藤巻翔(フォトグラファー)×山本晃市(編集者)
先へ、進むために
相馬剛とその時代を振り返る
2014年7月23日、トレイルランナー相馬剛さんはマッターホルンで消息を絶った。早くも2年が経つ。今年2月には、フォトグラファー・藤巻翔さんの発案によって、アスリートとしての相馬さんの姿と日本のトレイルラン黎明期を記録した写真集『BEYOND TRAIL』が発表された。多くの相馬ファンが手にとったことだろう。
写真集は三部構成でまとめられている。第一部は相馬さんの写真、第二部は相馬さんが駆け抜けた時代の国内外の主なトレイルランレースの写真、そして第三部には深い関わりのあったトレイルランナー13名のベストショットと相馬さんへ寄せたメッセージが収められている。
この写真集を通して、私たちはあらためて相馬さんの存在の大きさを感じることができた。藤巻翔さん、そして藤巻さんの想いに賛同し、編集を手がけた山本晃市さんにお話を伺った。
トレイルランニングの最前線
10年の記録
——あらためて拝見して、本当に素晴らしい写真集だなと感じています。ことあるごとに手に取りたくなる、そんな写真集ではないかと思います。まずはどのような経緯でこの写真集が生まれたかを伺えますでしょうか。
山本:今回はすべて藤巻君が企画しました。私はあくまで編集者として携わったに過ぎません。デザインは、Mountain Martial Arts(MMA)の渋井勇一さんにお願いしています。
藤巻:きっかけは、昨年秋にご家族がお葬式をあげ、ひとつの区切りをつけたという話を聞いたことにあります。以前からずっと相馬さんについて何か形にしたいと思っていましたが、まだご本人がご自宅に戻ってきていない中で、「いまはその時ではないだろう」という気持ちがありました。そんな折にご家族の気持ちの変化を伺い、写真集をつくってみようと考えました。すぐに昔からお世話になっている山本さん(愛称:ドビーさん)に相談しました。ドビーさんなしではつくれないと思ったからです。
—–山本さんは長年、トレイルランニングの世界を追い続けていらっしゃいます。2000年代には山と溪谷社『アドベンチャースポーツマガジン』の編集長を務め、その後、枻出版社で『トレイルランニングマガジン・タカタッタ』を制作しておられました。
山本:藤巻君とのつき合いは、もう10年くらいになるでしょうか。今回、写真家やトレイルランナーの方々が無償で協力してくださっています。こんな素敵な話はなかなかないですよね。私自身、編集という立場で関われたことをとてもありがたく感じています。
藤巻:ドビーさんと出会った2006年は、まだトレイルランのメディアは本当に少なかったんです。
山本:そうだね。当時から山岳カメラマンはたくさんいたけれど、スポーツのジャンルとして山を撮るカメラマンはほとんどいなかったと思います。もちろん、トレイルランニング自体もまだ普及していませんでした。
山の知識や技術もあり、さらにスポーツ的な世界観で山を撮るのは難しい。山岳写真は基本的に風景写真で、「静」をどう表現するかが主役です。トレイルランではそこに「動」が加わって、二つの要素を上手く撮らなければいけないわけですから。そうした写真の先駆けが山田周生さん、金子雄爾さん、柏倉陽介さん、亀田正人さんなどでしょう。そして藤巻君や宮田幸司さん、小関信平さん、後藤武久さんなどが続いていった。もちろん私が知らないだけで、他にも素晴らしい作品を撮っている写真家はたくさんいらっしゃると思うけれど、それでもこのジャンルの写真家はまだ決して多くない。そう考えると、今回の写真集は、この10年間の貴重な現場に立ち会ったカメラマンの作品があったからこそ出来たものといえます。
明確な3つのコンセプト
——はじめから複数のフォトグラファーの写真で構成しようと考えていらしたのですか?
山本:当初から三つの要素を決めていました。一つめは相馬さんが主役であること。二つめは、そこに追悼というニュアンスを強く出さないこと。僕もそれがいいと思いました、いろんな意味でね。追悼という意味よりも、“次へ進むためのもの”でありたいという想いが強くあったのです。写真の力と、相馬さんと関わりのあったみなさんのエネルギーが詰まった写真集になればいいなと思いました。
三つめは、いろいろな写真家が撮った作品を集めたいということ。相馬さんをテーマに、出来るだけよい写真を集めて一冊にしたいという気持ちがありました。
藤巻:山の世界では、毎年たくさんの方が亡くなっています。とりわけ、アルパインクライマーなどは事故の確率も高い。いってみれば、死は僕らのすぐ近くにあるわけです。これまで追悼写真集はほとんどつくられていませんが、僕自身が相馬さんをずっと撮影してきたということもあって、何かできないかという気持ちが高まっていきました。他のカメラマンもたくさん相馬さんを撮影してきましたから、一緒にできればと考えたのです。
山本:すごく純粋な動機でいいなと思いましたね。
——–最初に手に取ったとき「こういう写真集が見たかった」と胸が熱くなりました。同じような想いを抱かれた方は多いのではないかと思います。
山本:そういった、みなさんの見えないエネルギーが集まって出来た写真集じゃないでしょうかね。直接的、間接的にいろいろな関わり方があると思うのです。制作に携わっていなくても、気持ちで応援してくださった方はたくさんいたわけです。相馬さんを家族ぐるみで支え続けたメーカーの方々もそうです。でも今回はあえて、写真家とアスリートだけに絞りました。
正解はひとつではないと思うのですが、結果としてこれでよかったのかなと思っています。できるだけシンプルにまとめました。
たくさんの写真が集まったのは
相馬さんの魅力があってこそ
—–アスリートとしての相馬さんをどのように捉えていらっしゃいましたか。
藤巻:近寄りがたい雰囲気がありました。僕は比較的、誰とでも打ち解けるタイプなのですが、相馬さんは声をかけづらい方でしたね。ほかにそんなアスリートはいませんでした。そういう意味では、ファインダーを通してしか接することができなかった人でもあります。逆にその分、存在が気になっていました。
ところが2014年に『Fuji Trailhead』を始めてから、相馬さんは変わりました。それまでは大会で会っても挨拶を軽くかわす程度でしたが、相馬さんの方から話しかけてくれるようになって、一気に距離が縮まった気がしていたのです。
山本:一見、無骨で無愛想だけれど、すごく芯がある人だなと思っていました。今回、「よかったらこんな写真があるので使ってください」と、いろいろな方から写真が送られてきたのです。トレイルランナーや仲間の皆さん、メディアの方、かつての職場関係の方もいました。ですからここに収めた写真は氷山の一角で、それ以外にも載せられなかったたくさんの写真があります。これだけのエネルギーが集まること自体が、相馬さんの魅力を表している気がします。
藤巻:今回はカメラマンが撮った写真だけを掲載することにしました。中立を保つために、ドビーさんに選んでもらっています。
山本:写真は直感的に選びました。最初からコンセプトが明確でしたから、構成もスムーズに決まっていきました。年表や時代を象徴するイメージの写真も掲載しています。
——タイトルはどのように決めたのでしょうか。
山本:メインタイトルは、世界的なクライマーの言葉を集めた名著『BEYOND RISK』をヒントにしています。サブタイトルの「マイトリー・カルナー」は慈悲や無償の愛を意味するサンスクリット語です。制作時、たまたま読んでいた仏教の本にこの言葉が出てきて心に響き、決めました。
——-冒頭には「本写真集の収益は、すべて相馬剛および山岳遭難の捜索活動の一助として、関係団体へ寄付という形をとる」と記されています。
山本: 相馬さんはきっと、収益を自分の捜索だけに使うことをよしとしないだろうと思ったのです。それなら、わずかな額かもしれないけれど、山岳遭難に役立ててもらえればと思い、このような形にしました。この写真集ができたことで、誰かが負担に思ったりするのは本末転倒ですから。藤巻君は最初からそういうスピリットで臨んでいました。
——-具体的な制作についても、少し教えてください。
山本:雑誌は通常、縦開きです。そうすると素晴らしい写真を使っても、のど(本を綴じている箇所)にかかってしまうんです。それで横開きにしようと考えました。写真の力を最大限に感じてもらえるよう、キャプションは最小限に留めています。紙はできるだけいいものを使いました。今回、印刷会社が二社合同でつくってくださったのです。これは通常ではあり得ないこと。写真集の趣旨に賛同して、特別に協力してくださいました。
藤巻:ドビーさんがトレイルラン雑誌をつくっていた時に、一緒に仕事をしていた方々です。デザイナーは最初から渋井さんにお願いしようと決めていました。トレイルランに愛がある方につくっていただきたいと思っていたからです。
山本:制作費用を抑えて、少しでも寄付金が多くなったほうがいいわけですが、紙の種類ひとつ、現場の技術者の仕事ひとつで写真集の仕上がりは全く変わってきてしまいます。せっかく相馬さんの記録をまとめ、みなさんのお手許に届けるならば、できるだけ上質なものをつくりたいという思いがありました。
当初は2月20日発売の予定だったのですが、インクが乾かずに23日に伸びました。それが偶然にも相馬さんが遭難された日、月命日でした。
相馬スピリットを体現した
2008年のハセツネゴール
——山本さんは相馬さんと長いお付き合いでした。思い出深いエピソードはありますか。
山本:印象的だったのは、2008年のハセツネです。相馬さんはディフェンディングチャンピオンだったのですが、いつまで経ってもゴールしてこなかった。リタイアしたのかなと皆がざわついていました。夜12時過ぎて、撮影のためにゴールから他の山に移動したとき、相馬さんから携帯メールが届きました。「ご心配をおかけしました。こんな時間になりましたけれど、無事にゴールしました」という内容でね。
トップランナーにはメーカー契約など立場上さまざまなプレッシャーや事情がありますから、こんな時間になったらリタイアしてもおかしくないんです。それなのにゴールしてきた。後から聞いたら、ヘッドランプが壊れて走れなかったそうです。彼は多くは語りませんでしたけれど、一生懸命に走っている人たちがいるから、絶対リタイアしてはいけないと思ったのではないでしょうか。僕はそのゴールこそが、実に相馬さんらしいなと感じました。一般ランナーと一緒にゴールしてきた、あの時の姿が相馬剛を表すひとつの印象的なシーンなのかなと思いますね。
——-山本さんにとって、レースはトレイルランニングの魅力を語る上で重要な要素なのでしょうか。
山本:トップ選手から最終ランナーまで、そして大会をつくっている人も含めて、みんな同じように魅力があるんです。たとえば日本山岳耐久レースは、24時間以内に自分の力を最大限に発揮して、安全にゴールすることが最大の目的です。『アドベンチャースポーツマガジン』も『トレイルランニングマガジン』もトップ選手だけをフィーチャーするのではなくて、最終完走者やリタイアした人まで含めて、人間模様に魅力があると思ってつくってきました。
僕は毎年ハセツネが終わると、一位から順番にリザルトを見ていくのが好きなのです。ある時、同じ名字の人が同時刻にゴールしていました。ご夫婦かなと思ったら親子だった。お母さんと息子さんが一緒に出場していたのです。お母さんが体を壊された後に復活してレースに臨むので、息子さんが併走して二人でゴールしたという話でした。これがハセツネスピリットなんでしょうね。
今回、藤巻君が「これは絶対に掲載してほしい」といってきたのが、相馬さんが最終ランナーに手を差しのべている写真。いい写真ですよね。トップ選手はもちろんすごいけれど、24時間以内にゴールするだけでもすごいと思います。
—–最後に、お互いの印象についてお聞かせ願えますか。
山本:見ての通り、藤巻君は実に気持ちのいい男なんですよ。一緒に仕事をしていて、とても楽しい。もちろん意見が異なることもあるわけだけれど、そういう時にもちゃんと伝えてくれる。自分の意見を持っているから、真剣に話し合える。そこがいいんです。
藤巻:ドビーさんはいろいろなものを見てきているので、僕としてはもっとダメ出ししてもらいたい。普通はなかなか言ってもらえませんから。「いい写真だね」と言われても、本当によかったのかなと常に自分の中で疑問符がついているものなんです、カメラマンというのは。そこをドビーさんは編集者の視点で指摘してくれる。だから今回、たくさん学ばせてもらいました。
やはり愛、熱意があるんですね。熱意がある人と、僕は一緒に仕事をしていきたい。結局ものをつくることって、そこだと思うからです。
今回、写真家やアスリートの方々にボランティアで協力していただきましたが、みなさん「何かしたいと思っていたので、こういう機会をもらってよかった」と言ってくださいました。本当に感謝しています。
Photo by Sho FUJIMAKI
Special thanks to Koichi YAMAMOTO
Interview & Text by Yumiko CHIBA
『BEYOND TRAIL』Profile
〜Photographer
柏倉陽介、金子雄爾、亀田正人、小関信平、後藤武久、永易量行
橋本明彦、花村晃、藤巻翔、宮田幸司、矢嶋裕二
〜Trail Runner
相馬剛、石川弘樹、小川比登美、山本健一、奥宮俊祐、横山峰弘
渡邊千春、望月将悟、山田琢也、松永紘明、大内直樹、大石由美子
小川壮太、鏑木毅
■Fuji Trailhead『BEYOND TRAIL』(サイト下に購入フォームがあります)
http://fuji-trailhead.com/ft-bk/beyond-trail
■MMA・渋井勇一さんが語る『BEYOND TRAIL』の制作裏話。
http://mountain-ma.com/?portfolio=beyond-trailへと至る道