山本健一「自分をさらけ出す旅〜甲斐国ロングトレイル PASaPASA」

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2020年11月。コロナで多くの国際大会が中止となる中、プロマウンテンアスリートの山本健一は「10年間温めてきたあの挑戦をしよう!」と決心する。地元山梨県の山々を繋いで一周する「甲斐国ロングトレイル336km」の旅だ。

 この旅で山本は山梨の可能性を再発見し、自らの半生を振り返った。

「甲斐盆地をぐるりと囲む山とともに生きてきた自分の人生は、なんて幸福なのだろう」

まっしろな地図に、自分の想い描いたルートを一本の線で繋げていく喜び。一緒に走るのは、トレーニング仲間の菊嶋啓。一年前の試走からこの旅をともにしてきた彼と、最後まで進みたい。途中、山本と仲のよいアスリートが各所に集い、代わる代わるペーサーを務めた。

スタートから5日目の早朝、山本と菊嶋は旅の起点・韮崎駅に辿り着いた。
甲斐国ロングトレイルがぐるっと一周繋がった瞬間。
総距離336km、累積標高25,250m、所要時間119時間28分。

初めて経験した200マイルの世界で、ヤマケンはいったい何を見たのだろう。

 
何かが引っかかっているような、いつにないドキドキ感があった

ーーー今回の旅はいかがでしたか。

山本:何もかもがとにかく楽しくて、もう一回できるなという感じでしたね、感覚的には。もっと長い距離も行けちゃうなと、楽し過ぎて(笑)。最後のサポートポイントだった青木鉱泉ではかつてないほどへばってしまいましたけれど、寝ながら繋いでいけば、あのメンバーならどこまでも行けそうな気がしました。何もいうことないなと(笑)。

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ーーー2019年プロになられた直後にお会いしたとき「いつか甲斐国ロングトレイルを繋いで走りたい」とおっしゃっていました。それを実現されたわけですが、今回走ったルートは、とくにロングトレイルとして定められたコースというわけではないんですよね。

山本:そうです。「甲斐国ロングトレイル」と呼んでいますけれど、定められたルートではなくて、僕が好きなところを勝手に繋げただけです。一部は長野県、埼玉県、静岡県の県境と重なっています。天子山塊は絶対に通りたいと思っていましたね。

10年ほど前から漠然とは想い描いていましたけれど、具体化したのは2019年でした。この年の7月に、前半部分を菊嶋啓君(キクリン)と望月将悟さんと試走してみたら、それが本当に面白くて。走っていると、富士山がだんだん近づいてくるんですよ。

甲斐市の常説寺をスタートして、金峰山古道を通ってね。金峰山はいま瑞牆山の方から登るルートがメインなんだけれど、古道を復活させたくて。走って6時間、歩いたら一泊二日で山頂に行くコースで、ここをぜひ通りたかったんです。道も一部は荒れているし、藪もあるんだけれど、なんとなく踏み跡が残っているんだよね。河口湖の浅間神社までで145km、累積標高は9000m、32時間かかりました。

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 事前につくった行程表。休憩時刻を計算し忘れたこともあり、結果的に予定より20時間ほどオーバーした

ーーーそこに後半部分をプラスしたのが、今回のルートなわけですね。

山本:そう。前半を試走して「これは行ける!」と思って、残りのルートをいろいろ調べたら、全長で200km近くあることがわかったんです。僕はこれまで最長で160kmまでしか走ったことがなかったんだけれど、コロナで海外レースがすべてキャンセルになったので、それなら今年一気に走ってしまおうと思ったわけです。数字というのは、よくも悪くも自分に対して影響を与えるものですね。 

ーーー初めての100マイル超えで、不安はありましたか。

山本:うん、めちゃくちゃあった。2008年までハセツネしか出たことがなくて、2009年に初めて「ウルトラトレイルデュモンブラン(UTMB)」に行ったときも、すごく不安があったんです。ハセツネの倍以上の距離があるから。

不安と好奇心が混ざり合った複雑な心境だったんですよ。ただ単に楽しいだけでは済まない、ちょっとしたドキドキ感がある。そうだね、ドキドキという表現がいちばん近いかな。何かが胸に引っかかっている感じがあったんですよ、そのときも。

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 11月11日朝7時、地元の人たちに見送られて韮崎駅前をスタート 

ーーー「引っかかっている感覚」というのは想像できます。その時以来ですか、そうした感覚は。

山本:2017年スペイン・バスクのレースで、足首の腱鞘炎が原因で一度リタイアしたことがあって、翌年に『ウルトラツール・モンテローザ』に出場したときには、今回と似たような気持ちでしたね。リタイアした後の初めての170kmだったから、不安が大きかったんです。

腱鞘炎というのは捻挫と違って、身体の使い方が原因の故障だから、再発の可能性もある。100マイルはそうそう練習できるものじゃないし、本番で勝負みたいなところがあるから、またリタイアしたくないなと思っていたんだな。でも走り始めると何も不安はなくなってしまう。僕の場合はいつもそうなんですよ。それは分かっているんだけれど、一歩乗り越えるときは何か引っかかってしまう。意外と小心者なんで(笑)。

ーーーこれまで年一回ずつ海外100マイルレースを積み重ねてこられて、ご自身の100マイルの走り方を研ぎ澄ましておられるようなイメージがあります。今回はレースではないですし、まったく新しいチャレンジだったわけですよね。 

山本:そう、レベルアップというイメージはありましたね。これが成功すれば、100マイルももっと余裕が出てくるから。いまなら100マイルを走るのは、めちゃくちゃ楽だと思います。これまでとはちょっと違う気持ちになっていますね。

以前からもっと長い距離を走りたいという想いはありましたけれど、まだ100マイルをめいっぱい走りたいとも思っていたから、こんなに早く200マイルを走るとは想像していなかった。レースじゃないにしても、絶対にゴールしたいと思っていたからね。

ーーー2020年のコロナ禍に新しい挑戦をされたことは、いろいろな意味を持ったようにも思えます。 

山本:そういうタイミングだったのかなと思います。一周を実現するには中途半端な準備じゃできないけれど、今年ならやれるかなと。この先、全部通してチャレンジできるタイミングなんてあるかどうかわからないしね。キクリンともそういう話をしました。

ーーー菊嶋さんとのお付き合いは長いのですか?

山本:2008年頃、キクリンが初めてトレイルランを走ったときから知っていてね。中学から知っている加藤淳一君(カルロス君)が連れてきて、一緒に走ったのが最初でした。彼の方が年下だから「山本さん」と敬語を使ってくるんです(笑)。長い距離とかオーバーナイトとか、一人ではやらないようなトレーニングを一緒にやる仲間ですね。

 

旅を支えてくれた最高の仲間たち 

山本:今回は行く先々でたくさんのペーサーが走ってくれたんですよ。前半の迷いやすい場所は「道がまっすぐ」(甲府のトレイルランショップ)の小山田隆二さんがサポートしてくれてすごく助けられたし、望月将悟さんもたくさん走ってくれてね。静岡の熊(望月さん)と山梨の猿(ヤマケン)だね。

キクリンは途中で胃腸がダメになったので一度離脱して休んで、また日本上流文化圏研究所から最後まで一緒に走りました。将悟さんは岩殿山公園からうつぶな公園まで走ってくれて。彼は静岡市の消防局勤務で、仕事明けに来てくれたんだけれど、30時間くらい一緒に走りましたね。途中からは将悟さんの後輩の谷允弥くんも逆走してきてくれて。彼も夜勤明けだと言っていたな。

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ーーーみなさんタフですね。

山本:将悟さんはすごいね。僕が前を走らせてもらって、将悟さんが後ろを走ってくれたんだけれど、安心感が全然違うんですよ(笑)。キクリンはいい意味で、空気みたいな存在なんです。あまりしゃべらないし弱音も吐かないし、黙々とついてくる感じで、一緒にいて全然ストレスを感じない。

一方で将悟さんは、「この人といれば絶対に進める!」みたいな安定感がある。何があっても進んで行けそうな気がする。とにかく余裕があるから、安心させてくれるんです。すごかったのは、天子山塊の雨ヶ岳の手前で将悟さんに仕事の電話がかかってきたとき。ものすごい急坂を登っていたんだけれど、電話で5分くらい話す間、まったく呼吸が乱れていないんですよ。僕は両手でガシガシとストックを使いながら登っていて息が荒いんだけれど、将悟さんは片手でストックを使いながら静かに電話している。電話が終わったら「ハアハア」とすごい呼吸に戻っていたから、ほぼ息を止めていたんだなと。俺にはできないと思ったな。あと、いろいろおやつをもらいましたね、飴とかチョコとか(笑)。

ーーー走りながらどんなお話を?

山本:「このコースにいつか海外の仲のいい選手を呼びたいね」とか、ワクワクする話が多かったですね。あと、このエリアで練習している牧野公則君の話なんかもしました。「このルート、いつも通っているのかな?」とか。そうしたら思いが通じたのか、牧野君が本栖湖畔に会いに来てくれてね。彼は大月消防署に勤務しているんだけれど、「署から3つのライトが見えたので応援に来ました」と。僕ら両思いだね(笑)。

その後のうつぶな公園からは、カルロス君とザ・ノース・フェイス・アスリートの志村裕貴君がサポートしてくれた。自衛隊の青木光洋君は日本上流文化圏研究所から池の茶屋まで走ってくれたね。今回、自分でペーサーをお願いしたいのはカルロス君と青木君。あとはみんな厚意で来てくれたんだよね、嬉しいことに。

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ーーーこの辺りが地元の方ばかりですか。

山本:そうだね。カルロス君、青木君、キクリン、僕とで「山梨元気軍団」というチームを結成していて、以前はよく4人でトレーニングしていたんです。いちばん活動していたのは5年前くらいかな。青木君の仕事が忙しくなってしまったから、最近はあまり集まれなくて。 

ーーー「山梨元気軍団」というチーム名はどこから生まれたのでしょう?

山本:まだチーム名がなかった頃、みんなで南アルプスの仙丈ヶ岳に登っていたら、登山のおばちゃん達に「すごいね!元気軍団だね」と言われて。なんだかみんなしっくりきちゃって「俺たち、山梨元気軍団だね!」と即決して(笑)。今回、久しぶりに4人揃ったのが、うつぶな公園だったわけです。 

志村君はうつぶな公園から日本上流文化圏研究所までの一番長いパートを、14時間30分くらい走ってくれた。彼とは2年ほど前からよく一緒に走るようになったんだけれど、足が速いから、無茶苦茶追い込んでくれる。いつも僕が後ろを走らせてもらうんだけれど、すごく疲れる(笑)。志村君は上流文化圏研究所で一度休憩して、また夜叉神峠からゴールまで走ってくれました。小学校の教員だから月曜日は仕事があって、ゴール後は慌てて帰っていましたね。

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走るってことは、自分の素をさらけ出すことなのかな

ーーー次々に旅をともにする仲間たちが登場したという感じですね。ペースはどれくらいだったのでしょう。 

山本:最初から無理せず遅すぎずのペースで、その辺は適当に(笑)。僕は走っているときにペースとか見ないタイプで、ポイントでタイムを確認するくらいなんです。

前半は去年の試走時間を参考にタイムスケジュールを割り出して、後半も試走していたパートはそのときのタイムを参考にしていたんですけれど、試走していなかったパートは、やっぱり大幅に狂っちゃったね。どんどん差が開いてきて、三つ峠登山口からうつぶな公園までが相当遅れました。

あと、これは僕の完璧なミスなんですけれど、仮眠時間だけ計算して、休憩時間を入れないで各ポイントの通過タイムを組んでしまったんです。本当なら、全部のサポートポイントで30分くらいプラスしておくべきだったんだけれど。三つ峠までは、まあいいペースで進んでいたんだけれど、将悟さんから「健坊、これは無理だよ」と言われて(笑)。

ーー天子山塊のあたりでしょうか。

山本:そう。天子山塊は僕らが『UTMF』に出場していた大会設立当初、いちばん厳しいパートだったんですよ。そのことをすっかり忘れていて。いちばんのダメージは長者ヶ岳からうつぶな公園の間、永遠に続く岩のトラバースでね。東海自然歩道の一部なんだけれど、急斜面に道が切られていて「これ全然、自然歩道じゃないよな」と思うくらい。将悟さん、谷君と一緒だったからよかったけれど、一人だったらやばかったですね。疲労もピークだったし、きつかったです。ロープも張っていなかったし、落ちたら救助にも入れないところだからね。道がよければ全然苦しくないんですけれど、道が悪いと精神的にもきつい。

ーーー厳しいパートはほかにもありましたか。

山本:次にきつかったのが、池の茶屋駐車場の手前。ここで1時間くらい迷ってしまって。正しいルートはまっすぐだったんだけれど、僕ら疲れていたから、林業のピンクテープに惑わされて。

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最後にきつかったのはドノコヤ峠かな。ここは昔、銅山で集落があり、学校もあったんです。歴史ある場所で面白いところなんだけれど、急坂があったり倒木を乗り越えたりしているうちにダメージを受けましたね。

ドノコヤ峠を過ぎて少し行くと、樺平(かんばだいら)という日当たりのいい平たい尾根に出るんです。そこに着いたら、もう終わりだとわかって、ほっとしすぎちゃってね。サポートをしてくれていた齋藤通生さんと芥田晃志さんと舘下智さんの顔が浮かんできて、涙が止まらなくなっちゃって。そして地元山岳会の亀田さんも応援に山の中に来てくれていて、さらに涙があふれました。ゴール前日の午後2時くらいだったかな。

ーーーそれほど気持ちが張り詰めていたんですね。

山本:そうだね。ここまでが激しすぎて、ほっとしたら3人の顔が浮かんで。もうすぐあの人たちにまた会えるという安堵感と、ここまで4日間フルサポートしてくれたことが本当にありがたくて、涙流しながら歩いていたんですよ、夜叉神峠まで。

それで夜叉神峠に行ったら、来ているはずのない舘下さんが来ていて、また涙が溢れてきてね。ここはサポートカーを駐める駐車場から歩いて1時間半くらいかかる場所だから、3人はいないと思ったんです。後輩の岡村君が補給食を上げてくれる予定だったから、まさか舘下さんがいるとは思わなかった。

ーーーこれまでに感極まって涙が溢れるようなことはありましたか、レースで。 

山本:あったんですよ。一度目は2009年、初めての『UTMB』のとき。初めてのモンブランなのに途中で眠くなってしまって、緊張感ないね(笑)。霧の中をずっと走っていたんだけれど、ふと霧が晴れた瞬間にエルク(甲府のアウトドアショップ)の柳澤社長の顔が突然浮かんできて、そうしたら涙が出てきてね。すごく応援してくれていたから。霧が晴れた星空の中で。大変な状況が終わってホッとしたときですよね、このときも。

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ーーー鮮明に覚えていらっしゃるんですね。

山本:うん、こういうことは初めてだったから、すごく覚えている。確かコンタミンとシャピューの間にあるボンノム峠でした。レース中にほっとして涙したのは、この時以来ですね。

あとは、『ウルトラツール・モンテローザ』に出場したとき。マッターホルンが見えた瞬間、相馬剛さん(マッターホルンで死去した伝説のトレイルランナー)のことを思い出して、無茶苦茶、涙でましたね。レースが終われば僕は家族に会えるけれど、相馬さんはもう家族に会えないんだなと思って。

ーーー相馬さんとヤマケンさんは同時代を駆け抜けてきたトップアスリート同士ですね。 

山本:そう、よく一緒のレースに出場していました。こうして振り返ってみると、必死に走っているとき、本気になっているときは、自分が剥き出しになっているかもしれないな。ゴールで悔し涙を流したこともあるし、嬉し涙を流したこともあるし。走るってそういうことかもしれない。素の自分を出しているかもしれないですね。普段はそういうこと絶対にない。山を長時間走るということは格別なんですよね。

ーーー最後のサポートポイントである青木鉱泉で深夜にお会いしたときの様子が印象的でした。これが素のヤマケンさんなんだなと。

山本:そのあたり記憶があまりないですよ(笑)

ーーー眠気も疲労もピークを迎え、いま100マイルとは違う世界に入っているのだろうなと感じました。おそらく、ご自身の限界点を遙かに超えていた時間帯だったと思うのですが、意識が朦朧とする中でも、ご家族や周りの皆さんに気を配っていらっしゃったのが心に残っています。

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山本:心の中ではかなりきつかったんですけどね(笑)。足が痛いのと眠いのが重なって。志村君とかキクリンとか後輩の岡村に引っ張ってもらって、気合いだけであの場所に辿り着いた感じでした。地蔵峠から青木鉱泉までのドンノコ沢の下りが道も悪くて段差も多いところなんです。昼は滝が見えて綺麗なんですけれど。変なものも見えたな(笑)。

ーーー幻覚ですか?

山本:そう。滝を見たとき、滝の中にクライミングをしている人が見えましたね。完全にいました(笑)。「あれ、クライミングしている人がいるじゃん」と言ったら、岡村に「いないよ!」と言われて。記憶があるようでなかった時間帯だったんですけれど、青木鉱泉には家族が来てくれたからインパクトありましたね。その前のサポートポイントにも来てくれたらしいんだけれど、僕らが出てしまった後で会えなくて。

ーーー限界を超えてくると人はいろいろな面が表出すると思うのですが、ヤマケンさんは心の底からこの挑戦を楽しんでいらっしゃるようでした。 

山本:仲間も最高でしたからね。不思議な時間でした、すごく。あの時間帯は過去にないくらい疲れていたかもしれない、ほぼ夢の中で(笑)。正直、ここまでの状態になるとは予測していなかったかな。実は池の茶屋で少し飛ばしちゃったんです。キクリンと「日曜のうちにゴールしたら、みんなビビるよね」とか言って、モチベーションが上がってしまって。池の茶屋を出ですぐは道もよかったんだけれど、ドノコヤ峠に近づくにつれて道が荒れてきて「これは通れないかも」というところもあって、二人でなんとか通過しました。

 

順位はおまけだと思っている、いつも

ーーーなぜこんな長い距離に惹かれるのでしょう。

山本:なんででしょうね。短い距離はあっという間に終わってしまうけれど、長い距離は長い時間みんなと楽しめるのが好きなんだよね。

ーーーみんなと楽しむ時間、ですか。

山本:僕はそうですね。サポートの人もそうだし、一緒にいる人たち、レースなら他のランナーも含めてね。外国では友達もできるかもしれないし、どうせ走るなら、長い時間楽しめる方がお得感があっていいなと思うんです。楽しみが多いから。

僕は“山を走ること”が好きなんですね。山を進んでいくことが好き。ロードのジョギングもしますけれど、コンディショニングと追い込むのが目的かな。一方で山は娯楽というか、そんな感じですなんですよ。とにかく楽しい(笑)。

ーーー娯楽、というのはいいですね。

山本:だから1位になれないのかな、自分は(笑)。あまり追い込めないというか、競えないというか、自分のペースでしか行けないんですよ。ものすごく頑張って人に追いつこうという、そういう意識があまりないし。

ーーーないんですか?

山本:全然ない(笑)。だから今回の挑戦は心地よすぎた。めちゃくちゃ自分に合っていたと思う。全然がんばらなくていいから。

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ーーーヤマケンさんは1位をそんな感覚で捉えていらしたんですね。

山本:そう、1位はピレネーの一回しかない。人を追いかける意識が全然ないから、競技者としてリザルトのことを冷静に考えると、それがトップに立てない原因の一つなのかなと思いますね。僕は順位はおまけだと思っている。1位になろうと思ってなるのはとても難しいことだと思うしね。

だから100マイルレースも、マイペースでしか走れない。サポートチームの人たちも一切、途中の順位とか、「前の選手との差は何分」とか言わない。それは多分、僕のことを分かってくれているからだと思うんです。だからどの挑戦も、みんなで遊びに行っているような気持ちです。

ーーー長年ヤマケンさんを撮影しているカメラマン・藤巻翔さんのお写真からも、チームの皆さんでレースを楽しんでいらっしゃる空気が伝わってきます。

山本:よかった(笑)。ピレネーも結果的に1位になってしまったというかね。途中まで全然1位とは知らなくて、撮影で先回りしていた藤巻君に会って、「ヤマケンさん、前に誰もいないですよ」って言われて気がついた。

ーーーみんなで進むことが必然なんですね。

山本:そうだね、サポートがいないのはちょっと厳しいかな。将悟さんの「無補給」(2018年トランスジャパンアルプスレースを無補給で臨んだ)みたいなスタイルは、応援がたくさん来てくれるから、それはそれでいいんですよね。あれだけ注目されて、応援してくれる人がいて、ああいうチャレンジは羨ましいと思う。

僕はちやほやされたいんですよ、昔から(笑)。韮崎高校に入学して山岳部に入ろうと思ったのも、全国大会で優勝できそうだったから。注目されたくて山岳部に入っただけで、別に山が好きだったとかじゃないんです。注目されたいからマイナー競技を選んだ、それが山だったと。そうとう不純な動機だね(笑)。いまは仕事にしてしまうくらい、かなり山が好きになっちゃっているけれど。

 

サポート隊に伝えたのは「与えてはいけないもの」 

ーーー今回のチャレンジでとくに準備したことはありますか。

山本:長時間動き続けるトレーニングをしましたね、かなり。キクリンや志村君と一緒に、山の中で6時間、12時間、24時間トレーニングなどやりました。

ーーーサポートチームにはどのようなリクエストをしたのですか?

山本:与えてはいけないものを伝えました(笑)。肉系、果物とか、これまでの経験から、挑戦中に食べると調子がよくなかった食べ物をリストアップしました。僕は柑橘系がダメなんです。あとは「エイドでするべきこと」を紙に書いて渡しました。「とにかく充電を優先してください」とか。時計とヘッドライトとGPSの充電がありましたから。

あとは「ゴミを捨ててください」「豆腐を出してください」とかかな。豆腐は奴でいいと思っていたんだけれど、寒いからと昆布で出汁をとって湯豆腐で出してくれましたね。タレはテンヨの「だしつゆビミサン」。山梨の人はこれを使うんだよね。ほかに柔らかいご飯で、べちょべちょのおにぎりをつくってもらったな。これも事前に試して、調子よかったので。ほうとうも食べたし、ほうじ茶もよく飲みました。

事前に自分で買い物をしたんですね。ほうとうを柔らかく煮て、具なし味噌味で食べたいなと思って用意しました。味噌味はやっぱりよかったなあ。キクリンも同じものを食べていましたね。あとはプロテインのサムズとベスパ。長い距離って、ずっとトレーニングしているような状態じゃないですか。その間にずっとプロテインを摂り続けるというのはかなりよかったですね。

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ーーー行動中にはどんな食べ物を?

山本:走りながら食べたのは、エイドでもらったべちょべちょのおにぎりとコンビニの蒸しパン。蒸しパンはトータルで20個以上食べました。しっとりしていて、ちょっとした甘みがあって、すごく食べたくなったんです。おにぎりの具は主にシャケフレークで、100個くらいは食べたと思います。飲み物はすべて水で、途中から温かいお湯を入れた水筒を用意して、一緒に走ってくれる人に持ってもらいました。

ーーー身体のケアなどはしましたか。 

山本:サポートポイントに到着する度に、芥田さんにローラーでマッサージをしてもらいました。マッサージを受けながら進むというのは贅沢でいいですね。「至れり尽くせりだな」とか言われながら(笑)。 

ーーー5日の旅を終えて、ゴールした瞬間はどんなお気持ちでしたか。 

山本:何もいうことなかったですね。やった、一周繋がったなと。じっくり安堵感を噛みしめたみたいな感じでした。ゴールした後はずっと起きていて、ようやく寝たのは夕方6時だったんですよ、忙しくて。ゴール後まずみんなで朝ご飯を食べに行って、それからサポートで使用した物を片付けるために車が2台我が家に来て、荷物整理。僕はひたすら鍋を洗いました。靴下も替えずに、5日間着続けた服のままお風呂も入らずに(笑)。

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 ーーー甲斐国ロングトレイルにはもうひとつ富士山を含めた長いルートがあると聞いています。

山本:450kmくらいあるんですよ。これもいつかやるだろうなと思います。でも今回のコースも大事にしたいですね、すごくいいので。いま、いちばん道が悪いところは地元の人たちが整備に入っているんですよ。僕もチャレンジを終えてから、一緒に整備をさせてもらっています。現状だと人にお勧めできない箇所があるんだけれど、そこをしっかり整備できたら、みんなに紹介したいですね。今回のエリアは夏場はヒルがすごいから、走るなら10月下旬以降ですね。11月下旬になると降雪期とのせめぎ合いになってしまうけれど。

 

知らずに不足するエネルギーを、どう補給するか

ここからはヤマケンさんの挑戦を長年支え続けている“チームヤマケン”の監督・齋藤通生さんにも加わっていただき、サポートチームから見たヤマケンさんと、この挑戦についてお話を伺いました。

今回、齋藤さん、ニューハレの芥田晃志さん、フルマークスの舘下智さんは車に分乗し、5日間密着でサポートを行っています。お三方とも、ウルトラトレイルレースのサポート経験豊富なスペシャリストです。

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5日目の朝、ゴール直後。(左から)芥田晃志さん、齋藤通生さん、山本健一さん、菊嶋啓さん、舘下智さん

ーーーヤマケンさんから特別なリクエストはありましたか?

齋藤:あんまりなかったんです。何しろ初めてづくしだったので「これはどうかな」と思ったことを試してみて、よかったら次のエイドでも続けるという感じでした。ただ、途中からあまり食べ物が消化していないように見えたので、「ジェルを摂ってよ」とは言いましたね。

ゴール後、体脂肪がすごく落ちていたんです。ペースがそれほど速くないから、ずっとマフェトントレーニング(心拍数を抑える有酸素運動)をしているような感じなんですよね。それで体中の脂質を使ってしまっていて、少し脂質の摂取が足らなかったかなと思っています。あと糖質も足りないから、何かで補わないとダメかなとは途中から感じましたね。

ーーージェルはそういう時にも有効なんですね。

斎藤:そう。でも通常の食べ物の方が美味しいでしょう? 普通の食事と比べたら、ジェルはどうしても異物のように感じてしまうから、「NUTTY HONEY」(蜂蜜ベースの低GIジェル)をお湯で溶かしたものを飲んでもらったりしました。

山本:これくらいのスピードだと、ジェルを食べたいという欲求が湧かないんですよ。

齋藤:食べ物の方が美味しいからね。次回の課題としては、もう少し液体のエネルギー源を考えなければいけないかな。挑戦が5日以上になるとジェルよりドリンクの方が摂りやすいからね。レースじゃないので速くチャージしなければいけないといった制限はないから、ジェルでなくてもいいんだけれど、食べ物で摂れない要素を補うためのエネルギーは何か探さないとダメかなと思っています。

山本:確かに最後はカロリー不足だった気がしますね。

ーーー基本は咀嚼する食べ物の方がいいのでしょうか。

齋藤:噛んでいる方が満腹感もあって飢餓感が減ると思う。でも、実際にはエネルギーがきちんと吸収されていなくて、知らないうちに疲弊していく。寒くなると水を飲まなくなるのと一緒だよね。寒いと喉が渇かないから水を飲まなくなって、知らないうちに脱水してガクッと調子が悪くなるでしょう。これくらいの長距離になると、同じようなことが起こるんでしょうね。

味噌汁はとてもいいけれど、塩分と水分は摂れても栄養的には足りない。甘酒もいいけれどGI値が高くて血糖値がすごく上がるから多用はできない。今回も飲みましたけれど、水で薄めてアップルハニーを加えました。 

エイドでうどんなどの炭水化物ばかり食べさせるのもよくないんですよ。仮眠をするなら、炭水化物を食べても、寝ている間に血糖値が下がってリスタートするときには安定するけれど、寝ないですぐに出発するときに炭水化物が多すぎると、血糖値が上がったままだから、どうしたらいいのかなと。そこも課題ですね。 

山本:こうやって、僕が知らないところでコントロールしてくれているんですね。僕は美味しいものを食べているだけなんだけれど(笑)。

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齋藤:アスリートによってはエイドでうどんをたくさん食べる人もいますけれど、そうするとイライラしたりするんだよね。血糖値が急激に上がって急激に下がる低血糖が原因だと思うな。

山本:事前の練習ではキクリンと「鶏肉とかいいかもね」と言っていたんですけれど、全然いらなかったですね。缶詰も買っていたけれど食べなかったし。100マイルレースのときには、レース後にフライドポテトなどの脂っこいものを食べたくなるんですけれど、今回はそういう欲求もなくて不思議でした。走っているときも、あれ食べたいこれ食べたいといった欲求は起こらなかったな。

 

エイドで「浮腫んでいない?」と聞くんです

ーーー“チームヤマケン”とは齋藤さんにとってどんな存在ですか。

齋藤:年に一度の興味深い大人の遊びですね。

山本:やっぱりそうなんだ(笑)

齋藤:これまで、たまたまヤマケンの学校の休みに合わせて年一回の遠征だったから、みんながスケジュールを調整して行けたんですよね。初めてヤマケンのサポートをしたのは、2011年の『UTMB』。僕と芥田さんが帯同したんだけれど、このときヤマケンが10位に入賞してね。翌2012年の『グランレイド・デ・ピレネー』は藤巻君に撮影を頼んで、ヤマケン、トレーナーの越中さん、僕の4人で行ったんです。そうしたら、優勝しちゃったんですよ。翌年の『アンドラ・ウルトラトレイル』にはTBSテレビ「情熱大陸」の取材クルーも帯同して、18人くらいの大所帯だったな。

ーーー毎回、壮大な遊びですね。

 齋藤:最近ウルトラのサポートを見ていると、ハンドラーみたいに、ただ選手に物を持っていってあげればいいみたいな意識の人が多いですよね。でもそれだけじゃなくて、長いレースになると選手は疲労してきて一人では判断できなくなることがあるから、きついときに必要になってくるのが本当のサポートチームなんだよね。そういう感覚は、ある程度サポートを経験しないとわからないかもしれないな。僕らも最初の頃は精度が低かったと思います。

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ーーー心身の複合的な要素が絡みますから、サポートも経験値が重要になってくるのかもしれないですね。

齋藤:そうかもしれないね。回を重ねるごとに、僕らが持っていく荷物は減ってきましたよ。「こんなもの、持って行っても使わないよ」とわかってきて今のスタイルになったという感じです。

山本:身体の調子についていえば、僕自身はむくまないように意識しています。以前は浮腫むことがよくあったので。それを意識して整えるようにしてから、わりと調子がいい気がしますね。だからエイドに着くと通生さんに「浮腫んでいますか?」って、いつも聞くんですよ。

齋藤:以前はレースが終わると、水と塩分のバランスが崩れていて顔がパンパンだったよね。この2つのバランスはなかなか難しいんですよ。僕はヤマケンが走りながらどれくらいの水を飲んでいるか常に確認するんです。フラスコの残量を見ると、あまり飲んでいないこともあるから、そういうときはエイドで多めに水を飲んでもらって塩分を補給してもらう。いまはどっちが足りないかというのは、以前よりわかるようになったかな。

ーーー今回はずっと清々しい晴天でしたけれど、途中で着替えなどはされたのですか?

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山本:一回もしていないです。2日目、あまりに臭すぎて靴下を替えただけで、あとは替えていませんね。ウエアが馴染んでいて、替える気にならなかったというか。替えたいと感じたら替えていたと思うんですけれど、そういう気にならなかったから、このまま行っちゃえと。

齋藤:上半身は気温に合わせてレイアリングしていたけれど、下半身はずっと同じものを着ていたよね。着替えるとリフレッシュするけれど、擦れなどが生じる可能性もあるでしょ。それに最近のウエアは機能がよくなってきたから、匂わないしね。

 

ウルトラランナーに「定型」はない

ーーーこの挑戦に続きはありますか。

山本:地元ってやっぱり楽しいなと実感したんです。ヨーロッパに行くと僕はすごく楽しいんだけれど、その土地の地元のランナーはもっと楽しい思いをしているんだなと思ったんですよ。僕らはなんだかんだ言っても、現地ではアウェイだから。

だから、今度は山梨で逆のことをしたい。海外からランナーに来てもらったりしてね。地元を楽しんでもらうというのは、僕らにとってすごく嬉しい経験だから。

齋藤:ヨーロッパに行くと、ローカルの人たちが相当楽しんでいるんですよ。同じようなことをここでやりたいね。 

山本:思い返せばUTMFも地元開催だし、出場したときは楽しかったな。知っている人がたくさんいて、見慣れた景色の中を走って。ましてや今回の山々は全部家の近く、家から見える山だから。 

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ーーーいま、いろいろな挑戦のスタイルがありますよね。レース、FKT、今回のようなオリジナルルートなど。

齋藤:サポートしていて思うのは、ウルトラランナーって定型がないんですよ。短い距離ならセオリーがあるのかもしれないけれど、100km以上になるといろんなスタイルでの完走が生まれてくる。すごくフォームが崩れているのに最後まで粘る人もいれば、フォームは美しいのにリタイアしてしまう人がいたり。もちろんレースだから競技の側面もあるんだけれど、それ以外の側面が出てくるんですよね。

自然に近いというのかな。これは多分遊びなんですよ、波乗りと一緒で。誰それがいちばん上手いとかいっても、それはローカルヒーローであって、その人より上手い人が外から現れたりする。山も同じで、山域との相性がある。そこが面白いんだよね。

ーーー自然の中での遊びだから絶対的な基準がないわけですね。

齋藤:そうだね。100マイルはよく「人間が寝ないで走れる最長距離」と言われるんですよね。マラソンは「最速で走れる最長距離」で。そういう意味でいえば、100マイルはまだ競技性があるけれども、今回のチャレンジなんてノマドみたいですよね、遊牧民。だからアスリートの性格が出てきますね。

長い距離を走ると調子のアップダウンがあって、ダメになったりよくなったりするじゃない? でもダメにさせない方法もあるんじゃないかと僕らは思うわけですよ。ここでダウンしなかったら、もっとよかったんじゃないかとか。そういう意味では、長い距離だと面白い結果がつくれる、発見があるんです。今回の挑戦はF1じゃないね、パリダカールラリーのような感じ。長いラリーのような気がするな。

山本:まさにそうですね。エイドに居ると、あっという間に20分とか過ぎてしまうんですよ。 

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ーーー最速を狙った挑戦ではないので、エイドでの滞留時間も調整が難しいのではないですか。ここはゆっくり休ませた方がいいのか、お尻を叩いて出発させた方がいいのかとか。

齋藤:そういうのすべて初めてだったからね。去年、前半の下見をしたときから、これはFKTじゃないなという気がしていました。一周繋げるのは3年くらいかかると思っていたんだけれど、たまたま新型コロナウイルスの影響で実現することになって。だから僕らも想像がつかなかったんですよ。いつものメンバーである舘下君に加えて、超長距離レースのサポート経験が豊富な芥田君も必要だなと思って、二人に声をかけました。

山本:一ヶ月前に集まったんですよね。ルートファインディングして、車を駐める場所を確認しながらエイドチェックして。


“非日常”の海外遠征、“日常の延長”の国内チャレンジ

ーーーヤマケンさんをご覧になって「これまでと違うな」と思ったところはありましたか。

齋藤:100マイルレースとはスピードが違うから、単純に比べられないんだけれど、基本的にはあまり変わらなかったと思います。後半もっと消耗するかと思ったけれど、そうでもなかったし。もちろん肉体的には消耗して見えたけれど、精神的にはそうでもなかったかな。

山本:楽しかったからね。100マイルよりも楽しかったから(笑)。

齋藤:僕らサポートクルーも、二日目の朝まではすごく長く感じたんだけれど、それ以降になると時間の流れに頭が慣れてくる。あっという間に1日が終わるんですよ。ゴール前日の4日目なんて「もう終わっちゃうんだ」と思ったくらい。

ーーーサポート的には「もっといける」という感じでしたか、心身ともに。

齋藤:そうね、10日くらいは行けますよ。僕らの反省点といえば、山梨を侮っていたこと。

近すぎて、どこでも何でも買えると思って、ちゃんとした準備をしていなかったんだよね。海外だと、日本にいる間に持っていくものを精査して準備するんです。現地に入ってしまうとコースチェックがあったりしてやることがたくさん出てくるから、持ち物は国内にいる間に考えてしまう。

でも国内レースだと、それがおろそかになるんだよね。取りあえず持っていけばいいや、という感じになって。サポートカーの荷物が膨大になったのはそのためなんです。国内チャレンジはそういう意味で難しいかな、日常だから。海外は非日常だから、準備するじゃないですか。何かあったら困るから、自分の持ち物も熟考して完成形で現地に着くんですよ。

ーーーなるほど。国内だと確かに日常の延長という感覚かもしれないですね。 

齋藤:サポートチーム3人はみんな結構いい加減だから、取りあえず持っていけばいいじゃないとなってね。もうちょっと準備すればよかったな。 

山本:でも僕が「あれが欲しいな」と思うとすぐに出てきましたけれど。 

齋藤:そうなんだけど、もうちょっと準備しておきたかったなと。海外レースより実は、今回のようなチャレンジの方がシビアだからね。途中にエイドはないし、誘導の人もいないし、夜は山の中で何もないわけだから。そういう意味では国内での心構えが足りなかったですね。 

ーーーどこでも足りない物が買える分、柔軟に対応しやすいのかなと思っていました。

齋藤:なんだろうな。持って行ったのに開けなかったバッグとかありましたよ(笑)。次回用意しておこうと思ったのは、生ものを整理して保存するための大きいアイスボックスと4Lくらいの保温ボトルかな。一回に湧かせるお湯の量が少ないんですよ。夜寝るとき、足を温めるために湯たんぽとか必要でしょう。それにお湯を使うと、足りなくなってしまうんです。ジェットボイルだと量が限られてしまうから、バーナーの種類も要検討かな。厳冬期用の高性能バーナーとかね。1日目の大弛峠では、テーブルに置いておいた珈琲が凍るくらい寒かったから。

ーーーこうやってブラッシュアップしていくわけですね、サポートスキルを。

齋藤:そうなんだよね。それにしても僕ら、本当にいい景色を見ましたよ。紅葉真っ盛りの5日間というのは最高でしたね。真っ赤な楓がいっぱいあって。

UTMBの台頭以来、100マイルといえば欧州かアメリカ。ヨーロッパ行かずして日本で100マイル語るなかれ、みたいな風潮もあったじゃないですか。海外のレースの方がいいというような風潮がね。もちろん、海外もたくさんいいところがありますけれど、今回のエリアは相当すごかった。標高はヨーロッパより低いけれど、簡単な山じゃないよなと。これがやがて何十人かでトライアルできたとしたら、すごく面白くなると思う。ヤマケンインビテーションみたいな挑戦とかね。

 山本:面白そうですね。しっかり整備しないといけないですね。

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ーーーいま「海外レースと比較しすぎていた」というお話がありましたが、アウトドア業界に長く携わられている齋藤さんは、最近のトレイルランシーンをどうご覧になっていますか。 

齋藤: 山の世界ではトレイルラン、バイクパッキング、登山などさまざまなアクティビティを楽しむ人があまりいないですよね。アルパインクライマー、クライマー、ハイカーみたいにジャンルが別れていて、アルパインクライマーよりハイカーは下みたいな見方があるじゃないですか。そうではなくて、たとえば重い荷物を背負って山に登って、そこからトレイルランを楽しむとか、もっと複合的な遊び方があってもいいと思うんですよね。

僕はよく海の人と比較するんです。オーストラリアやハワイなど海文化が深まっている地域では、大きなヨットにも乗れば小さいヨットにも乗るし、波乗りもサップも釣りもカヌーもする……みたいな人がいて“ウォーターマン”と呼ぶんですね。

そんなふうに遊びの要素がもっと多様化したらいいと思うな。最近は冬にクロスカントリースキーをする人も増えたけれど、何かひとつに偏らない方がいいよね。今回の挑戦もひとつのカテゴリーだと思うけれど、これはあくまでヤマケンがやりたいと思ったソロチャレンジ。サポートやペーサーはいるけれど。

このスタイルをいいなと思う人もいるだろうけれど、それだけではなくて、自分の身の丈にあったチャレンジはいくらでもあると思うんです。でも山中だから一人だけでのオリジナルのチャレンジはちょっと危険かな。自宅の裏山ならいいけれど。

山本:僕もソロでこの挑戦はちょっと嫌ですね。

齋藤:そういう意味ではレースは守られているよね。今回はエイドも誘導の人もコースマーキングも何もないから。動物もいっぱいいたし。

山本:僕らホーホー騒ぎながら進んでいたので、熊も出てこなかったですけれど。

齋藤:寒いのがよかったね。水不足の問題が解消できるから。10月中旬まではヒルがいっぱいいるし、11月の晴天というのはいちばんよかったと思いますね。これが雨だったらまた大変だったと思う。

ヤマケンはこれからどんな道を選んでいくの?

ーーー今回は映像チームが帯同して作品制作されているそうですが、いつ頃完成予定なのでしょうか?

齋藤:春頃を予定しています。ヤマケン自身もムービー撮りましたよ。

山本:僕も撮りました、GoProで。

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齋藤:世界に出ていかなくても、こんなに面白いチャレンジができるんだよと伝えたいですね。このペースだったら、ヤマケンなら100マイルを毎週末、走れると思うんだよね。

山本:そうですね、このペースならできますね。月2回はできますね、このペースなら。 

齋藤:トレイルランニングは深く追求していけば、いくつになってもできるアクティビティなんじゃないかな。波乗りだって70歳でもできますから。追い込まなければ、楽しみながら長く続けられるスポーツだと思う。みんな生き急がない方がいいですよ(笑)。

ーーーヤマケンさんご自身は「このまま長い距離の挑戦を続けていって、いつか燃え尽きるんじゃないか」などと考えたりしますか。

山本:どうだろう? 飽きるんじゃないかな?

齋藤:この人は燃え尽きないな、きっと(笑)。最終目標みたいなものが、いい意味でないんじゃないのかな。これをやったら終わりというものがなくて、面白いことがあったら、どんどんやっていくタイプだから。UTMBの入賞が悲願とか、そういうのはないよね。

山本:まったくないですね(笑)。

ーーー負けず嫌いではないんですか?

山本:あんまりないな。それより目立ちたい(笑)。

齋藤:人のこと考えてないもんね。出場しているランナーの名前とか知らないし。

山本:全然知らない(笑)。

ーーー齋藤さんから見てヤマケンさんはどんなアスリートですか。

齋藤:難しい質問だね。いまはもう一緒にスキーに行ったりして、トレイルラン以外でも遊んでもらっているからなぁ。そうだね、ヤマケンはアスリートアスリートしていないかな。プロマウンテンランナーになって新しいチャレンジをしているわけだけれど、これからどうなるんだろうと僕らも思いますね。芸風変えるのはいつって。

イタリアのマルコ・オルモ(現在72歳のレジェンドランナー)みたいに長く競技生活を続けることを目指すのか、三浦雄一郎さんみたいに自分のチャレンジを推し進めていく人になるのか。どういうヤマケン像が形づくられていくのかなって思いますね。ヤマケンはある意味、一つのすごくいいサンプルだと思うんですよ。目立ちたがりやだから、あまり人のやっていないことをこれから探すべきなんじゃないかなと、僕は思います。

山本:なるほど、そうか!

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【Profile】
■山本 健一 Kenichi Yamamoto(プロマウンテンアスリート)

1979年山梨県生まれ。高校時代は山岳部、大学時代はモーグルスキーに取り組み、その後トレイルランの世界へ。高校の教員を務めながら、学校の夏休みを活用して年一回、海外レース出場を続けてきた。2019年3月、山梨県立北杜高校の教員を辞し、プロマウンテンアスリートに転向。フルマークス所蔵、フーディニ・アスリート。

(主な戦績)
2008年「日本山岳耐久レース」優勝、2009年「UTMB」8位・2011年10位、2012年「UTMF」3位、「グランレイド・ピレネー」優勝、2013・2016年「アンドラ・ウルトラトレイル」2位、2014年「グランレイド・レユニオン」8位、2015年「レシャップベル」2位、2018年「ウルトラツアー・モンテローザ」2位、2019年「グランレイド・レユニオン」10位など。

■齋藤 通生  Michiu Saito(アスリートサポーター)

海も山も遊び尽くすアウトドアズマン。長年アウトドア業界に携わり、2000年代よりトレイルランシーンを見守り続けている。山本健一選手をはじめとするウルトラ系トレイルランナーのサポート手腕が有名。とくに栄養補給に詳しく、スポーツサプリメント「ベスパ」のプロモーションと販売を手がけるほか、直子夫人とともにグルテンフリー低GI値のケーキショップ「AaHbit」を経営。「ベスパ齋藤さん」としてトレイルランナーからの信頼も厚い。

Special Thanks:Michiu Saito
Photo:Sho Fujimaki、Doryu Takebe
Interview&Text:Yumiko Chiba