『山物語を紡ぐ人びと』vol.38〜西村広和 / ランナーとしての第二章をはじめたい


2023年暮れ、伊豆トレイルジャーニー/IZU TRAIL Journey(70km/静岡県)で2度目の優勝を果たした西村広和選手。実はこの1年、これまでの競技人生で経験したことがない壁にぶつかっていたという。UTMF優勝や信越五岳トレイルランニングレース2連覇、マウンテン&トレイルランニング世界選手権への2度の出場といった晴れやかな戦績から「チャンプ」の愛称で呼ばれ、多くのランナーから慕われる西村にとって、それは暗い迷いの時間でもあった。

大きなショックだった信越五岳でのリタイア

「ランナーとしての第二章が、始まったらいいなと思っているんです」

信越五岳のレースの最中、西村から思いもよらない言葉を聞いたのが、そもそもこの対話の始まりだった。2023年9月、斑尾山の麓にあるエイド「バンフ」でのことだ。

本来なら100マイルに出走しているはずの西村が、なぜか110kmレースのエイドでボランティアをしていた。猛暑のなか山から下ってきた選手たちを励まし、手早く水やコーラをコップに注いでいる。

長野県と新潟県にまたがる北信エリアで開催される信越五岳には、100マイルと110kmの2つのカテゴリーがあり、1日目夜に100マイルが、2日目朝に110kmがスタートする。前夜18時30分に100マイルをスタートした西村は、わずか33kmの「赤池」でリタイアしていた。その場に居合わせた人たちによれば、「見たことがないほどの落ち込みよう」で、「かなり弱音も吐いていた」らしい。

安定感のある走りが持ち味で、優勝候補だった西村のリタイアは、誰にとっても予想外の出来事だった。おそらく西村自身にとっても。

晩夏の日差しが強くなり始めた午前9時前、エイドに入ってくるランナーの波が一段落すると、西村は静かにいまの自分について語り始めた。そのときこぼれたのが、冒頭の言葉だ。それは、リタイアの打撃を論理的に捉えることで、自分の中で消化しようとしているようにも思えた。聞けば、怪我をきっかけに身体に不安を抱えているという。

「40代に入って、第一線じゃなくなる選手は多いじゃないですか。かつて僕が憧れた先輩たちはどう乗り越えたのかなと思って」

2022年UTMFで優勝。2位は土井稜選手、3位は万場大選手

UTMBインデックスには表れない不調の兆し

翌月、西村が暮らす滋賀県を訪ねた。京都府出身の西村は琵琶湖の近くで妻と5人の子どもたちと暮らしている。京都市消防局で隊長を務め、自宅では家事をシェアしながら家族と過ごす時間を大切にし、その合間にトレーニングを行う毎日。

「僕の場合、時間がありすぎるより、ないくらいの方がトレーニングがはかどるんです(笑)」

西村はスマホの画面を示しながら、自身のUTMBインデックス(フランスで開催される世界最大規模のレース・UTMBにより算出されるパフォーマンス評価)について説明してくれた。

「比較できる指標がほかにないのでこのインデックスを基準にいえば、決してパフォーマンスが下がっているわけじゃない。ただ自分のなかで、これから下がっていくんじゃないかという恐怖心がある。もうピークアウトしていくんじゃないかという恐れみたいなものがあります」

2008年からのレース結果が数値化されているインデックスを見ると、最初は520ポイントからスタートし、2023年10月の時点では841ポイントをマークしている。ずっと綺麗な右肩上がりだ。なぜ不安があるのだろう。

「怪我をしてから、このまま走れなくなるかもしれないという負のオーラを纏ってしまっているんですよ。不安がいつも隣にあるんです」

近年は年間10本のレースに出場していて、自身でも「少し出すぎかもしれない」と感じていた。この日の少し前、韓国済州島で開催された「TransJeju by UTMB」では総合5位に入賞し、久しぶりに納得のいく走りができたという。

それでも、心に落ちた陰は拭いきれない。


初チャレンジしたUTMBでの故障

最初の不調は、2022年8月のUTMB(100マイル/フランス)でレース中に発症した後脛骨筋腱炎だった。痛みで後半の山はほぼ歩いてゴールする。帰国後、病院で診断を受け、「軽くなら走っても構わない」と許可を得たあと様子を見ていた。11月にタイで開催されたマウンテン&トレイルランニング世界選手権(ロングの部/約78km)は、脚に違和感がありつつも走り切り、21位だった。

「万全でないなかでの21位だったので、これは脚をちゃんと治したらトップ10も目指せるんじゃないかと思ったんですね」

年が明けて2023年2月、スポーツ専門医に診てもらい、初めてインソールを制作すると痛みは軽減した。3月には球磨川リバイバルトレイル(110km/熊本県)で優勝し、4月には招待選手として出場したスペインのレース「penyagolosatrails/ペニャゴロサトレイルズ」(106km)で3位に入賞する。

「不安を抱きながらも、春までは走ればそれなりに結果は出ていましたね」

スペインの大会に出走した選手のなかで、西村はランキングでいうと5番目だった。しかし「3位まで賞金が授与される」と現地で知り、レースでは追い込んだ。

「ドロップバッグが受け取れる60km地点で、後ろが迫っていたんです。ランキング1位の中国の選手が僕の2〜3分後にエイドに入ってきたので、差を縮められないように必死でした。そのあと4つか5つエイドがあったんですけど、2つパスしてゴールしました」

終わってみれば、会心の走りだった。この後に控えていた世界選手権に向けて、海外選手と闘う “レース勘” も確認できた。

「メンタル的にかなり追い込んだので、なんていうんだろう、闘志みたいなものをすべて使い果たして空っぽになったんですよ。それくらい追い込んだのに、トップ選手と1時間も差が開いている。ペースにして1キロ30秒も差がある。この現実をいったいどう埋めたらいいのだろうと想像もつかなくて。途方もない差です」

翌5月、心が空っぽのまま出場した比叡山インターナショナルトレイルラン50マイル(80km/京都府)はリタイア。脚に問題はなかったが、メンタルがついてこなかった。


世界選手権、出国2日前のトラブル

6月初旬、自身2度目となるマウンテン&トレイルランニング世界選手権(ロングの部=約86km/オーストリア)に出場するも、これがとてつもなく辛い経験となる。

西村はいつもレース前になると、地元の金勝アルプスで最終調整を行う。家からロードを4km走り、10kmほどの岩場の山を一周して、タイムや体調を確認する。出国2日前も同じように走ったところ、前腿に大きな痛みを感じ、強い疲労感に襲われた。

「あまりの痛みに帰りのロードは歩きました。その後、膝が曲がらなくなってしまったんです」

出国までの2日間はとにかくアイシングに努めた。

チームジャパンのため、せめてゴールしなければ

オーストリア到着後、チームメイトと軽く試走を行ったところ、また膝が曲がらなくなってしまう。コンディショニングトレーナーとして帯同していた鍼灸あんまマッサージ指圧師でトレイルランナーの丸山将真さんが、ケアをしてくれた。

「レースまで4日あったので、なんとかして欲しいと頼んで、いろいろ施術してもらいました。あとはサウナに行って、水風呂で交換浴を繰り返しました」

2日後、ホテルで同室だった川崎雄哉選手が「僕もゆっくり走るので」とジョギングに誘ってくれたが、1キロ6分も出せない。ようやく大会前日に1キロ4分で1km走れるようになった。

今回の世界選手権では、チームジャパンの選手派遣費用を補助するため応援Tシャツを販売し、広く支援金を集めていた。西村自身も若手選手のためにと2枚購入した。全国からの温かな声援に応えるためにも、絶対にスタートラインに立たなければならない。


レース当日、全身にテーピングを施し、走り出した。思ったよりも太腿の痛みは辛くなく、自分では「意外に速く走れている」と感じていた。普段は使わないストックも活用し、脚への衝撃緩和に努めた。

「ところが途中で、秋山穂乃果選手や高村貴子選手など女子選手に抜かされたんです。あれっ、全然スピード出ていないんだと気づいて」

エイドや沿道では、前日まで親身になって治療してくれた丸山さんが「次のエイドで待っていますから」と声をかけてくれる。泣きそうなほど、嬉しかった。

団体入賞がチームジャパンの目標だったが、吉野大和選手、近江竜之介選手が相次いでリタイアし、高村選手も後にリタイア。もう誰か一人でもリタイアしたら、団体の成績が残せない。

「せめて完走しなければと、必死でゴールを目指しました。とても勝負できる状態じゃなかった」

結果は男子81位、総合99位、日本チームの男子団体は8位。前年はアジアのロングカテゴリーのランキングで西村はトップに位置していたが、わずか半年後には東南アジアの選手に次々抜かされることになる。

「ゴールできたときは心底ほっとしました。でも、もう自分が速く走れる時代は終わったのかなと思ってしまって……」

マウンテン&トレイルランニング世界選手権2023、チームジャパンのメンバーと

あのとき信越でリタイアしなかったら、どうなっていたのか

帰国後、病院でMRI検査を受け、恥骨疲労骨折と診断される。恥骨疲労骨折はサッカー選手に多い怪我で、西村の場合、骨格と蹴り出しの動きが要因ではないかとの見立てだった。2ヶ月間、安静にしていなければならない。

ランニングを休止したことで、8月半ばには3割ほど回復したが、走力は格段に落ちている。西村の日常のトレーニングは「1キロ4分で30km」のランニングが基本。その走力に戻すため、まずは1キロ8分のペースから走り出した。

そして臨んだのが、信越五岳というわけだ。身体は6割程度の回復だったが、信越五岳の前に出場した水上マウンテンパーティー/Mizukami Mountain Party(40km/熊本県)が走り切れていたので、「信越も大丈夫だ」と甘く捉えていた。

「でも、走り始めて15kmの斑尾山の登りからおかしくなったんです。とにかく汗がすごくて。登りで小原将寿選手(大会記録で優勝)に抜かされたので、そのままついていこうと思ったら、みるみる離されて。斑尾山を下りてしばらくしたら、もう走れなくなり歩きました」

レース中はアドレナリンが出ていたためか、それほど痛みは感じなかった。なぜ、ここで走ることを止めたのだろうか。

「身体が重くて走れなくなったからです。あとから考えれば、スタートからオーバーペースでした。それに100マイルレースのための練習も積めていなかった。あのまま続けていれば、また復調して走れるようになったかもしれないんですよね。いつもならペースを緩めて、心のなかで行けるかどうか駆け引きしながら走るんですけど、このときはドーンと落ちてしまったんです。這い上がれないくらいに」

伊豆トレイルジャーニー2023にて。トップを独走する西村


16年間、楽しく走っていたらトップ選手に

京都山科で三人兄弟の末っ子として生まれた西村は、野球少年だった中学の頃に消防士を志すようになった。きっかけは、消防士が活躍する漫画『め組の大吾』に影響されてのこと。高校は柔道部に入部するも途中で廃部になり断念、大学では写真部に所属した。写真を撮り始めたのは、プロカメラマンだった父の影響もあった。

いまでも、いろいろなものから影響を受けやすく、一度は試してみる自身の性格について「いっちょかみなんですよ」と笑う。結局、本当に自分に合ったものだけが残っていく。

2002年 大学生の頃、バイクで日本一周の旅へ。「居心地がよすぎて長居してしまった」という北海道


26歳のとき、次兄からフルマラソンに誘われ走り始めた。10kmを数回走って臨んだ初フルマラソンは3時間半の想定タイムを越え、5時間かかった。ゴール後は家族に両肩を借りて、なんとか駐車場まで歩いたという。

その後、職場の仲間と山登りを始め、北アルプスや信越エリアに通うようになる。創設されたばかりの信越五岳トレイルランレースについて知り、テレビで『激走モンブラン!166km山岳レース』(NHK)を観て、トレイルランに興味を持った。2009年、志賀高原で開催された50kmのレースに初めて出場する。

「雨が降っていて、10時間くらいかかったかな。ゴールしたら表彰式が行われていて、トップと2位の選手は2秒差だと聞いたんです。僕より4時間も速くゴールした人たちが、そんなせめぎ合いをしていたことを知って、一体どんな世界なんだと思いましたね」

2010年トレイルランを始めて間もない頃。地元の鶏冠山にて
2011年立山連峰の剱御前。この頃よく仲間と登山に出かけた


意外にも、最初からメジャーレースで頻繁に表彰台に立っていたわけではないという。2012年に第一回UTMFに出場し、32時間、88位でゴールする。翌年は100位台、2014年は60位台、2015年はリタイアとしばらくUTMF出場が続いた。どのあたりから優勝、入賞を重ねるようになったのだろうか。

「2014年に3回目のフルマラソンで初サブスリー(2時間59分56秒)を達成し、同じ年に京都東山三十六峰トレイルランで優勝して、このあたりからですかね」

2018年、信越五岳トレイルランレース110kmに初出場し、初めてビッグタイトルを手に入れる。翌年には連覇も果たした。この年はSPAトレイル(群馬県)、伊豆トレイルジャーニーでも優勝している。

変化すべきなのか、しない方がいいのか

それにしても「第二章」という言葉が気になる。西村自身は、第一章はもう終わったと感じているのだろうか。

「これまでは辛い練習なしでも、楽しさだけで長く走れたし、速くも走れたんです。思い返せば小さい頃から、スポーツに関してはなんとなく出来てしまっていた気がします。はじめは小さな輪のなかでの成功体験だったのが、次第にクラス全体、学校全体と大きくなっていくような流れでした」

ランニングも同様で、気づけば所属する市民ランニングクラブでいちばん速くなり、トレイルランの国内主要レースで優勝を重ねて、世界選手権への切符を手に入れた。

「でも世界に出たら、まだ全然速くない。それでも続けていけば、もっと上に行けるんじゃないかという自分への期待はあります。それが2022年UTMBの故障以降、歯車が狂ってしまったというか、世界のトップ選手との差が縮まらない。縮まるどころか開いていっている気がするんです」

もう「楽しい」だけでは先へ進めないのかもしれない。自分の身体と真剣に向き合って、変化すべき時期がきたのかと逡巡している。

「そうはいっても、相変わらず綿密な練習メニューをつくることもしないし、ポイント練習もやってはいない。多分、いままでのやり方を変えるのが怖いんですよ。年齢的にもトップを狙える時間はそう長くないから、変えた結果、落ちてしまったらという怖さがある」

自分らしく、走り切る

2023年12月、西村は3年ぶりに伊豆トレイルジャーニーに出場することを決めた。10月の「TransJeju by UTMB」5位から、少しずつ歯車が噛み合い始めているような感覚があったからだ。

レース前日。お世話になっているメーカーや親しいラン仲間とともに現地入りし、三島駅前で選手受付を済ませた西村と合流して、宿泊施設のあるスタート地点の松崎町へと移動した。


「世界選手権のとき、川崎くんから『ジョグやらないとダメですよ!』って言われたんです。最近試していて、この間は33km走りました。ゆっくり走るのは、それはそれでしんどいもんですね。これまでは、ゆっくり走ると速く走れなくなるんじゃないかという気持ちがあったんですけど、やらないと怪我するからって川崎くんに何度も言われて(笑)」

西村は年齢の近い選手たちと仲がいい。川崎が勧めたジョグは、「走りながら身体を動かして調整していく」ために取り入れてみた。ゆっくり走ることでトレーニング時間も延び、2時間で終わっていた練習が、3時間近くかかるようになった。これまでとは違う疲労感も味わっている。

「話は変わっちゃうんですけど、いずれ100マイル以上の距離も挑戦したいなと思っているんです。100マイルだと睡魔が襲ってくる前にレースが終わってしまうので、仮眠をとりながら進むレースもチャレンジしてみたいですね、いつか」

宿泊ホテルに到着した後、レースの準備を見せてもらう。愛用のウエアとザック、シューズ、必携装備たち、そしてパフォーマンスを高めるためのテーピングとインソール。驚いたのは安全ピンだ。ザックの端に留めて、いつでも使えるようにスタンバイしている。

「これ、脚に刺すんですよ。攣りそうになってきたら、ブスブスと走りながら刺して刺激するんです(笑)」

宿に入り、明日の装備を整える

ああ、西村はこういう自然体の選手なんだと、その話を聞いて思わず納得した。そして、ゼッケンの裏側に高低図をペンで書き写す。ゼッケンには星のマークがついている。優勝経験を持つ選手の証だ。レース当日の朝食も持参していて、いつもほぼ同じものを食べるという。

「好きな菓子パンがあるんです。サンミーと北海道蒸しケーキはだいたいいつも食べていて、ほかに気になったものを加えています。明日の朝はこのパンを食べられるだけ食べて、あとはスポーツドリンクを飲んで。験担ぎのようなところもちょっとあるかな」

胃腸の調子を安定させたいので、宿の朝食はあまり食べない。血糖値が一気に上がりそうなラインナップに思えるが、西村の走りを支える大切なメニューだ。

ゼッケンに輝く星


朝6時、夜明け前の松崎新港。真っ暗ななか、選手たちはスタートゲートを飛び出した。ここから70kmの旅が始まる。第二エイドの仁科峠で、トップグループを待つことにした。12月とは思えない20度近い気温が、選手たちを惑わす。

西村はいちばんにエイドに飛び込んできた。それに続くのは、2019年もトップ争いをした20代の横内祐太朗選手。西村はとても落ち着いているように見える。

ここから先は、もっともITJらしい景色が続くセクション。駿河湾を臨む稜線の先には富士山、そこから修善寺の温泉街へと下っていく。

後続を引き離してゴール

午後0時14分、西村はゴールゲートのある伊豆修善寺総合会館にトップで帰ってきた。その表情にはいつかの迷いはない。

怪我のため、本大会の出走を見送った川崎雄哉が、ゴールで待ち構えていた。コースプロデューサーの鏑木毅から向けられたマイクで、川崎はこんな選手解説をした。

「レース前に西村さんに調子はどうってメッセージを送ったら、『もちろん優勝を狙っているよ』と言っていたんですよ。世界選手権での苦悩を間近で見ていただけに、僕も嬉しい。感無量です」


レース後、近くにある温泉に入り、ひと息ついて食事をする西村に川崎とのやりとりについて尋ねてみた。

「レースに出るときはいつだって優勝を狙っているんです、本心では(笑)。だからそうメッセージしたんです」

不安はまだ完全に拭い切れてはいないかもしれない。それでも西村の第二章は、もう始まろうとしているのだろう。

次にこの大会に出場するときは、2つの星がゼッケンに輝く。


撮影:武部努龍
インタビュー・文:千葉弓子
写真:西村広和、グランノート
協力:伊豆トレイルランニングレース実行委員会、日本トレイルランニング協会