきた気がします。もう12年も経ってしまいましたけど。

Photo: Nobuya Tani

心のどこかで「中止になれば」と

ーーここ数年の苦悩から解放されたのか、近年で一番リラックスしているように見えます。

望月:ほんとそうですね。これまでは、何かしら走る目標を見つけようと必死にもがいていたから。実は書類選考でも予選会でも、心のどこかで「中止になってくれ」と願う自分がいたんです。こんなことを言ったらTJARを目指している他の人に悪いかもしれないけれど、そういう自分がいたことは嘘ではない。走りたくなかったというか。

ーー自然なことだと思いますよ。「決着をつけてしまいたいけれど、走らないで済むなら走りたくない」というのは。

望月:そうすれば自分が負けることもないでしょ、結果は出ないわけだから。いままでの自分、いままでの評判でいられる。だけどそうじゃないなと。ここで逃げたら、もっともチャレンジしない男になってしまうじゃないかと。

あえて逃げずに出場して、気楽な感じで走ってみたかったんですよね。ちょっと長い散歩をするような気持ちで、415km進めたらいいなって。それができたら、自分が強くなれるんじゃないか、そんな自分になれたらいいなと思っていました。

Photo: Nobuya Tani

この挑戦の意味は、次の挑戦を成し遂げたときにわかるはず

ーー目標が見えない中、何か拠り所になるようなものはあったのでしょうか。

望月:それが、ひとつだけあったんです。「無補給」のときに比べて荷物が軽かったこと。唯一そこだけだったかな、過去と比べて楽だと感じられたのは。

でも、そのたったひとつが救いになりました。途切れそうになる気持ちをつなぎ止めてくれたというか、レースを止めようとする自分を押しとどめてくれたというか。小さな喜びがあるだけでも乗り越えられるんですね、人間は。

ーー「無補給」に新しい意味が生まれましたね。

望月:ほんとだね(笑)。今回の予選会で「無補給をやって何かよかったことはありましたか?」と、これもTVカメラマンに質問されたんだけど、何も答えられなくて。「あれをやって俺、なんか得られたことあったのかな?」と考えてしまって、「忍耐力がつきました」としか答えられなかったんです。

でも今回走ってみたら、「無補給」が唯一の救いになったわけだから、やってよかった。

ーーこれまでは「よかった」と心から思えなかったわけですか。

望月:何も答えが出なかったんです。普通ああいった挑戦をしたら「強くなりました」とか「荷物たくさん背負って走れるようになりました」とか、いい変化があるのかもしれないけど、この4年間すべて逆だったから。身体が壊れて、調子が悪くなったという現実しかなかったし、自信がついたわけでもないし。

ーー「やらなければよかった」という気持ちも少しあったのでしょうか?

望月:選手寿命を縮めた感じはあります。そのくらい大変だったので。でもあの年齢で、あの勢いがあったからできたことなんだなとは思います。優勝、新記録、連覇達成……それらがあったからこそ、できたチャレンジだとは感じています。

あのとき、5連覇を目指すことにはまったく興味がなかったんですよ。たぶん、人間はそのときにやろうと思ったことをやると決意して、達成するのがいいんじゃないかな。そこがチャンスというか、いちばんいい時期なんだと思います。

だから今回こういうチャレンジができたのも、「無補給」をやり切ったからだと思っています。その経験が活きてきたというか。そういえば、同じようなことを平出君も言っていました。

ーーどんなことですか?

望月:山の中で「どういう時、自分に対して納得するんですか?」と僕が彼に話しかけたら、「次のことをやり遂げたときだ」っていうんです。

つまり「いまやっていることにはその時点では自分で納得していない。次の新しいことをやり遂げたときに、ようやく前やったことに対してよかったんだと納得できる」と。

「じゃあ、挑戦は終わらないじゃないですか?」と僕が尋ねたら、「終わらないんですよ」と答えていました。「いまやっていることを納得するためには、もう一つやらないと納得できない」とね。

ーー非常に興味深い話です。いまのお話でいえば、望月さんにとって「無補給」がまさにそれに当たるわけですね。

望月:そう。今回TJARを走って、ようやく「あの時はよくやった」と感じられるようになった。平出さんからその話を聞いた瞬間は「それじゃ、いつまでも終われないじゃん」と思っただけで、よく理解できなかったんだけど、いまならわかる。僕にとっての2018年「無補給」は、今回のためにあったのかもしれない。

ーーということは今回のTJARも数年後に意味がわかることになりますね。

望月:たぶん、そういうことだと思います。

Photo: grannote

ーー現時点で今回のTJARは何だったと思いますか?

望月:精一杯走ったけれど、追い込んではいないし、これまでの中でいちばん寝たしね。そうだな、僕は最近「冒険」という言葉に惹かれているんですよ。冒険のちゃんとした定義はわからないんだけれど、僕にとっては「知らない自分に会い行く」とか「味わったことのない感情と出合う」とでもいうのかな。

そういうのを求めに行ったのが、今年のTJARだったと思います。「何のために自分は走っているのだろう」と終始、自分自信に問いかける旅でした。

これまではプレッシャーも大きかったし、自分に憧れてくれる人たちが幻滅しないようにと常に気を張ってきました。「強くなきゃいけない、手の届かないところにいなきゃいけない」と。でも自分も普通の人なんですよ、みんなと同じなんです。

Photo: Sho Fujimaki

離れていく人もいればそうじゃない人もいる。それでいい

ーーたくさんの人から憧れられるプレッシャーは減りましたか?

望月:減りましたねっ(笑)。「いまの自分はこれなんだ」と見せることができたから。記録的にもそうだし、もう優勝者ではないし。新記録を出して僕よりも速い選手がいることを誰もが知ったわけだから、「僕はこのくらいの人間なんだよ。みんなに崇められるような人間じゃないよ」と伝わったんじゃないかな。

ーー寂しさはありませんか。

望月:ないです。結果を残さなければ離れてしまう人がいるんじゃないかと、これまでずっと思っていたんです。でもそうじゃないんだよね。一緒に走った人たちとか、応援してくれた人たちとか、同じ時間を過ごしてきた人たちというのは、僕が遅くなろうが途中で止めようが、関係なく応援してくれる。もちろん、離れていく人もいるけれど、いままではそんなことばかり考え過ぎていたのだと思います。

ーー大会新記録を樹立した土井さんに対してはどう感じていらっしゃいますか。

望月:そうですね〜、なんていうのかな……。ここからは多分、土井君が築いたTJARが出来上がっていくんじゃないかと、それを期待しています。土井君のスタイルに共感する選手も出てくるだろうし、もしかしたらいろんな意見も出てくるかもしれないけれど、それでも優勝者は優勝者だから。速さも安全に繋がるし、身軽であることも一つのスタイルだから、土井君らしく伝えていけばいいと思います。

ただひとつ願っているのは、「TJARは誰でも挑戦できる舞台であり続けて欲しい」ということ。選考基準はあるけれど、頑張れば手が届きそうなところにあるのがTJARなんだと思う。オリンピックみたいに、子どもの頃からその競技に取り組んでいないとなかなか出場できない夢の舞台じゃないところがTJARのよさ。「一流の人しか出場できない」と思わてしまうようになったら寂しいなと思います。

そしでできることなら、その舞台には冒険の要素があってほしい。人任せの判断やルール頼りじゃなくて、自然の中で自分の感覚を研ぎ澄ませて、自分で判断していく場であってほしいと思っています。そういう感性を磨くことができるチャレンジの場であって欲しいですね。

山では何が起こるかわからないし、自分だけで決めなければならない瞬間がある。それを学びながら挑戦するのがTJARの本質じゃないかなと僕は考えています。

Photo: grannote

■Profile
望月将悟 Shogo Mochizuki

1977年、静岡県葵区井川生まれ。静岡市消防局に勤務し、山岳救助隊としても活動する。日本海側の富山県魚津市から日本アルプスを縦断して、太平洋側の静岡市までをテント泊で8日以内に走り抜けるレース「トランス・ジャパンアルプス・レース(TJAR)」で4連覇。2016年は自ら自己ベストを塗り替え、4日23時間52分の大会記録でゴール。2018年は途中で水以外の補給を行わない”無補給”スタイルでの完走を果たす。自身6回目となる2022年は5日18時間37分でフィニッシュした。

写真:藤巻翔、小関信平、武部努龍、谷允弥、grannote
インタビュー・文:千葉弓子

■スポーツグラフィックNumberWeb
体重2.8kg減、ザック重量5.1kg減。TJAR「無補給」の末に見えたもの。
https://number.bunshun.jp/articles/-/831704

■YouTube(ドキュメンタリーフィルム)
望月将悟 無補給415km Trans Japan Alps Race2018 -Documentary Film-
https://www.youtube.com/watch?v=CEzY-0VC0Ms