土井陵、挑戦の行く先。2023年トルデジアンでの経験は2024年TJARでどう活きるのか?


2023年9月に「Tor des Géants / トルデジアン」(イタリア/330km/累積標高24000m/制限時間150時間)に挑戦した土井陵選手。結果は男子17位、88時間でのフィニッシュで、入賞を目指していた土井にとっては決して思い通りのレース展開とはいえなかった。初めて挑んだ “巨人の旅” で土井陵は何を掴んで帰ってきたのか。2024年夏には前回優勝した「トランス・ジャパン・アルプス・レース(以下TJAR)」の出場も控えている。これまで土井は、自信を打ち砕かれるような経験を、次の挑戦に向かう力へと変えてきた。

想像が見事に覆され、ズレが生まれた

ーー距離と時間という数字だけでいえばTJARですでに経験していた長さではありますが、今回はまったく違った困難があったのではと想像します。当初、どんなレース展開をイメージしていたのでしょうか。

土井:自分のなかで想い描いていたのは、前回のTJARくらいの余裕を持ちながら、これまで何度か走ってきたUTMB(フランスで開催される世界最高峰の100マイルレース)の延長のような走りをしたい、というものでした。それが見事に覆されて、実際にはいろんな部分がイメージとずれていましたね。

ーー目指していた順位は?

土井:5位までが入賞なので、5位以内と思っていました。

ーーなぜ今回トルデジアンに出場しようと思ったのでしょうか。

土井:昨年TJARがあって、睡眠に対して自分は耐性があるかなと感じたんです。UTMBは何度も出場しているので、海外レースでその延長上にあるものといえば、やはりトルデジアンですよね。過去TJARを完走した選手で、その後トルデジアンを走った選手は結構います。

実はTJARに出場するより前から、いずれトルデジアンには出たいと思っていたので、ついにそのタイミングが訪れたという感じでした。出場した人たちみんなが「素晴らしい大会だった」と言いますし、絶景も楽しみにしていました。

ーー特別な準備やトレーニングはされましたか?

土井:正直、何をしたらいいかわからなかったので特別なことはしていないです。ただ小野雅弘さん(TJAR完走者/2014年トルデジアン5位入賞)が何度も出場しているので、参考にさせてもらおうと、春頃に関東まで会いに行きました。練習方法やエイドの様子、睡眠について聞いてみたのですが、小野さんは結構ざっくりしているタイプでした(笑)。


固いサーフェイスに脚が削られていく感覚

ーー土井さんのなかで当初のイメージとずれたというのはどういう部分だったのでしょうか。

土井:TJARのときは何度も事前にコースを走ってサーフェイスも熟知していたので、いろいろ対処ができたんです。でも今回はコースもサーフェイスもエイドの様子もわからなかった。UTMBのようなイメージでいたら、サーフェイスが全然違いました。

最初は過去のトップ選手のタイムを参考に75時間くらいでのゴールを想定していたんですが、自分の眠気耐性を考えるともう少し上を狙えるのではないかと考え、72時間に落とし込んでタイムチャートをつくりました。でも過去の選手のペースって、あまり参考にならないですね。睡眠のとり方が一人ひとり違うんで。


ーー睡眠のとり方について事前に何か決めていましたか? 寝る場所やタイミングなど。

土井:そのあたり、今回かなり難しかったです。「下界に下りてくると暑かったり、騒がしかったりして寝にくいから、山小屋が静かでいいよ」と小野さんから聞いていたので、基本は山小屋で寝るようにしました。

あとは眠くなったら寝ようと思って、1日1時間程度を想定しましたが、結局、山小屋で寝たのは2時間半でした。睡眠は作戦の立て方が難しいです。

ーートルデジアンを意識したトレーニング構成も春頃からスタートされたのですか。

土井)そうですね、ざっくりと考えながら、いくつかのレースに出場しました。今年の目標としてトルデジアンは念頭にあったものの、ずっとそれを想い描いていたわけではなくて、目の前のレースに向けて一つひとつ身体をつくっていた感じです。いつもそうなんです。

あと、トルデジアンは最高地点で標高3400mまで上がるので、日本アルプスを縦走したりもしました。結論としては、それでは足りなかった。日本のサーフェイスとヨーロッパの山域のサーフェイスは違うからです。日本は森林限界くらいまで土が多くて、脚に優しいんですね。でもヨーロッパは1500mを超えたら、岩が多くて固い。だからいつもよりも脚を削られている感覚がありました。

ーーレース中、どのあたりからそれを感じたのでしょう。

土井:前半からです。それにいままで経験したことはなかったんですけど、初日の夜から眠くなって。おそらく日常の仕事との兼ね合いであったり、移動疲れであったりすると思うんですけど。

ーー何日前に現地入りしたのですか?

土井:三日前です。今回はいろいろ予定を詰め込み過ぎて、試走する余裕もなく、ちょっとバタバタしてしまいました。やはり試走をするのとしないのとでは違うと思いますね。そうはいっても、仕事を持ちながら競技に挑んでいるランナーはみんな同じ条件なわけで、言い訳にはならないです。

「今日はこの出力でしか進めない」と受け容れる

ーー今回は現地ガイドの方がサポートしてくださったと聞いています。

土井:はい、UTMBなどのビッグレースに慣れた欧州在住の方にお願いしたので安心していました。10時にスタートして、走り始めは順調だったものの、次第に調子が悪くなって身体が動かなくなり、19時か20時に一度寝ました。

海外のロングレースによく出場している南圭介選手とエイドの手前で一緒になり、「あまり調子がよくないので」と言ったら、南さんが「僕も一回休憩します」と言ったので、自分もそこで寝ることを決めました。そのあたりから、なんだか調子がよくないなと感じていました。この段階で寝るのは想定外でしたから。

2023年春に職場が異動になって、119番の緊急通報に対応する部署になりました(大阪府消防局勤務)。深夜も必ずどこかのタイミングで起きていなければいけないので、レースまでの半年間はまだまだ身体のリズムが掴めず、苦戦していました。そんなことも眠気の理由の一つかと思います。


ーースタートから9時間目でとった最初の睡眠時間はどれくらいでしたか?

土井:30分寝た後にいろいろ食べて、エイドでは1時間ほど休みました。少し寝たらすっきりして、気持ちも切り替わりました。ここで一度は回復したんですけど、すでに固いサーフェイスで足にだいぶ負担がかかっていたので、この先、大丈夫かなという不安がありました。

ーー想い描いていたイメージとずれてくると、メンタルが辛くなってくると思うのですが、どうやって現実とすり合わせていったのでしょうか。

土井:ロングディスタンスのレースで年齢を重ねた人が強いというのは、おそらくこのあたりに理由があるんじゃないかと自分では感じています。

思うように進めず、「この状態しかないんだ」という現実にショックを受けるわけですけど、諦めるんじゃなくて受け容れるというか。ショックの波を大きくしないようにコントロールしていく。「今日の調子はこれだから、この出力で行くしかない」と受け容れるというんですかね。

ーー受け容れたのはどのあたりですか?

土井:コース中盤くらいです。ちょうど174km地点、標高2200mのところにエイド兼チェックポイントのコーダ小屋というのがあります。景色もサーフェイスもトルデジアンのいいところが凝縮されたような場所だと聞いていました。

所属しているアスリートチームのザ・ノース・フェイス(以下TNF)のメンバーがそこで待っていてくれると聞いていたので、元気な姿を見せたいと思い頑張りました。コーダ小屋でみんなの顔を見て気持ちを切り替えることができたし、ちょっと持ち直したんです。40分ほど寝て、エイドのフードを食べてから出発しました。

ペースに応じて、補給食は固形をメインに

ーーエイドの食事も胃腸の問題なく食べられましたか。

土井:大丈夫でした。パスタ、スープ、ビスケット、サラミなど同じものばかり出てくるので、途中から飽きましたけど。UTMBのときは、ほぼ持参したものしか食べなくて、エイド食で食べるのはフルーツくらいです。

今回はそれほどペースが速くないので、補給はほぼ固形で行こうと思い、ジェルを1個も摂りませんでした。固形の方が軽いしカロリーも高いので、カロリーメイトと、サポートエイドで用意してもらったおにぎりを持って走りました。あとサプリもずっと摂っていました。


ーー現状を受け容れたあと、どのあたりから自分なりのペースが掴めてきましたか。

土井:揺れていましたね。コーダ小屋では盛り返しましたけど、ひと山超えた次の山小屋でまた寝たんです。とにかく身体が動かなくて。

コーダ小屋で寝るまでは身体が動いていたのに、寝たことによって筋肉が固まったのか動かなくなってしまい、次の小屋でも30分ほど寝ました。

このあたりまではWONG Ho Chung / ウォンホチョン選手(香港)と一緒に走っていました。彼とはレースで相前後することが多いんです。2022年タイで開催された「DOI INTHANON THAIRAND by UTMB」では、彼が4位で僕が5位でした。彼と話しながら走っていたのですが、僕が山小屋で2回目の仮眠をとってからは、彼が先に行きました。

ひとつ、挫けたことがあって……。山小屋から下ってきたところにエイドがあるんですけど、到着したときライフベース(大エイド)だと思っていたら、山ひとつ手前にあるグレッソニーという普通のエイドだったんです。多くの選手が間違えたらしいんですけど、そこで一回気持ちが打ちひしがれてしまいました。

前後に人もいないし、ペースも上がらなかったので、とりあえずしっかり前を向いて動き続けることだけを考えました。

トルデジアンは6つのライフベースがあり、7セクションに分かれているのですが、6ステージ目が始まった頃から、もう上位のポジションは狙えないなと思いました。


日照時刻を考慮して、睡眠計画を練るべきだった

土井:オロモントという最後のライフベースには4日目の昼12時に着きました。

ひとつ前のエイドからこのこのライフベースまでがとても長かった。脚がまったく動かないから、登りと平坦は歩いて、下りだけ走っていました。

でも脚がいちばん痛かったのは2日目で、最後になると痛みは少しましになっていたんです。途中では足の指にひどい水ぶくれができて激痛でした。TJARですらできなかったのに、下りがきついからですかね。

トルデジアンは石がゴロゴロ転がっているサーフェイスが続くので気が抜けない、足元が怖い。もちろん、そういう箇所ばかりじゃないんですけど、全体を占める割合が高いんです。道の先が見えなかったりして、常に下りで気を張っておかなければならない状況でした。

ーー保護クリームの使用などは?

土井:いま思えば塗った方がよかったな。小野さんが「足のトラブルはほぼないよ」と言っていたので安心していたんですけど、全然あるやんと思って(笑)。TJARでは非常に気をつけてクリームを塗っていましたけれど、今回は小まめに塗らなかったことも要因していると思います。

コース最後にトルデジアンを象徴する場所、マラトラ峠というところがあります。ここを明るいうちに通りたかったのですが、暗くて景色は見られませんでした。マラトラ峠に向かうまでの溪谷は、なかなか見られない壮大な風景でした。


ーートルデジアンを終えてみて、いかがですか。

土井:走っているときはお腹いっぱいだなと思ったんですけど、すでにもう一回出場したくなっています。今回はマッチしていないなという感じがずっとあったんですよ、自分のパフォーマンスとレースの流れが。レース中もレースが終わったあともそんな感じだったので、ちょっと不完全燃焼な気持ちが残っています。

でもレースではよくあるパターンですよね。もっとできるはずやのにと思うのって。一回そのレースを経験したことで、次はこういう練習せなあかんなとか、こういう経験しといたらもっとクリアできたんじゃないかという考えが生まれる。

とくに睡眠のタイミングは検討材料です。イタリアは19時か20時ぐらいまで明るくて、朝は7時くらいまで暗い。それを考慮して睡眠をとるべきだったなと思いました。

ーー日本よりも夜明けがだいぶ遅いと。

土井:だから暗い時間帯が違うんです。僕は日本の感覚で、夜中の0時から1時に1時間睡眠をとるイメージでいました。日没の20時から0時まで暗いなかで4時間動いて、1時間寝て起きると、次に明るくなるのは7時なので6時間行動しなければいけない。それだと朝4時頃がむちゃくちゃ眠いんです。

日本なら5時には夜が明けるから元気になってくるんだけれど、そこの読みが甘かった。ちょっと失敗したなと思います。次に出場するときは、夜中の2時から3時に寝ようかなと。それなら4時間後には明るくなりますから。

ーー暗い時間帯の割り振りが心身に影響してくるわけですね。

土井:もうひとつ感じたのは、下りの手前にある山小屋で寝ると、起きて動き出しの調子がよくないということ。次に出場するときには、登りの手前で寝ようと考えています。そうすれば寝ている間に身体が冷えても、起きて登っているうちにほぐれてくるはずやと。身体への負担は少ないはずだと思いました。

いずれにしても想像以上に脚のダメージが大きかったから、練習方法についても、日本アルプスを縦走しているだけでは足りないですね。トルデジアンは山容が大きいので、登りも下りも時間が長いんです。30キロぐらいの下りがあったりするんですけど、日本で30キロの下りなんて取れないじゃないですか。それに耐えうるには、日本アルプスに行っても縦走するのではなくて、何度も登り返して長いルートを見つけないと対応できないと感じています。峠走なども取り入れて、速く走れる足ではなくて衝撃に耐えうる強い足をつくる方法を組み込む必要があります。

あとは歩きのスピードが他の選手より遅かったので、もっと工夫したいなと思いました。


ーー歩きの練習というと具体的には?

土井:岩稜帯で荷物を持って速く登る練習ですかね。ほかにはシューズも検討の余地がありました。今回スタートからしばらくは「ベクティブプロ」というカーボン入りのシューズを履いたんです。反発力があって速く走れるけれど、アップダウンが激しいところではそこまでの反発力はいらないかもしれない。テクニカルな下りではその反発がかえって負担になってしまいます。そこで途中から別のモデルに履き替えたところ、状態がよくなりました。こういうのも経験しないとわからないことです。

とにかく反省点がいっぱい出てくるので、もう一回チャレンジしたい。でも2024年はTJARがあるから、もし自分の熱が冷めなければ2カ年計画で挑戦します。

ーー「次は登りの手前の山小屋で寝よう」という戦略は非常に土井さんらしい考え方のように思います。

土井:寝るというのはロングレースの一つの大きなポイントですからね。

すべての選手の「挑戦」が称えられる大会

ーー大会全体を通して、どんなことを感じましたか?

土井:トルデジアンも年々スピード化しているのは確かですが、それでも40代中盤でもまだまだ勝負できるレースのような気がしています。年齢を重ねることがマイナス要素だけにはならないところが、100マイル以上のロングディスタンスの面白さなんじゃないかなと。UTMBのスピード化は著しくて、以前なら入賞したタイムでも、もう入賞圏内には入りません。それに比べると、トルデジアンはもっと自分らしいレースができる舞台だという感触がありました。

表彰式がまた素晴らしいんです。トルデジアンでは順位が速い人だけが偉いという雰囲気はなくて、完走者600人全員が名前を呼ばれて舞台に上がって拍手されます。もちろん入賞することは素晴らしいことだし、みんなが祝福してくれるんですけど、レースはそれだけじゃないという空気が漂っているというか。壇上に上がってスタッフにおめでとうと言われて握手して、フィニッシャーズTシャツをもらって着る。素敵な光景でした。

レース中もスタッフやハイカーさんがものすごく応援してくれました。レースであってレースでないというか、チャレンジャーである全員を称える雰囲気があって、そこがトルデジアンの魅力のような気がします。

できるだけ守りに入りたくない

ーーTJARで優勝した際に「2019年UTMBでの苦難が糧になった」とおっしゃっていたのが印象的でした。あのUTMBでは途中で胃腸トラブルに遭い、リタイアも頭をよぎったと伺っています。振り返れば、今回の挑戦も次に繋がる挑戦だったのではないでしょうか。

土井:まさにそうですね。ただ、あのUTMBでの打ちひしがれた状態の方が辛かった。ほんまにレースを止めようと思いましたから。今回はヤバいとは思いましたけど、止めようとは思わなかったですね。脚は痛いし筋肉は削がれるような感じだし、レース展開も見えないし、完走できるかなとは思いましたけど。

先が見えると余裕が生まれるというか、心づもりができるんですよ。でも今回は、この状態がどこまで続くんだろうという恐怖心がありました。

ーー次のTJARでの活躍を期待する声も高いと思うのですが。

土井:そういう意味でいえば、トルデジアンでの経験は自分にとってプラスになりました。トルデジアンに出場したことでおそらく次のTJARはまた違ったアプローチになるんじゃないかな。前回のTJARで自分はギリギリのところまで追い込んだかというと、結構余裕を持っていたというか、余力を残したような感じだったじゃないですか?

ーーたしかに、フィニッシュ地点の大浜海岸では疲れた様子が見えなかったです。

土井:まあ、やせ我慢もしてたんですけど。もしかしたら山ではそれが正解なのかもしれないけど。トルデジアンの映像を見ると、トップ選手が最後のマラトラ峠を登っている姿は、調子の上がらなかった僕と大差ないんです。一歩一歩登って、たまに止まったりして。トップでも余裕ないんやと。本当に満身創痍で、その姿を見たら、自分も本当はもっと追い込めるんじゃないか、もっとギリギリのところまで突き詰められるんじゃないかと思って。


もしそれができたら、また新しい地点へ発展していけるのかなという予感はあるんです。だからTJARに出るなら、もうちょっと尖らせてもいいんかなと。一度は余力を残すイメージでスマートにゴールしたから、次で失敗しても別にいいかなという気持ちはちょっとありますね。それで勝てなかったとしても、そのときはそのときです。

できるだけ守りに入らないようにしたいんですよ。また何か新しい境地が見えるかもしれないから。

順位だけではない自分のチャレンジを見つける

ーー以前「TJARは通過点」とおっしゃっていました。土井さんのなかで、ここまで行きたいというような漠然とした到達点はあるのでしょうか。

土井:40歳を超えてから、新しいことにチャレンジしていきたいと思い始めているんです。100マイルレースは好きだし主戦場なんですけど、TJARやトルデジアンへの挑戦のほかに、近年は雪山も始めました。何か自分のチャレンジをしていきたいなと思っています。まだイメージは漠然としているんですけどね。

たとえば、海外遠征して8000m峰に挑戦できるかといったら、時間もつくれないし難しいけれど、日本で何かチャレンジできたらいいなと思っています。

だからどこまで行きたいかといったら、最終的にはきりがない。TNFに所属したのもそれが理由のひとつでした。TNFにはいろいろなチャレンジをしているアスリートがいて、タイムや順位の枠に収まらない挑戦を応援してくれるブランドだと思っています。もちろんタイムや順位も大切ではあるんですけど、そうした記録への挑戦も行いながら、また違うことをやっていきたい。

近年キリアン・ジョルネ(傑出したスペインの山岳アスリート/2017年1週間で2回エベレストに登頂)もいろんなことに挑戦していますよね。順位やタイムを競う競技だけではない自分の挑戦をしている。

トレイルランて本来そういうスポーツじゃないですか? 自由さがあるところが魅力のように思います。

ーーいつからそういったマインドになったのでしょうか。

土井:いつからやろ。僕自身は最初からコンペティティブな気持ちはそれほど強くないかもしれないです。人に負けて悔しいというよりも、上手いこと走られへんかったとか、思ったタイムで走られへんかったという自分に対する悔しさの方が大きいです。

いまはが順位が速い人ばかりが持て囃される世の中ですけど、じゃあそれ以外の人は賞賛に値しないのかといったら違うと思うんですよ。いろんなレースに出て感じてはいたけれど、とくに強く感じるようになったのは、”誰でも挑戦しやすい100マイル” をコンセプトにしたイベント「BAMBI100」を立ち上げたからかもしれません。

それぞれの目標を達成したら、それだけですごいことですよね。順位とかタイムに縛られる必要はないのかなと、どんどん思うようになってきました。

年齢を重ねて、徐々に好タイムや高順位が出せなくなったら、もう走ることは終わりなんだと考えるのは寂しくないですか? 新しいことを自分のできる範囲のギリギリでやってけたら、いつまでたっても楽しく生きられると思うから。


撮影=永易量行
文=千葉弓子
写真提供=THE NORTH FACE / 株式会社ゴールドウイン