『山物語を紡ぐ人びと』vol.36〜 新生イーストウインドへの転換期。キャプテンを離れた田中正人が本気で目指すもの


日本初のプロアドベンチャーレースチーム「イーストウインド」は1996年に誕生した。もう27年にもなる息の長いチームだ。

アドベンチャーレースは壮大な自然のなか、4人一組(または3人一組)で協力し合いながら数日かけてゴールを目指す競技。国内で知る人がいなかった時代にこの世界に引き込まれ、「人間として成長させてくれるアドベンチャーレースを追求し、広めたい」と道なき道を突き進んできたのが、チーム創設者で初代キャプテンの田中正人だ。有機化学会社の研究職を辞め、プロアドベンチャーレーサーとなった。

私が初めて群馬県みなかみ町のイーストウインド拠点を訪ねたのは2015年のこと。その時の取材があまりに鮮烈で、田中正人のブレない生き方から多くのものごとを受け取り、何かに突き動かされるように制作したのが書籍『アドベンチャーレースに生きる!』(2017年/山と溪谷社)だった。

その後、チームメンバーのひとりで「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」「日本3百名山ひと筆書き」(NHK番組「グレートトラバース」として放映)を達成した田中陽希の著書も2冊編集することになり、個人的にイーストウインドにはひとかたならぬご縁を感じている。

27年に渡るチームの歴史では、実にさまざまなアスリートが在籍していた。

海洋冒険家の白石康次郎、サバイバル登山家の服部文祥、プロトレイルランナーの石川弘樹や横山峰弘、トライアスリートで現在は都議会議員の白戸太朗。ほかにも女性登山家として世界で初めてピオレドール(国際的な山岳賞)を受賞した谷口けいや、人気山岳番組でランニングカメラマンを務める駒井研二や佐藤佳幸、昨年、米アラスカ州デナリ国立公園で滑落事故により逝去した山岳カメラマンの平賀淳などもかつて所属し、すべては紹介しきれない。チームを離れた後も、さまざまなジャンルで活躍する人たちばかりだ。

そんなチームイーストウインドに昨年、大きな転機が訪れる。田中正人に代わり、二代目キャプテンとして田中陽希が就任したのだ。田中陽希はグレートトラバースの挑戦を通して、いまや国民的人気を博している。

しかし、キャプテン就任後の初レースはさまざまな要素が噛み合わず、ほろ苦いデビュー戦となった。その後も田中陽希は重責への不安を隠すことなく吐露している。「自分なりのキャプテン像ができあがっていないんです」。

一方、田中正人はチームの要石という役割を手渡し、次のステージに向かっていた。これまで「世界一」になるために燃やしてきた情熱は、これからどこへ向かうのか……。

久しぶりにみなかみを訪ねた。

メンバーの生活基盤を見据えた「測量」と「林業」の仕事

ーーーキャプテン交代後、どんな生活を送っておられますか?

正人:おもに測量の仕事に取り組んでいます。前から山で仕事をしたいと考えていたので、コロナ禍をきっかけに林業も始めました。日本の山の状況を知るにつれ、これからは山林測量に力を入れていきたいと思うようになったんです。測量で僕が手がけているのは境界線を調べたり、つくったりする作業。山林測量では木の伐採や刈り払いも行います。

林業は、自伐型林業を行う「NPO法人奥利根水源地域ネットワーク」という団体に所属しています。自伐型林業というのは、環境保全と採算性の両立を目指す持続型森林経営で、適正な規模で山林を確保して、間伐しながら長期的に収入を得ていく新しい手法です。



林業の仲間たちは、普段、山岳ガイドやリバーガイド、スキーのインストラクターなどアウトドア業界で働いている人が多いんです。シーズンオフなどの時間に林業に携わり、先輩から技術や知識を学びながら、間伐や伐倒、製材など手がけています。みなかみの広葉樹は質が高くて、飛騨高山の家具メーカーと包括協定も結んでいます。

ただ正直、いまの林業は儲からない。もう少し儲かる仕組みをつくって、チームメンバーも参加できるようになればいいなと思っています。

ーーー2つのお仕事をしながらトレーニングを続けていらっしゃるわけですね。

正人:そうですね。といっても、トレーニング量はだいぶ減りました。夕方に中学生の娘とランニングをするのが日課になっています。

仕事は測量の比重の方が大きいですね。とにかく学ぶことが多いんです。すでに「測量士補」の資格は取得したので、今年は「測量士」の試験を受ける予定です。僕は友だちの測量会社に籍を置いて仕事をしているんですけど、測量士の資格を取得したら、その会社のみなかみ支社として開業したいと考えています。最終目標は、自然の中で体力も山の技術も活かせて、なおかつメンバーの成長の場にもなって、それなりの収入が得られる状況をつくること。いまもメンバーには、境界線の草木の刈り払いなど手伝ってもらっています。



ーーー測量はどういうところから発注を受けるのですか?

正人:官民いろいろありますけど、たとえば国有林の境界線の調査は林野庁が入札を行います。体力的にかなりきつい仕事なので測量の世界では不人気なんですよ。でも僕らには適しているから、会社に頼んで入札に参加してもらっています。地図を見れば地形や山域の性質もだいたいわかるので、アドベンチャーレーサーはこの仕事に向いています。

ーーーほんとうにそうですね。

正人:境界線の調査は10年〜20年周期なので、境界線を示す杭は完全に藪に埋もれています。灌木も生えていて、それらをすべて刈り払いながら探していきます。過去のデータを見ると、支点になる杭から何度の方向に何十何メートルという記述が並んでいて、まさにコンパスで正置をしながら進んでいくような感覚でとても楽しいんです(笑)。

さらに最新技術を使うと作業効率がぐっと上がります。僕が所属する測量会社は最先端を進んでいて、GNSS(GPSなどを含む全球測位衛星システム)やドローンも積極的に活用しています。

ーーーランニングカメラマンとしても活躍されていますが、ランカメのお仕事をメンバーに勧めることは?

正人:一時期は誘っていたけれど、あまり乗ってくる人がいなくて。走りながら撮影するのでトレーニングにもなるし、すごくいい仕事ではあるんですけどね。向き不向きがあって経験値も必要だし、すぐに成果が出る仕事ではないから。

僕が最初にランカメを経験したのはUTMF(現ウルトラトレイルマウントフジ)のドキュメンタリー番組でした。まったくの素人なのに、ベテランの平賀淳や駒井研二と同じように一人前として扱われることがプレッシャーで。それからNHKのディレクターさんにかなり鍛えられましたよ。

平賀淳もよく教えてくれたんです。だいぶ年下ですけど、映像の世界では大先輩だったから、機材の設定や撮り方のポイントを丁寧に教えてくれた。「番組タイトルが入るような風景を撮るときには、文字がどこに入るかをイメージして構図を決めた方がいい」とか。奥が深い世界ですよね。


なぜいまキャプテン交代なのか

ーーーチームイーストウインドはターニングポイントを迎えています。

正人:まさにそう。このターニングポイントはしばらく続きますよ。

ーーーキャプテン交代の時期を決めたのはいつですか?

正人:陽希は国際レースの経験も充分で、ナビゲーションも上手だし、チームを引っ張るだけの力量もある。グレートトラバースの挑戦も終わったから、いよいよその時が来たなという感じでした。

陽希がチームに入って2年目くらいから、「次のキャプテンはお前だ」と言っていたんです。それはなぜかというと、これまで所属してきたメンバーはみんな「イーストウインドは田中正人のチームだ」という意識が強かったのに、陽希だけは最初から「これは自分のチームだ」という意識だったから。自分のチームだと思ってくれたのは、あとにも先にも陽希だけです。次期キャプテンを陽希にと思った理由は、それがいちばん大きいですね。

古い人間が長いこと上に立っている組織は発展しないから、どんどん若い人たちに活躍してもらいたい。自分はまた違う役割で別のステージに進まなければと考えているんです。

毎夕、中学生になる長女・徳(あきら)さんと近所をランニング


ーーーキャプテン交代の背景にはご自身の肉体的な変化もあったのでしょうか。

正人:理由としてはそれもあったのかな……。肉体的な変化はもちろんあるんですけど、陽希にキャプテンを譲るというのはそれとは別のような気がします。

ーーーご自身で創設したチームのキャプテンを譲るというのは、創業社長が会長になるみたいな感覚ですか。

正人:一メンバーになる、ということですかね。でも実際レースに出れば、役割はあまり変わらないんです。これまで陽希と僕でナビゲーションしてチームを引っ張ってきたので、そのスタイルは変わらない。

ただやっぱりね、キャプテンを譲ってわかったのは、あまり僕が口を出すと陽希がやりにくいということ。これからは陽希のチームになっていくわけだから、一旦すべてを陽希に任せたんです。でも負担が大きすぎたみたいで。

ーーー全部というと?

正人:競技からチーム運営までです。例えばお金の管理。これは僕のなかではすごく大事なことで、お金の管理をしないとチーム全体の計画も立てられないと思っています。本当はスポンサー活動まで陽希に任せたいところなんだけど。

チーム運営のいちばんの理想形は、まずチームがなにをやりたいのかを決め、そのためにはどれだけお金が必要かを計算して、どう工面するかを考えて実現すること。会社の経営と同じです。ゆくゆくは陽希にもそういう経営者になってもらいたいと思っています。

陽希はいまキャプテンとしての課題を抱えて悶々としていると思うんですけど、それこそが彼の飛躍のチャンス。今年が正念場じゃないですかね。

小さな頃からチーム活動を応援してきた徳さんは走ること以外はインドア派。将来の夢をたずねると「心理学や英語に関わる仕事に興味がある」と教えてくれた

陽希には自分を変革し続けてほしい

ーーーキャプテンの役割はレースの進め方やチーム内の信頼構築だけじゃないんですね。

正人:競技中だけのキャプテンでもいいのかもしれないけど、それでは雇われ社長みたいになるでしょ?陽希はよく「キャプテン像をつくる」という表現をするんだけど、僕の場合はゼロからのスタートで、やらざるを得ないことをやってきただけ。その時々でメンバーとぶつかり合って反省して学んで……その繰り返しです。

どんな課題も、解決して乗り越えていくには常に前向きさが必要だということはアドベンチャーレースを通して学んできました。メンバー間のトラブルもかなり経験したし、すごく腹立つメンバーもいましたけど、そういうときこそ「これは自分が成長できる場面だ。いまこいつは自分を成長させてくれているんだ!」と思ってやってきた。本当にそう思えたんです(笑)。

陽希もそんなふうに常に自分を顧みて、変革していってくれたらいいですね。陽希には自分を変える力がある。多くの人は自分の考えやスタイルにこだわって意固地になり、自分を変えようとしないけれど、陽希は自分を変える力を持っているし、これまでも変わってきたから。

メンバー全員のギアが収められた倉庫。遠征時に自転車を入れる大きなBOXが並ぶ


ーーーチームに和木香織利さん(現:佐藤香織利)が所属していた2011年前後に陽希さんと和木さんが対立し、その後、理解し合うことができて素晴らしいチームが生まれたというのは、よく知られた逸話ですね。陽希さんが精神的にも大きく成長したと。

正人:そうなんです。でもグレートトラバースから帰ってきたら、ちょっと元の陽希に戻ってしまった部分もあって。陽希は自分の感情に縛られてしまうところがあるんだけど、そういう点が少し出てしまったのかな。

ーーー陽希さんご自身も昨年のレースを振り返り、「グレートトラバースの挑戦で学んだはずのものが身についていなかった」とおっしゃっていました。

正人:もちろん成長した部分はたくさんあると思います。ただチームプレーは性質が違うから、そこはブランクになってしまったのかな。

長年の課題だったチームメディアを開始

ーーー正人さんご自身はいま、チームの状況をどう捉えていらっしゃいますか。

正人:メンバーには「競技力の強化は陽希を中心に。僕は別の役割をするから」と話しています。メンバーがよりよい練習環境でトレーニングでき、なおかつ収入を得られる仕事を整えること、メンバー候補を増やしていくことが僕の役割。できればチームを二部制にしたいので、常にスカウトもしています。

ほかには、昨年からチームメディアを確立し、国際レースに同行してもらっています。実はチームメディアは長年の課題でした。ありがたいことに陽希のおかげで支援してくださる企業が増えたので着手することにしました。

近年はテレビ局にも注目してもらい、レースを番組にしてもらう機会が増えたのですが、そこで描かれるのはチームの一側面であって、他の視点でも発信したい。それに自分たちで撮らないと映像素材が手許に残らないという理由もあります。未来永劫テレビで取り上げてもらえるわけではないから、自分たちで撮影して発信していきたい。いまはそういう時代じゃないですか?

ーーーメディアの渡航費用もチーム運営費に含まれているわけですね。

正人:そうです。テレビ番組化されるときには映像素材を買い取ってもらい、番組化されないときにはオウンドメディアで発信したいと考えています。ただ現状は編集費まで賄えていないので、きちんとしたコンテンツ制作はこれからです。

レースを追いながらメンバーを撮影する佐藤佳幸さん(写真提供:イーストウインドプロダクション)


TJARの裏方になったのは、連覇により “未知の挑戦” ではなくなったから

ーーー正人さんは長年、「トランス・ジャパン・アルプス・レース(以下:TJAR)」の実行委員も務めています。2022年大会ではNHK番組のランニングカメラマンとしてレースを追っておられました。南アルプスでは、TJAR四連覇を果たした望月将悟さんと深い対話があり、雨のなか二人で涙を流したと伺っています。どんなお気持ちだったのでしょうか。

正人:単純に不思議だったんです。望月君はなんで出場したのかなって。彼はTJARで4連覇して、さらに次の次元として自ら決めた完全無補給での完走も成し遂げ、もうやり尽くしたと思っていたからです。

しかも優勝候補と目されていた土井陵君の出場も決まっていた。実績も勢いもある土井君が出場すれば、おそらく負け戦になるのに、なんで出場したのか僕にはわかりませんでした。無補給のように自分なりのテーマを掲げてのチャレンジでなく、みんなと同じ土俵での勝負だったし、厳しいレースになることは最初からわかっていたから。

普通、これくらい勝ち抜いてきた選手だったら、言い方は悪いけれど “勝ち逃げ” するんですよ、もう出場せずにね。そうすれば “絶対王者” のままでいられるわけだから。それなのに彼は出場した。

レース中の彼を見て感じたのは、彼自身も悩みながら出場したのだということ。そんなことを考えながら南アルプスで彼を撮影していたら、彼の方から僕に質問してきたんです。僕は望月君が初優勝する前にTJARで二連覇していて、その後は選手としての出場はやめて、実行委員として運営側に回りました。「それはどういう決断だったんですか?」と彼は聞いてきたんです。

ーーーそこは私も知りたいところです。

正人:初めて出場するときは誰でも未知の挑戦じゃないですか。南アルプスに入ったら自分はどうなっちゃうんだろうとか思いながら走り続ける。でも2回目になると何が起こるかだいたいわかるんです。このあたりで辛くなるなとか全部わかってしまう。TJARは心身ともにすごく辛いレースだから、あんな辛いことが最初から想定できてしまったら、もうやりたくない。僕はそうでした。

それはもう挑戦じゃないと思ったし、辛いことを長く続けるのも嫌だった。でもこの舞台には多くの感動があるから、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思って実行委員になった、と彼に話しました。

アスリートがトップの座を手放すということ

正人:それから望月君に「こんな辛いことよくやるね。なんで出ているの?」と尋ねました。彼と話してわかったのは、”絶対王者” というプレッシャーから解放されたかったのだということ。解放されたいというか、むしろ彼自身がそこにこだわってしまっていたのかな。だから、自分の中で整理をするために出場したのだとわかったんです。

それがわかったとき、彼のヘルメットに書いてあった「I’m back」という言葉が理解できた。正々堂々と負けるために出てきたということが理解できて、彼と気持ちが通じ合ったというかね、そういう感じでした。

ーーーあえて堂々と負けるために出場するという心境は、逆を言えば、勝って当たり前と思われているアスリートにしか味わえない境地でもあります。そういう意味では、山岳マラソンでも数々のチャンピオンに輝いてきた正人さんだからこそ真の意味で理解できたことなのかもしれません。

正人:たしかに、彼の心情について理解してくれる人はなかなかいなかったみたいですね。僕自身は解けなかった疑問が解けたという感覚でした。

2022年トランス・ジャパン・アルプス・レースでの望月将悟選手 (写真:武部努龍)


ーーー正人さんご自身はキャプテンの座を離れるにあたって、寂しさみたいなものはなかったのでしょうか。

正人:それがまったくないんです(笑)。「これは僕のチームだ」とこだわり続ける気持ちも全然ないし、そういう価値観を一切持っていなくて。普通の人はあるのかな?

ーーーおそらく多くの人が、何かのポジションを手放すときには一抹の寂さや感慨を抱くと思います。

正人:そうか、でももちろんチームへの愛着はありますよ。そういう意味でいえば、僕と望月君は違うんです。TJARについても、僕は連覇にまったくこだわりがなくて、パッと身を引けた。まあ当時の大会はいまのような注目度ではなかったけどね。僕の場合は、新しい観点が生まれるとすぐにそちらに向いてしまうタイプなんです。

キャプテンが代わっても、スピリットは受け継いでほしい

正人:寂しさはまったくないんだけれど、一方で僕がキャプテンでなくなっても、イーストウインドらしい戦い方はして欲しいという思いはあります。

たとえば昨年9月のパラグアイ大会では、メンバーの米元瑛君がレース開始直後に体調不良になり、残った3人のメンバーでレースを続けることになったんです。米元君が離脱したあと、3人でどうするか話し合ったらしいんだけど、僕は当然、続けろと言いました。続ける以外ありえない。

かつ、ただ消化試合的に続けるのではなくて、何か爪痕を残せと。そうしなければやっている意味がないだろうと言いました。アドベンチャーレースではトラブルが起きるのが当たり前で、起きた後に何ができるかが勝負です。米元君の離脱はチームに与えられた課題なわけで、それにどう取り組むかが大事。「レースが終わっちゃった」と思うのではなく「自分たちに与えられた試練だ」と前向きに捉えて、チャレンジ精神を失わずに突き進んでほしい。それがもっとも大事なことだし、イーストウインドは常にそのスピリットを体現するチームであってほしいと思っています。

新しいチームは女性陣が頼もしいところがいいんですよ。陽希に対してもはっきり意見を述べてくれるから、陽希はこれからまだまだ成長していくと思います。

2022年9月のパラグアイ大会。メンバーの体調不良をどう乗り越えていくか (写真提供:イーストウインドプロダクション)


ーーー新生イーストウインドに期待することは?

正人:アドベンチャーレースは人が成長できる場だし、それに挑戦し続ける姿を見せることで、たくさんの人が共感したり感動したりしてくれる。だからこそ、真剣に取り組まないと僕らの存在意義はありません。真剣にやらないのなら、プロでなくアマチュアでやるべきだから。スポンサーさんから支援を受けて活動する以上、そういう意識で取り組んでもらいたいと思います。

僕なんて何もないところから始めたんですよ。アドベンチャーレースなんて誰も知らない頃に、勝手にプロアドベンチャーレーサーと名乗り、スポンサー活動を始めました。はじめは箸にも棒にも掛からない状況だったけれど、白石康次郎君の助けもあって、だんだん企業が支援してくれるようになった。

それでも最初はものすごく罪悪感があったんです。人のお金を使って好きなことをやっているし、超マイナースポーツだからスポンサーさんにメリットもない。会社へ挨拶に行くと、社員の人たちが一生懸命働いていて、その人たちが稼いだお金を僕らが使うことに大きな罪悪感がありました。2〜3年は悶々としていましたね。

ーーー悶々とした気持ちをどう解決したのですか。

正人:僕が出した結論は、「自分が経験させてもらったことを社会に還元していこう」でした。それが自分たちの存在意義だと思ったのです。真剣に競技に取り組めば、それだけ自分たちも得るものが大きくなって、きちんとしたアウトプットができる。スポンサー活動で苦労した経験があるから、そういう意識になったわけで、そこは他のメンバーとギャップがあるかもしれないですね。

新キャプテンのデビュー戦、2022年5月「エクスペディション・オレゴン」でのフィニッシュ(写真提供:イーストウインドプロダクション)



ーーー正人さんにとってイーストウインドはどういう存在ですか?

正人:アドベンチャーレースのスピリットを体現するチーム。究極に目指しているのは、すべてのメンバーが成長できる場であること。そして、活動の様子を多くの人に見てもらえるチームであること。そこはキャプテンを陽希に譲っても変わりません。

プロであるからには自分に厳しくなくてはならないし、ぬるい戦い方ではダメなんです。戦い方は変わっても「やっぱりイーストウインドはすごいな」と思われるレースをして欲しい。

そのためにも僕はチーム環境が発展的によくなるように、メンバーの生活基盤となる事業を形にしたい。人からよく「何をして食べているんですか?」と聞かれるんだけれど、いま僕はメインの仕事がないんです。来月はいくら稼げるかもわからない状態をずっと続けてきました。自分たち家族だけならそれでもいいけれど、開業して人を雇うとなれば安定した仕事をつくらなければいけない。それは僕の課題といえば課題です。

夫婦二人三脚で歩めたことは奇跡

ここからは妻の靖恵さんにも加わっていただき話を進めたい。靖恵さんが働くみなかみ駅前「そば処 くぼ田」にお邪魔した。

チームを支えてきた妻の竹内靖恵さん。長年メンバーからは姉のように、母のように慕われている


ーーー1〜2年前「これからは働かない!」と正人さんがSNSで宣言されていたのを記憶しています。もちろん、冗談だと思っていたのですが。

靖恵:ありましたね、そんなことが。

正人:それはほんとですよ(笑)。単に収入を得るためだけに働くことは僕にはできないから、ワクワクすることを事業に繋げていく。測量と林業以外にもやりたいことがあって、もう方向性は固まっているんです。たとえば冒険キャンプや体験イベント、講習会などの場づくりをしていきたい。参加する人も学べて楽しいし、僕らも持っている技術を通してお金を得ることができるから。

実は今年の秋に「WILD QUEST」というイベントを計画しています。アウトドアにおける〝男のロマン” てあるじゃないですか。薪割りをして火をおこしてみたいとか、チェンソーで木を伐倒してみたいとか、銃で獲物を仕留めて丸焼きにして食べてみたいとか。そんなワクワクする男のロマンを実践していくイベントです。

ーーー自然のなかでの生きる力が身に付きそうですね。

正人:専門家を招いて、ノウハウや背景も教えてもらえば教養も身につくし、自分たちも楽しめる。ほかにも釣りとかナイフの世界とか、やりたいことはたくさんあるよね。


ーーー靖恵さんはこの転換期をどう捉えておられますか?

靖恵:タイミング的にはよかったと思います。はっきりいつとは聞いていなかったけれど、やがてはキャプテンを交代すると思っていましたから。私自身は寂しいという感情より、少し達観している感じです。

これからの陽希がどう変化していくのか楽しみです。テレビを通して有名人になってしまったから、いろいろ大変なこともあるかもしれませんけど。

正人:陽希はこの2〜3年がいちばん辛い時期かもしれないな。でも新しいメンバーと切磋琢磨しながら世界を目指すことで変わっていくと思う。彼にとって、人生観がひっくり返るくらいの変化が起こるんじゃないかと想像しています。

グレートトラバースの挑戦を通して、社会的な評価を得ることはできたと思うんですよ。陽希にとってそれはひとつの目標でもあったのかもしれないけど、あくまで他者からの評価に過ぎない。上を見たら、いくらでも上は存在するわけだから、最終的には自分で自分を認めることができなければキリがないんです。そのあたり、まだ悩むことはあるかもしれないと思います。

靖恵:陽希はSNSなどから聞こえてくる声をとても気にする繊細さを持つんですけど、そこで聞こえてくる言葉はある意味、責任のない言葉なわけですよね。本当にチームのことを考えて発せられた言葉とは限らない。そういう言葉に揺れないで、どしっと構えてくれたらいいなと思います。母心ですかね。

ーーーイーストウインドは初期の頃から靖恵さんがディレクター&プロデューサーとしてチーム運営やスポンサー活動を支え、ご夫婦二人三脚で進んでこられました。

正人:それは僕にとっても奇跡だと思っています。イーストウインドの運営を夫婦でできたことはね。なかなかこういう状況にはならないと思うから。

靖恵:ここ、ちゃんと書いてくださいね(笑)。私はこれまでチームのみんな一人ひとりをキラキラさせたくて、仕事をしてきました。その想いはこれからも変わらないと思います。

正人:新生イーストウインドになっても、イーストウインドの理念は変わらない。つまりは「爪痕を残すこと」なんです。そのスピリットを伝えていくのが、僕らの務めだと思っています。

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キャプテンを辞してもなお、田中正人はブレていない。話を伺う度に感じるのは「アドベンチャーレースのためなら多少のことは厭わない」という確固たる姿勢だ。

たとえば、メディアから少々強引なリクエストを受けることもあると思うが(コンテンツとして面白く見せるために)、そもそもの覚悟が違うのか、アスリートとしてのプライドの置き所が違うのか、ほとんど動揺を見せることはない。そしてこれほどのレジェンドであるにも関わらず、おごることなく好奇心を携え、新しいことを学んで自分を更新していく。

おそらく田中正人にとってはアスリートとしての自らの存在以上に、アドベンチャーレースの存在そのものが最優先事項なのだろう。お腹がいっぱいになるほど自己愛に溢れた現代社会にあって、その視点はアスリートとしては希有なもののように思える。

そんな父の姿は、娘の徳さんの眼にどう映っているのだろうか。いつか聞いてみたい。そういえば、田中家にはまた別の夢があるという。その話もいつかまた。



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撮影:藤巻翔
インタビュー&文:千葉弓子
写真協力:イーストウインドプロダクション、武部努龍