感謝の気持ちとともに走る
11月最後の日曜日、『身延山 七面山 修行走』が開催された。
大会の舞台となる身延山久遠寺は日蓮宗の総本山。広大な敷地を有する身延山は身延町と早川町を含むことから、2つの町が協力して大会を進めている。
昨年は紅葉が見頃だった町も、今年は初冬の趣き。ひんやりとした風が頬をさす。
麓の門前町には宿坊や旅館が建ち並ぶ。
選手たちの多くはここに宿泊し、心づくしのもてなしを受ける。夜はスタート会場で、前夜祭が開催された。山梨名物のほうとうが振る舞われる中、地元の日本酒やワインを楽しみ、気に入った銘柄をお土産に買い求めたり、『修行走』と記されたオリジナルの熊鈴を手に取ったりする人もいた。
ステージでは注目選手が紹介され、本大会のアドバイザーを務める石川弘樹さんが大会への抱負や日頃の練習方法などを質問し、それぞれの選手の個性を引き出した。
途中、石川さんがかねてから袖を通してみたかったという身延山の半纏をまとう一幕もあった。
登っては下る、修行の道
当日は快晴。 ロングコースは7時40分スタート、続く9時15分にショートコースがスタートする。
会場ではスタート前、僧侶の方々によって選手の安全へのご祈祷が行われた。日々の暮らしが平穏だからこそ、こうしてスタートラインに立てる。感謝の気持ちとともに、号砲を待つ。
ロングの『七面昇龍コース』は門前町を出発し、奥之院思親閣(1153m)、七面山敬慎院(1714m)、感井坊(992m)という3つのピークを越える。
『修行走』の名に違わず、36kmという距離のイメージよりも、実際はずっと厳しい道のりだ。
かつてこの道は『身延往還』と呼ばれ、数日をかけて参拝する信仰の道として賑わった。その道のりを、制限時間の8時間以内で走破する。選手たちは一人ひとり「修行」の意味を心と体で汲み取っていくのだろう。あるいは、何かを心身から洗い落とす。
苦しい表情の中にも、時折、清々しい笑顔が垣間見られるのは、身延という神聖な場所の力によるのかもしれない。一年を振り返り、いまこの瞬間の自分自身と向き合う貴重な時間だ。
富士山は頑張った選手への贈り物
男子の優勝者は、今年さまざまな大会で好成績を残した大瀬和文選手。朗らかなかけ声とともに、七面山山頂から裏参道を駆け下りてきた。
女子の優勝者は、2015年秋の日本山岳耐久レースで女子3位に入賞した高村貴子選手。旭川医科大学4年生の高村さんは、大学のスキー部でアルペンとクロスカントリーの複合に取り組んでいる。圧倒的な速さと強さを見せた。
大会終了後、高村選手に『修行走』の印象をうかがった。
—–初めて参加してみて、いかがでしたか。
高村:『修行走』への参加は、スキー部のOBである先生(第一回大会に参加)から勧められたことがきっかけでした。私は山の急斜面を駆け上るのが好きなのですが、今回のコースでは七面山を登り切った後に見た富士山の景色が素晴らしく、走った者への贈り物と感じた瞬間でした。カメラで撮影できなかったことが少し残念でした。
—–大会の雰囲気は、存分に楽しまれましたか。
高村:和菓子が好きなのでエイドで『身延羊羹』を見つけて、思わず「やったー」と嬉しくなり、おいしくいただきました。辛くて心が折れそうになった時には、山の上にいらしたお坊さんが、集落近くや登りの途中では地元の方たちの応援が温かかったのが印象的でした。
—–この大会が2015年を締めくくるトレイルレースだとうかがいました。高村さんにとって、トレイルランの魅力とはどんなところにありますか?
高村:自然豊かなトレイルを走り始めると、何もかも忘れて無心でゴールを目指しています。地図を眺め、このコースはどう走るのかと考えながら、私なりにできるすべてのことを試し、挑戦してきました。時には心が折れそうになることもありますが、ゴールしたときの達成感や爽快感がトレイルランの魅力だと感じています。
まだはじめて2年少しですが、奥深いトレイルランの世界にもっともっと挑戦し、世界大会も視野に入れてチャレンジしていきたいと思っています。
—–スキー競技とトレイルラン、その関連性についてどのように捉えていらっしゃいますか。
高村:競技スキー部に入り、冬のスキー競技を行っていますが、夏季はどうしても怠けがちです。そこでトレーニングを楽しいものにしたいという思いから、トレイルランを始めました。トレイルランを始めたことで、一年を通して質の高いトレーニングでできるようになり、体力強化にもなって、いずれの競技もよい結果に繋がっていると感じています。
一朝一夕では決して生まれない空気
この大会から発せられる一体感はどこから生まれてくるのだろう。ボランティアスタッフは山梨県内のみならず、県外からも参加しているというが、それでも大会全体、コース一帯を包む雰囲気は独特のものだ。いたるところで、この地を訪れた人への温かな眼差し、もてなしの心を感じずにはいられない。初めて訪れた人でもおそらく、何ともいえない安心感に包まれることだろう。
町や地元の方たちが醸し出すこうした空気は、決してこの日のために急ごしらえしたものではない。聖地としての長い歴史の中で脈々と培われてきたものだと思う。 だからこそ「大会」という名称を抱きながらも、レース以上の意味を持つ。
宗教的な歴史を有する土地は数多くあるが、ここ身延山では仏教という存在が “いま” を生きており、さらに町の人々の暮らしに深く浸透しているのを誰でも肌で感じることができる。決して閉じられた世界でなく、来訪者を受け入れ続けてきた大きな包容力がある。
今回初めて、七面山の裏参道を訪れてみた。普段この道を利用する人は少ないため、途中にある坊は通常は閉まっている。この日、そのひとつでは、身延山で強力を務める男性たちが竈に火を入れ、選手たちにお茶をふるまっていた。歩いて参詣することが難しい信者さんを駕籠に乗せ、4人から6人で担いで七面山を登る役割を担っているのだという。
麓の角瀬ではゴジラとキングコングの着ぐるみが、長い下りを終えてエイドにたどり着いた選手たちをハグで迎えている。聞けば、中に入っているのは僧侶だ。この大らかさも『修行走』ならではのもの。
かつて賑わいを見せた赤沢宿は、情緒溢れる坂道が続くエリア。一帯は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。最後の登りを終え、さらに下って、選手たちは門前町のゴールへと戻ってくる。
大会の立案者であり、実行委員会副委員長である小松祐嗣さんには以前、『山物語を紡ぐ人びと vol.14』にご登場いただいた。取材では敬慎院で筆頭執事を務めている姿を拝見したが、この日は大会を切り盛りする立場だ。
—–第3回目の開催はいかがでしたか。
小松:本年度から事務局が変わり、すべてを実行委員メンバーで受け持つ体制へと変わりました。そのため、どうしても一人ひとりの仕事量が増えて、負担が大きくならざるを得なかったのです。これは第一回目からのことなのですが、毎回、反省ばかり。もっとあんなことができたのではという気持ちが残ります。選手の皆さんの笑顔に救われています。
—–今回も温かな空気に包まれていました。これからこの大会が目指すところをお聞かせください。
小松:『修行走』のコースは、かつて身延山参詣で多くの信者さんたちが歩いた『身延往還』コースです。ここは長い登りと長い下りしかなく、全体的で見ても林道やロードがメインです。シングルトラックや100%トレイルを謳っている大会とは全く別ものといってもいいでしょう。だからこそ、『身延往還』の歴史や仏教文化、身延や早川、赤沢集落といった町独特の色を前面に出して、唯一無二の大会に育てていきたいと思っています。
【思親報恩コース13km】
・男子
1位 細野松宏(神奈川県)1:04:44
2位 斉藤太一(東京都)1:04:49
3位 梅沢 孟(茨城県)1:10:34
・女子
1位 池田美穂(東京都)1:36:21
2位 平野弘美(静岡県)1:37:56
3位 丹羽なほこ(岐阜県)1:39:01
【七面昇龍コース36km】
・男子
1位 大瀬和文(東京都)3:56:35
2位 小川壮太(山梨県)3:58:42
3位 牧野公則(山梨県)4:04:53
・女子
1位 高村貴子(北海道)4:40:53
2位 大石由美子(静岡県)5:00:07
3位 丹羽 薫(京都府)5:02:36
写真:小関信平(「身延山七面山修行走」実行委員会提供)
文:千葉弓子