blooper backpacks 植田徹 × 望月将悟

blooper backpacks 植田徹 × 望月将悟

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つくり手と背負う人の間に行き交う、かたちなきもの 

「blooper backpacks(以下bbp)」は南アルプスの麓、静岡県川根本町に工房を構えるバックパックのブランドだ。オーナーの植田徹さんは、2017年に教員の仕事を辞め、それまで仕事の合間に手がけていたバックパックづくりに専念しようと工房を立ち上げた。

植田さんについて知ったのは、望月将悟さんの話がきっかけだった。

TJAR(トランスジャパンアルプスレース)の5回目出場を控えていた2018年の夏、望月さんは水以外の食料調達を一切行わない「無補給」での挑戦を決めていた。

その様子をドキュメンタリーフィルムとして作品にすることになり、大会直前、映像チームとともに大浜海岸で待ち合わせると、望月さんはこの挑戦のためにつくったという新しいザックを背負ってやってきた。

聞けば、このザックをほぼぶつけ本番で使うと言う。その嬉しそうな様子から、どれほどこのザックを信頼しているかがうかがえた。

植田さんと望月さんが出会ったのは、TJAR四連覇をかけた2016年夏のことだ。その年、望月さんは自ら持つ大会記録を塗り替え、4日23時間52分という驚異的なタイムをたたき出した。

「彼のザックがなかったら、僕は5日切りできなかったよ」

まだ見たことのない世界へ飛び込もうとする使い手と、その勇気を後押しするつくり手との深い対話。

6月、望月さんとともにbbpの工房を訪ねた。折しも、望月さんのための新しいザックができあがったというタイミングで。

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「5日切りへと導いたザック」〜望月モデルNo.1

静岡市内から車で1時間ちょっと。望月さんの故郷・井川の隣町ともいえる川根本町に、植田さんは工房を構えている。独立する際、川根の地を選んだのは、大好きな南アルプスの麓だからだ。

工房として使用している建物は、もともと農家が茶の選別などを行う「茶工場」で、友人であり山仲間でもある大工の中道輝久さんが内装を手掛けた。職住近接、敷地横にある平屋の古民家で、植田さんは暮らしている。うっかりすると見落としてしまいそうな控えめな看板が、道路沿いに立っていた。

植田さんは穏やかで、とても静かな人だ。しかし、その言葉の端々から、バックパックづくりに人生をかけようとしている覚悟が伝わってくる。

———まずは望月さんとの出会いから、聞かせてください。

植田:2016年7月に偶然、南アルプスの椹島のレストハウスで出会いました。

望月:僕は山岳救助の警備隊の訓練で山に入っていたんです。植田君は少し前から、TJARを見てくれていたんですね。僕自身は彼と話したことはなかったんだけれど、「こんなザックをつくっている人がいるよ」と話には聞いていました。

———植田さんがザックをつくり始めたのは、いつ頃からですか?

植田:5年ほど前から、教員の仕事の合間に個人的にザックをつくっていました。

望月:実は僕、2014年に本人より先に南アルプスでザックに出合っているんですよ。山小屋に植田君のザックが置いてあって、目に留まって。既製品とは違う、それまで見たことがないザックだったから気になっていました。

植田:当時は自分のザックのほかに、山で出会ったランナー、衣食住を背負って走るランナーのためのザックをいくつかつくり始めた頃でした。

望月:僕はより使い勝手のいいものを求めていて、植田君のはオーダーメイドだから、自分が思い描いている理想のザックができるんじゃないかと思ったんですね。それで会ったその日に、「つくってくれる?」って聞きました(笑)。

植田:すぐにご自宅に伺うことになって、これまでつくったものをいくつか持っていったんです。でも将悟さんの中には、もっとこうしたいという要望がありました。しかも、制作日数が2週間くらいしかない……。

望月:そう。タイトだったんですけれど、彼は全力を注いでくれたんですよ。

植田:まだ教員をしていたので、学校から帰って夜に必死に縫っていました。

ーーーそれがTJARで夢の5日切りを果たしたザックだったわけですね。

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東京マラソンの背負子をベースに

ーーー具体的にどんなオーダーをしたのですか?

望月:2015年の東京マラソンで、18.1kg(40ポンド)の重さを背負ってギネス記録(3時間06分16秒)を打ち出したときの背負子風リュックをイメージしました。この重さの分散方法でザックをつくって欲しいと。

ーーーいま工房にはいくつかの型紙があって、ユーザーの要望を聞きながらカスタムしていくつくり方をされていますが、その頃はまだ何もなかったわけですよね?

植田:そうですね。ただ、ランナーに向けてつくったザックのポケットの仕様は、そのまま活かせるかなと思ってました。でも、いちばん大きなポイントはボディの形にありました。

望月:とにかく荷重を上にしたくて、ザックを横から見たときに下から立ち上がるような形にしたかったんです。その方法がベストだということは、東京マラソンで実感していたから。背負子には鉛をつけていたんですけれど、かなり上の方につけて、腰回りはすっきりさせていました。

植田:それまで僕はオーソドックスというか、四角いフォルムのザックをつくっていました。上荷重で背負った方が楽なのはわかっていたんですけれど、それよりも行動中のアクセスのしやすさなんかに意識を置いていましたから。

そもそも僕は山を走らないので、荷重に関してはそこまでシビアに考えていなかったんです。それで実際に18kgの背負子を背負ってみたら、確かに重さを感じない。「あぁ、こういうことか」と腑に落ちました。でもそれをどう製品に落とし込むかは試行錯誤でした。

5D3_0719植田さんと出会う前。2012年のTJAR  

重さの配分は国体経験から割り出した

ーーー東京マラソンのときには、そのベストバランスをどう導き出したのですか? 

望月:20代の頃は国体の山岳縦走競技に出ていたので、重い荷物を背負って走る経験はあったんです。何度も大会に出たり練習したりする中で、自分にとってベストな配分に行き着いたという感じです。

ざっくりいえば、上の方に重いものを載せるんですけれど、細かい配分は企業秘密(笑)。上が重すぎても体が重さで振れてしまうし、前屈みになったときに顔が上がらなくて苦しくなるし。

植田:僕も背負子の中は見ていないんですよ、将悟さんカバーをかけていたから(笑)。

望月:そうそう(笑)。背負子はフレームでできていて、そのフレームに重りをくっつけていくんです。たとえば上に10kgつけたら、今度は背筋に5kg、あとの3kgは下のほうに配置しようとか。大会のコースが傾斜のきつい場所なら、上ばかりじゃなくて背筋のところに入れ込むとか。平らなところが多いのなら上の方に重さを集めて、前傾姿勢で走るとか。国体時代から、ずっとそういうことを考えていました。 

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ーーーTJARでは装備の出し入れもありますね。

望月:そうなんですよ。背負子と違ってザックは袋状だから、妥協しなければならないところもあったんだけれど、腕振りに影響する背面の幅なんかはどうしても譲れなかった。

植田:幅を狭くする分、容量をどう確保するか考えました。体から荷物が遠くなると重さで引っ張られてしまいます。アフリカの人たちは頭上運搬をしますけれど、あれは体幹の真上に載せるから何十キロも運べるんです。そう考えると、ザックの厚みをできるだけ薄くして体から遠くならないようにし、首の付け根のあたりに荷重が収まるようにしなければいけない。

背負子のフレームなら荷物を固定すればいいわけですけれど、ザックは型紙がすべて。生地をどう裁断して形にするのかが難しいんですね。普通デザイナーさんやパタンナーさんは、CADで型紙をつくると思うんですけれど、僕はCADができないので、算数の知識で図面を引いてつくるしかない。泥臭いつくり方をしています。

ーーー昔の職人さんのようなプロセスですね。

植田:そうですね。でも最近はベースになる型紙ができていたので、少しは楽になってきました。ところがまた将悟さんが新しい形が欲しいというので……(笑)。

ーーー再び、ゼロからつくることになると。

植田:ゼロからです。ひとつ目をつくったときも、これで正しいのか心配で、仮留めの状態で将悟さんに背負ってもらったんですね。

望月:完成までに2〜3回、うちに来てもらったもんね。

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ーーーなんとも贅沢なつくり方です。

望月:贅沢なんですよ、ほんとに。

植田:途中段階では将悟さん自ら「こんな感じなんだよ」って、紙で模型をつくってくれたりして。

望月:イメージが明確にあったから。でもそれをつくってくれる人が、これまでいなかったんだよね。

ーーー望月モデルNo.1は、いま販売されていますか?

植田:「MIYAMA」というモデルになっています。新しいものをつくったときって、その後にもっとこうしたいという部分が出てきて微調整するんですけれど、これはそれがなくて、将悟さんのためにつくったザックそのままです。

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ーーー「MIYAMA」は「深山」の意味でしょうか?山深い南アルプスをイメージしたのかなと。

望月:ミヤマクワガタの形からとったんだよね?

植田:そうです(笑)。つくりながらどんどん変わっていって、最終的にこんな形になりました。

望月:横から見たときのシルエットも、結構、要望出したな。もっとキュッと上に上げてって。

植田:将悟さんのオーダーを聞いて、僕がその位置をクリップで留めて、これかと理解して。

望月:普通に歩く分にはそんなに変わらないんだけど、TJARではロードも走るから、「走れるリュック」にして欲しかったんです。

植田:本体の中心が普通のザックよりも高めに設定してあります。ショルダーは幅7cmで厚みが1cm。細ければ食い込むし、薄ければ肩に負担がかかるので、幅が広くて厚い方が単純に考えるといいんですけれど、8cm幅にしてしまうと、今度は動きに干渉してしまうんです。それでこの幅に落ち着きました。

望月:ショルダーの厚みひとつでも、とにかく重心を上に上げたかったんですよ。

バックパックにおけるシンプルさとは

ーーーショルダーベルトと本体の距離を調整するスタビライザーもついています。

植田:シンプルなものが好きなんですけれど、山に行って不便を感じるのはシンプルじゃないなと僕は思っています。たとえばウエストやショルダーのポケットもあるよりない方がシンプルですけれど、ポケットがあることで行動自体がシンプルになれば、そっちの方が真のシンプルだと思うんです。山を歩くときに、動きに無駄のないザックをつくりたい。そのために必要なものはつけます。

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ーーー動きをシンプルにすることが、ザックが追い求めるシンプルであると。

植田:将悟さんみたいな厳しいレースに挑む人は、ザックを下ろすのも億劫になるだろうし、無駄な動きをさせないことは体にも影響を与えると思います。TJARのように衣食住を背負って日数のかかるレースはなかなかない。そこがトレイルランとは違うところで、対応するザックも少なかったと思います。

望月:植田君につくってもらうまでは、僕も既製のリュックに自分でいろいろつけていました。

「無補給に挑戦するためのザック」〜望月モデルNo.2

ーーー2つめのザックは、いつオーダーしたのですか?

望月:2018年7月半ば、ちょうどTJARの一ヶ月前くらいだったかな。

植田:1つめは二週間でつくりましたよね。2つめはもう少し余裕があるだろうなと想像していたんですけれど、これも依頼を受けてから納品まで2週間くらいでした(笑)。最初、僕は「無補給」の意味がよくわからなくて、なんだろうと。

望月:自分の中でも、荷物が少なければ1つめのザックで行けるんじゃないかと迷っていたんです。植田君は長い時間をかけて山歩きをするけれど、自分はいつも体力でなんとかしてしまうというか、すぐに行って帰ってきちゃうから、縦走でもあまりたくさんの荷物は持たないんですね。既製品の方が容量も大きいものが多いから、壊れにくいかなと思ったり。それで45Lの登山用ザックを試してみたんだけれど、とても走れなかった。
結局、植田君にお願いしたわけです。想定していた装備を持って工房に行ったんだよね。

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2018年TJAR「無補給」でのザックと装備 

植田:うちには「ミズナラ」というモデルがあって、30L、40L、50Lと展開しているので、それに一度詰めてみましょうと。そうしたら30Lに収まっちゃったんですよね。

望月:なんだ、30Lで行けるじゃんと。

植田:でもまだ食料計画が決まっていなかったので、30L〜40Lの間くらいでつくることになりました。ひとつめのように下部を立ち上げて、一見すると薄っぺらいんだけれど、それだと容量が確保できないので上部は厚みを持たせています。

これくらいの荷重になると、肩で支えるだけで大丈夫なのかという問題もありました。ひとつめはベルト幅が20mmなんですけれど、これは38mmにして、少しでも腰に分散できるようにしています。

ただ肩甲骨と骨盤が連動して足が前に出るので、ベルトで骨盤を締めてしまうと、スムーズに動けなくなるんですよね。それで、通常のヒップベルトの位置よりも上、背骨のS字に湾曲したところ、腰椎を覆うようにベルトが収まるようにしています。30kgとか背負うのならヒップベルトの方がいいですけれど、10〜15kgなら、この仕様の方が動きやすいと思います。 

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望月
:「無補給」がどういうものか自分でも想定しきれなかったから、手探りな部分が多かったよね。

植田:こんな装備を背負って、450kmもの距離を走ってくる人なんていままでいなかったわけだから、ザックが耐えられるのかも不安でした。

ーーーレース中、いろいろな場所で植田さんをお見かけしました。

植田:将悟さんがどこにいるか気になりましたし、トラッキングが止まっていると、ザックが壊れたんじゃないかとすごく不安で。

望月:つくり手としてはそうだよね。走るから、ザックにも相当な負荷がかかるもんね。

ーーー「無補給」は望月さんだけでなく植田さんにとっても大きなチャレンジだったわけですね。

植田:そうですね。2〜3ヶ月試用期間があれば安心できましたけれど、ぶつけ本番でしたから。

望月:でも全然、大丈夫だった(笑)。もし壊れてもなんとかしようと思っていたしね。

ーーー同じザックをつくって欲しいというオーダーもあるのでは?

植田:そういう声もいただいていますけれど、これは将悟さんのためのザックですから。

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「未知なる道を走るためのザック」〜望月モデルNo.3

ーーーでは最新作について、教えてください。

望月:これは、これからの僕の山行のためのザック。本体にパーツがいろいろついていると、籔で引っかかっちゃうので少なめに。1つめは「TJARを走り切るためのザック」、2つめは「TJAR無補給のためのザック」、3つめは、「未知なる道を走るためのザック」。あらたな想いがあるんです。

植田:ベースは「無補給」バージョンに近い形です。本体の生地は防水性の高いX-Pac、それ以外の部分は強度のあるダイニーマという素材を使っています。縫い目はどうしても水が入ってきてしまうので、水抜けできるように穴を空けてあります。耐久性を考えて、外ポケットはストレッチ素材ではなくハリのあるメッシュ素材を使っています。

ーーー新作の背負い心地はいかがですか?

望月:いいよ!!

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植田
:将悟さんの依頼にはなかったんですけれど、ポールをつけたり地図を挟んだりできるパーツもつけておきました。後から追加することはできないので。

望月:ワカンやアイゼンをザックの中に入れるのが嫌で、すぐ取り出せるポケットがあればいいなと思っていて。外付けする方法もあるけれど、僕は中に収めたいタイプだから。

あとは真冬用に手袋をいれるポケットとかね。雪が少ない登りは暑いので普通の手袋で登って、雪深くなってきたら防水手袋を取り出せるように。南アルプスはザレ場とかあるので、冬じゃなくてもピッケルを使ったりするんですね。なので、それも想定しています。 

ーーー色のリクエストは?

望月:色とかはあまりわからないから、お任せ。僕はなるべく目立たない色がいいんです。山で目立つと嫌だし、山と一体化したいから。

植田:いつもはつけないロゴマークも今回はつけてみました。

望月:そう、いつも遠慮してつけないんだよね。なんで付けないのって言ったんです。

植田:僕もあんまり山で目立ちたくないので(笑)。

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上)6月にできあがったばかりの最新ザック 下)これまで制作した3つのザック。初めて制作した青いザックは、2016年TJARで5日切り達成に貢献した。黄色いファスナーのザックは2018年「無補給」バージョン

ーーーお二人は山との向き合い方においても、響き合うところがあるのかなと感じます。

望月:そうだね。僕はそう思っています。自分で山に入って感じて、それをものづくりに活かしているところが、やっぱりいいのかな。南アルプスは他の山域とはちょっと雰囲気が違うんです。その感覚を共有しているから話も合うんですよ。同じように大切に思っている南アルプスの麓に工房があって、植田君みたいな人がいるというのは、すぐ裏山の話をしているみたいですごくいいんです。

僕は彼のザックと一緒に旅をしたいというか、彼と道具のことを話しながら歩んでいけたらいいなと思っています。かつては、自分でいろいろ工夫したこともあるんだけれど。

ーーーカスタムしていたのですか?

望月:カスタムというほどじゃないけれど。僕がレースに出始めた22歳くらいの頃は、ハイドレーションなんて高いし、簡単に手に入らなかったから、自分でホームセンターでホースを買ってつくっていました。細いホースがいいだろうと思って選んだら、めちゃくちゃ吸うのが大変で。ハセツネでいきなり投入したら、「全然吸えないじゃん!」とか焦って押さえつけたりしていました。

植田:そんなことが……(笑)。

望月:あと、子ども用のボトルみたいにしようと、ペットボトルにホースをつけたんですね。本当はボトルの下までホースを通さなきゃ吸えないだけれど、入り口近くで切っちゃったから全然水がでてこない。でもホースをボトルの口にがっちり固定してしまっていたから、どうにもならなくて(笑)。

ーーーいろんなエピソードがありますね(笑)。

望月:ライトも高いモデルが買えなかったから家庭用のライトを持っていって、電池だけはハセツネ会場で当時最強だったアルカリ電池のいいやつを4本奮発して買ったの。それで暗くなってきたから、よしって点けたら、玉が飛んじゃって。結局、予備のライトでちびちび進みましたよ。

ーーー望月さん自身も、道具を工夫してきた歴史がなかなか長いんですね。

望月:それでもなんとかなるだろうというのが、これまでの自分の考え方だったんだけれど、歳を重ねて、いろんなものを買ったり使えるようになってきた。ただそれよりも、ウエディ、あっ植田君ね(笑)。ウエディと一緒に歩んでいきたいという気持ちが生まれてきて。

最初は僕の方が一緒に歩こうと思っていたんだけれど、それがいまは植田君のザックがあるからこそ、自分が目指す登山ができて、山の遊びが広がっているような気がしているんです。

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旅と自然、そして望月将悟から受け取ったもの

ここからは、植田徹さんとbbpの誕生について記してみたい。

藤枝市で生まれ育った植田さんは、建築の仕事をする父の影響で職人さんと触れあう機会があり、いつしか憧れを抱くようになっていく。小学校から高校まで野球に励み、「トムソーヤ」や「ハックルベリーフィン」「十五少年漂流記」などを読んでは、心をときめかせるような少年だった。

「小さい頃からモノそのものが好きで、野球のグローブなんかも、一日中眺めていられるくらい好きでした。僕は丁寧なものに惹かれるし、適当につくられたものが好きじゃないんです。山仕事のお弁当箱としてつくられた井川メンパなど、とても憧れます。手仕事ってなかなかお金に結びつかないですけれど、それを成り立たせたいなと思っています」

高校時代、旅好きの地理の先生から影響を受けた。大学では地理学を専攻し、4年間という自由な時間を使って、自分も旅するようになる。バックバックにテントやシェラフ、コッヘルを詰め込んで、星野道夫や植村直己、野田知佑などの本に夢中になった。

「衣食住すべて自分の背中で背負って完結させるのが、たまらなくカッコいいなと思いました。僕は最初から自然志向のバックパッカーでした。沢の水を汲んで煮炊きをし、テントを張って眠るというのが理想です」

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その頃、南アルプスにも通い始めた。初めて茶臼岳で味わった森林限界の上の空気は、いまでも忘れられないという。美しい大井川の渓流で、フライフィッシングの魅力にも目覚める。

「南アルプスは、僕の原点」

そう植田さんは言う。さらにアルバイトで資金を貯めて、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インドネシアなど、バックパッキングの旅は世界へと広がっていった。とくに心惹かれたのがニュージーランドだ。スケールの大きな自然は、どこか南アルプスの山々に通じるものがある。

ブランドを立ち上げたいまも、時間をやりくりしながら、年に一度はニュージーランドを訪れる。約1ヶ月にわたる自由な旅での経験、そこで感じたすべてのものごとが植田さんの血肉になって、bbpのバックパックづくりへと繋がっていく。

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植田さんにとって、望月さんとの出会いはひとつの分岐点でもあった。

「僕にとって将悟さんは、雲の上の存在です。出会う前から彼は憧れの人で、2014年のTJARゴールでは、大浜海外で遠巻きに見ていました。南アルプスではいろんな尾根で、将悟さんの登ってきたタイムが語り継がれていて、それが信じられないくらい速いんです」 

そんな憧れの存在だった望月さんと椹島で偶然に出会い、3日後には自宅を訪れ、ザックづくりが始まる。千登勢夫人がつくってくれた晩ご飯までご馳走になってしまう。

「将悟さんはそんなふうにとても気さくな人です。僕が教員を辞めて工房を立ち上げると決めたときにも、初めに打ち明けました。成功するかわからないけれど、やってみますという僕の言葉に対して、将悟さんはこう言いました。『失敗はないよ』と。その言葉がどれほど心強かったかわかりません」

植田さんが望月さんの講演やトークショーに出かけると、その姿を見つけた望月さんは、必ず壇上でバックパックについて語ってくれるのだという。

「これがなかったら挑戦できなかったなんて言ってくれるので、僕は胸がいっぱいなって……。涙をこらえるのに必死になります」

山と人、人と人をつないでいきたい

3台のミシンを使って、毎日コツコツと植田さんはバックパックをつくり続ける。

自分が好きなことを仕事にし、それを誰かが喜んでくれるということ……。自らの原点であり、いちばん好きな南アルプスの麓で、植田さんは思い描いていた生き方を手に入れた。

休日には南アルプスの山に登り、釣りをして、豊かな自然の中に身体を委ねる。

いま工房では、200個にも上るザックが完成の時を待っている。月に30個仕上げることを目標にしているが、並行して複数はつくらない。オーダーシートを眺め、注文してくれた人のことを思い出しながら、一つひとつ大切に仕上げていく。

「釣りや沢登り、登山やトレイルランなど、山にはいろいろな楽しみ方で入っている人たちがいますけれど、それぞれはなかなか接点がないですよね。バックパックづくりを通して、そんな人たちのHUBになれたらいいなとも思っているんです」

そしていつの日か、“南アルプスのblooper backpacks”と認められるようになりたい。そのために看板を磨いていく、と植田さんはいう。

「2016年、大浜海岸に僕のつくったバックパックを背負ってやってきた将悟さんの姿を見たときは、いままで味わったことがないような気持ちになって、鳥肌が立ちました。ものづくりを通して、そんな経験を少しでも多く重ねていけたらなと思っています」

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 静岡県榛原郡川根本町水上507
Tel:090-8863-8642
E-mail:toru@blooperbackpacks.com
Web Site:https://blooperbackpacks.com

Photo:Sho Fujimaki
Text:Yumiko Chiba