『山物語を紡ぐ人びと』vol.37〜西岡修平さん(milestoneディレクター)/ いつの時代も行く先を照らし出すランプメーカーとして


ここ数年、トレイルランシーンでひときわ存在感を高めているヘッドランプメーカー「milestone(マイルストーン)」。電球色の温かな光が特徴のマイルストーンがトレイルランシーンで最初に話題を集めたのはおそらく、2019年のUTMFだろう(現Mt.FUJI100)。この年の100マイルレースは降雪があり、夜間は雨が降り続いてトレイルは濃霧に包まれた。そんななか、白色LEDに比べて霧の中でも乱反射しにくい電球色のヘッドランプは選手の行く手を着実に照らし出し、その評判は人づてに広まっていった。

その前年、マイルストーンはトレイルランナー土井陵さんと開発した高機能ヘッドランプ「トレイルマスター」をリリースしている。その後、キャップやショーツ、ウィンドシェルといったアパレル製品の展開もスタートし、今年の夏には大阪市寺田町にコンセプトストアもオープンした。

これらすべてを手がけているのが、ディレクターの西岡修平さんだ。

私自身が西岡さんのお名前を知ったのは2019年頃のことだったと思う。UTMBなどのレースで土井さんの姿を追った写真を目にしたのがきっかけだ。写真から土井さんに対するリスペクト、土井さんの活躍を見届けたいという熱量を感じていた。

今回いろいろな偶然が重なって、ようやくゆっくりと西岡さんにお話を伺うことが叶った。音楽活動に没頭しながらプロのカメラマンを目指していた20代からマイルストーン誕生に至るまでの経緯を伺ううち、ブランドのバックグラウンドである冨士灯器の歴史をも紐解くことになる。それははからずも、時代とともに人々の暮らしに寄り添ってきた “灯り” という存在の奥深さに触れる経験でもあった。


母体は創業から103年の「冨士灯器」

「向いにある工場の上が実家なんですよ」

大きなガラス窓から光が差し込むコンセプトストアで、西岡さんはそう語り始めた。

JR大阪環状線の寺田町駅から歩いてすぐの場所にあるマイルストーン旗艦店の向かいには、その母体である冨士灯器株式会社の本社がある。創業大正9年(1920年)というから今年で103年目、いわゆる老舗、“100年企業”だ。

冨士灯器は西岡さんの祖父である嘉夫氏が創業したランプメーカーで、現在は父の嘉宏氏が会長を、兄の嘉一郎氏が社長を務め、主に釣用ランプを製造している。

「小さいときから30トンのプレス機がドーンと鉄板を抜いたりする音に囲まれて育ちました。プレス機でいろんなものをつくっていたから、ビル自体が揺れるんです。祖父や父、従業員の人たちがものづくりをする姿を間近で見ていましたね」

社名にある「冨士」の由来は富士山。「富士山のような高みを目指した製品づくりを行う」という信条が盛り込まれているという。

2023年7月にオープンしたマイルストーンのコンセプトストア。オフィスもここにある

現在の冨士灯器は釣用ランプを製造しているが、創業時は炭鉱で使用する「カーバイドランプ(アセチレンランプ=炭化カルシウムと水を反応させて発生したアセチレンを燃焼するランプ)」をつくっていた。カーバイドランプは酸素が少なくなると明かりが弱まることから、坑内の酸素量をはかる目安にもなり、炭鉱員の安全を守る役割も担っていたという。

西岡さんいわく「おそらく日本でカーバイドランプを製造していた最後のメーカー」だという。その頃の製品は、石見銀山の資料館や富山県高岡市立博物館などでいまも見ることができる。

鉱山や露天商で主に使われていたカーバイドランプだったが、次第にレジャーフィッシングでも用いられるようになる。透過性の高い光は川の水中を照らすのにも適していて、鰻の稚魚や手長エビなどを捕る際にも有効だった。昭和40年代には釣りの一大ブームが起こり、あじ釣りなど夜釣りで魚を寄せる集魚灯としても人気を博した。



「こういう歴史を背景にして、マイルストーンが生まれたわけです。祖父や父が代々明かりを灯し続けてくれたからこそ、いま僕が明かりを灯せている。それは大事にしたいなと思っているんです」

本社ビルには歴代の製品たちが並ぶ部屋がある。昭和期の商品はほとんど手許になかったが、残しておくべきだと西岡さんは考えた。ここに並ぶアイテムの一部は西岡さんがオークションで集めたものだ。

歴代のランプと関連商品。上段と2段目の円盤がついたものがカーバイドランプ

では、どのようにしてマイルストーンというブランドが生まれ、トレイルランに特化した製品をつくるようになったのだろう?

釣具人気モデルとどう違いを打ち出すか

マイルストーンがブランドとして誕生したのは2014年のこと。創設当初のヘッドランプの原型は、冨士灯器で既に発売していた「ZEXUS」だった。「ZEXUS」は嘉一郎社長がつくったブランドで、現在、釣具業界で高いシェアを誇る人気シリーズ。黒を基調にした製品デザインとパッケージが特徴だ。

高校卒業後に渡米した後、家業に入った西岡さんは、マイルストーンを手がける前は「ZEXUS」のPRを担当していた。

ZEXUSの初代広告

「僕はカラフルな製品をつくってみたかったんです。女性にも手に取ってもらえるような色味とかね。それで一度ZEXUSでカラフルなヘッドランプをつくらせてもらったんだけど、やっぱりZEXUSはこの方向性じゃないなということになって。それなら、釣具市場とは重ならない、アウトドアに特化したブランドを自分でつくろうと思ったわけです」

西岡さんの発案を、嘉一郎氏も後押ししてくれたという。ZEXUSとの違いをどう打ち出そうかと考えていたとき「白色LEDではなく、柔らかい電球色がいいのでは?」と思い立つ。その裏には、かつて冨士灯器の主力商品だったカーバイドランプの温かな光へのオマージュもあった。

「原点回帰みたいな気持ちもありました。マイルストーンというブランド名は、大好きなマイルスデイヴィスのアルバム名と、人生の大きな出来事という意味を重ねてつけました。電球色を採用していることから、呼び名もヘッドライトではなくヘッドランプとしたんです」

カラー展開した際の「ZEXUS」の広告。モデルは西岡家の子どもたち


しかし内心は不安だった。家族からも「本当に大丈夫か?」と心配された。車のフォグランプ同様に霧の中でも乱反射しない特性もあって電球色に着目したが、はたしてアウトドア市場で受け容れられるのか。

「電球色は霧に強いだけでなく地面の凹凸が見えやすいというメリットもあります。一方で電池消耗が早い。ヘッドライトにおける電池消耗の早さは大きなデメリットですから、本来ライトメーカーはやりたくないわけです。それをあえてやってみようと決断しました」

ブランドの方向性を決定づけた土井陵さんとの出会い

当初はトレッキングやキャンプなどアウトドア全般をイメージして製品づくりを行っていた。それがトレイルランにシフトしたのは2016年からだ。そこには土井さんとの偶然の出会いがあった。


大阪駅に隣接するグランフロント大阪内のアウトドアショップでイベントを開催していたとき、たまたま訪れた女性トレイルランナーが「もしトレイルランのヘッドランプを本気でつくるのなら、土井陵さんというトップ選手をご紹介しますよ」と声をかけてくれた。

当時まだ西岡さんはランナーではなかったものの、トレイルランそのものには興味があったことから、土井さんにアドバイスをもらいながら商品開発しようと決める。さっそく冨士灯器本社でヒアリングを進めると、土井さんのリクエストは実に明快だった。

「もう土井さんにはビジョンがあったんです。とにかくシンプルなヘッドライトをつくってほしいとね。100マイルを走っていると複雑な操作のライトは使えないから直感的に操作できるライトにしてほしい。あと霧には電球色がいいけれど、やはり通常は白色もほしいと。それで白色と電球色をワンプッシュで切り替えられる仕様にしました」

もっとも挑戦的な取り組みだったのが「クイックダイヤルシステム」の採用だ。ワイヤーをカチカチと回しながら調整するBOAシステムを取り入れ、頭部のフィット感を高めたいと土井さんはリクエストしてきた。

しかしこのパーツだけが自社オリジナルではなかったことから、新たに独自の機構をつくって特許を取得。そのプロセスもあって、商品開発には2年を費やした。

「とにかく一番いいものをつくりたかった。これまでのマイルストーンは、アウトドア市場のピラミッドでいえばベース部分=幅広い利用シーンを想定した製品づくりをしてきました。でも土井モデルはピラミッドの頂点、トップアスリートが勝負レースで使う製品を目指していた。だからどこにもない一番いいもの、マイルストーンのフラッグシップモデルをつくりたかったんですよ」

2019年UTMB。初めてレースで土井さんを追った(写真:西岡修平


そうして2018年に生まれたのが「トレイルマスター」だ。電池寿命が一目でわかるバッテリーインジケーターを採用したほか、シンプルな操作性、白色・電球色の切り替え、明るさ3段階調整可能な仕様にした。

すべてに妥協せず開発した結果、ヘッドランプとしては高価格帯商品となった。西岡さんにとって思い入れのある商品だったが、バッテリー工場の廃業を受けて供給が続けられなくなり、2023年残念ながら廃盤となる。

「でもこのモデルをつくったことが僕の人生を変え、マイルストーンそのものをも変えてくれました」

発売当初、トレイルマスターの魅力をPRするため、土井さんと二人で全国のショップをキャラバンしたのもよい思い出だ。その旅の途中で、土井さんは密かに想い描いていた敷居の低い初100マイル挑戦の舞台づくりの話を、西岡さんはコンセプトストアの夢を語った。



その2つの夢は時間とともに温められながら、やがて実現へと向かうことになる。2022年秋、土井さんの想いを形にした100マイルイベント「BAMBI100」が立ち上がった。西岡さんは仲間とともに運営に携わっている。BAMBI100を具現化するなかで、西岡さんと土井さんはこれまで以上に深く関わり合うようになった。しかし、西岡さんはこう言う。

「土井さんの存在は僕の人生にとって間違いなく刺激になっている。でもいまでも土井さんは近くて遠い存在なんですよね。自分のなかではいい意味で友だち付き合いではないというか、トップアスリートという感覚、尊敬の念がある。年下なので、冗談で土井ちゃんとかタカシとか呼ぶこともありますけど、基本的にはいまでも敬語。いい距離感だなと思っています」

アメリカで写真を学び、音楽に明け暮れた日々

少しだけ時間を遡る。マイルストーンを創設するまでの西岡さんの人生も実に興味深い。

学生時代、ヒップホップ音楽に明け暮れていたという西岡さんは、曲づくりをしたりDJをしたりしていた。高校を卒業すると、当時アメリカ西海岸に冨士灯器カリフォルニア支社があったことから、親族のつてを頼って渡米。

サンルイスオビスポというのどかな街に暮らしながら語学学校に通った。その後、短大に進学して一般教養課程を修了する。

「それから4年制大学への編入が決まって、ベイエリアのオークランドに引っ越したんです。たまたま近所を歩いていたら、2〜3mもある写真がずらっと展示された学校があって、その写真がものすごくカッコよくて惹かれたんですね。レイニーカレッジという写真に力を入れている短大だと知り、4年制大学への編入を辞めて、そこで報道写真を学ぶことにしました」

レイニーカレッジではナショナルジオグラフィックで受賞歴のある写真家の恩師と出会い、報道写真の基礎を習得した。

「僕の人生にとって、ここでの生活は大きな転機でした。4枚写真でストーリーを伝える課題が出て、ホームレスの暮らしに密着したり、隣家に住むハンディキャップのある方の生活を撮影したり。プロのカメラマンを目指しながら、音楽活動を続けていました」



アメリカには8年間滞在した。このときのあらゆる経験が、いまマイルストーンの仕事で活きているという。ブランドのカタログ撮影やBAMBI100でのイベント記録撮影は西岡さんが行っている。

「思い返せば、昔から記録に残すことが好きだったんです。友だちと旅行に行くときには親父の8ミリビデオを借りて記録したりしたね。でも機械音痴なんですよ(笑)。もう少しカメラ技術を学んでおけばよかったなと思ったりもします」

カレッジの卒業式

音楽づくりとマイルストーンの仕事は似ている

西岡さんの人生の中心には常にクリエイティブな活動があった。マイルストーンを立ち上げてからは、製品づくりはもちろんのこと、ブランドイメージを伝えるカタログもパッケージも大切に考えてきた。

これらはずっと同じチームでつくっている。西岡さんが写真を撮影し(製品写真以外の)、近所にスタジオを構える写真家・中島真さんが調整してトーンを統一。それをもとに、音楽活動時代から付き合いのあるデザイナー・河﨑圭さんがデザインを進めていく。何か、チームで共有するテーマやコンセプトはあるのだろうか?

「ないんです、それが。どういう方向性がいいか全部二人がわかってくれていて、信頼関係が出来上がっているというのかな。よくマイルストーンはセンスがいいですねって言われるんだけど、僕のセンスがいいわけじゃなくて、優れた才能の方たちに恵まれているからなんです」

実は西岡さんは2015年頃まで “LARGE PRPHITS” というグループを組み、インディーズでCDをリリースするなど音楽活動も継続していた。河﨑さんとはCDジャケットのデザインを通して知り合ったという。

「音楽をずっとやってきたけれど、僕自身は楽器が弾けないんですよ。赤井電機のMPC2000という機材で打ち込んで曲をつくり、人に歌ってもらってプロデュースをして……。夜な夜なクラブに通っては朝までライブをして、翌日は工場で仕事しながら昼休みに床で寝る、以前はそんな生活を送っていました。音楽づくりとマイルストーンの仕事はとても似ています。『これが俺の自信作だ!』と思えるような製品をつくりあげて店舗を回り、売り込みをして、熱い想いを伝えていくところがね」

アパレル展開と第一号スタッフ吉田直史さん

いまマイルスーンには西岡さん以外にもう一人、有力なスタッフがいる。それが吉田直史さんだ。吉田さんとはもともとランニング友だちで、毎週水曜日に大阪市内にあるぶどう坂を走る仲間のひとりだった。アパレル勤務経験の長い吉田さんは入社前からよきアドバイザーで、社員になったいまもトレイルランナーとしての視点、小売りのプロとしての視点からさまざまな意見を述べてくれるという。

マイルストーンがヘッドランプメーカーというブランドイメージを超え始めたのは、オリジナルキャップの展開あたりからだろう。家族ぐるみで古くから付き合いのある大阪の帽子メーカーのオーナーが、キャップづくりを手がけている。当初はキャップにヘッドランプを直に装着できる仕様にしていたが、トレイルランナーからのリクエストを受けてシンプルなデザインに変更したところ、人気に火が付いた。

そこからは堰を切ったような勢いで商品をリリース。再生素材を使ったブランドBringやトレイルランウェアブランドSTAMP RUN &COとのコラボTシャツ、オリジナルショーツやウインドシェルへと広がっていった。


暗闇で灯りが体験できるコンセプトストア

2020年、冨士灯器本社前の土地が偶然にも売りに出されたことで、西岡さんが想い描いていたコンセプトショップの夢が一気に現実となっていく。

構想1年半、建設に10ヶ月をかけ、2023年夏にマイルストーンの旗艦店がオープンした。西岡さんと吉田さんの細かなアイデアを内装デザインに落とし込んだのは、前述のデザイナー河﨑さんだ。もっとも特徴的なのは、1階にランプを試せる暗室があることだろう。

トレイルを模した暗室。足元から霧を出すことができる

「おそらくヘッドランプメーカーで、お客さまがライトの明かりを体験できる暗室を持っているのはうちくらいなんじゃないかな?」

暗室には霧を演出するフォグマシーンが設置され、ランプがどう灯るか体験することができる。ほかにもシャワー室やステージ、大型モニター、バーカウンターなどを完備した。ランニングイベント開催時には、ショップを起点に走りに行き、帰ってきてシャワーを浴びて、箕面ビールとコラボレーションしたオリジナルビールを楽しむことができる。

「居抜きの建物ではなくてゼロからつくり上げたから、めちゃくちゃ大変でしたね。なんでもOKな状況でしたから。土地が空いたのも偶然だし、ほんとに僕は恵まれているんです」

マイルストーンに僕自身も照らしてもらっている

最後にマイルストーンのこれからについて聞いた。

「ほんとうはバシッとビジョンを持っていなきゃいけないんだろうけど、そういうのはなくて。10年後なんてとてもじゃないけれど考えられへんし。それよりも自分は常にワクワクしていたいんですよ。常に面白いことを企みたい。いろんなものを企画して開発して、世の中に作品を残していきたいというのかな」

西岡さんが生み出す作品、それはヘッドランプでありアパレルであり、カタログであり。さらにはマイルストーンのHPで毎月公開している西岡さんセレクトのSpotifyのプレイリストであったり、店舗イベントであったり。秋にはペンタペタラという神戸のインディーズトレイルランシューズブランドとのコラボで、10足限定のオリジナルシューズ受注会も開催した。西岡さんの好奇心、表現は留まるところを知らない。

では西岡さんにとって、マイルストーンとはどのような存在なのだろう。

「僕にとってのマイルストーンか、う〜ん、なんやろ。子どもみたいな存在でもあるし、身体の一部みたいな感覚でもあるし。そうだな、いままでやってきたことがすべてマイルストーンを通して形になっているから、人生の道しるべかな。マイルストーンのブランドステートメントは “Lighting Your Way”(あなたの道を照らします)なんだけれど、もしかしたら僕自身の人生の方向性をも照らしてもらっているのかもしれない。こっちへ行くんやよっていう、生きる道筋をね」

来年、ブランドは10周年を迎える。誰かの、そして西岡さん自身の行く道を照らすマイルストーンは、その灯りの先に何を映しだしていくのだろう。



■milestone公式サイトはこちら
取材・文=千葉弓子
写真=藤巻翔
写真協力=冨士灯器株式会社、milestone