『山物語を紡ぐ人びと』vol.2〜 川田友広さん
新しいトレイルを見つける喜び
トレイルランナーから絶大な支持を集めているシューズ『HOKA ONEONE』や、アメリカ発のコンプレッションソックス『Feetures!』、カナダのブランド『アークテリクス』などを取り扱う有限会社サンウエスト。そのサンウエストでプロモーションや販売を手がける川田友広さんは、遊び心を大切にするトレイルランナーだ。
休日には仲間とともに山に入る。とりわけ最近のお気に入りは、新しいトレイルの開拓だという。「関東の場合、メディアが紹介するトレイルはどこも人で溢れています。そこには当然、トレイルランナーだけなくハイカーや地元在住の散策の方もいたりしますから、高尾山や鎌倉、丹沢などではさまざまな問題が顕在化してきていますよね。そろそろ有名な場所に一極集中するのはどうかなと思うんです」。
いま、埼玉の山に関心がある川田さんは、地図を見ながらメインの登山道ではない細いトレイルの探索を楽しんでいる。「走ることを追求するためにメインルートに入るのではなく、地図を頼りに立ち止まりながら、あまり知られていないトレイルを進んでいく。そうすると視野も広がって、いろいろなものが見えてきます。山の面白みが膨らむんですよ」。
もちろん、こうしたトレイルを発見するためには地図読みの力や状況判断能力など山のスキルが不可欠であり、メインルートに比べて自ら背負うリスクも大きくなる。山の経験を重ねた上級者の遊びといえるだろう。「国内では、何のレースに出て何時間でゴールしたとか、ポイントを取ることを目的にレースに出るといった志向が強まっていますよね。もちろん、そういう流れもあっていいと思うのですが、トレイルランニングの魅力はそれだけではないと思うんです。山を楽しむことを第一に考えて、そこにトレイルランニングが含まれているという感覚。そういう志向の人が、少しずつ増えている気がします」。
時には専用のシューズを持参して沢登りを楽しんだり、人があまり通らずに埋もれてしまったトレイルを藪こぎしたり。地図と自分の嗅覚を頼りに、新しいトレイルと出会う。「僕らが楽しそうにしていると、途中で出会ったベテランの登山者の方たちも気軽に話しかけてくれます。途中まで一緒に歩いて、話に花を咲かせることもよくあります。そういう出会いがあるのも、山ならではですよね。ずっと走らなくてもいい。立ち止まって景色を堪能したり、クライミングをしてみたり、夏には川遊びをしたり。トレイルランニングを切り口に、山とたっぷり触れ合ってみるのもいいんじゃないかな」。
トレイルランのスピリットを教えてくれた人
トレイルランナーとして大きく影響を受けたのは、プロトレイルランナーの石川弘樹さんだ。かつてパタゴニアで働いていた川田さんは、プロになったばかりの石川さんと出会い、『ウェスタンステイツ・エンデュランスラン』や『ハードロック100マイル・エンデュランスラン』といったアメリカの大会の話を聞く。2000年代の始め、まだ “トレイルランニング” という言葉がいまほど日本に浸透していない頃のことだ。
「石川さんは本当に楽しそうに山を走るんです。彼がハイドレーションのチューブをザックから出して走るスタイルを日本で広めたといってもいいでしょう。欧米には自分だけのスタイルを持つ個性的なトレイルランナーが数多くいますが、その分野で石川さんは日本のパイオニアだと思います。本当に格好良かったんですよね。もちろん、いまでも格好いいですけれど(笑)」。
4月末に開催された『トレイルランニングの未来を考える全国会議』にも出席した川田さん。トレイルランニングの未来についても熱い想いがある。「例えばサッカーなら、オリンピックやワールドカップがある一方で、クラブチームがあったり草サッカーを楽しむ人がいたりしますよね。トレイルランニングはいま同じように、スポーツとしての市民権を得られるかどうかの瀬戸際に来ている気がします。これは極論ですけれど、例えばみんなで一度レースに出るのをやめてもいいかもしれない。あるいはUTMFのような国際大会は4年に一度の開催にしてみるとかね。そうすることで、ある種の流れが変わったりすると思うんです。未来に続く道は一つではないはず。もっといろいろな方向があっていいと思っています」。
魅力溢れるローカル大会を旅する
今年の春、岡山で開催された『第7回 正木山トレイルラン』に参加した。地域の発展を願い、地元が主催しているトレイルランニング大会だ。ほとんどの参加者は岡山在住だが、山口県に住むスポルティバの女性アスリート、リア・ドルティ選手も家族と気軽に参加していたという。速い選手とゆっくり走るトレイルランナーがともに楽しめる温かいローカル大会。
「時間もゆるい感じで、とにかくよい雰囲気なんです。ロングが26km、ショートが15kmなので、イベント全体の時間も長くない。最初の方にゴールした人と最後の方にゴールした人が触れ合えるんですね。距離と参加人数が絶妙なのだと思います。地元の方々ができる範囲の規模で開催しているというスタンスの大会でした」。
ゴール後には、ボランティアのお母さん方が自家製味噌でつくってくれた豚汁がふるまわれる。入賞者への賞品のほかに、ゼッケン番号の末尾で抽選される“とび賞”もあり、地元のスポーツ整体の無料券やペンション宿泊券、焼酎のボトルや備前焼、台所用消化器などバラエティ豊かな実用品が並ぶ。
今回はトレイル仲間でもある大会の若手スタッフからの誘いを受け、『HOKA ONEONE』のブース出展も行った。しかし、過去の開催ではアウトドアブランドのサポートは全く受けていないのだという。「こういう大会は探すと意外にあるのかなと思います」と川田さん。「仕事としてブースを出展しているものの、自分もほとんど遊びに行っている感覚です。次は岩手の七時雨マウンテントレイルフェスで開催される “カルデラトレイル” に参加します」。
仕事がいまの自分をつくってくれた
公私ともに充実したアウトドアライフを送る川田さん。その原点はどこにあるのだろう。
東京・立川で育った川田さんがアウトドアらしきものに目覚めたのは、高校時代だ。「高校2年の夏休みに友人と四国一周の旅をしました。父の実家が徳島で、祖父母を喜ばせたい気持ちもあったんですね。自転車で移動してテントで寝泊まりしながら、約2週間かけて回りました」。
マウンテンバイクを知人から借りて自分で整備し、高校のジャージを着て、千葉からフェリーで徳島へ渡った。水不足で水道が節水されていたため、自販機でコーラを買って喉を潤した。四万十川でテントをはったり、道後温泉に立ち寄ったりという自由な旅だ。
その後、大学へ進学して経済学部に在籍する。3年次には就職活動も行い、教育関連企業の内定を2つもらったが、ふと「本当にこれでいいのか」と悩む。時を同じくして、ご両親が登山を始めたことから、目白周辺のアウトドアショップに通うようになる。
そして、パタゴニアのショップで一枚のチラシと出会う。イギリスの冒険教育機関、アウトワード・バウンド協会(*以下、OBS)のものだった。「滝に登っている青年の写真が載っていて、すごく惹かれたんです。さっそくOBSの説明会に参加し、セルフディスカバリーという体験スクールに応募しました」。
参加条件のひとつは、体力があること。20歳代のインストラクター2名に参加者3名でパーティーをつくり、21日間をかけて太平洋から日本海までの旅に出かけた。道具はすべてOBSが貸してくれ、サポートカーもつくが、とにかくハードだった。「自己紹介をしたらすぐにマウンテンバイクに乗せられて、次は沢登り。ロッククライミングやカヤックを経験して、八ヶ岳と北アルプスに登りました。最後の2日間は各自がバラバラになって自分の力だけで移動してゴールするというプログラムです」。
内定を蹴って参加してしまった川田さんは、大学卒業後、アルバイトでお金を貯めて、OBSのインストラクター養成学校に通うことに決めた。そして秋、無事にインストラクターの資格を取得。学校や企業に出向いては、アウトドアを通して自己の可能性を引き出したり、チームワークづくりを行ったりといったプログラムを指導する。
この頃から数年間、夏はOBSのインストラクター、冬はパタゴニアのショップで働くという生活を送る。「パタゴニアにはアウトドアアクティビティを行いながら、季節限定で働ける制度があるんです。ここで魅力的な人たちに出会いました。パタゴニアのアンバサダーに決まった石川さんと出会ったのも、この時期です」。
その後、29歳で現在のサンウエストに移籍し、インストラクターの仕事から離れた。「インストラクターの仕事では大企業での教育プログラムも経験しました。幅広い世代の方、職業の方と出会ってとても勉強になりましたね。一方でパタゴニアではアウトドアのスペシャリストから山の技術や精神性みたいなものを学ばせてもらったんです。この時期の2つの仕事が、いまの自分の礎になっている気がします」。
仕事でも遊びでも、常に楽しむことを忘れない川田さん。最後にいまの仕事について、こう話してくれた。「僕らはシューズやウェアを売ることをビジネスにしていますが、本質はそれだけじゃないと考えています。山での遊びやトレイルランニングの奥深さ、それらをとりまくカルチャーを伝えていきたいと思っています」。
*)アウトワード・バウンド協会
1941年にイギリスで発祥した世界30カ国にネットワークを持つ非営利の冒険教育機関。日本では約30年前に活動が始まり、1989年に長野県小谷村で常設校が開設された。これまでに延べ8万4千人が活動に参加している。
Photo:Takuhiro Ogawa / Text:Yumiko Chiba