『山物語を紡ぐ人びと』vol.30〜 稲垣泰斗さん(救急医)

トレイルランレースの救護体制を確立するために 

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めったに起こらないことと思いがちだが、実際にはここ1〜2年、いくつかの緊急事案がトレイルランレース中に発生している。

アウトドアにおける救急医療は、一般的な救急医療とは異なる。自然の中と街中でもっとも違う点は、現場から病院までの搬送時間だ。日本の救急車は街中では平均8分半ほどで到着し、搬送にかかる時間は平均40分弱といわれている。しかし、山中で何か起きたときには、搬送までにもっと時間がかかってしまう。

この分野は北米がもっとも進んでいて、日本はまだまだ発展途上のなかにある。専門分野としての認知度も決して高いとはいえず、明確なシステムも確立されていない。

そんなアウトドアの救急医療に、人生をかけて取り組もうとしている人がいる。それが今回ご紹介する稲垣泰斗さんだ。とりわけ、トレイルランレースにおける救護システムの構築に力を注いでいる。

私が稲垣さんの活動を知ったのは2年ほど前、『信越五岳トレイルランレース』でのことだ。稲垣さんはそれ以前から『北丹沢12時間山岳耐久レース』『陣馬山トレイルレース』『東丹沢宮ヶ瀬トレイルレース』といった相模原エリアの大会をはじめ、『伊豆トレイルジャーニー』『奥三河パワートレイル』などの救急医療チームをとりまとめてきた。

自身もトレイルラン愛好者で、国内レースのみならず、モンブランを舞台にした『UTMB』やハワイで開催される『HURT』、最近ではニュージーランドの『Tarawara Ultramarathon』で100マイルを完走している。

医療に従事する仲間たちとトレイルランチームを結成し、そのメンバーの多くが稲垣さんとともにレースの救護現場を支えている。 

いま、トレイルランの大会で足りないものは何なのか。日本のアウトドアにおける救急医療は、これからどんな道を歩むのか。

稲垣さんの想いをじっくりと伺った。

 

高校時代は登山とキャンプ

稲垣さんは昨年まで、母校である北里大学の付属病院で常勤の救急医として働いていた。2019年秋からは非常勤に転じ、愛知県豊田市にあるご実家の医院をはじめとする3つの病院を掛け持ちで診ている。

フリーランスになった理由のひとつは、国内トレイルランレース、そしてアウトドアにおける救急医療について、もっと追求する時間が欲しかったからだ。

医院のすぐ隣が自宅だったことから、子どもの頃から医療に近い場所で暮らしていたといえる。ただ、医師になることを自ら意識したのは高校生になってからのことだ。小中学校はサッカーに明け暮れ、高校に入学してからは、中学の同級生5人と登山にのめり込んだ。三河湾の五井山や宮路山、本宮山や鈴鹿山脈にでかけ、時にはキャンプをした。高校時代の後半には残雪期の山や北アルプスにも足を伸ばした。

「月に一回は山に行っていましたね。学校が終わるとショッピングモールのフードコートに集まって、次の山行の計画を練るんです。ボーイスカウトに所属している友人がいて、山のことをよく知っていたので、そこそこハードな山行をしていました。16歳から登山を始めましたから、山歴は20年以上になります」 

北里大学に進学後はアメフト部に所属。トレーニングを重ねるうちに筋肉量も増え、一時期はいまより10キロも体重が重かったという。 

医学部での6年を終えると、2年間の初期臨床研修が待っている。その期間に、稲垣さんは救急医になることを決めた。その裏には、少しだけドラマティックなエピソードがあった。

 

自分はどういう医師になりたいのか

「初期臨床研修2年の途中までは内科医になるつもりでいました。そんなとき、たまたま目の前で倒れた人を助けるという経験をしたんです」 

ある日、遅刻して病院に到着し慌てていたところ、エスカレーターで目の前に立っていた来院者がいきなり倒れ、意識を失った。稲垣さんはすぐにストレッチャーでその患者を処置室に運んだ。

「遅刻していたので私服のままでしたから、最初、看護師さんたちは僕をその方のご家族だと思ったようなんです。ちょっと戸惑ったような空気で……。でも准教授と二人で処置をしていたら、途中から『あっ、この人は医師なんだ』と気づいてくれて。まだ医者になりたての頃ですから、その経験がとても強く心に残りました」

研修医になった途端、稲垣さんの心には医師としての大きな責任感が芽生えていた。その矢先の出来事だった。

さらに、偶然は続く。別のある日、新幹線のなかで「車内にお医者さまはおられませんか?」というアナウンスが流れてくる。ドラマでは見る光景だが、実際にはそう頻繁に起こることではない。

「緊急を要する事態に何度も直面したことで、自分の深層心理に深く影響していったのだと思うんです。こういう状況で的確な対処をできるのが、医師なんじゃないかと。それである日突然、自分は救急医になるんだ、と決めました」

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偶然の重なりが導いた未来。当初、救急医の仕事は2〜3年くらいだろうと考えていた。

「咄嗟に体が動くようになるまでのつもりでいました。まぁ、生意気ですよね(笑)。救急医って、通常でも2〜3年で入れ替わることが多いので、僕もそのつもりだったんです」

そして、後期研修医となった3年目の年、救急医として必要と思われる基本的な知識や技術を身につけるために一年間だけ北里大学病院から離れ、他の病院で循環器内科、消化器内科、脳神経外科、神経内科などを経験した。

救命救急センターを設置する病院は一次から三次までに分けられており、北里大学は三次救急医療機関に該当する。

「簡単に説明すると、一次は歩いて来院できるレベル、二次は救急車で運ばれて入院するレベル、三次は二次で手に負えない命に関わるレベルの患者さんが主に運ばれてきます。後期研修3年目のときには、一次や二次の医療機関での経験を積みました」 

そして4年目、稲垣さんは北里大学で救命救急センターの医師となる。

 

気がつけばトレイルランにのめりこんでいた

 医者としての毎日にランニングが入り始めたのは、2008年のことだ。

 「初期研修2年目のとき、地域研修として沖縄県竹富島の診療所で一ヶ月働いたんですね。旅行者以上、住民未満のような暮らしでした」

診療所の先生がマラソン愛好者で、よくランニングの話をしていた。それがきっかけとなって、稲垣さんも夕方になると、集落にある一周3.3kmほどの外周道路を走るようになる。

美しい海と空に囲まれた島でのジョギングがランニングライフの始まりというのは、なんとも羨ましい環境だ。その頃、山のアクティビティとしてトレイルランが注目され始め、ファストパッキングという言葉も浸透し出していた。

「山を走るスポーツがあるんだ、と思いました。ランニングとほぼ同時期に登山も復活していたんですね。それで下りでちょっと走ってみたら、すごく早く移動できるわけですよ。いままでなら二泊三日で縦走していたルートも、走れば日帰りで行けるということに気づいて、一気にトレイルランにはまっていきました」

hotaka1hurt2上)上州武尊スカイビュートレイル 下)ハワイの100マイルレースHURT

登山ばかりしていた高校時代より、ギアが格段に進化し、軽量化していたことも心を山に向かわせた。病院内にランニング仲間がいたことから、みんなでトレイルランチーム「KsotaiQ」を結成。楽しみながら、レースに出場するようになる。

「うちのチームはとくに女子が強いんですよ。ローカルレースで表彰台に上がるくらいの実力派揃いです(笑)」

通勤ランで地足をつくり、週末にロング走したり、平日の休みに山に出かけたり。出場するレースも30kmから、気がつけば100km、100マイルへと距離が伸びていった。 

趣味だったトレイルランで救護体制に関わるようになったのも、大きなきっかけがあった。

20190428-utmf320190901-utmb1上)2019年UTMFにて。大会は家族旅行も兼ねている。小児科医の妻・瞳さんは大学時代の同級生。「僕の活動をものすごく理解してくれています」/ 写真:奥山賢治  下)UTMBでは家族揃って感動のゴール!/ 写真:若岡拓也

 

街と山では、救護の視点がまったく違う

北里大学は神奈川県相模原市にある。地元では毎年7月第一週の日曜日に『北丹沢12時間山岳耐久レース(キタタン)』が開催されていた。ある猛暑の年、キタタンに出場していたランナー2名が急患として運ばれてくる。

「僕は当直でした。そこにレースで熱中症になり、重症となった二人の選手がヘリで運ばれてきて、主治医として診察することになりました。一名は数日で退院できたのですが、もう一名は症状が重くて、3週間くらい入院したんです」

実は年齢に関係なく、熱中症で亡くなる人は多い。熱中症の重篤化というと、体温調整機能が鈍くなる高齢者をイメージしがちだが、実際にはスポーツをする若い世代も少なくないという。 

このとき運ばれてきた選手は当初、意識がなかったが、処置をしている間に徐々に意識を回復していった。

「熱中症の症状は日本独自の基準でⅠからⅢまでレベルが定められているのですが、この方はⅢでした。このレベルになると、熱によってさまざまな臓器に障害が出始めます。意識障害というのは、脳という臓器が障害を受けているということになります。多臓器不全が続くと、回復にも時間がかかってしまいます」 

たとえば腎臓がダメージを受ければ腎不全になり、人によっては透析を受けなければならないこともある。肝臓がやられれば肝不全になり、大量の輸血が必要になることもある。重度の熱中症によって意識が戻らない人はたくさんいるのだ。

「メディアが熱中症に対する注意を促したので年々、罹患者は減る傾向にはありますけれど、ここ数年また猛暑が続いていますよね。トレイルランレースは特殊な環境下で、身体を追い込みますから、僕らは注意しています」

この事案がきっかけとなって、北里大学が相模原エリアの4大会の救護をサポートすることになった。

とはいうものの、この頃はトレイルランレースにおける救護の方法も手探りだった。最適な救護システムをどのように作り上げたらよいかわからず、マラソン大会の救護を参考にするなどして、少しずつ対応策を練っていった。

よくニュースでも取り上げられるが、ロードマラソンでランナーが心肺停止などを起こした場合、AEDを積んだ自転車で併走するマーシャル(コース上スタッフ)が処置をしたり、エイドや近隣の建物のAEDを活用したりして助かるケースが多い。ところが山ではこうした救急システムは機能しない。トレイルでは自転車は併走できないし、重量のあるAEDを背負ってのマーシャルの併走は現実的ではない。街とは違って、隔絶された状況といえるのだ。

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sfmt19_03661)2019年『信越五岳トレイルランレース』での救護チーム。レース開始前、大会本部で全体の動きを確認する。2)救護マニュアルとマップ 3)大先輩であり、この分野のパイオニアともいえる福田六花医師(右)も応援に駆けつけた 

「僕自身、仲間をこの活動に巻き込むからには、きちんとした体制をつくらなければいけないと思ったのです。そうしないと医療従事者である僕らのリスクが非常に高くなってしまうから。始めた当初は、ここまで自分がこの分野にのめり込むとは思っていなかったんですけれど、徐々に、これは大変な世界に足を踏み入れてしまったんだなと気づきました」

レースでの救護活動は2020年で7年目を迎えるが、まだまだ日進月歩だという。

「トレイルラン愛好者の裾野が広がってきているんですよね。それによって、ランナーの安全に対する意識にも変化が起きている気がします」

 

仲間を増やすためには、正当な対価も必要だと

稲垣さんの活動が口コミで広がり、いつしか大会からの依頼が増えていく。現在、救護チームには30名ほどが関わっており、コアで活動しているのはそのうちの15名ほど。医師、看護師、消防士などで構成され、ほとんどがトレイルランナーだ。

すこし踏み込んだことを聞いてみた。稲垣さんがチームを率いて行う救護活動に対して、大会から正当なフィーは支払われているのだろうか。つまり、これは仕事として受けているのだろうか。

「大会によるのですが、ある程度の活動費はいただいています。ただ費用対効果としては、マイナスといえますね。たとえば同じ時間どこかの病院で働いたとしたら、まったく金額は違うわけですから。だからあくまで僕らは非営利な活動なんです。それでも医療のプロとして働くので、ボランティアにしては責任が重すぎる。医療従事者というのは、社会的に求められるレベルが高いので、ボランティアだからといって、何かあったときに責任が発生しないかというとそういうわけにはいかない。そういう意味では、活動内容と責任の大きさに対して、正当な対価が払われるべきだとは感じています」

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もともと「トレイルランレースの救護をなんとかしたい」という情熱が発露となって、この活動を始めた。だからこそ、稲垣さんのなかでもさまざまな葛藤がある。

「救護に対する理解を広めるためには、トレイルランレースに適合させた救護システムの構築が急務なんです。そして、仲間を増やすためには、正当なフィーも必要になってくるでしょう。これまでトレイルランレースでの事故は少ないので、そこにお金をかけるくらいなら救護体制は必要ないよと考えている大会主催者もまだまだいるのが実情です」

仕事は大会当日だけではない。数ヶ月前から主催者と話し合い、コースの特徴を理解した上で人員配置などを決めていく。

「かつてのトレイルランレースでは、会場のどこかに医師が待機していれば安全という意識があったように思います。トレイル上で起こった問題に対してどう対処するかというワークフローについても検討されていませんでした」

その時代はあくまで街での救護システムが下敷きになっていたからだ。稲垣さんはトレイルランレースにおけるモデルケースをつくろうとしている。

「誰かが考えなければいけないことだとしたら、それは救急医の仕事だと思うからです。都市型スポーツやイベントなどの救急医療については、マスギャザリングという分野がすでに確立されていますし、登山分野にもついても同様です。でもアウトドアでのレースとなると、違ってくる。アウトドアは基本的に自己責任の意識が高いので、これまでは議論されてこなかったのかもしれませんね。愛好者の広がりによって、必要性が高まってきたのだとも思います」

一方で稲垣さんは、何もかも”安全“という言葉でがんじがらめにしてしまうのは、違うという。

アウトドアスポーツの魅力には「不確定要素」も含まれるからだ。 

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_H8R9104上)週に二日は相模湖の病院に勤務。病院のすぐ裏にトレイルヘッドがあるため、昼休みに1時間ほど走ることも。ザックには常にウェアと地図を入れている 下)愛車の荷台には救急医療の用具が準備されていた

 

これからますます、市民のファーストエイドレベルは上がる 

今年はオリンピックイヤー。都市型スポーツやイベントなど不特定多数が集まるマスギャザリングの救急医療では、選手や参加者だけでなく、それ以外の人たちの救護についてもワークフローが構築されている。多数の患者が出た際に手当の緊急度によって優先順位をつける「トリアージ」の存在も、いまでは広く知られるようになった。

一般市民が緊急時に行う「ファーストエイド」という言葉も、だいぶ浸透してきたといえるだろう。 

「かつてに比べてAEDを使える人も格段に増えましたよね。その背景には一般市民に対する心肺蘇生法教育の充実があると思います」 

トレイルランナーの中には消防署で行われる救命講習や、アウトドアにおけるファーストエイドの講習をイベントなどで受けたことがある人もいるだろう。 

いまこの分野はさらに進化していて、近い将来には、心肺蘇生法以上のファーストエイドを一般市民が学ぶようになっていくらしい。 

稲垣さんが医療アドバイザーとして携わる野外救命法の普及団体「ウェルダネスメディカルアソシエイツジャパン(WMAJ)」も、そうした組織のひとつだ。1981年に北米で生まれたこの教育システムは、土地や自然が広大で、救急車の到着に時間がかかるアメリカの環境が背景となっている。

WMAのシステムが日本に導入されて10年、いまでは山岳ガイドをはじめとするアウトドアガイドの間でも広く普及している。いくつかのコースがあり、最も専門的なコースでは80時間の受講を必要とする。

稲垣さんも、もともとはWMAの受講者だった。

「医師向けコースは一年に一回しか開催されないため、最初は一般向けのアドバンスコースを受けたんです。合宿形式で三泊四日、40時間の講義でした。受講生には、すでに活躍している山岳ガイドやシーカヤックガイドなどアウトドアを生業とする人たちがいました。そうした本来は医療従事者でない人たちが、40時間の受講でどんどん変わり、スキルアップしていくのを見て、このシステムはすごいなと驚いたんです」

受講前は稲垣さんも、野外災害救急法に対して「緊急時に持っている道具でなんとかするのだろう」といったイメージを持っていたが、実際には救急医療で行っている技術に近かったという。

生理学の観点から体を捉え、目の前の状況でどう命を効率的に助けることができるかを一般市民が習得できるレベルにまで落とし込んだカリキュラムだった。

トレイルランレースでの救護体制に携わるようになってすぐにWMAに出会ったことで、稲垣さんの中で明確なビジョンが立ち上がっていく。

 

救護を体系化し、共有できるように

トレイルランレースの救護で、いまとくに意識していることはどんなことだろう? 

「何か起こった際、現場までのアプローチに時間がかかることです。決定的な処置ができるのはやはり病院なんですね。そう考えると、いかに早く病院へつなげるかが重要になる。答えはコース上にあるわけです」 

エイドや大会本部に設けた救護所の充実ももちろん大事だが、一刻を争う場合、コース上でなにができるかがカギを握る。 

「たとえば医療従事者を一定間隔で併走させる、マーシャルに医療スキルを持たせる、車でのアプローチをどうするか導線を確保しておくなどにとても気を遣っています。大会からの依頼があったら、まず事前準備としてやるべきことを洗い出していきます。人をコースにどう配置するかもそのひとつです。一般のボランティアスタッフには、急病者を発見したときに何をどう情報伝達すればいいかも学んでもらいます」

いま稲垣さんが救護体制を支援している大会では、救護本部と大会本部が近い関係にあり、情報をすべて共有した上で、医療チームが必要な判断を提供したり、ときには主導したりしているという。

「僕は、大会本部と近い距離感で救護システムを構築させてもらうことができないなら、責任を持って対応することは難しいと考えています」

相模原エリアからスタートした活動が、いまでは信州や東海エリアにまで拡大している。この先、“チーム稲垣”を組織化して、全国各地にまで活動の範囲を広げていくのだろうか? 

「僕らが各地の大会に駆けつけることは、これ以上は難しいと思うんです。だから、想いをともにする仲間を増やして、活動が面として全国に広がっていけばと考えています」

トレイルランは基本的にローカルコミュニティの活動だ。“チーム稲垣”がつくったシステムを共有し、それぞれの地域のリーダーに活用してもらうのが理想だという。そのため、大会を手伝いながら救護体制を学んで地元で活かしたいという人を受け入れて、ともに活動している。昨年の信越五岳にも、九州から看護師が参加した。

「地元の山は地元の人がいちばん知っているわけですから、全国どこでも同じ顔ぶれが活動しているというのはちょっと違うかなと思うんです。どんな場所でも実践できるスタンダード=ロールモデルのようなものを僕らがつくれればよいなと」

自分たちの経験をクローズするのではなく、広く開示していく。それにより、トレイルランの救急医療は着実に底上げされていくはずだ。

「医者としてもランナーとしても、僕はたいしたことないんですよ(笑)。世の中にはすごい医師が本当にたくさんいて、そういう人たちには『稲垣は一体なにをやっているんだ?』と思われているかもしれない。でも僕は、トレイルランの救護体制に携わったことで、一気に世界が広がり始めたんですね。自分のやるべきことが見えてきたというか。人生って、面白いなと思うんです」

本当はこうしたインタビューも得意じゃない、と稲垣さんは苦笑いする。ただ、自分が話すことで共感する仲間が増えてくれたら嬉しいから、と。

「この活動は絶対にひとりではできない。だからこそ、真剣に考えてくれる人と繋がっていきたい。自分が有名になるための手段とかじゃなくて、本気でこの活動に賛同してくれる人たちとね。医療全体から考えれば、まだまだ未開発の分野だからこそ、蓄積した経験を体系化して、学問として発信していかなければとも思っています。それが自分にとってのこれからの課題ですかね」

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Photo:Takuhiro Ogawa
Interview&Text:Yumiko Chiba
Special Thanks:Shimpei Koseki /Shinetsu Five Mountains Trail Executive Committee