『山物語を紡ぐ人びと』vol.31
バーティカルの女王・吉住友里〜 富士吉田移住とマネージャーの支えから生まれた「心の余裕」


国内外のレースで数々の優勝を成し遂げてきた“バーティカルの女王”  吉住友里さん。2021年は3ヶ月間欧州に滞在し、スイス、イタリア、フランス、ポルトガル、スペインの5カ国で11レースに出場。シリーズ戦『VK OPEN Championships』で初代世界女王の座に輝いた。

抜群の勝負強さとは対照的に、とても繊細な心の持ち主である吉住さんだが、ここ数年どこか変化が生まれたように感じていた。その理由のひとつは、敏腕マネージャーの存在だろう。吉住さんのSNSに度々登場する “へべれけ姉さん(お酒が強いことからついた呼び名)” こと櫻井美樹さんの存在は大きい。

自らもランナーである櫻井さんは、2019年頃から愛犬ハナちゃんとともに、吉住さんのトレーニングやレースに帯同し、サポート活動を行ってきた。富士山の麓、山梨県富士吉田市への移住とともに、いま吉住さんには世界に挑戦するための理想的な環境が整っている。

競技に向き合う姿勢やパートナーシップについて、お二人にお話を伺うべく富士吉田を訪ねた。

地元の方とのご縁で富士吉田へ移住

この日は撮影後、浅間神社近くのご自宅へお邪魔した。お二人はともに大阪出身で、富士吉田に魅了された吉住さんがまず2019年に移住し、翌2020年に櫻井さんが引っ越してきたという。いま住んでいるのは地元の方に紹介してもらった一軒家。隣にもう一棟あり、そちらは倉庫兼トレーニングルームとして活用している。

ーー富士吉田に引っ越すまでの経緯を教えていただけますか。

吉住:私はもともとロードランナーだったんです。学生時代に陸上部だったわけでもなくて、2007年大学2年の冬に市民ランナーとして初めてマラソン大会に出場し、面白いなと感じて走り始めました。最初は趣味として走っていたんですけれど、だんだん本気になってきて、2015年から山に移行しました。トレイルランのレースに出場し始めたら、楽しいし勝てるし、ロードより断然山の方が面白くなったんです。

でも大阪は低山しかないんですよ。富士登山競走の練習で山梨に通うようになって、富士山が間近にあることに感激し「ここに住みたい」と強く思いました。

富士吉田で暮らすご縁をくださったのは、河口湖在住の医師・福田六花先生(2020年4月30日配信記事)と、浅間神社と馬返しの中間地点にある中ノ茶屋の女将さんでした。このお二人がいなかったら、今ここで暮らしていないと思います。

ーーどんなエピソードがあったのでしょう。

吉住:当初、富士登山競走に出場する時期には、六花先生のご自宅の離れに4日間ほどお世話になっていました。たまたま中ノ茶屋で休憩したとき、「夏の間この辺りに住みたいんですけれど、どこか安い宿とかないですか?」とお店の方に尋ねたら、「女将さんの家、2階の部屋が空いているんじゃない?」っておっしゃってくださって。女将さんも「泊まりに来てもいいわよ」と。

そうはいっても初対面だし、私も話半分で聞いていました。大会終了後に夜行バスで大阪に戻って3日間くらい考えました。それで女将さんに電話したら「何もできないけど、泊まるくらいだったらいいわよ」と言ってくださって、「本当にいいんですか?」と5回くらい聞き直した後、「じゃあ、よろしくお願いします」と言って、その夏3ヶ月ほどお世話になりました。その間に「富士吉田に移住しよう」と決意が固まって、翌年に引っ越してきたんです。

ーー素晴らしいご縁ですね。

選手一人では手が回らないことに気づく

ーー櫻井さんがマネージャーになったのは、どういう理由だったのですか?

櫻井:私は大型免許を持っていて、大阪にいた頃は送迎バスの運転代行をしていました。車が大好きなんですよ。幼稚園、学習塾、教習所などの送迎バスは、ほとんどが代行会社に運転を委託しているんです。私が勤めていたそういった代行会社で、100社ほど顧客を抱えていたので、私はドライバーが休みに入るときに代わって運転していました。企業の役員車とかレントゲン車なんかも運転しましたよ。

ーープロのドライバーさんだったんですね。

櫻井:当初は運転の仕事をしながら、ボランティアで吉住のサポートをしていました。吉住は運転が得意じゃなくて、もらい事故を起こしてしまったり、夜行バスを使ってレースに出場していたり。世界の舞台を目指しているのに、それじゃあきついやろなと思って、週末のイベントや遠征のときだけサポートするようになりました。

ーー櫻井さんは、もともと吉住さんのランニング教室に通っていたそうですね。

櫻井:そうです。ゼビオ主催のトレランクリニックに参加していました。ロードランナーだったんですけれど、たまたま近所で開催されて行ってみたら、吉住が講師だったという感じです。最初は有名な選手だと知らずに「なんか、みんなと写真撮ってはるわ」くらいに思って見ていました。

その後、吉住が個人で「走らないランニング教室」を始めたのですが、これがすごく面白くて。2時間のうち走るのは100m以下で、ひたすらドリルですよ、ラダーとか(笑)。

吉住:当時、私は理学療法士をしていました。普通のランニング教室はいくらでもあるから、私にしかできないことはないかと考えて、身体の使い方が体得できる「走らないのに速くなる練習会」を考えました。競技もそうですけれど、私にしかできない生き方をしていきたいとずっと思っているんです。

教室の評判はすごくよくて、大阪時代はずっと続けていました。ここに引っ越してからも、各地で教室を開いたりしています。トレイルランの講習会も同時に行ってきました。

数え切れないほどあるトロフィーやメダル。これはごく一部で、その多くはお世話になった企業や宿に寄贈している

ーー本格的にマネージャーとしてサポートしようと思った一番の理由は何でしょう。

櫻井:やっぱり「世界を目指している」ということが面白いからかな。それなのに本人は一人夜行バスで移動したり、イベントも一人で切り盛りしたりしていて、記録するカメラマンもいない。

たとえばトレイルラン教室に20人生徒さんが集まったとしても、目が行き届いていなかったんです。私自身がもともと参加者だったから、足りない要素がすごくよく見えてきて、これはきちんと手伝ってあげた方がいいなと感じました。

ロードランナーだった私自身もトレイルランに少しずつ慣れていったので、走りが上手でない人の気持ちがわかるんですよ。トップランナーって、遅い人の気持ちがわからないんです。「下りが怖い」と参加者が言っても、どうして怖いのかわからない。でも、それを理解して教えてあげることが大事じゃないですか。それで、教室では速いチームと遅いチームに分けて、私が遅いチームをサポートするようになりました。

せっかく練習会を開催するなら、みんなと仲良く楽しい時間を過ごしたいですよね。そういうことが積み重なって、ご縁が繋がっていくわけですから。

北口冨士浅間神社にて

富士吉田に貢献したい。だからこそ地元企業の応援が嬉しい

ーーそれまでのお仕事を整理した上での富士吉田への移住は大変だったのではないですか。

櫻井:そうですね。私は高校時代からアルバイトをしていて結構貯金もあったので、最初はボランティアで手伝っていましたけれど、本格的にサポートするならマネージャー契約を結ぼうと考えました。それでドライバーの仕事を辞めて、移住しました。ここに来てからは、スポンサー企業さんへのアプローチなども担当しています。

ーーいま支援を受けているのはどのような企業ですか。

吉住:いちばん大きなスポンサーさんは「富士山の銘水」で、天然水の提供のほかに支援金もいただいています。あとはザックのNATHAN、靴下ブランドinjinjiを取り扱うケンコー社、スポーツサプリメントのアミノサウルス、リンゴ栽培の北信ファームです。

商品提供はいろんな企業さんからご支援いただいていて、本当にありがたいと思っています。一方で、金銭面の支援をしてくださる企業さんはトレイルランの世界はまだまだ少ないのが実情です。プロとしては、そういう企業さんとも出会っていかなければと思っています。

富士吉田に移住を決めたとき、もう大阪にも理学療法士の仕事に戻ることもないと思って出てきました。この先は山に関わる仕事や地域貢献の活動をしていきたいんです。

そんなことを考えていたら、やはり地元の企業さんに応援してもらいたいなと思うようになり、中ノ茶屋の女将さんや富士吉田陸上競技協会の方に相談したところ、富士山の銘水の社長さんを紹介していただきました。

櫻井:社長がとにかく豪快な方なんですよ。

吉住:私のどこを気に入ってくださったのかわからないんですけど、「世界一を目指すのなら応援したる」と一言で決まってしまって。大阪ご出身で富士吉田で起業し、市内有数の売上を誇る企業にまで成長させたすごい方です。

ーー吉住さんにとっても、長年住み慣れた地元を離れての移住は変化が大きかったのではないですか。

吉住:本当にそうですね。でも決意は固かったんです。山を始めて1年目で『比叡山インターナショナルトレイルラン』で優勝し、その年の10月に『トレイルラン世界選手権』の日本代表として初めて海外レースに出場しました。そのとき「もっと世界の舞台に立ちたい。山の世界を極めたい」と強く思いました。

それまでは理学療法士として訪問リハビリの仕事をしていましたけど、競技の世界を極めるには仕事を続けていては限界がある。その後、病院を辞めて、一時期は知り合いの治療院でアルバイトをしながら海外レースに出場していました。

でも人気の治療院だったので忙しくて、走る時間を確保するのが難しかったんです。それで、走ることに集中するために移住を決めました。私はこうと決めたらすぐに行動してしまう性格なんですよ。

ーーその時点でプロとしてやっていこうと考えていたわけですか。

吉住:はい。人生は一度きりだし、とことんやろうって。両親からも「応援するよ。その代わり、他人に迷惑をかけずに自己責任でやりなさい」と言われました。

ーープロ転向後の生活面はどのようなイメージだったのでしょう。 

吉住:最初は貯金を切り崩していました。私は走ること以外に本当に興味がないんです。ブランド物が欲しいわけでもないし、メイクもほぼしないし、お金を使うといったら走ることくらいで。山を始めてからは海外レースに出場するため、少しずつ貯金もしていましたから、それを全部使い切ってでも3年間くらいは競技に集中しようと考えました。ただそれだけでは不安なので、講習会を開催したり、練習会をやったり、パーソナルトレーニングを行ったりしてきました。

シューズは最も大切なアイテム。本当に好きなものだけを履いている

得意分野で協力し合う日常

ーー移住とマネージャーの本格的なサポートによって、競技面での変化はありましたか。

吉住:いちばん大きな変化は移動の面ですね。それまでは、金曜夜に夜行バスに乗ってレース会場に行き、安い宿に泊まって、レースが終わったら夜行バスで帰って月曜から仕事。また金曜夜に夜行バスに乗って……という生活を繰り返していましたから。

いまは姉さん(櫻井さん)がどこでも連れていってくれるから、レース移動の際には座席をフラットにしてマットを敷いて寝ています。海外に行っても、どんな車でも喜んで運転してくれるので本当にありがたいです。

櫻井:次はどんなレンタカーにしようかなと、毎回ワクワクしますね(笑)。

吉住:安心して移動できること、どこにでも練習に行けることは本当に大きい。それにハナと姉さん(櫻井さん)がいてくれることで、気持ちもリラックスできるようになりました。ハナにむちゃくちゃ癒やされています。

メンタル的な安定は競技に大きく影響しますよね。私は不安やストレスを感じるとメンタルがかなり落ち込む方だから、そこが安定したことで体調も整うし、パフォーマンスも安定するのを実感しています。

櫻井:ハナはいま高齢で白内障のためあまり見えないんですけれど、以前は山で吉住と一緒に走っていました。ほんと速いので、私は引きずられていましたもん。バーティカルドッグだったんです。

どこに行っても人気のハナちゃん

吉住:あと変化したことといえば、海外に行ったとき。一人で何かトラブルに見舞われると焦ってしまうけれど、二人でいればなんとかなるじゃないですか。

日常生活でも、私たちは得意分野がまったく違います。姉さんは日曜大工が得意でDIYも大好き。この部屋の棚もつくってくれました。機械系が強いから、そういうのも全部やってくれるし心強い。一方で料理は一切しないので、私がすべて担当しています。

櫻井:やろうと思えばできるんですけど……。

吉住:包丁持つと危なっかしから止めてって言います。一人だとメニューも適当になりがちですけど、姉さんがいると「こういう料理をつくろうかな」とか考えるので、栄養バランスの面でもいいですね。

この日の朝食メニューはお蕎麦。静岡の本わさびを添えて

ーーお話を伺っていると、素晴らしいコンビネーションですね。

櫻井:そうですね、お互いにないものを持っているんで。共通していることといったら、スピードの違いはありますけれど、走ることくらいかな。あと山が好きなこと。

応援してくれる人たちの気持ちに応えるために

櫻井:あとマネージャーの利点は、ギャラの交渉がしやすいことですね。アスリート本人だとクライアントさんに遠慮がありますけど、私は社会人生活が長いので、そういう交渉もある程度はできるので。

吉住:ほかにもSNSのこととか。私はこれまで、ちょっとダメなことを書いてしまって炎上しかけたことがあるんです。匿名でクレームが来たこともありました。いまは姉さんが対応してくれるからありがたいです。

櫻井:メッセージをくださった方とお話して「何か失礼なことがあったのなら、吉住が改めます」と伝えます。それで吉住には、「こういうことを書くと、気分を害する方がいるから気をつけるように」と言うんです。「あなたの一言を、数千人もの人が見ているんだから」とはよく言いますね。

ーー櫻井さんが客観的にアドバイスしてくださるわけですね。

吉住:そうです。それで「これはあかんかったんだな」と気づきます。

ーーたとえばどんなことですか?

櫻井:以前いただいたのは、ある山域を拠点に登山を楽しんでいる方からのメッセージでした。「ランナーに対してよい印象を持っていない」と。「トップランナーの人たちがこの山を走ったとSNSで上げることで、後からたくさんの人が押し寄せてくる。そういう影響をどう考えていますか?」というご指摘でした。私たちが走ること自体を反対しているのではなくて、それをSNSで上げることで影響を懸念されているという内容です。

私たちは普段、地元の人しか知らないような人のいない山に行くんですけれど、そのメッセージを見て「そのとおりだな」と納得し、SNSで上げるのは控えるようになりました。ほかにも、吉住のちょっとした言い回しに気分を害する方もいらっしゃいます。「見下した書き方をしている」とか。

吉住:私は全然そんなことは思っていないんですけれど、読む人によってはそう受け取ることもあるんだなと気づかされました。

応援者からプレゼントされたイラストと寄せ書き


櫻井:私、思うんですよ。吉住もいい大人ですから、アスリートといえど、ちゃんとすべきところはちゃんとしないといけないなと。スポーツだけしかわからない人間にはなって欲しくない。分別ある人間でいて欲しいし、アスリートである前に一人の人間としても成長して欲しい。競技だけやっていればいいというわけじゃないですから。

吉住:私は結構、常識がなくて、走ることになると周りが見えなくなってしまうところもあるんですね。そこを姉さんは注意をしてくれて、こうした方がいいとアドバイスもくれる。練習に関しても、客観的に見てプログラムを一緒に考えてくれます。

ーー吉住さんがそうした練習面でのアドバイスを受け容れるところもすごいですね。専門家以外のアドバイスは受け容れないというトップアスリートは多いと思うのですが。

吉住:それは私がもともと陸上をやっていなかったからだと思います。これまで、いろんな人から学んで強くなってきたので。常に強くなりたいという気持ちがあるから、新しいことを取り入れるのも全然OKなんです。「こういうことをやってみたら?」と言われると「それいいかも」と試してみます。

隣の棟はトレーニングスペース。最近は筋トレも取り入れるようになった

ーー最初は櫻井さんが生徒さんだったわけですが、もはや立場が逆転していますね。

櫻井:かつて吉住は周りの方たちと揉めてしまうことが何度かありました。端から見ていて、このままではこの世界から弾き飛ばされてしまうんじゃないかと心配になったこともあります。たとえば2018年、スコットランドで開催された世界選手権に出場した頃です。吉住は骨折しながら出場したのですが、それは本人の不注意から招いてしまった怪我でした。

吉住:ちょうど富士吉田に引っ越してプロに転向するときでした。大阪で応援してくださっていた方々にきちんとした説明ができていなくて、言葉足らずで誤解が生じてしまいました。その悩みもあって集中力が低下していたのか、練習中に転んで手首を骨折してしまったんです。手術してギプスをつけた状態でしたが、なんとか富士登山競走では優勝することができました。

それから一ヶ月後にスコットランドの世界選手権がありました。ギプスが取れて、固定していたピンを再手術で抜き、いよいよ世界選手権へ出国という日に、富士山での練習中にまたコケてしまって反対側の指を骨折してしまったんです。

櫻井:アスリートとして絶対やってはダメなことでしょう。なんで大切な出国の日に富士山に練習に行くんだということなんですよ。そんな意識では、応援してくださっているみなさんも怒りますよ。「自覚がない」って。

吉住:二回目の怪我でパニックになり、精神的にどん底まで落ちてしまいましたから、世界選手権でも思うようなパフォーマンスができませんでした。そのあたりから、姉さんが本格的にサポートしてくれるようになりました。姉さんがいなかったら立ち直れなかったと思います。

ーートップアスリートゆえに周囲の皆さんの期待も膨らみますし、その分、何かアクシデントが起こると落胆も大きくなるのではないかと想像します。

吉住:できることなら、走ることだけに集中したい。いまは姉さんに走る以外のことを任せられるのがありがたいです。

Photo: MikiSakurai

全国各地にお世話になっている宿がある

ーー富士吉田への移住はコロナ禍の始まりと重なりましたが、そのあたりはどうでしたか?

櫻井:私が富士吉田に引っ越してきて「さあこれから海外へいくぞ」と思っていた矢先にコロナ禍になり、大会が全部キャンセルになってしまいました。それで、長野県の諏訪にある「めぐハウスzuku」というB&Bに泊まって、トレーニングをしていました。

吉住:この一軒家の宿は私がたまたま予約サイトで見つけたんですけれど、オーナーさんに「世界目指して競技に取り組んでいるんです」とお話したら、「ぜひ応援したい」とおっしゃってくださって。それから長野に行くときにはいつもお世話になっています。

櫻井:いま一般のお客さまには貸し出していないんですけれど、使わないと家が傷むから使ってもらってありがたいとおっしゃってくださって。せめてものお礼にと、築100年ほどの建物の外壁を柿渋で塗り替えたり、田植えや畑仕事を手伝ったりしています。

ーー各地で結ばれるご縁が深いですね。

吉住:本当にそうなんです。尾瀬に行くときには山太屋さんという宿にお世話になります。ここもたまたま武尊山の帰りにお風呂に寄って、女将さんと知り合い、応援してくださるようになりました。こんな感じで全国に拠点があるんです。

シリーズ戦『VK OPEN Championships』にて2021年年間チャンピオンに  Photo:MikiSakurai

目の前の勝利だけでなく、中長期的ビジョンを

ーー将来に向けては、どんなビジョンを考えておられますか?

櫻井:富士山の銘水の社長から「中長期的な考えをしなさい」とアドバイスをいただいています。「競技が終わったらどうするんだ」と聞かれたので「競技が終わっても地域に根づいた活動がしたい」とお話ししました。

吉住:たとえば自治体が主催する身体を動かす教室や、保育園・幼稚園でのかけっこ教室などで、自分の経験が活かせたらいいなと思うんですよ。学校登山で山に初めて行った人って、だいたい山が嫌いになるじゃないですか、しんどいから。だから、走ることの楽しさや山に登ることの喜びを味わってもらえるような活動をしていきたいなと思っています。

ーーとてもいいビジョンですね。

櫻井:富士吉田という場所と私たちがやりたいことがマッチしているんです。将来、競技者になりたい子どももいると思うので、ジュニアやキッズから、走力と山力の両方を身につける流れが生まれたらいいなと思います。子どもにとって、走ることがもっと楽しくなるといいですよね。

ーー社長のアドバイスを受けて考えた「10カ年計画」を少しだけ教えてください。

櫻井: 2027年41歳でUTMB優勝を目指しています。いまは最長距離がSTYでの92kmなので、これから少しずつ長い距離も伸ばして。もちろん今年は『バーティカルキロメーター・ワールドチャンピオン』のディフェンディングチャンピオンなので、その名に恥じないレースをしないといけない。だからもちろん、短い距離を止めるということではないです。

吉住:私はオールマイティに強い選手になりたいんですよ。海外の強い選手はスタミナも走力もあって、どのカテゴリーでも速いですから。

櫻井:競技者として一年ごとを大事にしつつ、長期目線で逆算しながら進んでいく。さすが社長、いいこと教えてくださったなと思います。

ロードやトラック練習を入れて、課題を克服したい

ーー昨年の3ヶ月に渡るヨーロッパ遠征の手応えはいかがでしたか? 二日連続でレースに出場した日もありました。

吉住:シリーズ戦の合間にもレースを挟みました。もともと国内でも頻繁にレースには出場するようにしています。ターゲットレースに向けて、練習や調整のためにレースを入れる、みたいな感じです。私の場合は長い距離じゃないので、レースといっても普段の練習時間より短い。むしろ、レースを入れていった方が調子も上がりやすくなります。

ただ昨年はOCC直前に太腿をぶつけてしまって、血腫がたまって上手く走れなかったんですね。いわゆる失敗レースでしたけれど、そこから気持ちを切り替えて、怪我を治しながら転戦していこうと考えました。

櫻井:国内での練習は基本一人なので、レース出場がいちばん練習になると考えています。

応援者がつくってくれた2021年海外遠征での戦績表

ーーこの中でターゲットレースはどれだったのでしょう?

吉住:シリーズ最終戦となっていた「Limone VK」は当初、「トランスブルカ二ア」と日程がかぶっていたのですが、トランスブルカ二アが火山噴火で中止になってしまったため、リモーネに出場できることになりました。なので、最終的には「Limone VK」を目指していました。

ーーとくに印象的だっのはどのレースですか。

吉住:年間を通して一番嬉しかったのは、10月9日「Santana Sky Race」(ポルトガル)での優勝かな。やっぱり優勝は格別です。

櫻井:私は9月11日「Veia Sky Race」ですね。コースを吉住と試走して、「これが来年の世界選手権のコースなんだな」とか思ったりしていました。実は急遽、私も出場させてもらったんです。前日の「Vertical Termae di Bognanco」で吉住が2位になり、表彰台で日の丸を掲げるのを見たので、一日だけ自分も休みをもらってスカイレースを楽ませてもらいました。女子完走者の中で最下位だったんですけれど、10位に入賞することもできました。

ーーお二人揃っての入賞はまた格別な喜びですね。遠征中は自炊しながら現地の食材を楽しんでおられました。

吉住:日本ではお米を食べますけれど、欧州ではパスタをよく食べます。お米じゃないと調子が上がらないという選手もいますけれど、私たちは何でも大丈夫。スーパーでその日の特売品を見て食材を決めています。持っていくのは、お味噌と醤油くらいかな。

櫻井:アパートタイプの宿泊場所を選ぶと、オーナーさんが畑仕事をしていて、野菜を分けてくれるので食材には困らなかったですね。

ーー昨年の経験を踏まえて、克服すべき課題は何でしょうか。

櫻井:スピードとポールワークかな。

吉住:私はポールワークがほんとにダメで。現地でかなり練習したので、最初に比べたら使えるようになりましたけど、海外の選手は山岳スキーヤーばかりだから、レベルが全く違うんですよね。急登は使った方が速く登れるので、もっと上手くなりたいです。

海外の選手は日頃ロードを走ってないのに速いんですよ。私は登山道に入る前に出遅れて、トレイルに入った時点で渋滞に巻き込まれ進めなくなることもあるので、そこもなんとかしないと。

ーー課題解決に向けて、どんな対策を練っていますか?

吉住:ポールについては、国内では使用できる大会が少ないので、自分で練習するしかないですね。海外選手の動画を観て、同じ場所で何度も繰り返し練習しています。姉さんの方が器用で、私よりポールが上手なので教えてもらうこともあります。

あとはスピードをどう上げていくか。富士吉田に引っ越してきたから、ロード練習はほぼしていませんでした。ロードを一人で走ってもスピードが上がらないんです。でも今年はスピード練習やペース走、トラック練習も取り入れようと思っています。

櫻井:これまで吉住はロード練習を完全否定していたんですよ。勧めても「必要ない。山でインターバルした方がましや」と言って。そうもいっていられない状況になってきました。

吉住:ほかにプロの指導も受けています。東京のランニング専門ジム「ハイテクタウン」で小川ミーナさんにトレーニングを見てもらったり、カイロプラクティック「あしラボ」でフォームチェックと施術をしてもらったり。フォームは客観的に見てもらわないと、自分ではわからないですから。去年から立川の「グリーンフィールド」でも、パーソナルなフィジカルトレーニングを受けています。

いままで筋トレは一切してこなかったんですけれど、最近はケトルベルなど負荷をかけたトレーニングもするようになりました。スピンバイクやロードバイクも取り入れて、クロストレーニング的なことも充実させていこうと考えています。

ーー最後に今年の目標を教えてください。

吉住:国内では富士登山競走の優勝です。富士吉田市民として4連覇を達成したいと思っています。海外は「スカイランニング世界選手権」と「トレイルマウンテンランニング選手権」でのメダル獲得です。

櫻井:過去の順位を超えるのが目標ですね。

吉住:スカイランニングはどん底状態で出場したスコットランドでの35位。トレイルマウンテンランニングは2回出場していて、14位と16位なのでそれを越えたい。両方10位以内は入りたいと思っています。


Profile
吉住友里 Yuri Yoshizumi
プロマウンテンランナー、元理学療法士。1986年大阪生まれ、富士吉田市在住。

2007年よりマラソンを走り始め、2015年から山岳ランニングに移行。国内外で数々の優勝、入賞を果たす。主な戦績 /2017年「スペイントランスブルカニア」優勝、2019年「スカイランニング日本選手権VK」優勝、「富士登山競走山頂コース」3連覇中、「OCC」3位、2021年「VK OPEN CHANPIONSHIPS」初代世界チャンピオン、「SantanaSkyRace」優勝、「ITJ70k」優勝

写真:藤巻翔
文:千葉弓子