「一体どこまでこのハイペースで突き進んでいくのだろう……」
荒天により2日間で中止になった2021年大会から一年。再び「トランス・ジャパンアルプス・レース(以下・TJAR)」のスタートラインに立った土井陵は、前回を上回るハイスピードでルートを駆け抜けていた。午前0時に富山県魚津のミラージュランドを出発した後、剱岳から薬師岳を通って上高地へと下りる北アルプスを1日で通過し、中央アルプスも1日で越えて南アルプスへと入っていた。
大会から発信されるSNSや、選手が装着しているGPSトラッキングから伝わってくる驚異的なスピードに、長年のTJARファンのみならず新たにこの大会を知った人たちまでもが魅了され、「いつゴールするのか?」という期待感は日に日に高まっていった。
そして、スタートから4日17時間33分、土井は大会新記録で静岡県大浜海岸に辿り着く。創設から20年を迎えたTJARの舞台に、またひとつ歴史が刻まれたことになる。
2012年に放映されたテレビ番組を見てこのレースに憧れ、ようやく今回、自分の力を出し切ることができた土井。どれほどの高揚感に包まれているのだろうかと想像したが、意外にも、フィニッシュ後の土井の眼差しは冷静だった。
そのとき、心にはどんな想いが浮かんでいたのだろうか。
今回は自分も楽しみ、みんなも楽しませたいと思った
ーーレース前「今回はまた前回(2021年)とは違う気持ちでスタートします」とおっしゃっていました。
土井:前回はコロナ禍で、いろんなレースが中止になっていた中でのTJARでした。2018年の選考会に参加したとき、少し疑問に思うことがあって、その後しばらくTJARに対して気持ちが揺れ動いたりもしていたのですが、コロナの影響で目指していた国内外のレースがことごとく開催されなくなったとき、「これはつまりTJARに出ろってことやろな?」と運命的なものを感じたんです。何かを授けられたような気持ちで出場したのが昨年の大会でした。
だから具体的な目標があったわけではなくて、TJARがどんな世界か見てみたいというくらいの感覚でした。緊急事態宣言の発令で大阪から出られず、アルプスにも行くことができなかったこともあって、体力は落ちているはずでした。それに消防士という職業柄、出場に対してどこか後ろめたさも感じていて、すっきりしない気持ちのままスタートラインに立ちました。
それがこの一年で社会状況が一変し、レースも開催されるようになって、「LAKE BIWA100」を皮切りに、「TAMBA100アドベンチャートレイル」や「球磨川リバイバルトレイル」、「UTMF」にも出場して、それなりに結果も残してきました。
身体も去年とは比べものにならないくらい仕上がっているし、もやもや感もない。昨年、大会の雰囲気を味わったことで、おおよそのビジョンも見えてきた。すごく楽しみだったのが今回のTJARです。
だから、自分ももちろん楽しいんですけれど、この楽しみを自分だけのものにしたらもったいないなとも思っていました。
ーーそういうお気持ちがあったのですか。
土井:あったんです。みんなが楽しめるように自分を表現したい。それは一つの大きな課題でした。前回、北アルプスを1日で越え、台風の接近を避けるために中央アルプスも1日で越えようと考えていたところで大会が中止になりました。それを今回は実行してみようと。2日目に中央アルプスを越えることは、これまで誰もやっていなかったからです。GPSトラッキングによって、誰でも大会経過を追えるので、いろんな人に楽しんでもらえるんじゃないかと思いました。
ーーSNSでは「1日1アルプス」というハッシュタグも生まれました。
土井:それ後から聞きました(笑)。
ーー大会新記録については意識していましたか。
土井:結果としてそうなったということで、目指していたわけではなかったですね。ただ、試走のタイムに休憩時間や寝る時間を加えて行程表を出したとき、難しくないんじゃないかとは思いました。密かに「4日12時間台」を目指していたんです。
もちろんそれはあくまで目標で、「上手くいけばこの時間かな」くらいに考えていました。トラブルなどいろんな状況が生まれて遅くなっていくだろうなと。家族にも「そんなに簡単にはいかへんから」と伝えてありました。
だから望月さんの大会記録(4日23時間52分)を意識していたということではないんです。こういうことを言うと、なんだか嫌な人みたいになってしまうんですけど。
ーーこれまでの経験を総合して、自分の中で「これくらいならできる」と割り出した目標だったわけですね。
土井:そうです。実際に山を歩いて、ロードも試走しました。南アルプスを下り、井川からフィニッシュの大浜海岸に至るロード区間も試走しました。この区間だけを試走する人ってほとんどいないと思うんですけど、走るとイメージが全然違うんです。
準備期間が限られているので、去年走ったスタート地点から北アルプス登山口の馬場島までのロードは試走しませんでしたが、中止を告げられた上高地のトンネルから中央アルプス登山口までと、南アルプスを下りてから大浜海岸までのロードを試走しました。
ーーこれはみなさんが知りたいことだと思うのですが、どうしてここまでの力が出せたと思いますか? 天候に恵まれたことも一つの要因かと思いますが、大きくペースが崩れることなく駆け抜けたのが印象的でした。もちろん一言で答えられるものではないと思いますが。
土井:僕自身もわからないですね。でも南アルプスはやはり辛かったんです。市野瀬から三峰岳までがとくに。麓の市野瀬から仙丈ヶ岳に向かうまでと、両俣の分岐から三峰岳まで、この2つの区間が本当にきつかった。その区間は仮眠をとって一度復活したものの、また夜になって眠くなってしまって。普通に走ったら2時間くらいのところなんですけれど、眠くて眠くて、熊がすぐそばにいたことも気にならないくらい眠かったですね。
すべてにおいて「常識にとらわれんとこ」と
ーーテレビ番組の撮影カメラにずっと追われることは気にならなかったですか?長丁場となるTJARでは疲労困憊しているときも寝ているときも撮られますし、カメラに追われても動じないメンタル、舞い上がらないメンタルも必要かなと感じるのですが。
土井:僕の場合はこれまでいろいろなレース番組に出させていただいたので、撮られることはとくに気になりません。ただ変な撮られ方はしたくないなとは思いましたね、ぐたーっと寝ているところとか(笑)。
僕は、嫌なら嫌と言えるタイプなんです。一度、北アルプスでもカメラマンさんに伝えました。2時間くらいずっと後ろをついてきて、かといって撮っている様子もなかったので、何かの瞬間を狙っているのだろうなと感じて。それだとこちらも気が休まらないので、「どこまでついて来るんですか?」と聞いたら、まだまだ着いてくる様子だったので「ちょっと調子が狂うので、そろそろいいですか?」と言って、離れてもらいました。でも基本的にはあまり気にならない方で、撮られること自体はそんなにストレスではないです。
ーー今回の結果はTJARに向けたトレーニングだけではなく、これまで積み重ねてきたさまざまな経験があってこそだと思うのですが、そのあたりはどうお考えですか?
土井:今回の結果に関していえば、天気に恵まれたこともプラスに働いたと思っているので、自分ではそれほどすごいとは思っていません。でも、同じコンディションでもう一回出場したら、もっと行けるんじゃないかなとは思っています。
おっしゃるとおり、いままでの経験は確かに大きいですね、成功だけじゃなく失敗も含めて。たとえば2019年の「UTMB」では体調不良でDNF寸前までいったのですが、エイドで会った鏑木毅さんに励まされてレースを続けることができました。あのときの経験はすごく大きかったと思います。
もちろん11位だった2015年「UTMB」もそうだし、2021年11月に出場して34時間かかった「TAMBA 100アドベンチャートレイル(170km/D+14000m)」もいい経験でした。
レースだけじゃなくて、アルプスに何度も通ったことで見えてくることもありましたね。だいたい行くと雨に降られるので「山ってこんなもんなんや」と思えたというか。まだまだ知らないこともたくさんあるんですけど、これまでの経験の積み重ねがこの結果に繋がったことは間違いないと思います。
ーー415kmのうち半分はロード区間です。ロードの走り方も戦略を練られたのですか。
土井:日頃アルプスに一緒に行っている福井哲也さんともよく話すんですが、TJARにおいて山はある意味ごまかせるんですよ。アルプスは走れないからほぼ歩きだし、景色が変わるから楽しい。タイムに差が出るといっても、それほど変わらないんです。
でもロードはごまかせない。だから自分の中ではTJARのひとつの攻略方法として、ロードをどれだけ走れるかに重きを置いていました。ロード区間の場合、歩いたら平地で1km12〜13分、峠なら15分かかる。でも走ったら6〜7分で行ける。倍くらい違いますから。
ーー特別な練習はされましたか?
土井:いえ、とくに変わったことはしていません。普段は当直明けにジョギングをして、時々グループランの会に混ぜてもらって、ポイント練習をしています。
ーーロードのほとんどを走っていたことに驚かされました。
土井:それは意識しました。差がつくのはそこだと思っていたので。人それぞれ違うとは思うんですけど、多くの人は山で頑張ってロードで休憩しようとするんです。でも僕はちょっと違う意識で。山は変化もあるし楽しいから、あまり頑張らなくても進んでしまう。しんどいところもいっぱいあるけど、一つの山を越えるごとに達成感もあるから勝手に頑張れる。でもロードは頑張ろうと思わないと頑張れないから、むしろロードこそが頑張るところだと思っています。
ーーなるほど。
土井:これは物事すべてに言えることなんですけれど、常識にとらわれんとこと思っていて。1日目に槍ヶ岳を越えた人はいないから越えられないとか、2日目に中央アルプスを越えた人がいないから手前でビバークしようとかじゃなくて、各区間のタイムを分析したら越えられるだろうと。それなら行ってみようと。
当然、天候にもよりますから、決め打ちじゃなくて、何かあったら変更しようとAプランからCプランまで想定していました。ただ過去の事例には縛られないようにする。そういう意識を持つことで、なんていうんですかね、自分で壁をつくらないようにはしています。だって誰もやってみないことをやってみた方が楽しいじゃないですか。
ーーTJARでは毎回、綿密な報告書が作成されています。それを見ると、自分の実力に近い選手の行動やレースマネージメントを参考にすることもできます。出場を目指す選手にとっては非常によい参考書になっていると思うのですが、逆にいえば、これくらいだろうといった想定枠みたいなものを無意識にイメージしてしまう部分もあるのかもしれません。
土井:それはありますね。実際、自分の走力と似た人と照らし合わせて計画をつくることも多いと思うんですけど、それよりももっと行けるんじゃないかなという意識をどれだけ持っているかだと思うんです。
だから僕も望月さんの大会記録をもちろん参考にさせてはもらいましたけれど、もっと行けるんじゃないかと考えていました。それは決して思いつきじゃなくて、試走時の区間タイムや走ったときの感覚を整理したりして、目でみて、身体で感じてきたことから割り出したもの。もう一歩ジャンプできるんじゃないかと考えていました。
山力が重要といわれるが、それは一要素じゃないか?
ーー昨年のインタビューで土井さんは「TJARではよく山力が大事だと言われているけれど、それだけじゃないと思う」とおっしゃっていました。その真意を伺いたいのですが。
土井:山力が必要な部分て、実は山の区間だけですよね。山力がどこで活きてくるかといえば、トラブルがあったときだと思います。たとえば天気が崩れて進むか進まないか迷ったり、大雨のなか何日も行動しなければならなかったり、怪我や胃腸トラブルなど身体的な問題が生じたりしたとき。
でもそれは毎回起こるわけじゃない。もちろん、そういう状況下では山力のある人とない人ではすごく大きな差がつきますけど、いつもそういう事態があるとは限らないわけです。
そういう意味でいえば、トラブルへの対応力はTJARを攻略するためのひとつの要素に過ぎないと思うんですよ。ほかに事前計画、装備の選定、走力、眠気に対する強さなどいろんな要素が絡み合う中でのごく一部分だと思います。もちろん「それらすべてが山力なんだ」と言われてしまえば、話は別ですけれど。
だから僕が「山の区間はあるがままに進む、ロード区間は意識して頑張る」というのも、そのスポットごとに何が必要かという課題と対策を考えての行動です。
ーー眠気はどう対処されていましたか? レース中の睡眠の取り方は、人それぞれ最適なサイクルが違うと思うのですが。
土井:僕もまだ探っているところで明確な答えは出ていないんです。睡魔でダウンするところもあったし、今後もベストな方法は見つからないかもしれない。というのも今の僕はこうだけど、一年後はまた変わっているかもしれませんから。年齢や体調、気候によっても違うと思うし。ひとつ意識していたのはノンレム睡眠が90分サイクルなので、寝るときには1時間半を基準にしていたことくらいです。
ほかに細かい仮眠もしています。1日目は北アルプスを下りて上高地を過ぎてから、トンネルとトンネルの間で20分くらい寝たと思います。つまり、そこまでは寝ないでいけた、100マイルレースで眠くならないのと同じですよ。
睡眠計画はとくに立てず、寝る場所の条件だけ決めていました。一つはツェルトを張らないところ、もう一つは標高が低いところ。その理由はとても合理的で、ツェルトを張ると時間がかかるから、標高が高いと低酸素下で身体に負担がかかるし身体も冷えるからです。
だからツェルトを張って寝たのは、1日では越えられない南アルプスでの一回だけです。寝る場所を決めて、そこまでは頑張る。もしトラブルがあったら変更するつもりでいました。4日目の睡眠も、茶臼岳から標高をできるだけ下げた場所での仮眠でした。本当は畑薙ダムのバス停で寝たかったんですけど、そこまで行けるタイムスケジュールではなかったので途中で寝ることにしました。
これも経験則から導き出したことなんです。以前、香港で開催された「HK4UTC」(298km/D+14,500m)のレースを56時間くらいで走ったのですが、そのとき15分と30分、合わせて45分程度の睡眠を取っただけだったんですね。それでも動き続けられたので、もしかしたら自分は眠気に強いのかもしれないなと思っています。でも、普段は違うんですよ。早く寝たくて10時には寝てしまいますから(笑)。
“トレイルランナー”という枠に捕らわれたくない
ーー今年からザ・ノース・フェイス・チーム(以下・TNFチーム)に所属されました。TNFチームに入ることを決めた経緯は?
土井: いろんなことをしたいという自分の想いを実現させてくれるブランドだと思ったからです。いずれ冬山などにも行ってみたい気持ちがあって。いままで機会がなかったのですが、TNF所属アスリートには雪山をやっている人もたくさんいるので情報共有できるのではと期待しています。
ーー雪山を目指しているというのは少し意外でした。
土井:最初は簡単なところから体験をしてみて、もっとやりたいと思うのか、あるいは冬山より気持ちよく走る方がいいと思うのか、やってみないとわからないんですけどね。
ーー興味を持ったきっかけは何だったのですか?
土井:レースの撮影を通して山岳カメラマンで登山家の中島健郎さんと知り合い、話をしているうちに、健郎さんが撮ったり登ったりしている山の番組を見るようになって興味を持ちました。これまで100マイルレースの世界ではいろんな経験をしてきたので、ちょっと違う世界も見てみたいなと思ったんです。好奇心ですね。
ーー ひと所に留まらない感じがいいですね。土井さんがそういう意識をお持ちだとは、今日お話するまで知りませんでした。
土井:僕は自分のことをランナーだとは思っていないんです。本音ではトレイルランナーと言われるのもあまり好きではないというか。でも自分で「トレイルランナーです」と言うこともあるんですよ、伝わりやすいから。ただ意識としてはランナーじゃないかな? その枠だけに捕らわれるのは僕の中では違う気がします。登山もするし、トレイルランもするので。
山の中では速さも軽さも一つの正解
ーー100マイルレースに強いというイメージの土井さんが優勝されたことで、次回のTJARを目指すトレイルランナーも増えるのではないかと想像します。また軽量な装備(水なしで3.5kg)に影響を受ける人もいると思います。装備についてはどんな考えをお持ちですか?
土井:確かに減らしてはいます。減らしてはいるんですけど、食料は減らしていないんです。去年もそのあたりお話させてもらったと思うんですけど、今回も同じで。逆にみんな何を持っているんだろうなと思うんですよ。
もちろん、一つひとつの装備は軽いものを選んでいますけれど、みんなとそんなに変わらないと思います。僕のレインは130gくらいですけど、重いレインでも200g台ですよね。パンツも50gくらいしか変わらないと思うし。じゃあ、どこで変わるのというと食料しかない。こう見えて着替えも上下持っていたし。
あとは必携品の軽量化、小さなことの積み重ねですね。具体的に言うとボールペンの芯だけ持つとか、火気の装備もライターじゃなくてマッチにするとか、そういう積み重ねじゃないかと思うんですけど。
装備重量に関して何が左右するかといえば水分と食料なわけで、そこには山岳区間をどれだけのスピードで通り過ぎることができるかという走力、運動能力なども関わってくる。通過するのに日数が必要なら、当然、食料含めて装備も変わってくるわけです。
そう考えると、速ければ速いほど装備が減っていくというのは道理じゃないかなと思います。7日走るのと5日走るのとでは、普通に考えて用意する装備が違うのは当たり前じゃないかと。
ーー以前、超長距離に実績のある選手が「スピードも一つの正解だと思う」とおっしゃっていました。「もちろんそれが全てではない」と付け加えておられましたが、山で速く動けることは危険回避のひとつの方法であるのは間違いないと思います。
土井:そう、速さは一つの正解で、軽さも一つの正解なんですよ。リスクが高いところをどれだけ速く抜けられるかで、リスク回避ができるわけですから。もちろん、これまでの経験をベースにしてるから削るという取捨選択ができるわけで、まだ経験が少ないトレイルランナーがそれを真似するのは危険です。
たとえば僕は昨年のTJARが終わった後、10月末にアルプス行って、氷点下のなかビバークしました。10月頭にもアルプスでビバークしたのですが、寝ているとき「パリパリパリ」という音がしたので「何の音やろ?」と思ったら、霜が自分のツェルト以外のところに張り付いていた。そういうことも経験しているからこそ、可能になる装備の選択じゃないかと思っています。だから、そのまま真似するのは危ないです。
中央アルプスを下りた市野瀬にデポバッグが預けられるんですけれど、そこにはいろんなものを用意していました。手持ちの着替えは長袖シャツと化繊ダウンだったので、半袖シャツや温かいダウンを入れておいたり、レインももう一段階厚いものを入れたりしていました。リスクマネージメントはちゃんとしています。南アルプスは一回入ったら40時間くらいリスクにさらされるので、保険としてさまざまなものを用意しておきました。
ーーそれでデポの荷物が多かったわけですね。
土井:何かトラブルがあってスピードが遅くなれば食料も必要になるので、持っていくもの、それ以外の予備のものとが同量くらいありました。ポールが折れたらツェルトも張れないので、ポールの予備も入れていました。準備、走力、コースの下見、装備選択、リスクマネージメント、どれだけ想像しながら準備できるかということなのかなと思います。
TJARは消防士の仕事と重なる
土井:実はこうしたことは僕らの職業にとても関係しています。災害には同じ災害はないんです。地震や津波の災害は一生に一回、経験するかしないかですよね。いろいろな想像を巡らせて、さまざまな想定で訓練して、その訓練に対してブラッシュアップしていく。
そういうプロセスに慣れているのは職業柄なんじゃないかなと思いますね。現場に行くときも、何と何を持っていかなければならないか、誰が何を持っていって誰が何をするかをあらかじめ想定しておくんです。
ーーあらゆる災害のパターンを想定するということですね。
土井:そうです。同じ現場はないけれど、その災害に対するスタンダードを考えて対応する。例えば水難救助だとしたら、現場でどの隊員がどんな資器財を準備して、救出方法を誰がどうするか、共通認識を持っていないと動けない。ある程度の方向を決めてイメージを膨らませ、そこに応用をかけていく。この救出方法がうまくいかなかったら、次はどうするか。岸壁が高くてアプローチできなかったら、どうやって侵入すればいいのか。そういうことは山でも一緒で、相通じる部分が多いんです。
ーースタンダードというのは具体的にどれくらいあるのですか。
土井:災害の種類に応じてあるので数はなんともいえないのですが、とにかくたくさんあります。マニュアルがあって、多様な災害に対してそれぞれの救出方法やさまざまな設定があって、覚えるのは大変です。
多様な想定を考えてシミュレーション訓練して、課題が出たらそれを解決して、ひとつのルールづくりをしていく。それがベースになるんですけど、実際の現場では想定外のことがたくさん起こるわけで、その中でどれだけ応用して動けるか。そういうことが身体に染みついているのかもしれませんね。
ーーそうですね、いまとても納得しました。消防士になられて何年になるのですか?
土井:消防に入って20年ほどで、いまはレスキュー隊長をしています。現場で判断したり、指揮本部との連絡調整をしたり、活動方針を決めたりする役割です。
ーーなぜ消防士になろうと思ったのでしょうか。
土井:学生時代にバスケットをしていたんですけど、プロは難しいとわかったとき、それまでのトレーニングで養ってきた身体、自分という存在を誰かの役に立てることはできないかなと思ったんです。もちろん身体を使って助けることだけが人の役に立つ仕事ではないんですけれど、僕が役に立つことは何だろうと思ったときに、体力もあるし、バスケットでチームワークも培ったし、それを困っている人に役立てることができたらいいなと思いました。
だから公務員を目指していたというわけじゃないんです。いくつかの職業を考えて、消防士を選びました。いまでも消防士になってよかったと思っています。職場ではいろんな人に「辞めたらあかんで」と言われますけど、辞めることはまずないですね。消防の仕事は人の生死と対峙することもあり、大変なことも多いですが、いい仕事だと思っています。
山における死生観。二つ心に決めていること。
ーー山でも、消防士というお仕事を通しても、土井さんならではの死生観があるのかなと思うのですが。
土井:山の中での死亡事故については、二つ思うことがあります。ひとつめは、僕は絶対に事故を起こしてはいけないということ。救助する人間という意識があるからです。救助する人間がされる側になったらあかんという気持ちは強いですね。それはプライドなのか、ただ単に恥ずかしいだけなのかわからないですけど。とにかく僕は何か起こったとしても、這ってでも下りる覚悟でいます。それが一点。
もう一点は、僕の中では山の中で限界に達したらあかんと思っているんです。限界ギリギリで山の中を進むって、めっちゃくちゃ危なくないですか?
ーー非常に危ないと思います。
土井:ですよね。そんな状況は、赤信号を気にせず歩いていくみたいなリスクだと思うんです。もちろん僕自身、山の中で体力を消耗しているなと思うことはあるんですけど。100マイルレースや他のトレイルランレースでは違うと思いますが、TJARやアルプスの山行に関していえば、限界ギリギリになったらあかん。そうなった時点ですごくリスクが高くなってしまう。
雪山などではもっとリスクが上がりますよね。そこでどれだけ冷静でいられるか。自分の限界を超えない勇気かもしれないですね。撤退する勇気、頑張りすぎない勇気というか。
ーーTJARのレース中、土井さんの表情からは常にある種の余裕を感じました。その余裕はどこからくるのでしょうか。実際、限界に達していないですよね。
土井:そうですね、限界は越えていないです。だからフィニッシュ後のインタビューでも「限界はまだ先にありました」と答えました。
限界ね……、限界ってなんなんやろと思うんです。限界はつくり出すのも壊すのも自分ですからね。限界は勝手に人間の脳がつくっているだけで、それ以上がスタンダードだと思えば、それ以上のことがなし得るんじゃないかなとも思うし。
イギリスの陸上選手ロジャー・バニスターという人をご存知ですか?1マイル4分を切って走ることは人類には不可能だといわれていた時代に、1954年ロジャー・バニスターさんが初めて3分59秒4で走り、4分の壁を切ったんです。すると、それまでずっと破られなかった壁なのに、翌年には何人もの選手がその壁を破ってしまった。
結局みんないつの間にか自分で勝手につくってしまった壁にだまされているだけなんです。だから今回も自分が想像していた限界までは行かなかったと、もっと上のことを考えていたのかもしれません。
レースでも人生でも、できるだけブレたくない
ーーフィニッシュゲートをくぐり、インタビュー会場まで歩いているとき、非常に冷静な表情をされているのが印象的でした。
土井:そうですね。もっと何か心の底から湧いてくるかなと期待していたんですけど、「あ、終わった」という感じでした。「みんな集まってくれて嬉しいな、雨なのにゴメンなさい」という感じでちょっと冷静でした。面白くないですね(笑)
ーーいえいえ。
土井:すべてを出し切ったというよりも、淡々と自分がやろうとしたことをこなしたという達成感でした。苦しんでいろんな波が押し寄せたという感じではなくて、ほぼブレがないような感じで。100マイルレースでもそうなんですけど、僕はできるだけブレがないようにしたいんですよ、精神面でも走りにおいても。しんどいでしょ、ブレがあったら。人生もあまりブレがありすぎると疲れるから、普段からあまりブレがないようにと心がけています。
ーー感情もあまり振り幅がないように気をつけていらっしゃいますか、普段から。
土井:ないようにはしていますけど難しいところもあります、とくに家族に対しては(笑)。でも仕事で精神的な振れ幅はないですね。現場でテンションが上がったり下がったりすることはないですし、怒ることもほぼないです。
ーーいい上司ですね。
土井:頼りないですけどね(笑)。周りの後輩たちが本当に頑張ってくれて頼りになるから、任せている部分はありますね。人に恵まれているというか、環境に恵まれていると思います。
ーーゴールのときに息子さんとどんなことをお話されたのですか?
土井:うちの子どもね、残念ながら僕が優勝したという認識はあれど「お父さんすごい!」とかないんですよ、家族だから当然なんですけど(笑)。彼らが物心ついた頃には僕はすでにこんな状況だったから、ある意味、彼らにとっては僕が表彰台に立つことはスタンダードになってしまっているんです。だから、「そうなんや」くらいのものですよ。もしかしたら世間からは「速くてしっかりした真面目な人や」なんて思われているかもしれないけれど、子どもたちからしたらなんてことないし、ちゃかされますよ。「お父さんはいつもいいひんな〜」って(笑)。
ーーもっと大きくなった頃に、きっといろんな意味に気づいてくれると思いますよ。
土井:そうかもしれませんね。そうなるといいんですけど(笑)。
自分に人の心が動かせる力があるなら、もう一度チャレンジしたい
ーー今回のTJARは土井さんにとってどんなものだったのでしょうか。いまの段階で。
土井:そうですね、きっと変わっていくでしょうね。いまと何年後かでは多分どんどん変わっていくと思うんですけど。
うーん、TJARって難しいですよね。TJARの世界というと、もっと天候が荒れて困難を乗り越えて達成するものだというイメージがあって。ただ今回に関しては天気もよかったし、小さなトラブルはあれど大きなトラブルはなかったので、ちょっと余力を残した中でのゴールでした。TJARのひとつの側面は見えたけれど、でもTJARはそれだけじゃないから、もっと深い世界があるんじゃないかな。
ーーひとつの側面というのは、土井さんにとってのという意味ですか?
土井:僕にとってですね。ひとつの側面は見られた、という感じですね。もし荒天だったら自分はどんな判断をするんだろうなと。2014年の荒天時にはレースが停滞したじゃないですか。薬師岳に突っこんでいった選手の話も聞いていたし、果たして同じような状況に置かれたら、僕ならどういう判断をしたのか。そういった「行くか行かないか」の判断は今回はなかったから。
TJARの何が本質かはわからないですけれど、一面は見ることができた。でももっと深い何かがこのレースにはあると思うし、次に出場するなら「ここをこうしよう」という思いもすでにあるし、もっとできるんじゃないかなという気持ちはあります。そういう気持ちは多分みんな持っていると思うんですけど。
ーー優勝者には2年後の大会で出場優先権があるはずですよね、これまでのルールでは。
土井:でも前回から「2回連続で出場すると一回休み」というルールが加わったので、どうなんでしょう? 優勝者は別だと思っているんですが、それが明確にされていないので。もし優先権があったら、出ようかなとは思います。
ゴール直後は「もうええかな」と思ったんですよ。でも一ヶ月経って「ああすればよかったかな」とか勝手に対策を考えてしまうんですよね。傾向と対策と分析と仮説と。それで、もう一回それを試してみたい気持ちがちょっとあります。
僕はずっと福井哲也さんと一緒にTJARを目指していたんです。その福井さんが「次回、土井さんが出るのなら、自分も考えようかな」と言ってくれて。福井さんは長年TJARを目指していたんですけど、なかなか上手くいかずに出場できずにいて、一旦は自分の中で区切りをつけて諦めたんですね。そういう福井さんの心を動かしたことが自分の中では大きくて……。
その言葉を聞いたとき、TJARというのは、もっと人の心を動かせる事柄なんじゃないかと感じました。もちろん出場は自分のためでもあるんですけど、人に何かを発信できる機会はそう頻繁にあるわけじゃないなと。そして、誰でもがそういう立場に立てるわけでもないですよね。
もしいま自分がそういう立場にあるのだとしたら、使命感というとカッコよすぎるんですけど、もう一度TJARにチャレンジしてもいいのかなと思っています。
ーーいいですね。お二人で出場できたら嬉しいですね。
土井:決してカッコつけているわけじゃないんですけど。僕自身は次に出場したとしても、今回の自分を越えたいという意識はそんなにないんです。ただあるのは、今回の反省を活かして、よりよいパフォーマンスを発揮したいということ。自分を越えたいというよりも、反省点を解決することで、目標だった「4日12時間台」を実現することができるんじゃないかと。今回の結果から4時間半短縮することは、可能じゃないかと感じています。
【プロフィール】
土井 陵 Takashi Doi
1981年大阪生まれ。学生時代はバスケットに取り組み、大学卒業後、大阪府消防局に入局。社会人になってからは、子ども時代から親しんでいた登山を楽しんでいたほか、30歳からマラソン大会にも出場。練習の一環としてトレイルランを始め、初出場した「神鍋高原トレイルランニングレース」での優勝を契機にトレイルランの世界にのめり込む。その後、主に長距離レースを主戦場に国内外のレースに参戦。2022年からは仲間と100マイルイベント「BAMBI100」を手がける。
【主な戦績】
2015年「UTMB」11位、2018年「UTMF」6位、2021年「TAMBA100アドベンチャートレイル」優勝、2022年「UTMF」2位など。フルマラソンベストは2時間28分。2022年、自身二度目の出場となる「トランス・ジャパンアルプス・レース」にて大会新記録4日17時間33分で優勝。
Special thanks : TJAR実行委員会
写真:藤巻翔、武部努龍、grannote
インタビュー&文:千葉弓子