
ウルトラディスタンスでの活躍が目覚ましいトレイルランナー竹村直太さん。2017年頃から北陸や関西エリアを中心にトレイルランレースに出場し始め、近年は全国各地のレースを年間20本近く走っている。
竹村さんと最初に話をしたのは、2024年トランスジャパンアルプスレース(以下TJAR)でのことだ。序盤、竹村さんはトップに位置していた。しかし中央アルプスにおけるヘルメット着用義務区間で着用を忘れ、自己申告ののちに失格となる。下山後、竹村さんは家族の車で市野瀬チェックポイント(長野県伊那市)に立ち寄った。ここはTJARで唯一デポバッグが預けられる場所だ。トップで到着した土井陵選手とわずかに言葉を交わし、握手をして、出口まで見送った。
その後、竹村さんに話しかけると心情を語ってくれた。その言葉からは彼の実直さと、TJARや出場するすべての選手に対するリスペクトが伝わってきた。
2026年は、二年に一度のTJAR開催年だ。果たして再び出場を目指すのか、日頃はどんなスタンスでレースに臨んでいるのか。5年間務めた石井スポーツを退職し、航空自衛隊への入隊を控えた狭間の時間に、話を聞いた。
大学でようやく走る楽しさに目覚める
竹村さんの陸上人生は中学時代に始まった。100mから徐々に距離を伸ばし、陸上の強豪校である西城陽高校に進学してからは、400mをメインに、800mにも取り組んでいた。しかし、記録会や大会出場が続く競技生活は決して楽しいものではなく、卒業とともに陸上はやめようと考えていた。
その後、金沢大学理工学域電子情報学類に進学。寮で知り合った友人から陸上部に誘われ、競技志向ではなく楽しみながら取り組むスタンスで、入部する。当初はジョグだけ参加していたが、長距離志向の仲間がいたことから、一緒に30km走や20kmの峠走などを行うようになった。そして4年次に第1回金沢マラソンに出場し、2時間38分という好記録でゴールする。このとき「自分は長い距離の方が向いている」と気づいたという。
ーー大学時代にフルマラソンを経験したあと、トレイルランに出合うまでの経緯を教えてください。
竹村:大学卒業後は2年ほど、福井でシステムエンジニアの仕事に就いていました。退職後に一旦実家に戻り、2019年春から9ヶ月間オーストラリアにワーホリに行ったんです。そこでも、現地のランニングクラブに所属して、楽しみながら走っていました。
初めてトレイルランのレースに出場したのは、福井にいた2017年9月のことです。飛騨位山(くらいやま)トレイルという32kmのレースに出場しました。その少し前、大学時代の友人と飛騨高山ウルトラマラソ(71km)に出場して、そこでパンフレットをもらったのがきっかけです。ただ、腸脛靱帯を痛めていた時期だったので、走れるところまで走ろうと決めて、結局16kmでリタイアしました。その年の冬から福井の山に入るようになって、徐々にロードよりもトレイルの方が楽しくなっていきました。
ーーどんなところに面白みを感じたのでしょうか。
竹村:滋賀の希望ヶ丘トレイルランニングレース(23.5km)で3位に入賞したりして、順位がそこそこよかったんですよ。ロードレースなら表彰台になんて上がれないですから。
あとはレース中、近くを走る選手と「しんどいですね」とか話したりする世界観がいいなと思いました。シガウマラ(滋賀を拠点に活動するトレイルランチーム)の人たちとも知り合いました。ロードレースだと、一人で出場して誰とも話さずに帰っていたけれど、トレイルランだと選手同士が会話をするし、レース後にお風呂に入って、ちょっとしたご飯を食べるみたいな雰囲気がありますよね。その頃、自分は20代でしたから、周りはみんな年上の人たちだったんですけど、年齢とか関係ないところも居心地がよくて、はまりました。
ーー確かにトレイルレレースだと初対面でも会話したりしますね。
竹村:ロードレースでは自己ベストだけを意識していたけど、トレイルランはそこを気にしなくていい。山の中で非日常感も味わえるし、途中で撃沈してもタイムはそれほど気にならない。そういうところも自分に合っていました。
ーー石井スポーツに勤務したのはいつ頃ですか。
竹村:2020年9月です。オーストラリアから帰国した直後は動画編集のアルバイトをしていて、その後、石井スポーツの募集を見つけて正社員になりました。この頃、それまで住んでいた尼崎から神戸の塩屋に引っ越しました。塩屋マウンテンクラブというクラブチームの練習に参加するうち、駅から5分程度で山に入れて、街の雰囲気もよい塩屋が気に入ったからです。この頃は草レースを選んで出場していました。

レースは嫌いだけれど、出るからには1位になりたい
ーー仕事や引っ越しで走りやすい環境が整っていったわけですが、どのあたりから競技へのスタンスが変化したのでしょうか。
竹村:実はトレイルランを始めた頃からスタンス自体はあまり変わっていないんです。僕はどんなレースでも1位がいいんですね。1位がいいと思いつつ、楽しみたい。その熱量は変わっていなくて。ただ僕のなかでも、うまく表現できない感覚があります。高校時代にきつい経験をしたので、レースは基本的には嫌いです。しんどいのは嫌なんだけれど、レースに出場するからには1位がいいんですよ、負けたくないんです。矛盾というか、僕のなかでも葛藤があるんですけど。
ーー人と競うことそのものは苦手ということでしょうか。
竹村:人と競うことも、練習もしんどいですね。しなくていいのなら練習もしたくない。ただ、レースのなかでいちばん楽しい要素は競うことであるのは間違いないんです。楽に速く走るためには結局、練習しないといけないからやっている感じです。
ーー「楽しみにながら走っていたら1位になった」というのがいちばん理想に近いと。
竹村:そうです、それが理想。そういう意味でも草レースは好きです。基本的には試走もしたくないタイプなんですけど、2022年信越五岳はちょっと頑張ろうと思って、初めて試走をして、目標を20時間に設定しました。それまではノープランで走っていましたけど、このあたりから自分がどれくらいで走れるのかだんだんわかり始めました。
ーー大瀬和文さんが優勝、竹村さんが準優勝のときですね。これは何回目の100マイルだったのでしょうか。
竹村:信越の前に4本走っています。初100マイルレースはTAMBA100アドベンチャートレイル(兵庫県)で、次はヤリカン12時間耐久&100mile(石川県)、そのほかにセルフチャレンジを2本走っていました。

環境的にいましかないと思い、TJARを目指した
ーー2024年にTJARに出ることになるわけですが、それまでにもかなりの数のレースに出場されていますね。
竹村:コロナ禍が明けた直後はレースが練習で、仕事のある日にジョグをしているような状態でした。50〜60kmくらいのレースに出場して、その間をポイント練習のようにジョグで繋いで、みたいなイメージです。
ーーマラソンでいうところの川内優輝選手のスタイルに近いですね。ベースとなる体力や回復力がないと、こういうスタンスでは走れないと思うのですが。
竹村:レース疲れがメンタルに来る人も結構いると思うんですけど、僕はそういうのはないと思います。レースをレースとして走らないというか、あまりガツガツしていないというか。そういう意味ではメンタルに響かないんです、楽しんで走っているので。
ーーTJARを目指したのはいつからですか?
竹村:2023年6月に出ようと思いました。それまでも存在は知っていたし、出てみたいという気持ちはあったんですけど、気持ちだけでは出られないレースだと思っていたので。準備も必要ですし、いつか出たいからといって「出たい」と軽々しく言ってはいけないレースというか。出ると決めてようやく「出たい」と口にできるみたいな。
この頃ちょうど、ラン仲間の伊藤知彦さん、安田和史さんがTJAR完走者の岩崎勉さんにトレーニングしてもらうことになって「一緒にアルプス行かない?」と誘われたのがきっかけでした。岩崎さんにレクチャーしてもらったり、アルプスで選考会や本番を想定した実践的なトレーニングをしたりしました。それに参加しているうちに、もしTJARに出場するなら2024年しかないなと思うようになりました。
ーーそれはなぜですか?
竹村:TJAR初出場を目指す人が近くにいて、岩崎さんみたいなレジェンドから指導を受ける機会があったからです。ほかにも、以前から知り合いだった塚田晃二さん(2024年TJAR完走)も初出場を目指していたので、恵まれた環境だなと思いました。まずは夏に、いわゆる宿題(TJARの書類選考を通過するための課題)をやってみて、それがこなせるのか、本当に出たいと思っているのかを確認しようと考えました。無事に宿題を終わらせることができたので、本格的に出場を目指すようになりました。

ーー読図や装備などは?
竹村:地図読みはOMM(ナビゲーション能力や総合的な山岳スキルを競う1泊2日のレース)やOMM LITEなどで少しだけ経験がありました。でも、それでは足りなかったので、岩崎さんと一緒に山に行ったときにトレーニングしたり、独自に練習したりしました。
装備に関しては、以前から伊藤さんに同行してロング走をしていたことが役に立ちました。伊藤さんのセルフチャレンジのTSS(Trail of Sea to Summitの略/ 日本海~太平洋まで599km、累積標高36000m/日本アルプス北・中央・南+乗鞍岳・御嶽山・富士山含む縦走)の一部分について行ったり、大峯奥駆道に同行したりしていたんです。安井さんもよく一緒に練習していて、1泊2日や2泊3日の行程を2時間ほどの仮眠で動き続けるようなことをしていました。エマージェンシービビィ(寝袋状のエマージェンシーシート)にくるまって120kmとか140kmとか走ったりして。だからTJARを目指していないときから、テント泊ではなく、ビビィで仮眠しながら進むことを経験していたんです。
秋冬はとにかく走り込んで地足づくり
ーー出場を目指してから意識して身につけたことはありますか。
竹村:装備の軽量化ですね。宿題をこなしながら全コースを試走したので、アルプスで装備をテストしながら、不必要なものを削っていきました。
あとは走り込みです。夏場は宿題をしていたので、秋以降はレースを多めに入れました。10月末に花瀬トレイルラン42kmを走って、その翌週に六甲山系を走るシェール100という草レースで100マイルを走って、翌日に京都に移動して京都マウントチョップという草レースで40kmを走りました。その後に神戸マラソンを走って、4日後くらいにBUCKYARD ULTRA (1時間以内に1ヤードを走り、最後の一人が残るまで続く耐久レース)に出ました。こうして11月まではレースで距離を踏んで、12月の中旬から、朝昼晩に分けたりして毎日トータルで30km走ることを始め、1月末まで続けて地足をつくりました。冬場はレースもちょこちょこと出ていました。
ーーかなり走り込んでいたんですね。
竹村:TJARの準備としては地足をつくるのと、装備の見直しと軽量化がやるべきことかなと思ったからです。あとは選考会のためにツェルト設営を少し練習したかな。逆に、それ以外はやることは少なかったかもしれません。
ーー出場が決まったとき、どんな気持ちでしたか。
竹村:目標は4日と10時間切りでした。過去に出場した選手のタイムから言えば、土井さんと近くで走ることになるだろうとは予想していました。土井さんがどれくらいのタイムを設定しているかわからなかったのですが、2022年大会は4日と12時間切りを目標にして17時間台でフィニッシュしていたので、今回は10時間切りを目指してくるのか、もっといえば5時間切りを狙ってくるのかなと思っていました。
ーー目標タイムはどうやって割り出したのでしょうか。
竹村:試走と宿題をかねて南アルプスに行ったとき、ちょうど塚田さんも試走を予定していたので一緒に走ったんです。そこで塚田さんから「竹村君なら4日と10時間くらいで行けるんじゃない?」と言われて。そのときは「まじすか?無理じゃないですか?」と言ったんですけど、後日にタイムテーブルを割り出してみたとき、絶対に行けないわけじゃないなという感触がありました。理想的に走れたら、4日と9時間程度のタイムテーブルが組めたんです。決して帳尻を合わせたわけではなくて、組んでみたらそうなって。なので、せっかく塚田さんにそう言ってもらったのだったら4日と10時間を目指そうかなと思いました。南アルプスで失速したら4日と17時間程度かなと想定していましたけど、最低でも5日切りはしたいと思って臨みました。TJARは、天候次第なところもありますから。

信越五岳で優勝した小原将寿選手をみて、意識が変わった
ーー優勝を狙おうといった気負いはなかったのですか。
竹村:優勝はあまり意識していなかったですね。たださっきも言ったとおり、負けたくないんですよ。絶対1位がいいんです。
ーーそれは優勝を狙うこととはちょっと違うんですね。
竹村:ちょっと違うんです。レース前は誰に勝てるかとか考えていません。ただ負けたくない、負けたら悔しいんです。たとえ2位だったとしても、1位に負けたわけだから悔しい。
一方で、最後のロード85kmで競り合うのは嫌だなとも思っていました。それはしんどすぎるなと。だから、そこに至るまでに離れていた方がいいなとは考えていました。順位って、他の選手の調子次第じゃないですか。他人に左右される要素が多すぎるなと感じています。レースが始まって自分の順位がわかってくると、だんだん順位を意識するようになりますよね? そういうときは1位を目指す気持ちが強くなるんですけど、スタートする前は他の選手のことはまったく気にしていません。
たとえば最初から1位を目指したいと思ったとき、序盤に飛び出した人についていったら、その人が最後までそのペースで走るのかわからない状態ですよね。ついていくべきなのかどうなのか判断しづらい。それよりは自分の設定したタイムで進む方がいい。自分の設定タイムで走っているうちに、周りの選手の走り方もわかってきて、順位も見えてくるというのがいい流れだと思っています。
ーー「この選手に絶対勝ってやろう」とモチベーションを上げるタイプではないということですね。
竹村:そうですね。それを強く意識したのは、2023年の信越五岳で小原将寿さんが19時間3分31秒で優勝したときでした。僕が出場した翌年のことです。僕は前年、目標設定を20時間切りにしていました。それまでの大会だったら、20時間を切れば優勝の可能性も高くなっていたわけですけど、小原さんは18時間切りを狙っていて、結果として19時間になったと。それを聞いたとき、土台が違うなと思ったんです。
それ以降、「順位は走ってからのおまけ」と思うようになりました。目標設定がもともと2時間違う人と走って優勝を目指すとか、僕は言えないです。恥ずかしいと思ってしまう。これまでも「優勝目指して走ります」と言ったことはないんですけど、この小原さんの走りを知ったとき、より強く思いましたね。
レース途中の調子は、言葉として表現できない
竹村:TJARのレース中も、カメラマンに「調子いいですね。どんな感じですか?」と何度も聞かれました。でも僕のなかでは、調子いいのか悪いのか分からない状態だったので「ぼちぼちですね」としか答えませんでした。南アルプス以降で勝負がつくと思っていたからです。序盤の段階で何位だったとしても、僕の目標は4日と10時間切りでした。
1位で北アルプスを通過していましたけど、脚は疲れているし、調子がいいと言っても後半落ちてくるかもしれない。逆に「調子が悪い」と言葉にしてしまうと、マイナス思考になってしまう。だから大会スタッフやカメラマンに調子を尋ねられても「ぼちぼちです」としか言えなかったんです。
ーー言葉に対して慎重ですね。
竹村:言葉にするかしないかという部分でもあると思うんです。僕的には「このまま行けそう」とか「しんどくなってきた」という感覚はもちろんあるんですけど、あまりそれを言葉にはしたくない。かといって、100kmや200km走ってしんどくないというのは嘘だし、自分のなかで余裕があるのにしんどいというのも違うし。「表現できない」というのが的確ですかね。質問されたとき端的に答えられないというか。
ーーそれぐらいに皆さんに調子を聞かれるわけですね、TJAR中は。
竹村:聞かれますね。僕は競技としては、最終的な結果がすべてだと思っています。途中1位だろうが、最後が10位なら10位なわけですから。

基本レースは練習、リアイアはほとんどしない
ーー上州武尊スカイビュートレイル(130km/群馬)は珍しくリタイアされました。連戦が響いたのかなと思ったのですが。
竹村:その前の週に出場した信越五岳でお腹を下して、一週間後経っても治らずで、そのまま上州武尊に出場しました。メンタル的にも走りたくない感覚があったんですけど、大会自体が好きなので走りました。ただその後に、今年のメインレースのひとつであるLAKE BIWA100(三重県・滋賀県)が控えていたので、無理せずリタイアすることにしました。
基本、僕は練習としてレースに出ています。もともとロング走をやろうと思っていたところをレースにしている感覚です。なので、調子が悪くても、関門に引っかからない限りは走り続けますし、リタイアはあまりしないタイプです。
ーーレースとレースの間の間隔が短くなると、やはり回復時間が足りないということもあるのでしょうか。
竹村:たしかにそれはあると思います。そういう状況に対応できるように、春先には5週連続でレースに出るなど結構詰め込んでいました。100マイル、100キロ、フルマラソン、ロードの230キロ、最後に100マイル。それをこなした後、4月からMt.FUJI100(山梨県・静岡県)、Rinjani100(インドネシア) 、Kaga Spa Trail Endurance100by UTMB(石川県)、L’echappee Belle(フランス)、信越五岳、LAKE BIWA100。1ヶ月に一本のペースでメジャー級の100マイルが入ってきて、どれも頑張りたかった。そういう状況に耐えられるように2月〜3月に連戦していたんですけど、それらは草レースだったので、いま思うと精神的な負担がなかったんですよね。その違いもあるのかなと思います。
Kaga Spaでもお腹を下しました。レシャップベルは頑張ったんですけど、その分、脚のダメージが大きかった。その後の信越五岳でもお腹を下して、最近はレースとレースの間の練習が全くできない状況が続いています。僕の場合は疲労がお腹にきやすいんですよ。

ーーロングレース中に気持ち悪くなって食べられなくなることはありますか。
竹村:吐き気で食べられなくなることはないです。気持ち悪くなってジェルが摂れなくなり、食べられるものの種類が少なくなることはありますけど、食べられなくてもペースを落とせば動ける。最低限の補給のみでも動けることはわかっているので、その方向性に切り替えて、お腹を空にして走ります。
だから吐いたことはないし、気持ち悪くても吐くという選択肢はとらないようにしています。吐いたらエネルギーが出てしまうし、吐いたら楽になるという考え方になると、吐き癖がつく気がするので。
航空自衛隊という新たな環境で
ーー最後にTJAR2026のことと、今後のことを教えてください。
竹村:TJARは一応、目指しています。11月から航空自衛隊に入隊するので、半年間は団体訓練があり、自由に動けないと思うのですが、来年6月の選考会には出られるのではないかと思っています。ただ部隊配属もあるので、まだわかりません。出られたら出るというスタンスでいます。
ーーこのタイミングで航空自衛隊への入隊を決意したのは何か理由があったのでしょうか。
竹村:まずは年齢です。以前から自衛隊に興味があったのですが、入隊は32歳が年齢制限なので、いましかないと思いました。企業に働きながらレースに出ることも考えていましたが、自衛隊はそれ以上に身体能力を高めることができますから、今年入隊することにしました。
ーー航空自衛隊を選んだのは?
竹村:自衛隊員の知人がいて、いろいろ話を聞いて決めました。 自衛隊に入ると生活環境も安定してトレイルランを続けやすくなるかもしれないし、もしかしたら走るよりも仕事が面白くなってくるかもしれません。どうなるかは未知数ですけど、それならそれでいいかなとも思っています。

■プロフィール
竹村直太 Naota TAKEMURA
1993年京都生まれ。中学から陸上競技を始め、100m、400mからフルマラソンへと距離を伸ばし、大学時代にマラソンを経験。2019年からトレイルランレースに出場し、近年はウルトラディスタンスを主戦場としている。2024年からMILLETに所属。
■主な戦績
2021年ヤリカン12時間耐久レース優勝(12周84km)、2022年信越五岳トレイルランニングレース2位(100マイル)、2023年あやべ水源の里トレイルラン優勝(50km)、ULTRA-TRAIL Mt.FUJI12位(100マイル)、2024年奥信濃100・2位(100km)、TJAR2024ヘルメット着用義務区間にて未着用により失格、上州武尊スカイビュートレイル優勝(130km)、球磨川リバイバルトレイル優勝(100マイル)
文=千葉弓子
写真=藤巻翔、永易量行、武部努龍、茂田羽生、グランノート


