『山物語を紡ぐ人びと』vol.32
望月将悟「さあ、これから何が起こるんだろうね」TJAR卒業から4年。再び、あのスタートラインへ

故郷・静岡県井川にある実家の庭先で山仕事の準備。甲斐犬のエド、ヒメと

すべてやり切ったはずの2018年TJAR

富山県魚津の海から静岡県の大浜海岸まで、衣食住を背負い、サポートなしで415kmを8日間以内に踏破する『トランス・ジャパンアルプス・レース(TJAR)』。日本一過酷といわれるこの山岳レースで四連覇を果たし、5日切りという大会レコードを樹立し、水以外の補給を行わない”無補給”というスタイルでも完走した山岳アスリート・望月将悟(静岡市消防局消防隊員・山岳救助隊員)。

2018年8月、自ら課した”無補給”という挑戦で、心身ともにボロボロになりながら辿り着いたゴールの大浜海岸で、望月は駆けつけた多くの観衆に向かって、こう告げた。

「これで、終わりなんです。もう決めていて……」

それに呼応するかように湧き上がった観衆からの「ありがとう!」の声。この瞬間、絶対王者・望月将悟はTJARを卒業した。

あれから4年。

この夏、望月将悟は再び、魚津のスタートラインに立つ。

“無補給”のダメージから、ようやく解放された

この4年間、望月は大きなレースの舞台から少し距離を置いてきた。それは無補給という挑戦が与えた心身へのダメージが、あまりに大きかったからに他ならない。40歳を越え、アスリートとしてこれまで経験したことがない自らの身体の変化にも直面していた。

2年前からは、もっとも信頼する盟友・山本健一(プロ山岳アスリート)の個人的なチャレンジ『甲斐国ロングトレイル336km PASaPASA』や『山梨県境300mile GRAND TOUR』にペーサーとして参加したり、山本と二人で一から計画を立て『北アルプスブーメラン』の旅をしたりと、競技ではない山の楽しみ方へシフトしつつあった。

時間を見つけては井川に帰り、両親の山仕事や椎茸栽培、畑仕事を手伝う

そして今年2月。

望月の故郷である静岡県・井川で山仕事の様子を取材させてもらい、『北アルプスブーメラン』の話をゆっくり聞こうと、望月を長年撮り続けているカメラマン藤巻翔とともに静岡市内にある望月家にお邪魔した。ひとしきり山話で盛り上がったあと、望月はおもむろに立ち上がると、大きな封筒を抱えて戻ってきた。

「ちょっとトライアルマラソンというのにエントリーしてみたんだよね。3時間20分を切ってみようかと思って」

いたずらを思いついた子どものように、望月はにやりと笑った。

「3時間20分を切ったら、それからどうしようかなって……」

TJARには厳しい出場資格が設けられていて、フルマラソン3時間20分以内(あるいは100kmマラソンを10時間30分以内)の完走もそのひとつだ。藤巻と私が望月の真意を察し、どう答えるべきかと迷っていると、彼は待ちきれないようにこう続けた。

「今年はトランスジャパンの年じゃんね!? ふとした瞬間に、俺の脳裏をよぎってくるんだよ、トランスジャパンという奴が。もうやらないって言ったのに、よぎってくるんだよね〜(笑)」

聞けば、昨年暮れ頃から身体の調子が戻ってきたのだという。走るスピードは以前と異なるものの、無補給のダメージは望月の中から消えつつあった。

山仕事で欠かせない井川メンパ(曲げわっぱ)にご飯をぎっしり詰めて

ヤマケンから学んだ山に向かうスピリット

その数ヶ月後、望月は書類選考と実施での選考会を無事通過し、TJAR出場を決める。4連覇を果たし、大会記録も樹立して、ストイックな無補給での完走も成し遂げ、やるべきことはすべてやり遂げたように思えた2018年のTJAR。いま再びスタートラインに立とうと思ったのは、なぜなのだろうか?

ーー出場が決まりましたね。正直いまの心境はどんな感じですか?

望月:俺はこれでいいのかって悩んでいますよ。過去の自分が出てきたりして。もう、かつてのようには速くは走れないけれど、まだ頑張れるんじゃないか、とか考えたりして。でも実際に走ると以前とは違って、なんでこんなに遅いんだろ、辛いんだろうと思ってしまう。今年45歳で年齢的なこともあってね。

ーー井川での取材後に、選考基準となるフルマラソンを走り、キャンプ指定地でのビバーク4泊の足りない部分を補い、選考を通過したわけですよね。

望月:そうですね。コロナ禍で海外レースにも参戦できない状況が2年も続いて、国内ではいろんなロングレースも生まれつつあるけれど、TJARがやっぱり好きで、いろんな方から愛される大会であって欲しいという想いも持っています。

その舞台で、自分はどこまでの挑戦ができるのか。もう出場を止めてもいいと思っていたんだけれどね、4年前は。

でも今回が本当のチャレンジになるんじゃないかなと思っている。TJARはよく「自分との戦い」と言われていて、これまでも自分ではそう思ってきたけれど、一方で優勝や記録を目標にして、こだわってきたところもあったから。

ある意味、本当のトランスアルプスジャパンレース、自分自身への挑戦になるのかなと思っています。

無駄のない動きを見ていると、山での暮らしが身体に馴染んでいるのがわかる

ーー体調はいかがですか?

望月:無補給を終えた後、本当にずっと体調が悪くて。走ると胸が苦しくなるし、身体は重いし、動きのキレは悪いし。もう自分は速くはならないのだろうと感じました。だけど、速くなくてもできること、頑張れることはあるんじゃないかと思ったんです。

ーー人生で初めての感覚ですよね。以前できたことができなくなるというのは。

望月:初めてです。これまでは、やってきたことがすべて糧になってきたというか、常に伸び代があったんですけど、この4年間はそれがまったくなくて、反対に維持することで精一杯。あとは心で自分を納得させるしかない。

ーーどうやって心と身体の折り合いをつけたのですか。

望月:ヤマケン(山本健一)がいてくれたから、折り合いが着けられたのだと思います。この2年で彼といろんな場所を走るようになって、彼から走るスピリットや山の楽しみ方を学ばせてもらったから。かけがえのない相棒、パートナーができたなと思っています。

ヤマケンは2歳年下なんだけれど、レースでの優勝経験も豊富だし、アスリートとしてとても尊敬している。走りながら彼と話すことで、自分の現状や心と身体の乖離みたいなものに対して納得できるようになったところがあります。

ヤマケンはこの春、10年ぶりにUTMFに出場したんだけれど、「これまでの自分は捨ててスタートラインに立つ」と言っていた。でも俺はよくいうんですよ。「ヤマケン、無理だわ。俺はまだ過去の自分を捨て切れていないよ」って(笑)。でもヤマケンみたいに自分もできるんじゃないか、そんな気持ちが生まれてきています。

2021年夏の『北アルプスブーメラン』。ひとつのテントで寝起きし、6日間かけて北アルプスを満喫した

何かが心になければ、415kmはとても走り切れない

ーー今回のTJAR出場に際して、最大のモチベーションは何でしょう?

望月:やっぱりTJARが好きだということかな。でもね、415kmを走り切るにはそれだけでは厳しい。自分自身、怖いところはありますよ。

今回は本当にやばい、怖いんです。偉そうな言い方になってしまうけれど、いままでは必ず完走できると思っていたし、自分の中で納得して無補給にも挑戦した。でもいまは怖さだけが、すごくあるんだよね。本当に完走できるのかって。

ーー完走への不安。望月さんでもですか。

望月:そう。どこかでへこたれるんじゃないかなって、気持ち的に。体力的にもそうかもしれないけど。

ーー距離的なことをいえば、ヤマケンさんとかなり長い距離を走ってきていますよね。

望月:走っているね。でも彼がいたからできたという部分もある。TJARは孤独だから。あとは過去の自分を捨てきれるか、そこで心がやられないかどうかという不安。

2021年『北アルプスブーメラン』。山本健一と水平歩道を進む

ーーお話を伺っていて、トレイルランのレジェンド、米国のスコット・ジュレクが記した『NORTH〜北へ』(NHK出版)という本を思い出しました。数々の輝かしい記録を残してきたスコットが40代になって身体の変化に直面し、過去の栄光に捕らわれる自分と肉体の変化とのせめぎ合いの中で、アパラチアントレイルFKTにチャレンジする話です。そこでスコットはリボーンするんですよ。新しいステージに行くというか、自らを”更新”していくんです。ロングディスタンスの話なんだけれど、誰もがいつか経験するミドルエイジ・クライシスの物語でもあるわけです。

望月:まさに自分もそれに似ていると思います。これまでとは違った視点で、TJARを走ることができるんじゃないかという気がしています。いままで気づききれなかったこと、見えなかったことも見えてくるんじゃないかって。

ーーあえてお聞きしますが、無補給チャレンジはもうしないのですよね?

望月:しないですよ〜(笑)。重さで身体を壊しちゃうからね。前回から山小屋での飲食は全員できないルールになっているから、南アルプスエリアだけちょっと食料は多めに持つかな。

前に人がいると追いたくなるんですよ

ーーどんな心持ちで走り切りますか、今回のTJARを。

望月:「帰ってくる」ということだけだね、井川に(南アルプス麓の井川はTJAR終盤ルート上に位置する)。最後、故郷の井川に帰ってくるということは、やっぱり自分の中で大きいんです。あとは、マイナス要因として感じている年齢を受け容れること。いまの自分をちゃんと受け容れることができれば、走る意味はあったのかなと思いますね。

井川の山仕事小屋にて。母・仁美さんと昼食の支度をする

速く走れなくなったから走ることを止めるのは違うんじゃないかと、ずっと思っていてね。トレイルランにはもうちょっと違う魅力があるんじゃないかと思うし、そうあって欲しいとも願っている。

ーー望月さんにとって、ロングトレイルの魅力はなんでしょう?

望月:走っている間、いろんなことを考えられることですかね。年齢を重ねたせいか、無事に帰ってこれたという喜びはいつもありますよ。これまでは帰ってくることが当たり前だったから、そんなこと感じなかったけど。そういう意識の変化が、この4年間にありました。

ーー以前ある雑誌のインタビューでプロトレイルランナーの鏑木毅さんにお会いしたとき、年齢を受け容れながら走り続けるという話になり、「80歳になっても全力で山を走れる体力を維持していきたい」とおっしゃっていました。

望月:そうなんだ!鏑木さんは、そういうスタンスなんですね。僕は走ることがあまり好きじゃないからな(笑)。これまでは勝負することが好きだったんですよ。いや、負けることが嫌いだったんです。人にも自分にも。前に人がいれば追いかける。獣みたいなもんです。あと、後ろから追われることにも恐怖を感じていました。先頭を走っていても自分に何が起こるかわからないから、恐怖は常にあったかな。

ーー今回はどうでしょう。

望月:土井陵君(国内外のレースで数々の記録を残しているトレイルランナー)が出場するからね。本当なら、彼が出場することにもっと興味を持ちたいところなんだけれど、以前と同じようには身体が動かないから。

たった一人にでも何かを伝えられたら、走る意味があるのかなって

ーーここ最近、ヤマケンさんと国内レースにペアで(自主的に)出場したりもされています。この2年間でお二人が一緒に走って共鳴し合い、望月さんの中で何かが変わり始めて今回のTJAR出場に至ったというプロセスが、なんというかアスリートの変遷として非常に濃密だなと感じます。

望月:そうだよね。ヤマケンが10年ぶりにUTMFに出場したように、わずかな勝負魂というのかな。自分がいまどこまでやれるのか、それを確認するために今回出場するというところもある気がしています。

ーー昨年、2018年大会の覇者・垣内康介さんにお話を伺ったのですが(「壊れる覚悟で臨んでいた」前回覇者・垣内康介にとっての2日間のTJAR)「望月さんとはレベルが全然違うけれど、優勝者でなければ味わわないプレッシャーがあって、それに自分は押しつぶされた」とおっしゃっていました。肉体の変化を感じる年齢に差し掛かったことも重なって、トレーニングで追い込んでは怪我を繰り返してしまったとも。

2021年『北アルプスブーメラン』。槍ヶ岳にて小休止

望月:わかるよ。どんな大会に出場しても「TJAR優勝者」と見られるからね。実は今年3月に垣内君から電話をもらったんです。「今年のTJARはどうするんですか?」って。「どうしたらいい?」と聞いたら「僕は出てもらいたいです」と。それで「実はちょっと出場を考えているんだよ」と答えたら、「やっぱり。出てください。僕も元気をもらいますから」って言われて。その一言を聞いただけでも、自分が出場する意味があるのかなと思いました。

たった一人にでも、走ることで自分の生き様みたいなものを見せることができたらなと。たった一人にでも何かを伝えることができるのなら、自分が走る価値はあるのかなと思います。

ーーこれまでにTJARの優勝者は、望月さんを含めて4名しかいないわけですからね。王者の重圧を知る人も少ないわけです。

望月:垣内君は謙遜しているけれど、415kmの間で何が起こるかわからないのがTJARだから、そこで優勝したというのはすごいことなんです。

ーー最後まで分からないのがTJARだと。

望月:だから怖いんですよ。自分のいろんな部分に向き合うことが怖い。今回自分は6回目の出場になるから、回数としては一番多いことになります。これまでの大会では辛いこともあったし、天候も毎回違ったし、いろんな経験をしてきたわけで、だからこそ感じる怖さもあるのかもしれない。知っているから有利ということは、TJARに関してはそれほどない気がします。

でもね、まず僕がやることは引退宣言を撤回することかなって。「またやんのか!?」って、きっとみんなに言われちゃうと思うから(笑)。

Profile
望月将悟 Shogo Mochizuki

1977年、静岡県葵区井川生まれ。静岡市消防局に勤務し、山岳救助隊としても活動する。日本海側の富山県魚津市から日本アルプスを縦断して、太平洋側の静岡市までをテント泊で8日以内に走り抜ける『トランス・ジャパンアルプス・レース』で4連覇。2016年は自ら自己ベストを塗り替え、4日23時間52分の大会記録でゴール。2018年は途中で水以外の補給を行わない”無補給”スタイルでの完走を成し遂げる。

■主な戦績、挑戦
2006年北丹沢12時間耐久レース優勝、2009年おんたけ100で2位、OSJシリーズ戦優勝、日本山岳耐久レース4位、2010年道志村トレイルラン優勝、2012年UTMF4位、2014年〜2016年OSJ新城トレイルダブル64K優勝、2017年奥三河パワートレイル3位、2018年6位など。フルマラソンのベストタイムは2時間35分、ほかに2015年東京マラソンでは40ポンド(18.1kg)の荷物を背負って3時間06分16秒というギネス記録を樹立。2017年夏には約235kmの静岡県境を一周するチャレンジ『AROUND SHIZUOKA ZERO』(累積標高差/約2万3000m)を4日間20時間28分で達成。海外レースへの挑戦は2011年トルデジアン13位、2017年レシャップベル5位など。

写真:藤巻翔
文&インタビュー:千葉弓子

■スポーツグラフィックNumberWeb
体重2.8kg減、ザック重量5.1kg減。TJAR「無補給」の末に見えたもの。
https://number.bunshun.jp/articles/-/831704

■YouTube
望月将悟 無補給415km Trans Japan Alps Race2018 -Documentary Film-
https://www.youtube.com/watch?v=CEzY-0VC0Ms